ペンギンズ・ハッピートーク~空想科学省心霊課創設の経緯~

 警察署内。捜査会議か何かに使うのだろうか、一枚のホワイトボードが置かれているその方向に向けて、多くの机と椅子が配置された一室に、私たちは立っていた。この場所には私たちの他に、警察の制服を着た警官が一人と、私服の刑事が一人、スーツ姿の刑事が一人おり、その他に、悲しみに沈んだ様子の若い男が一人と、同じく悲痛な面持ちで立ち尽くす初老の夫婦が一組、それから部屋の後ろの方に、まだ十代であろう暴走族のメンバーたちが数人、肩を寄せ合って立っていた。
「どうも、皆さんを集めてくださってありがとうございます、刑事さん」
 エンデが、私服姿の刑事に向かって頭を下げる。どうやら彼が、数度エンデと顔を合わせたという刑事のようである。刑事は厳つい顔を少しだけほぐして、笑みのようなものを浮かべた。
「いえいえ、塩出さんにはいつも協力していただいて……、私たちも感謝しております」
 おや。エンデのやつ、刑事にはペンネームを名乗っているのだろうか。
 エンデはにこやかに、隣に立っていた私を指し示した。
「こちらは友達のスズっちです。今日は見学に」
「はあ……」
 刑事は曖昧にお辞儀をして、私をちらりと見ただけだった。そりゃあそうだ、呼んでもいない人間をこのような局面につれてこられても、迷惑なだけだろう。しかもエンデは例の呼び方を徹底しており、私の本名も、彼には不明のままなのだ。
「それでは、私たちはここに控えていますから、あとは塩出さんのご自由に……」
「ありがとうございます」
 エンデは礼をして、室内にいる人間全員に聞こえるような大声を張り上げた。
「皆さん、今日はお集まりいただき、ありがとうございます」
 全員の耳目はとうに私とエンデに向けられていたが、これで、この場の進行役がエンデであるということが了解されたわけだ。
「おうおう姉ちゃんよ。急に呼び出されて俺達困ってんのよ……、早く済ませてくんねえかなあ」
 早速野次を飛ばしたのは、もちろん暴走族メンバーの一人である。一昔前のヤンキーのように、汚い金色に染め上げた髪の毛を、リーゼントに固めている。黒Tシャツとジーパンを着ており、Tシャツの上から、ぼろぼろになった革のジャケットを羽織っている。彼の言葉に群がるようにして、他のメンバー達もやいやい騒ぎ始めた。着ているジャケットが全員お揃いなのが、妙に可愛らしい。
 一方のエンデは、彼らに向かってにっこり笑った。そして、その体のどこからそんな声を、と思うような声量で言った。
「今から私が事件を解決します。だから黙って聞け、さもなきゃ公務執行妨害で逮捕する」
 暴走族メンバーは、気圧されたようにしんと静まった。……可哀相に、公務執行妨害を口にするそのエンデが、実は公務員などではないということを、知らないのだろう。
 ともかく場は静まり、エンデはようやく本題に入る――かと思いきや、例のウエストポーチに手を突っ込んで、取り出したのはペンギンのパペットだった。
「さて、皆さん。今回の事件の被害者の女性は、ご存知ですね?」
「知らねーよ、んな奴」
 先ほども茶々を入れたリーゼントが言ったが、エンデは無視して先を続けた。
「そう、白藤しらふじ夢姫ゆめきさん。二十五歳のオーエル、身長一六二センチメートル、体重五〇キログラム、スリーサイズは上から」
「知らねーよ!」
 リーゼントが怒鳴り気味に突っ込み、エンデは詰まらなさそうに口を尖らせた。
「分かりました分かりました、さっさと先に進めば良いんでしょー」
「分かったならさっさとやってくれよ……」
 リーゼントは疲れたように肩を落とす。エンデは相変わらず不満げな顔をしていたが、気を取り直したように、パペットを腕に嵌めた。……気を取り直すのは良いが、なぜそうなるのだ?
 私を含めた一同は、わけも分からないまま、固唾を呑んでそれを見守る。わけは分からなかったが、これで何かが進展する、という確信は感じられたのだ。
「えー、皆さん」
 コホン、と咳払いをして、エンデは言った。
「これからこのペンギン君に、白藤夢姫さんが乗り移って、喋ってくださいます」
 一瞬、言われた意味が分からなかった私たちは、ポカンと口を開けてエンデを見つめていた。そして、その後に数々の質問・疑問が口をついて飛び出してくる……予定だったのだが、エンデはそれよりも早く、パペットを嵌めた腕を聴衆の前に突き出して見せた。パペットの口が開く。
「私は白藤夢姫です」
 ペンギンの口から飛び出したのは、そんな言葉だった。
「なっ……は?」
 リーゼントはしきりに首をひねり、エンデの口元を凝視していた。エンデが喋ったと思ったのだろう。もちろん、私や他の人間も、そう思った。しかし、「ペンギンが喋った」時、エンデの口は、確かに閉じられていた。彼女が腹話術の達人でもない限り、マイクも無しに、あんなはっきりと大きな声を、パペットから発しているように見せる事はできないはずだ。……あいつ、腹話術の達人だったのだろうか?
「冗談はよしてください!」
 私たちが呆気に取られている中、そう叫んだのは、それまで悲痛な面持ちで俯いていた男性だった。恐らく、被害者・白藤夢姫の恋人であろう。
「夢姫は死んだんです! 殺されたんです! そんな、そんな子供だましで僕たちの悲しみを、夢姫の死を、愚弄しないでくださいっ……」
 言葉通りに憤った、それでいて力の無い表情の彼は、震える指でペンギンを指した。それに同調したかのように、それまで黙りこくっていた初老の夫婦も、声を上げた。
「新堂さんの言うとおりです……!」
「あの子はもう死んで、いないんだ……。そんな人形を持ち出して、今更何をしようと言うんです」
 彼らは、被害者の両親だろうか。新堂とかいう恋人と揃って、エンデを睨み付けた。が、対するエンデは何処吹く風といった様子だ。むしろ、そんな彼らを憐れむように、目を細めている。そして、再び、ペンギンの口が開いた。
「新堂さん。私は、白藤夢姫です。こんな形で、また貴方に会えるなんて思ってもいなかったけれど……、どうかそんなに怒らないで。あの指輪、……とても嬉しかった」
 ペンギンから発された声は、どう聞いてもエンデのものではなかった。エンデの声よりもか細く、涙に震えているような女性の声だった。『あの指輪』、という言葉が出た瞬間、新堂は嗚咽を漏らし、机に泣き伏してしまった。それは、彼が、ペンギンの言葉を白藤夢姫のものだと認めたことを意味していた。
「ううっ……うう、夢姫……」
「私のために泣いてくれて、ありがとう。新堂さん」
 ペンギンは慈しみに溢れた声を、彼の背中にかけた。新堂は机に突っ伏したまま何度も肯いている。しかし、それで納得しなかったのが、初老の夫婦だった。彼らは新堂の隣に立ったまま、ペンギンとエンデを指差して罵倒した。
「まだ若い新堂さんはだませても、私たちはだまされませんよ……! この嘘つき女!」
「そうとも。悲しみに暮れる人間をだまして、どうしようと言うのだ!」
 激昂する二人だったが、次の瞬間のペンギンの言葉に、色を失ってしまった。
「おばさん。私を殺したのは、あなたです」
 潮が引くように、初老の夫婦の顔が青ざめていくのが分かった。泣き伏していた新堂もそこで顔を上げ、不信と疑惑の目で、彼らを見上げた。
「な、何を言うの……言うに事欠いて、……私が……」
 反論しようとするおばの唇は、わなわなと震えている。おじの方は、最早言葉も出せないほどに憔悴している様子だ。ペンギンはしかし冷静に、言葉を続けた。
「新堂さんはよくあのトンネルを使っていたから、私たちはいつも、あの近くで別れることにしていました。あの日、あの晩も、私はK市へ車で帰る新堂さんを見送るために、あのトンネルの近くまで行っていたんです。新堂さんがあのトンネルへ入ってしまって、私も、近くの駅へ向かおうとした矢先……。おばさん。あなたが現れて、私の首を絞めていったんです」
「なっ……なっ……何を言って」
「私を殺したのは、おばさんです」
 ペンギンはそう、しっかりと言い、それから口を閉じた。
「わっ……わっ、私は、あの子の死亡推定時刻には、家にいました! 証人だっています!」
「タクシーの運転手さん、ですね?」
 今まで黙っていたエンデが、ようやく口を開いた。
「そ、そうです! 夫を家まで届けてくれたタクシーの運転手が、私がその時家にいたことを証言して……」
「『声』だけです」
「え?」
「その時、タクシーの運転手さんは、確かにあなたの『声』は聞きました。でも、姿は見ていない」
「…………!」
 おばおじ夫婦は傍目にも分かるほどうろたえて、後ろの机に腰を打った。
「ここからは、あたしの推理になりますが。おばさん、あなたは夢姫さんを殺し、その死体をトンネルの中に運び入れて、近くの公衆電話へ向かった。そこで、ご自宅の電話に繋げた。その頃おじさんは会社からタクシーで帰宅し、その料金を取ってくるからと言って、タクシー運転手を家の前に待たせ、わざと玄関のドアを半分ほど開いておいた。携帯電話で連絡してタイミングを測ってから、コール音をミュートにしてあった家の電話の受話器を取り、ハンズフリー状態にして、おばさんと会話をした……。タクシー運転手さんにも聞こえるような、大声でね。大方、料金が何円足りないだとか、あなたはしっかりしていないからだとか、今その場におばさんがいるかのような会話をしたんでしょう。家の前、それもタクシー車内にいる運転手さんには、それが電話から聞こえてくる声だとは分からなかった……こうして、そこにおばさんがいたというアリバイができた」
 エンデはすらすらと推理を披露し、おばおじ夫婦の反応を窺った。彼らはエンデの言葉の最中もずっとぶるぶると震えていたが、その言葉が切れると同時に、唾を飛ばした。
「そんなのは全て、あなたの憶測でしょう!」
 しかしエンデは相変わらず堂々とした態度を崩さず、余裕の笑みまで浮かべていた。
「おじさん、あたしの顔を覚えていませんか?」
「…………?」
 突然そう問われたおじは、困惑した表情でエンデを見つめた。
「どこかでお会いしましたっけ? …………あっ」
 おじは驚愕し、目を見開いた。エンデは面白そうに笑い、メガネを外してウインクして見せた。
「どうもお久しぶりでーす。スナックカリメロのユリコです」
 語尾にハートでもついていそうな語調だ。……何となく、話が飲み込めたような気がする。おじは膝をがくがくと震わせた。
「あああ」
「ちょっとあなたどうしたのよ。スナックって何の話?」
「ああ、いやそれはその」
 おばに睨まれ、周囲の人間から微妙な目つきで見られ、おじはあたふたと額の汗を拭く。エンデは再びメガネをかけた。
「どんなやり取りをしたかは些事なので置いておきますけれど、あたし、おじさんの携帯の着信履歴・メールの送受信履歴を見させていただきました。そしたらなーぜーか、その時刻家にいたはずのおばさんの携帯電話と、メールを交わした記録があったんですよ。これっておかしなことだと思いません?」
「そ、それは……そうよ、夫が携帯電話を家の中で失くしたって言うから、私の携帯電話からメールして着信音を……」
「それはおかしいですね?」
 エンデは首をかしげた。
「おじさんを家まで送り届けた運転手さんは、おじさんが家に入る直前に、スーツのポケットから携帯電話を取り出したところを見ているんですよ」
「っ……」
 おばは息を呑んだ。おじはと言うと、既に肩を落とし、じっと机の上を見つめている。形勢で言うと既に決着は着いているようなものだが、それでもまだ、実質的には着いていないのだ。エンデとおばの攻防は続く。
「で、でもそれだけでっ」
「まだあります」
 エンデは腰に両手を当てて、続ける。
「実はあたし、一度お宅に伺ってるんですよね。覚えてません? 夢姫さんの後輩だって言って、あがらせてもらったんですよ。それで、おばさんが席を外した時に、家の電話の着信履歴も確認させてもらいました。……やっぱり、あの晩、公衆電話からの着信があったことが分かりました。おかしいでしょう? あの時刻あなた方は、家の電話にかかってきた公衆電話からの着信を受けながら、一方ではそれぞれの携帯電話でやり取りをしていた……ああ、今ごろ記録を削除しようとしたって無駄ですよ。警察はそんなことくらい簡単に調べられます。ただ今回は、タクシー運転手の証言があったため、そこまでしようとしなかっただけなんですから」
 おじは既に観念した様子で頭を下げているが、それでも尚、おばは食い下がった。
「そんなのは決定的な証拠ではないんでしょうっ? 全部ただの空想じゃない!」
「おや、心外ですね。決定的な証拠ならありますよ」
「なっ」
 絶句したおばと、その隣で途方に暮れた様子のおじのすぐ傍へ、エンデは近づいて行った。そして、二人の耳元へパペットを寄せて、その口を動かした――
「ぎゃああああああああっ」
 ペンギンが囁いた何事かを聞いて、夫婦は叫んだ。今まで青ざめていた顔が、今度はどんどん白くなっていく。血の気が失せていく……。
「ごめんなさい……ごめんなさい、夢姫ちゃん……」
 おばが、色を失った唇で、呆けたように呟いた。
「でも、でも……仕方なかったの……お父様が……あなたのおじいさんが、自分が死んだら遺産を全てあなたに譲るだなんて言うから……私たちは、両親を失ったあなたを大切に育ててきたじゃない……なのに、そんなのってひどい……あなたは知らなかったでしょうけれど、おじいさまの遺産は、私たちが死んだ後にあなたに譲られるっていうのよ……そんなのって不公平じゃない……だから、あなたさえ先に死んでしまえばって……思って、う、ううっ……」
「悪かった……すまなかった……本当に……許してくれ……」
 夫婦はぶつぶつと口の中で呟きながら、口の端に泡を浮かべながら、焦点の定まらない目を中空に向けた。エンデはそんな彼らを見て呆れたように肩をすくめ、それからパペットをしまった。
「刑事さん?」
「ああ、は、はい」
 私服姿の刑事が、慌ててエンデの元へ駆け寄る。
「これで二人の自供を取れますよ。あたしの役目はこれにて終了というわけです」
「…………! そうですか、それは……ご協力ありがとうございます」
 今までの展開に息を呑んでいたらしい刑事は、ようやく自分の役目を思い出したように動き出した。彼は制服姿の警官に、展開から取り残されてぼーっと突っ立っていた新堂と、暴走族のメンバーを連れ出させた。それから、スーツ姿の刑事と共に、夫婦を部屋から連れ出した。そうしてあっという間に誰もいなくなってしまった会議室を、私とエンデは後にしたのだった。
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