ペンギンズ・ハッピートーク~空想科学省心霊課創設の経緯~

 その頃私はまだ大学生で、適当に入学した学費の安い学校へ碌に通うこともせず、毎日街中をぶらぶらしていた。やる気がなかったのではない。ただ、大学の講義が面白くなかっただけだ。学費が勿体無いと嘆く人もいようが、そこは親類の大富豪の口座から勝手に引き落とさせていただいていたので、気にする必要はない。一年の春はそれでも真面目に通っていたのだが、夏ごろになると既に、構内ですれ違う教員の全てが催眠術師に見えてくる始末だった。そういうわけで私は、何か面白いことは無いかと、街中をうろつき回っていたのである。
 彼女に出会ったのはそんな月日を四年間過ごした頃だ。街を用もなく歩き回っていた私は、偶然同じ電車に乗り合わせた彼女、エンデと意気投合したのだ。エンデ――というのは、彼女の本名ではない。彼女は生粋の日本人であるから、そのような外国人染みた名前を持ち合わせているわけはないのである。初対面で、彼女はまず本名を名乗った。それから、「これはあたしのペンネームなんだけど……」と断ってから、一枚の名刺を渡してくれた。
『塩出快<エンデ・カイ>』
 とだけ、不思議に凝った文体で書かれていた。
「あたし、ミヒャエル・エンデが大好きなんだよね。だからペンネームも、それにあやかってつけたわけ。本名よりもそっちのがしっくりくるから、エンデって呼んでよ」
 初対面の彼女は、がたごとと揺れる電車の手すりに掴まりながら、そう笑った。
 というわけで、私は彼女のことをエンデと呼ぶことにした。エンデは私の名前を聞いてすぐに、「それじゃああたしは、あんたのことをスズっちって呼ぶことにするわ」と言い、それからずっと、その呼び名で通した。彼女の口から、「先永さきながさん」だとか「美寿寿みすずちゃん」だとか、そういう言葉を聞いたためしがない。
 エンデはとある大学の院生で、二度三回生を経験した四回生である私とは同い年だった。それでなくとも私たちの間に敬語などが入る余地はなかったのであるが、同い年だと知った途端、二人とも妙に気安い親近感を、お互いに覚えた事は間違い無い。エンデは私と同じくらいの背丈で(つまり小柄ということである)、肩くらいまである髪の毛を、分かるか分からないかという程度に茶色に染めていた。赤縁のメガネを掛けていて、その奥から、何事にも興味津々、といった眼差しを覗かせていた。出会った時の服装が、かっちりしたオフィスカジュアルとでもいうようなものだったため、とても真面目そうだ、という印象を受けたことを覚えている。
 エンデとの最初の会話は五分もなかっただろう。だが、当てもなくふらふらしていた私と、院の研究のためのフィールドワークをこなしていた彼女とは、街でばったり遇うことが多かった。そのたびに私たちは近くの喫茶店へ入り込み、時には数分だけ、時には数時間も、話し込んだり黙ったり、などして過ごしたのである。
 あれは、私とエンデが知り合ってから三ヶ月ほど経った初夏の頃、六月の中旬だった。その日も、いつものように街中をふらついていた私は、一軒の古い屋敷から大股で出てきたエンデと出会い、いつものように、喫茶店へ入った。喫茶ロイヤルカナンは、平日の午後二時という時間帯のせいか、ガラガラに空いていた。私とエンデは迷わず店の奥の窓際に陣取り、向かい合わせに座る。「暑くなってきたな」「そうだねえ」程度の世間話を始めたあたりで、店員がお冷を持ってきた。トレーの上に載せられていたコップは三つ。私たちの間に置かれたコップも、三つ。
 無言で(こういう場合は普通「ご注文が決まりましたらお呼びください」とか何とか愛想を言うものだろうが、ここの店員は無愛想で有名だった)下がった店員に、私は声を掛けようとした。しかし、エンデはそれを止め、二つのコップを自分の手許へ引き寄せた。
「いやあ、ごめんスズっち。あたし、またナニカ連れてきちゃってるみたいなんだ」
「ああ、……なるほどね」
 またか、と私は苦笑いを漏らした。彼女がナニカを連れてきてしまうことが多いという事は、それまでの付き合いで既に判明していたからだ。
「それで、今回は何処へ行ってきたんだ?」
 既に頭に入っているメニューを一応チェックしながら、私はエンデに尋ねた。
「ウラミトンネル」
「恨みトンネル?」
 聞き返してから、私は再度、頭の中で文字の変換を試みた。そういえば最近、図書館で読んだ新聞に、似たような名前のトンネルが出てきていたような……そう、あれは、『浦見トンネル』だ。
「そ。浦見トンネルはスズっちも知ってるでしょ。こないだ、強盗殺人事件が起きたとこ」
「そういえば、そんなこともあったな」
 エンデは私の言葉に満足げに肯いて、ついっと左手を挙げた。音も無く近付いてきた店員に、「オレンジジュース二杯」とだけ口早に告げ、それからすぐに、話を続けた。
「それまでも、街で有数の心霊スポットってことで、何度か足を伸ばしたりはしてたんだけどねえ。ほらあたしって、ミステリとか好きじゃん。心霊スポットで更に殺人事件なんて起きちゃったんだから、そりゃあ気になるでしょ」
 そう語るエンデの瞳は輝いていた。彼女は心霊スポット巡りが趣味で、ミステリ研究サークルのメンバーなのだ。塩出快というペンネームも、そのサークルの冊子製作のために作ったと聞いている。
「それで今は、そのトンネルを調査してるのさ」
「調査とはまた、大仰な言い方だな。趣味の一環なんだろう?」
 私が聞くと、エンデはふふんと笑った。
「あたしのは趣味だけど、本格的なのだ」
「ふうん」
 エンデの話によれば浦見トンネルは、街と、隣接するK市との境にある山を貫いているトンネルで、全長はおよそ二キロメートルほどの小さなトンネルである。見通しが良いし、K市に行くには最短のルートであるため、開通当時は利用者も多かったらしい。しかし開通してまもなく、トンネル内で事故が頻発し、それから毎年多くの死傷者を出すようになった。そのお陰で今やすっかり人通りも絶え、時おり近所の小中学生が肝試しに出向いたり、暴走族がたまり場にしているくらいにしか、使われていないらしい。
「しかも名前が名前だからさ、“恨みトンネル“なんてあだ名までつけられちゃってるみたいだよ」
「ほう」
 実は私も先ほどそう聞き間違えたわけだが、それについては言わずにおいた。
「しかし強盗殺人とはまた、物騒な話だよな」
「スズっちだって十分、物騒な目つきしてるじゃん」
「…………」
「冗談冗談。そんな殺人鬼みたいな目で睨むなよう」
「……まあ、良いがな」
 私は肩をすくめて、エンデに先を促した。
「ああ、そう……それでさ。その調査で、まあ色々と収穫があったわけなんだけど。そういう証拠品と一緒に、コレもついてきちゃったみたいなんだよね」
 コレ、と言いながら、エンデは自分の背後の空間を親指でくいっと指し示した。私は肯いて、それで……、と口を開こうとした。
 その時。
『ちゃららーっちゃらららららーどどんっ』というような電子音が、人けの無い店内に鳴り響いた。確かこれは、日曜の朝八時台に放送している戦隊ヒーローものの、オープニング曲だ。従姉とのカラオケでよく聴くため、覚えてしまった。
「あ、ごめん。あたしだ」
 エンデが言いながら、蛍光黄色のウエストポーチからスマートフォンを取り出し、素早く耳に当てた。
「もしもし……ああ、そうですか。はい、分かりました。有難う御座います。すぐそちらに向かいますので……、はい、それでは」
「何か用事でもできたのか」
 急いでスマートフォンをしまっているエンデに聞くと、彼女は満面の笑みで肯いた。
「うん。警察からだったんだけどさ。被害者の家族・恋人と、事件発生時に現場付近にいたと思われる暴走族のメンバーを、警察署内に集合させたから、来いって」
「…………あ?」
「そういうことだから、あたしはこれで失礼するよ」
「あ、おいちょっと待て」
 私は慌ててエンデを引き留めた。不思議そうに振り返った彼女に、私は一言、尋ねた。
「それは面白くなりそうか?」
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