くちづけ
「…………」
空は相変わらず夢中で一途の舌に吸い付いているが、一途はそっと、その身体を離した。
「ん……お兄ちゃん……?」
まだ足りない、と言いたげな、目にするだけでも毒な表情をなるべく見ないようにしながら、一途はベッドから降りた。
「もう終わりなの……? ぼく、もっと上手くできるよ……?」
名残惜しそうな弟の声に、一途は後ろを向いて首を振る。
「もう終わりだ。もう絶対、これはしない」
「え……」
覚えたての、確実にこれから面白くなるであろう遊びを急に奪われて、空は困惑した声を上げた。
「で、でも……お兄ちゃんも、楽しそうだったのに、どうして?」
一途はその言葉に、泣きたくなった。そうだ、自分は確かに楽しかった。ここのところずっと抱いていた望みを叶えられて、気持ち良かったし、すっきりした。そして、そのことに、今は嫌悪しか感じない。
自分はきっと、これだけでは満足できなくなる。唇や口中だけでなく、空の全てを欲しくなる。さっきもその欲望が、頭をもたげたではないか。自分には、それが許せない。それだけじゃない。守るべき家族をそんな目で見てしまったことも、理性で抑えるべきところを抑えられなかったことも、許せるはずがない。
激しい自己嫌悪が、それまでの熱と興奮を完全に冷ましてしまった。
「空。おれは謝らなくちゃいけない」
急な申し出に、空はきょとんとした。
「今のは、おれと空がしちゃいけないことだったんだ。家族ですべきことじゃない」
「え……」
「おれは、自分勝手で……すべきじゃないのに、しちゃいけないのに……してしまった。謝って済む話じゃないよな……本当に……ごめん」
いたたまれなくなった一途は、そのままカーテンを開けて、早足で病室を出た。目から勝手に涙が溢れてくるのを必死で拭って、そのままトイレの個室に閉じこもる。
個室の扉に寄りかかりながら、自分は本当に駄目な人間だ、と、心の中で何度も繰り返した。そもそも、実の弟に対してそんな感情を抱くのがおかしいのだ。確かに、昔から空のことは大好きだし、愛している。それは今も変わらない。けれど、その方向性が、いつからかは分からないが、確かに変わってしまった。いつしか、空の頰や睫毛や唇や髪の毛や首筋や手の指や足首を見つめていることが多くなり、そんな自分に気がついた時には、もう手遅れだった。空の唯一になりたい。空が自分のことを特別に想ってくれていることを、一途はよく知っていたが、心だけではなく、身体も何もかも、全てを自分のものにしてしまいたい。そんな凶暴な願望を、抑え込むだけで手一杯になっていた。
今でも、酷い自己嫌悪で身体中が冷え切っている今でさえも、先ほど声を殺して初めての感覚に耐えていた空の表情を思い出すだけで、身体が震えだす。腰の奥が甘く疼く。
「うう……」
分裂しそうな自己に、一途は頭を抱えてしゃがみ込んだ。苦しくて、嗚咽が漏れる。トイレを使う他の人たちはきっと、気分の悪い人間が利用しているのだと思うだけだろう。
そうだ。本当に、気分が悪い。全ては自分が悪いと分かりきっていて、そして、どう償いようもない。
暫くの間そうしてしゃがみ込んでいたが、やがて一途は緩慢な動作で立ち上がった。もうどうすることも出来ないが、何事もなかったかのように振る舞うしかない。きっと空はいつかあの行為の意味を知って、おれのことを蔑むだろう。嫌うだろうし、ひょっとしたら憎むかもしれない。それとももしかして、幸運なことに、そんなことがあったということを、すっかり忘れてくれるかもしれない。そうだとしたら、どんなに良いか。
とにかく、もう、今日は帰ろう。両親には、空はいつもの通りだったと話そう。
変わってしまったのは、自分だけだ。
そんな暗澹たる思いにとらわれながら、一途はトイレから出た。そのまま、ふらつく足取りで受付の前を通り過ぎ、自動ドアから外へ出ようとした、その時だった。後ろから誰かに、手を引っ張られた。
空は相変わらず夢中で一途の舌に吸い付いているが、一途はそっと、その身体を離した。
「ん……お兄ちゃん……?」
まだ足りない、と言いたげな、目にするだけでも毒な表情をなるべく見ないようにしながら、一途はベッドから降りた。
「もう終わりなの……? ぼく、もっと上手くできるよ……?」
名残惜しそうな弟の声に、一途は後ろを向いて首を振る。
「もう終わりだ。もう絶対、これはしない」
「え……」
覚えたての、確実にこれから面白くなるであろう遊びを急に奪われて、空は困惑した声を上げた。
「で、でも……お兄ちゃんも、楽しそうだったのに、どうして?」
一途はその言葉に、泣きたくなった。そうだ、自分は確かに楽しかった。ここのところずっと抱いていた望みを叶えられて、気持ち良かったし、すっきりした。そして、そのことに、今は嫌悪しか感じない。
自分はきっと、これだけでは満足できなくなる。唇や口中だけでなく、空の全てを欲しくなる。さっきもその欲望が、頭をもたげたではないか。自分には、それが許せない。それだけじゃない。守るべき家族をそんな目で見てしまったことも、理性で抑えるべきところを抑えられなかったことも、許せるはずがない。
激しい自己嫌悪が、それまでの熱と興奮を完全に冷ましてしまった。
「空。おれは謝らなくちゃいけない」
急な申し出に、空はきょとんとした。
「今のは、おれと空がしちゃいけないことだったんだ。家族ですべきことじゃない」
「え……」
「おれは、自分勝手で……すべきじゃないのに、しちゃいけないのに……してしまった。謝って済む話じゃないよな……本当に……ごめん」
いたたまれなくなった一途は、そのままカーテンを開けて、早足で病室を出た。目から勝手に涙が溢れてくるのを必死で拭って、そのままトイレの個室に閉じこもる。
個室の扉に寄りかかりながら、自分は本当に駄目な人間だ、と、心の中で何度も繰り返した。そもそも、実の弟に対してそんな感情を抱くのがおかしいのだ。確かに、昔から空のことは大好きだし、愛している。それは今も変わらない。けれど、その方向性が、いつからかは分からないが、確かに変わってしまった。いつしか、空の頰や睫毛や唇や髪の毛や首筋や手の指や足首を見つめていることが多くなり、そんな自分に気がついた時には、もう手遅れだった。空の唯一になりたい。空が自分のことを特別に想ってくれていることを、一途はよく知っていたが、心だけではなく、身体も何もかも、全てを自分のものにしてしまいたい。そんな凶暴な願望を、抑え込むだけで手一杯になっていた。
今でも、酷い自己嫌悪で身体中が冷え切っている今でさえも、先ほど声を殺して初めての感覚に耐えていた空の表情を思い出すだけで、身体が震えだす。腰の奥が甘く疼く。
「うう……」
分裂しそうな自己に、一途は頭を抱えてしゃがみ込んだ。苦しくて、嗚咽が漏れる。トイレを使う他の人たちはきっと、気分の悪い人間が利用しているのだと思うだけだろう。
そうだ。本当に、気分が悪い。全ては自分が悪いと分かりきっていて、そして、どう償いようもない。
暫くの間そうしてしゃがみ込んでいたが、やがて一途は緩慢な動作で立ち上がった。もうどうすることも出来ないが、何事もなかったかのように振る舞うしかない。きっと空はいつかあの行為の意味を知って、おれのことを蔑むだろう。嫌うだろうし、ひょっとしたら憎むかもしれない。それとももしかして、幸運なことに、そんなことがあったということを、すっかり忘れてくれるかもしれない。そうだとしたら、どんなに良いか。
とにかく、もう、今日は帰ろう。両親には、空はいつもの通りだったと話そう。
変わってしまったのは、自分だけだ。
そんな暗澹たる思いにとらわれながら、一途はトイレから出た。そのまま、ふらつく足取りで受付の前を通り過ぎ、自動ドアから外へ出ようとした、その時だった。後ろから誰かに、手を引っ張られた。