くちづけ
時間にしてみれば恐らくものの数分だっただろうが、二人にとっては永遠のように長く、濃い時間が過ぎた。
兄弟は揃って、乱れた呼吸を整えようと、ベッドの上に仰向けになっている。
口付けの最中、空の目が開いた時、一瞬胸をよぎった罪悪感が、冷静になりつつある一途の頭の中を満たし始めていた。自分はなんてことをしてしまったのか。これまでも確かに、そういう衝動に突き動かされそうになったことはあった。空が大切で、愛おしいと思えば思うほど、その心だけでなく身体も、自分が独占してしまいたいという衝動。しかしこれまでは道徳や倫理が正常に機能して、なんとか持ちこたえることが出来ていた。それなのに、今日のこれはどうしたことか。
空が眠りに落ちる時、自分の理性が綺麗に消し飛んだことを、一途は思い出した。そうだ、空が眠そうにしている時の顔つきが、堪らなく煽情的だったのだ。その時の空の表情を思い出すと、さっき理性で押し留めた熱いものが再び暴れだしそうになり、一途は慌てて首を振る。
今は、この後どうするかを考えなくてはいけない。
自分は取り返しのつかないことをしてしまった。空が眠っている間、その一瞬だけ、と思ってやってしまったが、それだけでは済まなかった。夢うつつの状態から脱した今、空はきっと自分のことを嫌悪しているに違いない。
それだけではない。こんなことが両親に知れたら、一体自分はどうすればいいのか。実の弟に下劣な欲望を抱いて、眠っている間に口付けまでしたなど知れたら。
消えてしまいたい。
一途は両手で顔を覆った。
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
空が、心配そうに尋ねた。一途はビクッと肩を震わせた。
「空……その、今の……」
「今の? ……あ、今の遊びのこと?」
遊び、とさらりと形容した空の言葉に、一途は一瞬、どういう意味かと戸惑った。そして、それが空にとっては言葉通りの意味しか持っていないことに気がついた。
幼くして入院生活に入った空は、「そういうこと」についての知識が無いのだ。院内学級で各教科について学ぶ機会はあるし、保健の教科書だって持っている筈だが、「そういうこと」がそれらに繋がる行為で、普通は男女間、それも血の繋がりのない者同士でしかしないのだということを、全く知らないのだ。だから、自分が今した口付けにしても、なんだかよく分からないけれど、楽しいかもしれない遊びだとしか捉えていないのだ。
世俗的なテレビ番組や、コンビニに目立つように置かれる成人向け雑誌を見かけることもなく、使っているパソコンは勿論子ども向けにゾーニングされているので、そういった動画に触れることもなく育ってきた空は、何も分かっていない。
一途は愕然とした。
自分は、本当に酷い人間だ。何も知らない、その行為の善悪さえ分からない相手に、一方的な欲望を押し付けて……あまつさえ、これから言いくるめようというのだから。
絶望的な気分で、一途は身体を起こした。まだぼんやりとしている空の頰に触れようとしたが、空中で手を止めた。自分には、もう空に触れる資格は無い。
しかし、その手を、空が握った。
「…………!」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……ごめん」
空に聞こえないくらいに小さな声で呟き、それから一途は、その手をぎゅっと握り返した。
「空。さっきの遊びだけど、あれはおれと空だけの秘密だよ」
「お兄ちゃんとの秘密……」
努めて柔らかく笑顔を作りながら、一途は自分の中の良心が軋む音を聞いた。しかし、もうどうしようもない。
「そう、秘密。父さんや母さんにも内緒。勿論、お医者様にもだよ。誰にも言っちゃダメなんだ」
「そうなの……?」
「うん。言っちゃったら、もう二度とおれたちは会えなくなるんだ」
これは恐らく真実だが、これ程までに酷い脅しの言葉を自分が吐き出せるとは思っても見なかった。一途は、自分の口調に吐き気を感じる。
案の定、空は怯えたように身をすくませた。
「お兄ちゃんに会えなくなっちゃうの……? もう、ずっと?」
「そうだよ。だから、さっきのは誰にも秘密。それに、あれはもう二度と……」
「分かったよ、お兄ちゃん! ぼく、絶対に誰にも言わない」
一途にとっては重要な言葉を続けたかったのだが、空は無邪気に遮って笑う。ホッとしたのもつかの間、一途は聞きたく無かった言葉を耳にして呆然とした。
「だから、もう一回、しよ?」
「…………!」
自分の誘いの意味を、空は全く理解していない。自分が言いかけた、もう二度としない、という言葉を無駄にする誘惑に、一途はごくりと唾を飲んだ。
「さっきのあれ、よく分からなかったんだけど、もう一度やったら、もっと上手く出来ると思うんだ。なんかフラフラして、くすぐったかったけど……でもなんだか、気持ち良かった」
駄目だ、と一途は胸を押さえた。鼓動が速くて、苦しい。それは駄目だ。一度で留めておくべきだ。一度だってしてはいけないことなのに、それを、相手の無知からくる誘いに乗って再びするなんて、いけない。
いけないことだと分かっているのに、一途の頭のどこか、先ほどから痺れたままになっている隅の方で、向こうから誘ってくるのだから……という甘い考えが渦を巻く。駄目だと思うと益々、空の唇の感触が蘇り、絡み合った舌の動きを思い出して背筋がゾワっとする。
でも、駄目だ。
一度、欲望を達成して多少は落ち着いたのもあるかもしれない。一途は、ゆっくり首を振った。
「……いや、もうあれは二度とやらない」
「え、どうして?」
「それは……」
何と説明しようかと逡巡する兄の、まだ握っていた大きな手に、空は甘えるように指を絡めた。一途は目を見開いて、言葉を失う。指先の敏感な部分に自分の指を擦り付けるようにしながら、空は上目づかいで、小首を傾げた。
「やろうよ、お兄ちゃん」
その一言で、再び理性が飛んだ。一途はもう何も言わず、さっきよりも荒々しく、空の唇を奪った。空は容易にそれを受け入れ、さっきと同じように兄の背に腕を回して取りすがった。すぐに舌を入れるつもりは無かったのに、空の方から、一途の唇を割るように入ってきた。どうやら本当に、「もっと上手く」するつもりのようだ。一途は一瞬、胸が痛むのを感じながら、それを迎え入れた。
はあはあと息を荒げつつ、空は兄の身体に密着して、恐らく無意識になのだろう、擦り付けるように動く。ただでさえ軽い酸欠状態で思考が朦朧としているというのに、空の柔らかい身体が、特にその未発達の下半身が自分に押し付けられているのを感じて、一途は余計に判断力を失っていく。
空は兄の背筋を撫でるように手を動かした。意識していないだろうに、的確に自分の弱いところを突いてくる空に末恐ろしさすら感じながら、一途は耐えきれずに呻いた。空はその呻きも飲み干してしまおうというように、一途の唇に縋り付く。一途も、こうなってしまった以上はせめて、空を気持ちよくさせてやろう、と、か細い弟の首筋に指を這わせた。くすぐったがりの空は、きっとこれだけの刺激でも感じてしまうに違いない。
思った通り、空はぴくりと反応して、身をよじった。しかしすぐに離れようとはせず、くすぐったさの中に見え隠れする微かな感覚を追い求めるように、自ら身体を動かした。一途は、そのまま空の身体中に唇を這わせてしまいたくなった。首筋から下りて鎖骨、まだ綺麗な脇から胸の頂をくすぐり、舐めてやったら。そしてそのまま腹、腰、太腿、最後に……。
そこまで考えて、一途はハッとして手を止めた。確かにそれは、甘美で、思うだけでうっとりしてしまうような行為だ。だが、到底許されるべきものではない。本人がねだったとて、それは変わりない。空は知らないのだ。これが許されない行為だと、してはいけないものなのだと。
いつか空が、この行為の意味を知った時……どれだけ傷つくことか。どれだけおれのことを軽蔑することか。一生、口も聞いてくれないかもしれない。目も合わせてくれなくなるかもしれない。そんなことになったら、おれは耐えられるのか。
兄弟は揃って、乱れた呼吸を整えようと、ベッドの上に仰向けになっている。
口付けの最中、空の目が開いた時、一瞬胸をよぎった罪悪感が、冷静になりつつある一途の頭の中を満たし始めていた。自分はなんてことをしてしまったのか。これまでも確かに、そういう衝動に突き動かされそうになったことはあった。空が大切で、愛おしいと思えば思うほど、その心だけでなく身体も、自分が独占してしまいたいという衝動。しかしこれまでは道徳や倫理が正常に機能して、なんとか持ちこたえることが出来ていた。それなのに、今日のこれはどうしたことか。
空が眠りに落ちる時、自分の理性が綺麗に消し飛んだことを、一途は思い出した。そうだ、空が眠そうにしている時の顔つきが、堪らなく煽情的だったのだ。その時の空の表情を思い出すと、さっき理性で押し留めた熱いものが再び暴れだしそうになり、一途は慌てて首を振る。
今は、この後どうするかを考えなくてはいけない。
自分は取り返しのつかないことをしてしまった。空が眠っている間、その一瞬だけ、と思ってやってしまったが、それだけでは済まなかった。夢うつつの状態から脱した今、空はきっと自分のことを嫌悪しているに違いない。
それだけではない。こんなことが両親に知れたら、一体自分はどうすればいいのか。実の弟に下劣な欲望を抱いて、眠っている間に口付けまでしたなど知れたら。
消えてしまいたい。
一途は両手で顔を覆った。
「お兄ちゃん、大丈夫……?」
空が、心配そうに尋ねた。一途はビクッと肩を震わせた。
「空……その、今の……」
「今の? ……あ、今の遊びのこと?」
遊び、とさらりと形容した空の言葉に、一途は一瞬、どういう意味かと戸惑った。そして、それが空にとっては言葉通りの意味しか持っていないことに気がついた。
幼くして入院生活に入った空は、「そういうこと」についての知識が無いのだ。院内学級で各教科について学ぶ機会はあるし、保健の教科書だって持っている筈だが、「そういうこと」がそれらに繋がる行為で、普通は男女間、それも血の繋がりのない者同士でしかしないのだということを、全く知らないのだ。だから、自分が今した口付けにしても、なんだかよく分からないけれど、楽しいかもしれない遊びだとしか捉えていないのだ。
世俗的なテレビ番組や、コンビニに目立つように置かれる成人向け雑誌を見かけることもなく、使っているパソコンは勿論子ども向けにゾーニングされているので、そういった動画に触れることもなく育ってきた空は、何も分かっていない。
一途は愕然とした。
自分は、本当に酷い人間だ。何も知らない、その行為の善悪さえ分からない相手に、一方的な欲望を押し付けて……あまつさえ、これから言いくるめようというのだから。
絶望的な気分で、一途は身体を起こした。まだぼんやりとしている空の頰に触れようとしたが、空中で手を止めた。自分には、もう空に触れる資格は無い。
しかし、その手を、空が握った。
「…………!」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「……ごめん」
空に聞こえないくらいに小さな声で呟き、それから一途は、その手をぎゅっと握り返した。
「空。さっきの遊びだけど、あれはおれと空だけの秘密だよ」
「お兄ちゃんとの秘密……」
努めて柔らかく笑顔を作りながら、一途は自分の中の良心が軋む音を聞いた。しかし、もうどうしようもない。
「そう、秘密。父さんや母さんにも内緒。勿論、お医者様にもだよ。誰にも言っちゃダメなんだ」
「そうなの……?」
「うん。言っちゃったら、もう二度とおれたちは会えなくなるんだ」
これは恐らく真実だが、これ程までに酷い脅しの言葉を自分が吐き出せるとは思っても見なかった。一途は、自分の口調に吐き気を感じる。
案の定、空は怯えたように身をすくませた。
「お兄ちゃんに会えなくなっちゃうの……? もう、ずっと?」
「そうだよ。だから、さっきのは誰にも秘密。それに、あれはもう二度と……」
「分かったよ、お兄ちゃん! ぼく、絶対に誰にも言わない」
一途にとっては重要な言葉を続けたかったのだが、空は無邪気に遮って笑う。ホッとしたのもつかの間、一途は聞きたく無かった言葉を耳にして呆然とした。
「だから、もう一回、しよ?」
「…………!」
自分の誘いの意味を、空は全く理解していない。自分が言いかけた、もう二度としない、という言葉を無駄にする誘惑に、一途はごくりと唾を飲んだ。
「さっきのあれ、よく分からなかったんだけど、もう一度やったら、もっと上手く出来ると思うんだ。なんかフラフラして、くすぐったかったけど……でもなんだか、気持ち良かった」
駄目だ、と一途は胸を押さえた。鼓動が速くて、苦しい。それは駄目だ。一度で留めておくべきだ。一度だってしてはいけないことなのに、それを、相手の無知からくる誘いに乗って再びするなんて、いけない。
いけないことだと分かっているのに、一途の頭のどこか、先ほどから痺れたままになっている隅の方で、向こうから誘ってくるのだから……という甘い考えが渦を巻く。駄目だと思うと益々、空の唇の感触が蘇り、絡み合った舌の動きを思い出して背筋がゾワっとする。
でも、駄目だ。
一度、欲望を達成して多少は落ち着いたのもあるかもしれない。一途は、ゆっくり首を振った。
「……いや、もうあれは二度とやらない」
「え、どうして?」
「それは……」
何と説明しようかと逡巡する兄の、まだ握っていた大きな手に、空は甘えるように指を絡めた。一途は目を見開いて、言葉を失う。指先の敏感な部分に自分の指を擦り付けるようにしながら、空は上目づかいで、小首を傾げた。
「やろうよ、お兄ちゃん」
その一言で、再び理性が飛んだ。一途はもう何も言わず、さっきよりも荒々しく、空の唇を奪った。空は容易にそれを受け入れ、さっきと同じように兄の背に腕を回して取りすがった。すぐに舌を入れるつもりは無かったのに、空の方から、一途の唇を割るように入ってきた。どうやら本当に、「もっと上手く」するつもりのようだ。一途は一瞬、胸が痛むのを感じながら、それを迎え入れた。
はあはあと息を荒げつつ、空は兄の身体に密着して、恐らく無意識になのだろう、擦り付けるように動く。ただでさえ軽い酸欠状態で思考が朦朧としているというのに、空の柔らかい身体が、特にその未発達の下半身が自分に押し付けられているのを感じて、一途は余計に判断力を失っていく。
空は兄の背筋を撫でるように手を動かした。意識していないだろうに、的確に自分の弱いところを突いてくる空に末恐ろしさすら感じながら、一途は耐えきれずに呻いた。空はその呻きも飲み干してしまおうというように、一途の唇に縋り付く。一途も、こうなってしまった以上はせめて、空を気持ちよくさせてやろう、と、か細い弟の首筋に指を這わせた。くすぐったがりの空は、きっとこれだけの刺激でも感じてしまうに違いない。
思った通り、空はぴくりと反応して、身をよじった。しかしすぐに離れようとはせず、くすぐったさの中に見え隠れする微かな感覚を追い求めるように、自ら身体を動かした。一途は、そのまま空の身体中に唇を這わせてしまいたくなった。首筋から下りて鎖骨、まだ綺麗な脇から胸の頂をくすぐり、舐めてやったら。そしてそのまま腹、腰、太腿、最後に……。
そこまで考えて、一途はハッとして手を止めた。確かにそれは、甘美で、思うだけでうっとりしてしまうような行為だ。だが、到底許されるべきものではない。本人がねだったとて、それは変わりない。空は知らないのだ。これが許されない行為だと、してはいけないものなのだと。
いつか空が、この行為の意味を知った時……どれだけ傷つくことか。どれだけおれのことを軽蔑することか。一生、口も聞いてくれないかもしれない。目も合わせてくれなくなるかもしれない。そんなことになったら、おれは耐えられるのか。