覆水盆に帰らず

 鼻にティッシュを詰め、額に氷を入れた袋を乗せた再起は、ソファに横たわっていた。彼は目を閉じていて、すやすやと眠っているようだ。そのソファと向かい合う形で置いてあるいまひとつのソファに並んで腰掛けているのは、美寿寿と、助手の女性だった。
「まったく。どうしてこの名探偵は、何でもかんでも『教えてさしあげる義務はありません』なんだろうな。私は一応、ここの助手として働いている身分だと言うのに」
「先生は優しいお方ですから。先永さきながさんが余計なことを知って、何か事件に巻き込まれるのを恐れてらっしゃるんですよ」
「そんなに大きい事件を扱ったことなんてあったか? ……まあそれは良い。私も少しやりすぎた」
 そう言う美寿寿は確かに少しは反省したらしく、肩を落として、眠る再起を見つめていた。
「確かに、こいつは優しいのかもしれないけどな……。私が何をしようとも、一度だって反撃してきたことはない」
「そうでしょう。先生は、私の見込んだお方ですから」
「…………」
 助手の言葉を聞いて、美寿寿は何かを考え込むような素振りを見せた。そして、不意に口を開いた。
「それなんだが」
「はい?」
「いや、あなたのような優秀な人間が、どうしてこんな探偵の下で働いているのか、ずっと気になっていたんだ」
「ああ、それですか。……話すと長くなりますが、よろしいですか?」
 助手の女性は、眼鏡の位置を、片手で直しながら言う。美寿寿はただ一言、「それは面白いか?」とだけ口にした。
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