この先ずっと

「空……」
「先に始めたのは兄さんだよ」
「え?」
 空はそのまま、一途に覆いかぶさるように近づいてきた。そして、まだ何が起きているのか分からず身動きが取れない一途の頬にそっと触れた。
「兄さん。ぼくは、あの時のことを忘れてなんていないよ」
「…………!」
 一途はようやく身じろぎをした。あの時のこと、というのは、恐らく自分が空に対して一方的に欲望をぶつけようとしてしまった時の……。
「う……空、あれは……おれが悪かった……」
 そうか、あの時のことで、弟は苦しんでいたのだ。家族に、それも、多分一番信頼していた兄に、あんなことをされて、今までずっとおれのことを許せないでいたのに違いない。
 一途は、申し訳なさに声を震わせた。
「空、ごめん……あの時は本当に……」
 どうかしてたんだ、と続けようとした唇が、空の唇にふさがれた。一途の脳裏に、あの時の感覚が蘇る。空の唇は記憶に違わず柔らかい。
「……っふ……ん……」
 あの時感じた興奮が戻って来そうになる。空の舌が自分の口内に割って入ろうとしているのを感じて、そのまま受け入れてしまいたくなる。が、一途は目を瞑って、空の胸を押し、身体を引き離した。
「はぁっ……はぁっ……」
 息を整えながら、一途は弟を見つめた。自分と同じように息が上がり、うっすらと上気したその頬に目を奪われそうになりつつも、首を振って意識を保つ。それからようやく、声を絞り出した。
「空……おれのこと、許せないんだな」
「え? 兄さん、それは」
「こんな……自分がされたことをそのまま返すなんてことをするくらい……おれのことが許せないんだろう?」
 語尾が震えて、うまく声にならなかった。穏やかな空にここまでのことをさせるほど、自分のあの行為は愚かだった。理解してはいたつもりだったが、こうなって初めて、空がどれだけ苦しんだのかが身に染みて分かったような気がする。あの時、空は「気にしない」と言っていたが、しかし成長するにつれ、やはりあの行為の意味……その背後にあったおれの浅ましい欲望、抱いてはならない感情に身を任せてしまった汚らわしさに気が付いてしまったのだ。空は、おれを純粋に慕ってくれていたのに。
「空、本当に悪かった……。あの時、おれがあんなことをしなければ、空に……こんなこと……」
 一途の視界は歪んでぼやけて、空の姿をうまく捉えられない。でもきっと、弟は自分に軽蔑の目を向けているのに違いない。そうでなければ、こんなことを空がする筈が無いのだ……一途は自分自身を殴りつけたい気分だった。だから、ふわりとした温かさに包まれたとき、何が起こったのか、本当に理解できなかった。
 空に抱きしめられている。
 そう気が付くまでに、たっぷり十秒は掛かった。
「空……?」
「あのね、兄さん。許せない人のことを、こんな風に抱きしめるなんて、ぼくが出来ると思う?」
「…………思わない。……でも、あの時のことを忘れてないって……どういう」
 はあ、と盛大なため息をついて、空は一途の首筋に顔をうずめた。
「あの時言った通り、ぼくは嬉しかったんだよ。大好きな兄さんに、好きな人同士でしかしないことをされて。……でも兄さんは真面目で、とても優しいから……あれから二度と、ぼくに不用意に触れようとしなくなったでしょう」
「……うん。気づいてたのか」
「当たり前でしょ」
 鈍感な兄さん、と、空は笑った。
「ぼくは、兄さんのそういうところも大好きなんだ。ぼくのことを第一に考えてくれるからこそ、ぼくを傷つけるだろうことは絶対にしない。でも……」
 空の右手が、一途の服の裾をぎゅっと掴んだ。
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