アイドルトマト
「ジュップンノチコクデス、スミヤカニ、シテイクイキヘ――」
「分かってるよ」
律儀に指示を出そうとする機械に適当な返事をして、おれは研究栽培棟へと急いだ。その名の通り、自社製品のための食物を栽培して、研究する場所である。
研究栽培棟では、一人に三つの栽培室が任される。栽培室一つにつき研究室五つが割り当てられており、研究員は余計な雑事に手間取ることもなく、研究に没頭できるようになっている。雑事の中には人間関係とか給与関係というものも含まれていて、それらは全て、会社と契約を交わす際に決定されている。だからおれたち研究員は、研究のことを理解できない上司と言い争いする必要もないし、会社相手に金銭関連の裁判を起こす必要もないのだ。さらに言わせてもらえば、この会社にいる間、おれは他の研究員や社員と顔を合わせる必要すらない。実のところ、会社の社長の顔さえ、おれは知らない。知らなくても、何の不都合も生じない、そういう会社なのだ。
研究栽培棟に着くと、おれは早速白衣に着替え、小型の端末機を用意した。画面には、現在の栽培室の温度や湿度、栽培植物の状態などが事細かに映し出されている。それらを一通りチェックしてから、おれは栽培室へと出かけた。
まず初めの栽培室では、新型の人参を育てている。いまや食糧難などという旧世代的な災害は去り、人々は豊富な食材の中から好きなものを選び放題、逆に飽満世代などという言葉が出てくるほどに豊かな生活を送っている。それは何も食生活に限ったことではなく、世界規模で言っても、貧困などという言葉が当てはまる国はなくなってしまった。それを成し遂げたのがおれの勤めるこの会社、その名も『ああ素晴らしきバイオ食品』会社、略して『アスバオ』会社である。
おれはそれを誇りに思っているが、製品開発部長(彼と会ったことも、実は一度しかない)も同じように思っていたらしく、「このたび新たにわが社の偉大さを全世界の人々に知らしめる」べく、新製品の開発に乗り出したのだった。そしてその第一号が、この「アスバオにんじん」である。正式名称は、「ああ素晴らしきアスバオ会社にんじん」。人参、と書けば良いところをあえて「にんじん」としたのは、製品の安全性、親しみやすさ、等を考慮に入れ、「より消費者の皆様のお手に渡りやすいように」との涙ぐましい配慮の末のネーミングであって、決してネーミング担当者が漢字をど忘れしたとかいうのではない。
さて、この「アスバオにんじん」だが、なんとも喜ばしいことに順調に育っていた。この製品の特徴は、何と言っても側面に「アスバオ」という文字が所狭しと刻まれていることなのだが、その刻まれ具合がえもいわれぬ整然とした美しさをたたえているのだった。
おれは感嘆のため息をつきながらそのうちの一本を手に取った。ああ、なんて美しい「アスバオ」の文字!
『アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ……』
「よし、アスバオにんじんは経過良好。うん、素晴らしいぞ」
おれは手にした端末機にそう録音しておいて、次の栽培室へと足を踏み入れた。
二番目の栽培室には、もやしが所狭しと並んで植わっている。このもやしの特徴は、切っても倍になって生えてくるというものだ。原生動物の一種のようなこの特徴のおかげで、こいつは最初一本しか開発に成功しなかったのが、今では無数に増えている。自動的に機械が切り取ってしまうため、ちょっと目を話したすきに五百本ほど増えていたこともある。この栽培室は、もやししか育てていないというのに、まるで原生林状態だった。増えに増えたもやしたちが、行き場を失って壁に天井にと張り付いてしまっている。
「ちょっと増えすぎかもしれない……機械の切り取り頻度を調整しよう」
そう録音して、おれは最後の栽培室へ向かった。そこでは、今回の開発企画の大目玉、まさに期待のニューフェイス、新型のトマトが育てられているのだ。
「分かってるよ」
律儀に指示を出そうとする機械に適当な返事をして、おれは研究栽培棟へと急いだ。その名の通り、自社製品のための食物を栽培して、研究する場所である。
研究栽培棟では、一人に三つの栽培室が任される。栽培室一つにつき研究室五つが割り当てられており、研究員は余計な雑事に手間取ることもなく、研究に没頭できるようになっている。雑事の中には人間関係とか給与関係というものも含まれていて、それらは全て、会社と契約を交わす際に決定されている。だからおれたち研究員は、研究のことを理解できない上司と言い争いする必要もないし、会社相手に金銭関連の裁判を起こす必要もないのだ。さらに言わせてもらえば、この会社にいる間、おれは他の研究員や社員と顔を合わせる必要すらない。実のところ、会社の社長の顔さえ、おれは知らない。知らなくても、何の不都合も生じない、そういう会社なのだ。
研究栽培棟に着くと、おれは早速白衣に着替え、小型の端末機を用意した。画面には、現在の栽培室の温度や湿度、栽培植物の状態などが事細かに映し出されている。それらを一通りチェックしてから、おれは栽培室へと出かけた。
まず初めの栽培室では、新型の人参を育てている。いまや食糧難などという旧世代的な災害は去り、人々は豊富な食材の中から好きなものを選び放題、逆に飽満世代などという言葉が出てくるほどに豊かな生活を送っている。それは何も食生活に限ったことではなく、世界規模で言っても、貧困などという言葉が当てはまる国はなくなってしまった。それを成し遂げたのがおれの勤めるこの会社、その名も『ああ素晴らしきバイオ食品』会社、略して『アスバオ』会社である。
おれはそれを誇りに思っているが、製品開発部長(彼と会ったことも、実は一度しかない)も同じように思っていたらしく、「このたび新たにわが社の偉大さを全世界の人々に知らしめる」べく、新製品の開発に乗り出したのだった。そしてその第一号が、この「アスバオにんじん」である。正式名称は、「ああ素晴らしきアスバオ会社にんじん」。人参、と書けば良いところをあえて「にんじん」としたのは、製品の安全性、親しみやすさ、等を考慮に入れ、「より消費者の皆様のお手に渡りやすいように」との涙ぐましい配慮の末のネーミングであって、決してネーミング担当者が漢字をど忘れしたとかいうのではない。
さて、この「アスバオにんじん」だが、なんとも喜ばしいことに順調に育っていた。この製品の特徴は、何と言っても側面に「アスバオ」という文字が所狭しと刻まれていることなのだが、その刻まれ具合がえもいわれぬ整然とした美しさをたたえているのだった。
おれは感嘆のため息をつきながらそのうちの一本を手に取った。ああ、なんて美しい「アスバオ」の文字!
『アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ……』
「よし、アスバオにんじんは経過良好。うん、素晴らしいぞ」
おれは手にした端末機にそう録音しておいて、次の栽培室へと足を踏み入れた。
二番目の栽培室には、もやしが所狭しと並んで植わっている。このもやしの特徴は、切っても倍になって生えてくるというものだ。原生動物の一種のようなこの特徴のおかげで、こいつは最初一本しか開発に成功しなかったのが、今では無数に増えている。自動的に機械が切り取ってしまうため、ちょっと目を話したすきに五百本ほど増えていたこともある。この栽培室は、もやししか育てていないというのに、まるで原生林状態だった。増えに増えたもやしたちが、行き場を失って壁に天井にと張り付いてしまっている。
「ちょっと増えすぎかもしれない……機械の切り取り頻度を調整しよう」
そう録音して、おれは最後の栽培室へ向かった。そこでは、今回の開発企画の大目玉、まさに期待のニューフェイス、新型のトマトが育てられているのだ。