名探偵VS事件代行人
その『自称』名探偵に邂逅したのは、去年の六月下旬。憎き遠 叔父を殺しに赴いた私の出鼻を完璧にくじいて、その名探偵は笑った。ので、私は彼を一生恨むことに決めている。
遠叔父は、あの名探偵が言ったとおりに、しかる後に肺がんで死亡した。勝手に、死んでしまった。おかげで遺産は私たちのものに……、と思っていたのに、遠叔父の残した財産はひどいものだった。何のことはない、彼は私たちに対する仕打ちを反省したわけではなく、ただ殺されるのいやさに、不承不承、弁護士に遺書を書かせただけであった。
とどのつまり、遠叔父の残した財産は、車一台に犬が二匹、そしてこの馬鹿でかいお屋敷――たったそれだけ。
遠叔父の死後、彼の遺書の管理を任された弁護士に呼ばれ、親族全員が顔を合わせた。とは言っても、遠叔父の親族など、私の他には、私の従兄弟が二人、その従兄弟の家族が二セット、遠叔父の、家出した愛娘が一人、とまあこちらも閑散としたものだった。中でも遠叔父に対する憎しみが人一倍強かった私と彼の愛娘は、がっちりタッグを組んで、死後も遠叔父を辱める手はずについて相談しあう仲にまでなった。
まあそういった些事はおいておくとして。親族たちは、遠叔父が残した雀の涙ほどの財産を公平に公平に配分した……、というよりはさせられた。勿論、弁護士が全ての采配を振るったからである。
かくして、従兄弟とその家族らはそれぞれ犬を一匹ずつ連れて帰ることになり、愛娘の方は免許も持っていないのに、高校生にして車を所有することになった。そして残る私はといえば、遠叔父の醜悪な臭い漂う、この大屋敷を手に入れたのである。
「こちら、先永 遠さんのお宅で間違い御座いませんか?」
私が一人で物思いにふけって居ると、そんな声が、屋敷の正門のほうから聞こえてきた。夏中湿気がこもって仕方ないため、私は家中の窓や扉を開け放っていた。そのどれかから響いてきたものと思われる。
「そうだが」
私は応えながら、正面玄関まで歩き、扉を開けた。そこには、まだ若い郵便局員が佇んでいた。彼はにこにこと、私に一通の封筒を手渡した。
「それじゃ、ボクはこれで失礼します」
郵便局員は停めてあったバイクに乗り、去っていく。
「何だ、これは」
私は、手渡された封筒の、宛名のところに目を留める。そこには、『先永遠様』、と書かれていた。
「これは、……遠叔父宛ではないか。死亡通知が届かなかった知り合いか誰かか?」
死人宛に送られてきた封筒は薄っぺらく、透かせば中身が見えるのではないかと思われるほどだった。しかし、私はそんなことはしない。開けてみればいいのである。
早速屋敷に戻り、私は自室の引き出しからペーパーナイフを取り出した。遠叔父は屋敷内に小物や家具を残しており、そのまま全てを私が相続したのだが、このペーパーナイフは、その中でも特に有用性の高い一品である。すぱ、と景気良く封筒を開け、中身を机の上に出す。
ぱさり、と落ちてきたのは、一枚の便箋だった。
「何々……」
私は目を細めて、それを読む。
『拝啓 先永遠様
遠様から承っておりましたご依頼、もうすぐ完了いたします。
つきましては、代価についてご相談致したく、お手紙差し上げました。
ご都合がつき次第、お返事ください。
敬具』
依頼、とは何だろう。
私は首を捻りながら、その便箋や封筒を裏返してみたりした。が、連絡先はおろか、差出人の名前すら確認できない。たった一つ確認できたのは、何らかの印章。いや、これは紋章か? ――水滴が、丸くて平面的なお盆のような物から垂れている、そういう文様が、便箋の下部に記されていた。繊細な模様で、いちいちこんな形を描いてはいられないだろうから、これは多分押印されたものだろう。はんこか何かか。
「しかし……。依頼、ねえ」
この屋敷を相続してから一年。そろそろ売り払って引っ越そうかと思っていたのだが……、なかなかに面白そうなにおいがするではないか。――これは良い。
私は一人でにまにまと笑い、その文様をじっと見つめた。これは、一体何を表しているのだろう。もしかしたら暗号か? 錯視を用いて連絡先を記してあるとか。
「うーむ」
私はその日一日を、その文様を眺めることで潰してしまった。しかし、私一人では手に負えないことのように思えてきて、次の日、仕方なく親友の知恵を借りることにした。先永千年 ――遠叔父の愛娘である。
「もしもし、千年か?」
早速彼女の携帯電話に電話をかけると、すぐさま応答が返ってきた。
『へろへろへろ~もしもし、ちっとせちゃーんでぇっすよ』
「私だ、美寿寿 だ。ちょっと、今日、来てもらっていいかな。相談したいことがあるんだ」
『みっすずちゃん! おぉ~う、久しぶりっだね。相も変わらず冷静沈着、沈着冷静だーね。うん、何、相談?』
「そう。ちょっと説明しにくいことだから、直接来て、見てもらいたいんだ」
『オッケーおっけー、みすずちゃんの頼みなら、ガッコなんてサボタージュするよぅ、こちとら。首を洗って待ってろよ!』
「有難う。じゃあ、待ってる」
千年は相変わらず元気そうで、何よりだ。彼女が来るまでの間、一眠りでもしようかな。
そう思って、長いすに身を横たえた時だった。
部屋の窓が、ノックされた――『こんこん』。
遠叔父は、あの名探偵が言ったとおりに、しかる後に肺がんで死亡した。勝手に、死んでしまった。おかげで遺産は私たちのものに……、と思っていたのに、遠叔父の残した財産はひどいものだった。何のことはない、彼は私たちに対する仕打ちを反省したわけではなく、ただ殺されるのいやさに、不承不承、弁護士に遺書を書かせただけであった。
とどのつまり、遠叔父の残した財産は、車一台に犬が二匹、そしてこの馬鹿でかいお屋敷――たったそれだけ。
遠叔父の死後、彼の遺書の管理を任された弁護士に呼ばれ、親族全員が顔を合わせた。とは言っても、遠叔父の親族など、私の他には、私の従兄弟が二人、その従兄弟の家族が二セット、遠叔父の、家出した愛娘が一人、とまあこちらも閑散としたものだった。中でも遠叔父に対する憎しみが人一倍強かった私と彼の愛娘は、がっちりタッグを組んで、死後も遠叔父を辱める手はずについて相談しあう仲にまでなった。
まあそういった些事はおいておくとして。親族たちは、遠叔父が残した雀の涙ほどの財産を公平に公平に配分した……、というよりはさせられた。勿論、弁護士が全ての采配を振るったからである。
かくして、従兄弟とその家族らはそれぞれ犬を一匹ずつ連れて帰ることになり、愛娘の方は免許も持っていないのに、高校生にして車を所有することになった。そして残る私はといえば、遠叔父の醜悪な臭い漂う、この大屋敷を手に入れたのである。
「こちら、
私が一人で物思いにふけって居ると、そんな声が、屋敷の正門のほうから聞こえてきた。夏中湿気がこもって仕方ないため、私は家中の窓や扉を開け放っていた。そのどれかから響いてきたものと思われる。
「そうだが」
私は応えながら、正面玄関まで歩き、扉を開けた。そこには、まだ若い郵便局員が佇んでいた。彼はにこにこと、私に一通の封筒を手渡した。
「それじゃ、ボクはこれで失礼します」
郵便局員は停めてあったバイクに乗り、去っていく。
「何だ、これは」
私は、手渡された封筒の、宛名のところに目を留める。そこには、『先永遠様』、と書かれていた。
「これは、……遠叔父宛ではないか。死亡通知が届かなかった知り合いか誰かか?」
死人宛に送られてきた封筒は薄っぺらく、透かせば中身が見えるのではないかと思われるほどだった。しかし、私はそんなことはしない。開けてみればいいのである。
早速屋敷に戻り、私は自室の引き出しからペーパーナイフを取り出した。遠叔父は屋敷内に小物や家具を残しており、そのまま全てを私が相続したのだが、このペーパーナイフは、その中でも特に有用性の高い一品である。すぱ、と景気良く封筒を開け、中身を机の上に出す。
ぱさり、と落ちてきたのは、一枚の便箋だった。
「何々……」
私は目を細めて、それを読む。
『拝啓 先永遠様
遠様から承っておりましたご依頼、もうすぐ完了いたします。
つきましては、代価についてご相談致したく、お手紙差し上げました。
ご都合がつき次第、お返事ください。
敬具』
依頼、とは何だろう。
私は首を捻りながら、その便箋や封筒を裏返してみたりした。が、連絡先はおろか、差出人の名前すら確認できない。たった一つ確認できたのは、何らかの印章。いや、これは紋章か? ――水滴が、丸くて平面的なお盆のような物から垂れている、そういう文様が、便箋の下部に記されていた。繊細な模様で、いちいちこんな形を描いてはいられないだろうから、これは多分押印されたものだろう。はんこか何かか。
「しかし……。依頼、ねえ」
この屋敷を相続してから一年。そろそろ売り払って引っ越そうかと思っていたのだが……、なかなかに面白そうなにおいがするではないか。――これは良い。
私は一人でにまにまと笑い、その文様をじっと見つめた。これは、一体何を表しているのだろう。もしかしたら暗号か? 錯視を用いて連絡先を記してあるとか。
「うーむ」
私はその日一日を、その文様を眺めることで潰してしまった。しかし、私一人では手に負えないことのように思えてきて、次の日、仕方なく親友の知恵を借りることにした。先永
「もしもし、千年か?」
早速彼女の携帯電話に電話をかけると、すぐさま応答が返ってきた。
『へろへろへろ~もしもし、ちっとせちゃーんでぇっすよ』
「私だ、
『みっすずちゃん! おぉ~う、久しぶりっだね。相も変わらず冷静沈着、沈着冷静だーね。うん、何、相談?』
「そう。ちょっと説明しにくいことだから、直接来て、見てもらいたいんだ」
『オッケーおっけー、みすずちゃんの頼みなら、ガッコなんてサボタージュするよぅ、こちとら。首を洗って待ってろよ!』
「有難う。じゃあ、待ってる」
千年は相変わらず元気そうで、何よりだ。彼女が来るまでの間、一眠りでもしようかな。
そう思って、長いすに身を横たえた時だった。
部屋の窓が、ノックされた――『こんこん』。