チョコの効能
「兄さん……もしかして、怒ってる?」
「いや、怒ってないよ。ただ……」
「ただ?」
あの日、おれの様子に敏感に気が付いた空は尋ねてきたが、あまりに子どもっぽい感情を口にすることも出来ず、おれはただ視線を逸らすことしか出来なかった。空は困ったようにおれを見つめていたが、やがて思い出したように、自分の鞄の中から、包装紙で綺麗にラッピングされた箱を取り出して、おれに差し出した。
「兄さん、これ。バレンタインなんてあまり気にもしてこなかったけど、せっかく兄さんに贈り物を出来るチャンスだから……」
「え、おれに?」
その一言で、おれの機嫌が完璧に治ってしまったのは言うまでもないだろう。
空がくれたチョコレートは、女性がくれるような凝った形や味のものではない、シンプルなブラックチョコレートだった。薄く、小さな欠片が、十粒ほど。
「ありがとう……食べるの、勿体ないな」
空がくれたものは、これまで、全て大切に保管して来ていた。それは、どんなに些細なものだろうと。だが、食べ物ではそうはいかない。食べてしまうのが、最も良い方法だ。とは言え、すぐに食べきってしまうのは気が引けた。
空は、おれの言葉に嬉しそうに相好を崩した。
「ふふっ。ぼくも入院してた頃は、兄さんが作ってくれたおやつを食べちゃうのが勿体なかったなあ。本当に兄さん、何作っても上手だったもん」
「空に喜んでもらいたかったから、あの時は頑張ったんだ。でも今は、何もしてやれてないな……それなのに、こんな……」
同じ部屋に住むようになってから、おれよりは余程時間に余裕のある大学生である空が、率先して家事を行ってくれている。それは、これまで兄として弟の面倒を見てきていただけに、おれにとっては心苦しいことだった。
が、空は大きくかぶりを振った。
「何言ってるの。ぼくは、ようやく兄さんに恩返しを出来るようになって、凄く嬉しいし、楽しいんだよ。何より、毎日、兄さんの傍にいられるんだから、家事くらいさせてもらわないと、幸せ過ぎて罰が当たるよ」
「空……」
空にそう言ってもらえるのは嬉しいし有難い。が、おれは空にそこまで慕ってもらえるほどの人間ではない。それが自分で分かっているだけに、表明しようのない罪悪感のようなものが、いつも心に薄い靄を被せている。
空は、おれの隣にぴったりくっついて、じっと俺の顔を見つめた。
「兄さん、また『自分はそんな大した人間じゃないのに』とか思ってるでしょう」
「何で分かるんだ」
「兄さんのことなら、大体のことは分かるよ。大好きだからね」
その言葉に、顔がかっと熱くなる。
「何度言ったら分かるのさ。ぼくは、兄さんの全部が好きなんだよ。だから、『自分なんて』とか、思う必要なんて無い。それはぼくの気持ちも否定してるようなもんだよ」
何度言われても慣れない言葉に、先ほどまでの鬱屈した感情はどうでも良くなってくる。空が言うならそうなのかもしれないと、自分の中の全てが、空の示す方へと傾いていく。
「分かった。なるべく、そういう風に思わないように、努力する」
「そうしてね。それにしても、兄さんはそんなに完璧なのに、どうして自信が無いのかな……ぼくはそれが不思議だよ」
空は首をかしげるが、そんなのは簡単な道理だ。
おれにとっては、おれ自身よりも、空の方が余程完璧に思えるから。ただ、それだけのことだ。
「まあ、そんなところも含めた兄さんのことが、ぼくは大好きだから良いんだけどね。ところで兄さん」
ソファを軋ませながら、空はおれに寄りかかるように身体を密着させる。ふわりと、陽だまりの匂いが鼻腔をくすぐる。
「いや、怒ってないよ。ただ……」
「ただ?」
あの日、おれの様子に敏感に気が付いた空は尋ねてきたが、あまりに子どもっぽい感情を口にすることも出来ず、おれはただ視線を逸らすことしか出来なかった。空は困ったようにおれを見つめていたが、やがて思い出したように、自分の鞄の中から、包装紙で綺麗にラッピングされた箱を取り出して、おれに差し出した。
「兄さん、これ。バレンタインなんてあまり気にもしてこなかったけど、せっかく兄さんに贈り物を出来るチャンスだから……」
「え、おれに?」
その一言で、おれの機嫌が完璧に治ってしまったのは言うまでもないだろう。
空がくれたチョコレートは、女性がくれるような凝った形や味のものではない、シンプルなブラックチョコレートだった。薄く、小さな欠片が、十粒ほど。
「ありがとう……食べるの、勿体ないな」
空がくれたものは、これまで、全て大切に保管して来ていた。それは、どんなに些細なものだろうと。だが、食べ物ではそうはいかない。食べてしまうのが、最も良い方法だ。とは言え、すぐに食べきってしまうのは気が引けた。
空は、おれの言葉に嬉しそうに相好を崩した。
「ふふっ。ぼくも入院してた頃は、兄さんが作ってくれたおやつを食べちゃうのが勿体なかったなあ。本当に兄さん、何作っても上手だったもん」
「空に喜んでもらいたかったから、あの時は頑張ったんだ。でも今は、何もしてやれてないな……それなのに、こんな……」
同じ部屋に住むようになってから、おれよりは余程時間に余裕のある大学生である空が、率先して家事を行ってくれている。それは、これまで兄として弟の面倒を見てきていただけに、おれにとっては心苦しいことだった。
が、空は大きくかぶりを振った。
「何言ってるの。ぼくは、ようやく兄さんに恩返しを出来るようになって、凄く嬉しいし、楽しいんだよ。何より、毎日、兄さんの傍にいられるんだから、家事くらいさせてもらわないと、幸せ過ぎて罰が当たるよ」
「空……」
空にそう言ってもらえるのは嬉しいし有難い。が、おれは空にそこまで慕ってもらえるほどの人間ではない。それが自分で分かっているだけに、表明しようのない罪悪感のようなものが、いつも心に薄い靄を被せている。
空は、おれの隣にぴったりくっついて、じっと俺の顔を見つめた。
「兄さん、また『自分はそんな大した人間じゃないのに』とか思ってるでしょう」
「何で分かるんだ」
「兄さんのことなら、大体のことは分かるよ。大好きだからね」
その言葉に、顔がかっと熱くなる。
「何度言ったら分かるのさ。ぼくは、兄さんの全部が好きなんだよ。だから、『自分なんて』とか、思う必要なんて無い。それはぼくの気持ちも否定してるようなもんだよ」
何度言われても慣れない言葉に、先ほどまでの鬱屈した感情はどうでも良くなってくる。空が言うならそうなのかもしれないと、自分の中の全てが、空の示す方へと傾いていく。
「分かった。なるべく、そういう風に思わないように、努力する」
「そうしてね。それにしても、兄さんはそんなに完璧なのに、どうして自信が無いのかな……ぼくはそれが不思議だよ」
空は首をかしげるが、そんなのは簡単な道理だ。
おれにとっては、おれ自身よりも、空の方が余程完璧に思えるから。ただ、それだけのことだ。
「まあ、そんなところも含めた兄さんのことが、ぼくは大好きだから良いんだけどね。ところで兄さん」
ソファを軋ませながら、空はおれに寄りかかるように身体を密着させる。ふわりと、陽だまりの匂いが鼻腔をくすぐる。