怪盗・仮初非力の結婚

「君たち、この町の人?」
 道を歩いていると、そういう声とともに現れた男がいたからだ。前にもこういうことがあったせいで警戒しながら、私はそうだと答えた。その男は、再起のようにあからさまに怪しい格好をしているわけではなく、平々凡々なサラリーマンのようだ。歳はまだ若そうだが、再起よりは年長であろう。
 男は穏やかな笑みを浮かべて、肯いた。
「そっか。僕、この町に最近来たばっかりなんだけどね、迷っちゃって。良かったら、道、教えてくれないかな」
「ああ、……良いですけど、何処まで行かれるので?」
「うん、あのね、この町に、時計台あるでしょ。そこにいる怪盗さんに用があるんだ」
「…………」
 私は、目の前の男の柔和な顔をじっと見つめた。――今、さらっと聞き流してしまいそうになったが……この人、怪盗に用があると言ったな。
「ええっと、そうだ、宜しければ同行しましょう。丁度私たちも、時計台に用があるので」
「ええっ? そうだったっけ、名探偵さんにはうにゅ」
 私は慌てて、千年の口を塞ぐ。千年は舌を噛んだらしく、目に涙を浮かべて私を見た。――許せ、千年。
 男は私たちの行動には構わず、良いのかい、有難うと礼を言った。
「いやあ、この町の人は親切で良いねえ。小さいけど、平和だし」
「まあそうですね。ところで、先ほど怪盗に用があるとか仰ってましたが、知り合いなのですか」
 私と千年、それに男は、三人仲良く時計台に向かって歩きだす。男は私の問いに、明朗快活に答えた。
「そうだよ。旧い知り合いというわけでもないんだけどね」
「はあ」
 私は肯きながら相槌を打つ。隣の千年は、舌が痛いのか、急に無口キャラになってしまった。――御免、千年。
「あいつ、定期的に今回みたいなことをするんだけどね……。どうせ又落ち込んでる頃だろうから、慰めに行ってやるんだ」
「はあ……。慰めに、ですか?」
 怪盗が落ち込むだと? よく分からないな。
 男は朗らかに、微笑をたたえて話す。
「そう。あいつ、怪盗とか言ってるけど、本当は何も盗んだことなんてないんだ。怪盗失格さ。なのに、点でそれを認めようとしない。どうも、怪盗という職業に変な執着があるみたいなんだよね」
「執着、ですか……。でも、どうして定期的に落ち込むんです?」
「ああ。あいつは小心者で臆病で、チキンなんだ。だから、犯行予告をするだけした後で、怖くなって何も盗めやしないのさ」
「はあ」
 それは、……確かに怪盗失格だ。というか、それって怪盗でも何でもない、ただの犯行予告魔なのでは?
 私は多くの疑問を抱きつつ、男の話を尚も聞く。
「あいつは、……そうだな、他の町でも何回か、似たような犯行予告を出してたんだ。でも、人が騒ぎ立てて、警察やら探偵やら巷の推理マニアやらがこぞって怪盗逮捕に乗り出し始めた途端、ぱったり行方をくらましてしまってね。それで、僕は居場所を知ってたから、お見舞いに行ってみたんだよ。まあ病気してたわけじゃないんだけど。そしたらあいつ、目に涙溜めてやがんの」
 男はそこで言葉を切って、あっはっはと笑った。
「おっかしいだろ、怪盗が泣いてんだぜ。しかも、怖くて住処から一歩も出られなくて。僕が行ったら、怖かったよーって抱きついてきてね」
「はあ、……なんて言いますか、怪盗失格ですね」
「だろ? だから、今回も慰めついでにからかってこようと思ってるわけさ。君たちも一緒に来るかい? 面白い見ものだよ」
「良いんですか?」
「勿論だとも」
 男は、満面の笑みでそう答えた。私はこれ幸いとばかりに、男の横にぴったり張り付く。――これは、あらゆる意味で面白い展開になってきたぞ。
「お、時計台が見えてきたね」
 男は、嬉しそうに、視界に入ってきた時計台の尖塔を見つめた。
「あの天辺に、怪盗・仮初非力がいるはずだ」
「むうーっ、わくわくするねっ!」
 何時の間にやら回復したらしい千年が、ぴょんぴょんと大人しくジャンプする。
 時計台は、一応この小さな町の、観光スポットだ。しかし、名実ともに時計台でしかないこの建物は、時折社会科見学で子供達が訪れる時にしか、賑わいを見せない。他の日には、町民が足を運ぶことはなく、管理人のお爺さんが時たま周辺を掃除しているのを見るくらいだ。
 きいっと音を立てて時計台の扉を開くと、中はむっとしていた。管理人め、この厳しい残暑の中、窓を開けることすらしなかったというのか。私は毒づきながら、男に続いて中に入る。男は正にクールビズといった感じのワイシャツを着ていたが、それでも下がスーツのズボンなので、スカート姿の私たちよりは暑そうである。
「むむー、暑いなあ」
 男は唸るが、微笑は絶やさない。そして、ずんずんと奥へ歩いていき、やがて階段を見つけた。
「うん、上がろう」
「はーいっ」
 私と千年は、男に続いて階段を上がる。螺旋階段で、途中途中に扉がいくつかあったが、男はそれらを悉く無視して、最上階で足を止めた。そして、目の前の扉をこつこつと叩いた。
「おーい、仮初非力。僕だよ、開けてくれ」
 すると、中から弱弱しい声で、「ケーサツはいないだろうね……」、と聞こえた。男がいないと答えると、ようやく、扉が開いた。
「うわあああああっん……」
 泣き声とともに、中から人が飛び出してきて、男に抱きついた。私と千年は、目を点にする。目の前で、男に抱きついていたのは、なんとブロンドの美女だったからだ。
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