UNO
カーテンの隙間から差し込む朝日に、一途 は眉間にしわを寄せながら目を覚ました。なんだか頭と体が重い。それに、少し肌寒いような……しかしそれでいてなんだか暖かいような、不思議な感覚だ。
そんなことを思いながら体を起こそうと身じろぎした時に、ようやく違和感の正体に気が付いた。仰向けに寝ている一途のすぐ右隣、殆ど一途の胸に頭を載せるくらいに密着して、空 が寝ている。同居している弟は、いつもは違う布団で寝ているのだが、なぜだか昨晩は隣にもぐりこんでいたらしい。何か嫌な夢でも見たのだろうか、とぼおっと考えて再び頭を枕の上に載せてから、はっとした。違和感のもう半分の正体に、かなり遅れて気が付いたのだ。
自分も弟も、少なくとも布団からはみ出て見えている部分は裸だった。
「…………っ?」
寝るときは裸、という文化もあることは知っているが、自分たち兄弟は普段、寝間着を身に着けて寝ることにしているし、まだ北国では雪が降ったりするような初春に、まさか暑いから上半身裸になりました、などということは無いだろう。
いやいやそんなことを冷静に考えている場合ではない、待て待て待て、と、一途は横たわったまま、弟の静かな寝息を聞きながら必死で頭を回転させる。昨晩は、確か職場の飲み会があって……二次会まで付き合って、それから同僚の川村と一緒に帰路に着いた、筈だ。が、帰り着いた記憶が無い。川村と一緒にふらつく足で居酒屋から出た、そこで完全に記憶が途切れている。
おれ、そんなに酒飲んだんだっけ……。
そういえば確かに、川村と飲み比べのようなことをさせられたような、おぼろげな記憶がある。と言うことは恐らく、自分は記憶を失くすほど飲んだということだ。一途は自分の軽率な行動にウンザリしながらも、今のこの状態に繋がるであろう記憶を手繰り寄せようと必死になった。どうしてこんな状態になっているのか、それを思い出さないでは恐ろしくて立ち上がることも出来そうにない。
まさか、まさかとは思うが、とうとうおれは空と一線を越えてしまったのか。
ともすれば湧き上がってくるその疑念を、ばっさりと振り払いきることも出来ない。何せ記憶が無いのだ。記憶を失くすほど酒を飲み帰宅し、そのまま酩酊した思考で最愛の弟を抱いてしまったのだとしても、おかしいことはない。しかし、そうであって欲しくない。確かに最近は、同居する前に建てた方針――過度な肉体的接触の禁止――がなし崩し的に無かったことになりかけてきていた。だが、最後の一線だけは絶対に踏み越えてはいけないと、一途は殆ど信仰に近い強度で信じていたのだ。
それをしてしまえば、もう二度と後には退き返せない。
これまで散々キスだのなんだのしてきたというのに、未だ一途の中には迷いがあった。自分のことはどうだって良い。どうせ空以上に愛情を注ぐことのできる対象など、これから先現れるはずもないのだ。だが、空は違う。空には天性の、人を惹きつけてやまない魅力がある。それは性別や年齢など関係なく、嘗て病床にいた空を救うために多くの人間が奔走したことからも明らかだ。そんな空には、きっと自分なんかより相応しい相手が沢山現れるはずだ。いや、現れないと考える方がおかしい。その時、空の目の前に、兄の存在など霞む様な人が現れた時……自分がすぐに身を引いて、空がその人と共に歩んで行くために……、最後に残った一線だけは、絶対に越えてはいけない。
空がいくら自分のことを愛していると言おうとも、それが真実であることを確信していようとも、それが「たった今、そうである」のに過ぎないのだということは、一途にはどうしようもない程よく分かっていた。真実永遠なるものなど、この世には無いのだと、今よりずっと若いころから苦労を重ねてきた彼は、そんな達観を胸に抱いている。しかしその達観の中に、自分の弟への想いを含め忘れていることは、彼自身、気が付いてはいない。
そんな信仰とは別に、一途にはもう少し卑小な、しかし切実な思いもあった。
もしも空と一線を越えたのだとして、それを覚えていないってのが……もし本当にそうなら、マジで悔しいんだけど……。
一途が自分の浅ましさすら感じる思考に溜息をついた時、それまで静かに眠っていた空が小さく動いた。
「ん……あ、兄さん。おはよう」
「んぁっ……! お、おおおおはよう」
動揺が完全に声にも態度にも出た。空は体を起こさないまま、顔だけ傾げて冷や汗を浮かべる兄を見つめる。純粋に疑問符を浮かべた綺麗な瞳が、不審な動きをする兄を捉える。
「どうしたの兄さん?」
「ん、いや、えっと……あー空、そのさ、昨晩……」
「ああ、うん……あれは凄かったね……」
「す、凄かった……?」
「うん、だって……」
そこで空はようやく、兄の浮かべる表情の意味に気が付いた。愛すべき兄は、何か面白い勘違いをしているようだ、ということを、聡い空はすぐに理解した。まあ確かに、相思相愛同士がこのような状態になっていれば、例え色々と天然なところのある兄でなくとも、勘違いすることもあるだろう。高潔な兄のことだ。弟をどうにかした挙句、それを忘れたかもしれないということについて、自分が目を覚ますまでの間、煩悶していたに違いない。そんな煩悶の時を引き延ばすのは気の毒だ。さっさと昨晩の出来事を思い出させて……。
いや、ちょっと待てよ、と、空は一度、思考を保留した。頭の中に、カレンダーを思い浮かべる。
確か今日は……それなら、少しくらい兄をからかってみるのも良いかもしれない。
滅多に起こらない悪戯心が胸をくすぐる。空は緩みそうになる口元を引き締め、言葉を続けた。
「だって、あんな……ぼくは嫌だって言ったのに」
「なっ……」
嫌がる弟を無理に組み伏せたというのか、と愕然とする兄の表情に、空は少しの申し訳なさを感じた。しかし、あまりに綺麗に騙されてくれるので、それを面白がる気持ちが上回ってしまった。
そもそも、嫌がる自分を無理矢理「脱衣ウノ」とやらに参加させたのは、兄ではなく、兄の同僚、川村とかいう男だ。昨晩遅く千鳥足で帰宅した兄が、なぜだか連れて帰ってきてしまったそいつが、酔ったノリで強引にゲームを始めたのが全ての発端だった。当然止めて然るべき兄は完全に意識が朦朧としており殆ど眠っているようなもので、うまく川村を帰そうと一人で奮闘した空の努力も空しく、川村の独壇場で全てが進んでいった。確かにああいう状態を作り出してしまったのには、兄にも責任の一端はある。そう考えると、このくらいのからかいは大目に見て欲しいものだ。
「嫌だって言ってるのに、服まで脱がせて……」
「や、やっぱりそうなのか……?」
空が意図的に省いた「動作の主体」は、もちろん「川村さん」である。兄はその時既に床に倒れ伏して気持ちよさそうに眠っていたので、そんなことが出来るはずもない。「同僚はクールイケメン、同僚の弟は可愛い系イケメン……そしておれはフツメンですよっくっそーお前らなんかこうだ、こうだっ!」と叫びながら兄弟の服を剥いでいった川村さんの姿には鬼気迫るものがあった。
「散々溜めてたものを吐き出したら、もうそれですっきりしたみたいに寝ちゃって……」
「う……」
兄の顔が白くなる。
日頃溜めていたのであろう、あらゆる種類の鬱憤や愚痴を噴出させた川村さんは、突然おとなしくなり、糸の切れた操り人形のようにくたりと眠ってしまった。散々おもちゃにされた空が用心しいしい確認した寝顔は、聖母に抱かれる赤子のように安らかだった。
真相を言ってしまえば何てことは無いが、意図的に重要語句を抜き取った断片的な自分の言葉を聞いた兄は、頭の中に全く違う物語を作り上げてしまっていることだろう。
しかし、そろそろ可哀想になってきた。
「兄さん、すごく酔ってたから、ぼく心配だったんだけど……大丈夫? 覚えてる?」
「えっと……その……」
覚えてない、と言ったら責められるに違いない、と勝手に想像する一途は何も言えず、唸るばかりだ。空はそこでにっこりと笑って見せた。
「ところで兄さん、今日は何月何日でしょう」
「……は?」
唐突に突き付けられたクイズに、一途は虚を突かれて呆けたような声を出す。
「え……っと。昨日の飲み会が年度末のお疲れさん会だったから……四月……」
そこでハッとしたように目を見開き、小さく叫んだ。
「エイプリルフール!」
「大正解」
「ってことは、今のは全部」
「嘘、とは言い切れないんだけどね……でも、兄さんが思ったようなことは何一つ起こってないから。安心して?」
小首をかしげて自分を見上げる弟を数秒見つめて、一途は長い長い息を吐いた。
「安心した……マジで……本当にどうしようかと……」
そのまま頭を抱えて布団の中で丸まる一途を、空は面白そうに見ていたが、やがて口を開いた。
「もし本当にそうだったら……兄さん、どうしてた?」
意地悪な質問だ、と自分で分かりながら、空は敢えて訊ねた。兄の気持ちを、いついかなる時も把握していたい、そういう欲望が自分の中にはあることを、空は良く知っている。
「もし本当にそうだったら? ……その時はそりゃあ責任もって一生……」
一途の真剣な声が、そこで途切れた。何者かが玄関ドアを開けて、室内に入って来たことが分かったのだ。身を固くして息をひそめ、そちらを窺う一途の視界に、なぜか自分のジャージを着てコンビニ袋をぶら下げた川村の姿が飛び込んできた。
「あれ、夜淵 兄弟、起きてたの。おっはー」
「……は? 川村? なんでここに?」
言いながら、一途の脳裏に、昨晩の川村とのやり取りがフラッシュバックした。
そうだ、川村は終電を逃してタクシー代も勿体ないとか抜かしたので、仕方なく職場からは近い自分の家に泊めてやることにしたのだ……。
「わ、忘れてた……おれとしたことが……」
「お、流石クール夜淵、おれのことを忘れていたなんてなかなかに薄情だな! まあそんなことより、『責任を取って一生』とかなんとか、深刻そうな話が聞こえてきたけど……何の話?」
「な、ななな何でもないとにかくお前には関係ない」
「ふうん」
川村は元々さしたる興味も無かったらしく、ひとつ頷いてどっかとソファに腰を下ろした。コンビニ袋からガリガリ君を取り出して頬張りながら、同僚とその弟を見下ろす。
「どうでも良いけど、夜淵兄弟は同じ布団で裸で寝るのか? 節約?」
まだ完全に昨晩の出来事を把握しきれていない一途はその指摘に顔を真っ赤にして布団にもぐりこんだ。が、空は、彼にしては珍しく怒りをあらわにしながら、ひと声叫んだ。
「あんたのせいでしょうが!」
そんなことを思いながら体を起こそうと身じろぎした時に、ようやく違和感の正体に気が付いた。仰向けに寝ている一途のすぐ右隣、殆ど一途の胸に頭を載せるくらいに密着して、
自分も弟も、少なくとも布団からはみ出て見えている部分は裸だった。
「…………っ?」
寝るときは裸、という文化もあることは知っているが、自分たち兄弟は普段、寝間着を身に着けて寝ることにしているし、まだ北国では雪が降ったりするような初春に、まさか暑いから上半身裸になりました、などということは無いだろう。
いやいやそんなことを冷静に考えている場合ではない、待て待て待て、と、一途は横たわったまま、弟の静かな寝息を聞きながら必死で頭を回転させる。昨晩は、確か職場の飲み会があって……二次会まで付き合って、それから同僚の川村と一緒に帰路に着いた、筈だ。が、帰り着いた記憶が無い。川村と一緒にふらつく足で居酒屋から出た、そこで完全に記憶が途切れている。
おれ、そんなに酒飲んだんだっけ……。
そういえば確かに、川村と飲み比べのようなことをさせられたような、おぼろげな記憶がある。と言うことは恐らく、自分は記憶を失くすほど飲んだということだ。一途は自分の軽率な行動にウンザリしながらも、今のこの状態に繋がるであろう記憶を手繰り寄せようと必死になった。どうしてこんな状態になっているのか、それを思い出さないでは恐ろしくて立ち上がることも出来そうにない。
まさか、まさかとは思うが、とうとうおれは空と一線を越えてしまったのか。
ともすれば湧き上がってくるその疑念を、ばっさりと振り払いきることも出来ない。何せ記憶が無いのだ。記憶を失くすほど酒を飲み帰宅し、そのまま酩酊した思考で最愛の弟を抱いてしまったのだとしても、おかしいことはない。しかし、そうであって欲しくない。確かに最近は、同居する前に建てた方針――過度な肉体的接触の禁止――がなし崩し的に無かったことになりかけてきていた。だが、最後の一線だけは絶対に踏み越えてはいけないと、一途は殆ど信仰に近い強度で信じていたのだ。
それをしてしまえば、もう二度と後には退き返せない。
これまで散々キスだのなんだのしてきたというのに、未だ一途の中には迷いがあった。自分のことはどうだって良い。どうせ空以上に愛情を注ぐことのできる対象など、これから先現れるはずもないのだ。だが、空は違う。空には天性の、人を惹きつけてやまない魅力がある。それは性別や年齢など関係なく、嘗て病床にいた空を救うために多くの人間が奔走したことからも明らかだ。そんな空には、きっと自分なんかより相応しい相手が沢山現れるはずだ。いや、現れないと考える方がおかしい。その時、空の目の前に、兄の存在など霞む様な人が現れた時……自分がすぐに身を引いて、空がその人と共に歩んで行くために……、最後に残った一線だけは、絶対に越えてはいけない。
空がいくら自分のことを愛していると言おうとも、それが真実であることを確信していようとも、それが「たった今、そうである」のに過ぎないのだということは、一途にはどうしようもない程よく分かっていた。真実永遠なるものなど、この世には無いのだと、今よりずっと若いころから苦労を重ねてきた彼は、そんな達観を胸に抱いている。しかしその達観の中に、自分の弟への想いを含め忘れていることは、彼自身、気が付いてはいない。
そんな信仰とは別に、一途にはもう少し卑小な、しかし切実な思いもあった。
もしも空と一線を越えたのだとして、それを覚えていないってのが……もし本当にそうなら、マジで悔しいんだけど……。
一途が自分の浅ましさすら感じる思考に溜息をついた時、それまで静かに眠っていた空が小さく動いた。
「ん……あ、兄さん。おはよう」
「んぁっ……! お、おおおおはよう」
動揺が完全に声にも態度にも出た。空は体を起こさないまま、顔だけ傾げて冷や汗を浮かべる兄を見つめる。純粋に疑問符を浮かべた綺麗な瞳が、不審な動きをする兄を捉える。
「どうしたの兄さん?」
「ん、いや、えっと……あー空、そのさ、昨晩……」
「ああ、うん……あれは凄かったね……」
「す、凄かった……?」
「うん、だって……」
そこで空はようやく、兄の浮かべる表情の意味に気が付いた。愛すべき兄は、何か面白い勘違いをしているようだ、ということを、聡い空はすぐに理解した。まあ確かに、相思相愛同士がこのような状態になっていれば、例え色々と天然なところのある兄でなくとも、勘違いすることもあるだろう。高潔な兄のことだ。弟をどうにかした挙句、それを忘れたかもしれないということについて、自分が目を覚ますまでの間、煩悶していたに違いない。そんな煩悶の時を引き延ばすのは気の毒だ。さっさと昨晩の出来事を思い出させて……。
いや、ちょっと待てよ、と、空は一度、思考を保留した。頭の中に、カレンダーを思い浮かべる。
確か今日は……それなら、少しくらい兄をからかってみるのも良いかもしれない。
滅多に起こらない悪戯心が胸をくすぐる。空は緩みそうになる口元を引き締め、言葉を続けた。
「だって、あんな……ぼくは嫌だって言ったのに」
「なっ……」
嫌がる弟を無理に組み伏せたというのか、と愕然とする兄の表情に、空は少しの申し訳なさを感じた。しかし、あまりに綺麗に騙されてくれるので、それを面白がる気持ちが上回ってしまった。
そもそも、嫌がる自分を無理矢理「脱衣ウノ」とやらに参加させたのは、兄ではなく、兄の同僚、川村とかいう男だ。昨晩遅く千鳥足で帰宅した兄が、なぜだか連れて帰ってきてしまったそいつが、酔ったノリで強引にゲームを始めたのが全ての発端だった。当然止めて然るべき兄は完全に意識が朦朧としており殆ど眠っているようなもので、うまく川村を帰そうと一人で奮闘した空の努力も空しく、川村の独壇場で全てが進んでいった。確かにああいう状態を作り出してしまったのには、兄にも責任の一端はある。そう考えると、このくらいのからかいは大目に見て欲しいものだ。
「嫌だって言ってるのに、服まで脱がせて……」
「や、やっぱりそうなのか……?」
空が意図的に省いた「動作の主体」は、もちろん「川村さん」である。兄はその時既に床に倒れ伏して気持ちよさそうに眠っていたので、そんなことが出来るはずもない。「同僚はクールイケメン、同僚の弟は可愛い系イケメン……そしておれはフツメンですよっくっそーお前らなんかこうだ、こうだっ!」と叫びながら兄弟の服を剥いでいった川村さんの姿には鬼気迫るものがあった。
「散々溜めてたものを吐き出したら、もうそれですっきりしたみたいに寝ちゃって……」
「う……」
兄の顔が白くなる。
日頃溜めていたのであろう、あらゆる種類の鬱憤や愚痴を噴出させた川村さんは、突然おとなしくなり、糸の切れた操り人形のようにくたりと眠ってしまった。散々おもちゃにされた空が用心しいしい確認した寝顔は、聖母に抱かれる赤子のように安らかだった。
真相を言ってしまえば何てことは無いが、意図的に重要語句を抜き取った断片的な自分の言葉を聞いた兄は、頭の中に全く違う物語を作り上げてしまっていることだろう。
しかし、そろそろ可哀想になってきた。
「兄さん、すごく酔ってたから、ぼく心配だったんだけど……大丈夫? 覚えてる?」
「えっと……その……」
覚えてない、と言ったら責められるに違いない、と勝手に想像する一途は何も言えず、唸るばかりだ。空はそこでにっこりと笑って見せた。
「ところで兄さん、今日は何月何日でしょう」
「……は?」
唐突に突き付けられたクイズに、一途は虚を突かれて呆けたような声を出す。
「え……っと。昨日の飲み会が年度末のお疲れさん会だったから……四月……」
そこでハッとしたように目を見開き、小さく叫んだ。
「エイプリルフール!」
「大正解」
「ってことは、今のは全部」
「嘘、とは言い切れないんだけどね……でも、兄さんが思ったようなことは何一つ起こってないから。安心して?」
小首をかしげて自分を見上げる弟を数秒見つめて、一途は長い長い息を吐いた。
「安心した……マジで……本当にどうしようかと……」
そのまま頭を抱えて布団の中で丸まる一途を、空は面白そうに見ていたが、やがて口を開いた。
「もし本当にそうだったら……兄さん、どうしてた?」
意地悪な質問だ、と自分で分かりながら、空は敢えて訊ねた。兄の気持ちを、いついかなる時も把握していたい、そういう欲望が自分の中にはあることを、空は良く知っている。
「もし本当にそうだったら? ……その時はそりゃあ責任もって一生……」
一途の真剣な声が、そこで途切れた。何者かが玄関ドアを開けて、室内に入って来たことが分かったのだ。身を固くして息をひそめ、そちらを窺う一途の視界に、なぜか自分のジャージを着てコンビニ袋をぶら下げた川村の姿が飛び込んできた。
「あれ、
「……は? 川村? なんでここに?」
言いながら、一途の脳裏に、昨晩の川村とのやり取りがフラッシュバックした。
そうだ、川村は終電を逃してタクシー代も勿体ないとか抜かしたので、仕方なく職場からは近い自分の家に泊めてやることにしたのだ……。
「わ、忘れてた……おれとしたことが……」
「お、流石クール夜淵、おれのことを忘れていたなんてなかなかに薄情だな! まあそんなことより、『責任を取って一生』とかなんとか、深刻そうな話が聞こえてきたけど……何の話?」
「な、ななな何でもないとにかくお前には関係ない」
「ふうん」
川村は元々さしたる興味も無かったらしく、ひとつ頷いてどっかとソファに腰を下ろした。コンビニ袋からガリガリ君を取り出して頬張りながら、同僚とその弟を見下ろす。
「どうでも良いけど、夜淵兄弟は同じ布団で裸で寝るのか? 節約?」
まだ完全に昨晩の出来事を把握しきれていない一途はその指摘に顔を真っ赤にして布団にもぐりこんだ。が、空は、彼にしては珍しく怒りをあらわにしながら、ひと声叫んだ。
「あんたのせいでしょうが!」