怪盗・仮初非力の結婚

「へーえ、始起兄さんも、とうとう結婚ですか」
 覆水探偵事務所の長いすに、背中に接着剤でもついているのでは、と思うほどに寝そべり続けている再起が、葉書を手に、のんびりと言った。助手の女性は用事でもあるのか、今は不在だ。
「ああ、やっぱりお相手は仮初非力さんですね」
「分かっていたのか。再起」
 私は、机を挟んで再起の向かいに座り、聞く。再起は「ええ」、と肯く。
「始起兄さんはまともな人なんですけどね、ある日この自称・怪盗さんと遭遇してしまいまして。それから彼女にぞっこん、『奪われたのは僕のハートだ』なんて言ってましたよ。馬鹿ですよねえ」
「…………」
 ということは。
 こいつ、……始めから仮初非力が何も盗めないことを知っていたんだな。
「それにしても、良かったですね。御覧なさい、二人とも幸せそうではありませんか」
 そう言って再起が渡してくれた葉書に目をやると、純白のウエディングドレスに身を包んだ美女・非力と、幸せな空気の中で顔の筋肉がだらしなく弛緩しきった男・始起が写っていた。場所はイギリスだろうか。緑豊かで大きな庭と、教会が背景にあり、どういうわけか参列者は皆無だった。牧師すら見当たらない。
 だが、それでも写真中央の二人は、幸福そうだった。
「全く持って、確かにその通りだな」
 私はそれを机に置く。再起は頭の下で腕を組んで天井を見ながら、どうでも良さそうに言った。
「それはそうと、美寿寿さん。あなた、やっぱり私の元に帰っていらっしゃいましたね」
「…………」
 私は無言のまま、机を押し、その角を名探偵の脇腹にジャストヒットさせた。
「痛いじゃないですか。何するんです」
「何だか腹が立った」
「でも、私の言ったとおりだったじゃ……あいてててて」
 私は、すでに再起の腹に当たっている机の角を、さらに食い込ませる。
「黙れ名探偵。私はただ、あんたの傍にいれば何かしら面白いことが起きるような気がしだな……」
「はいはい、分かってますよ。実際、私の傍にいれば、何らかの事件候補は起こるでしょう。……けれど、私の傍でそれらが起こる限り、それらは事件に発展することはありませんよ。何せ私は生まれついての名探偵ですからね。全ての事件候補は、私の周りでは事件になることなく、終わるように出来ているのです」
 偉そうに、というわけではなく。ただ、ありのままの事実を淡々と説明するような口ぶりで、再起はそう言った。
 けれど。
 それでも、こいつの傍で起きる事件候補は、それだけで私にとって興味深い。それらが事件にならず仕舞いで終わるのだとしても、私の人生という暇つぶしには丁度いい。
「私はあんたの傍にいるよ。傍にいて、あんたを恨み続けながら、全ての事件候補を傍観してやる」
「そうですか。それは頼もしいことです」
 そう言って、再起は静かに目を瞑った。
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