怪盗・仮初非力の結婚
その不吉な予言を聞いてから、既に一週間が経過した。私は、従妹であり親友の、先永千年の元に転がり込み、居候状態を余儀なくされていた。千年は新しい両親とともに幸せそうに暮らしていた。そんなところに、従妹とはいえ赤の他人が入り込むのは誠に心苦しいものだったが、彼らは私を暖かく迎え入れてくれた。
「はじめまして、千年の父になりました、先永 真割 です。――その節は、どうもありがとう。君が代価を彼女……覆水さんに払わなかったら、私と妻は千年に会えもしなかった。本当に、ありがとう」
「いいえいいえ、私が礼を言われることではありません。礼なら、とっくに亡くなりましたが、 遠 叔父にでも言ってください」
私は、千年の父と、千年不在の状況でそのような会話を交わした。千年の母とも、似たような会話を交わしたのだが……、こちらは何も紹介する必要もあるまい。ちなみに、彼女の名前は先永 切 という。
私は、千年の部屋の隣室をあてがわれ、そこで寝起きしていた。毎朝千年を学校に送り出し、それからは千年の部屋で、ネットサーフィンをしていた。『熒熒町』、それと『怪盗』、この二つのキーワードさえ入力すれば、あとは一つ一つ巡回するだけである。しかし……、一週間経っても、怪盗は事件を起こさなかった。ネット内では膨大な量の噂がばらまかれ、何らかの事件が起きるのも時間の問題かと思われるのに、現実には、何も起きてはいない。千年の家では六つの新聞を取っているのだが、そのうちの一つに、地域新聞『熒熒毎日新聞』がある。この新聞も毎日見せてもらっていたのだが、小さな広告欄一つさえ飛ばさずに読んだというのに、何の事件も載っていなかった。元々熒熒町は、ほとんど事件といえる事件など起きないような平和な町である。だから、ほんの些細なこと――例えば庭先のチューリップを誰かに盗まれたとか――でさえ、下手したら一面にでかでかと掲載されることがある。そういう町だから、事件が起きれば、私が分からないはずはないのだ。
「みーすずちゃんっ。まぁたまたまた事件探しに血眼かいっ?」
静かに言いながら部屋に帰ってきたのは、勿論千年である。相変わらず物静かな風貌。異常にテンションの高い台詞回しも健在だ。
「ああ、まあね」
「そおんなに根つめて、一体何探してるのさ? この平和も平和、キング・オブ・ヘーワな熒熒町で、そんなすごい事件なんて、起きるはずナーッシング! だと思うけどなぁちとせちゃんはっ!」
「うん、まあね。でも、起きてくれなきゃ、退屈で死んでしまうよ私は」
「まじですかー」
千年はセーラー服のままで、私の後ろに立ち、私とともに、パソコン画面を注視しているようだ。しかし、そこに私のような真剣さは感じられない。……まあ、千年から真剣さなど、感じられた事はほとんどないのだけれど。
「千年は、怪盗の話を聞いたことがあるか?」
「あーーーるよっ。ええっと、あの奇妙奇天烈摩訶不思議なお名前の怪盗さんでしょ? 確か、ええっと、カリアゲヒジキだったっけっ」
「違う」
「えー? じゃあ、えっとハリボテカジキ?」
「全く違う……」
怪盗も、ここまで名前を知られていないのでは事件を起こす気を失くしてもおかしくはないな。千年はまだ新たな名前をひねり出そうとしていたが、私はそれを止めさせた。
「正解は、仮初非力だ」
「ああ、それそれ」
千年は何度も肯いて、黒いショートヘアを揺らした。
「それなら、今ガッコで話題もちきり、学内騒然だよっ! あれだよねっ? 名探偵さんと勝負するー、てやつ! でしょでしょ」
「ああ。名探偵本人はやる気零だったがな」
私はため息をつく。――あの名探偵は、何故ああも動かないのか。まったく、私に面白い話題の一つも提供できないとは!
「あー、名探偵さんと言えば、不起ちゃん、今頃どうしてるかなぁ? あれから一度も逢ってないんだよねぇっ」
「ああ、不起ねえ。そういえばそうだね、彼女はどうしてるだろうな」
再起の妹・事件請負人・不起。彼女は私の相続した屋敷を代価に、我が亡き遠叔父の依頼を完遂し、千年の元を新しい両親が訪れるという『事件』を起こした。そのついでのように、再起をぼこぼこにやっつけて。
そんなことを思い出しながら画面を眺めていると、一つの記事に目が留まった。
「ん……あれ、最新記事――。何々、『熒熒町の皆々様方におかれましては、いかがお過ごしかな。/私はこの町唯一の怪盗であるが、同じくこの町にただ一人の名探偵・覆水再起は私に恐れをなしたのか、何の行動も起こしていない。/しかし、私は彼に構うことなく、計画を進めている。/着々と進行中のその計画によって、この小さく平和な町は、恐怖のどん底に突き落とされるであろう。/それでは皆様、御機嫌よう。/怪盗・仮初非力』……おやおや。流石の怪盗も、あの名探偵殿には痺れを切らしたと見える」
「そうなのっ? そりゃあすごいねっ、名探偵さんには脱帽脱帽、敬服の至りだよっ!」
千年はおおげさな台詞で、静かに騒ぎ立てた。私は何度か文面を見直すが、怪盗が次にどのような行動に出るか、全く予測がつかない。――さて、どうするか。
「しかし、まだ何の事件も起きていないわけだしな」
呟いてから、再起の言葉を思い出す。そういえばあいつ、依頼が来てないから捜査しないというようなことを言っていたな。――ああ、何だ。なんて単純な話だ。
「千年、行くぞ」
私はパソコンをシャットダウンして、椅子から立ち上がった。
「ふぇ。へーい、ラジャラジャラジャ~っ。ところで、何処へ何用でお出かけですかな?」
千年は無表情に首をかしげた。
「決まっている。名探偵・覆水再起の事務所だよ。捜査の依頼にね」
そうして私たちは千年の家を出た。
しかし、そのまま名探偵の事務所へ行くことは出来なかった。
「はじめまして、千年の父になりました、先永
「いいえいいえ、私が礼を言われることではありません。礼なら、とっくに亡くなりましたが、
私は、千年の父と、千年不在の状況でそのような会話を交わした。千年の母とも、似たような会話を交わしたのだが……、こちらは何も紹介する必要もあるまい。ちなみに、彼女の名前は先永
私は、千年の部屋の隣室をあてがわれ、そこで寝起きしていた。毎朝千年を学校に送り出し、それからは千年の部屋で、ネットサーフィンをしていた。『熒熒町』、それと『怪盗』、この二つのキーワードさえ入力すれば、あとは一つ一つ巡回するだけである。しかし……、一週間経っても、怪盗は事件を起こさなかった。ネット内では膨大な量の噂がばらまかれ、何らかの事件が起きるのも時間の問題かと思われるのに、現実には、何も起きてはいない。千年の家では六つの新聞を取っているのだが、そのうちの一つに、地域新聞『熒熒毎日新聞』がある。この新聞も毎日見せてもらっていたのだが、小さな広告欄一つさえ飛ばさずに読んだというのに、何の事件も載っていなかった。元々熒熒町は、ほとんど事件といえる事件など起きないような平和な町である。だから、ほんの些細なこと――例えば庭先のチューリップを誰かに盗まれたとか――でさえ、下手したら一面にでかでかと掲載されることがある。そういう町だから、事件が起きれば、私が分からないはずはないのだ。
「みーすずちゃんっ。まぁたまたまた事件探しに血眼かいっ?」
静かに言いながら部屋に帰ってきたのは、勿論千年である。相変わらず物静かな風貌。異常にテンションの高い台詞回しも健在だ。
「ああ、まあね」
「そおんなに根つめて、一体何探してるのさ? この平和も平和、キング・オブ・ヘーワな熒熒町で、そんなすごい事件なんて、起きるはずナーッシング! だと思うけどなぁちとせちゃんはっ!」
「うん、まあね。でも、起きてくれなきゃ、退屈で死んでしまうよ私は」
「まじですかー」
千年はセーラー服のままで、私の後ろに立ち、私とともに、パソコン画面を注視しているようだ。しかし、そこに私のような真剣さは感じられない。……まあ、千年から真剣さなど、感じられた事はほとんどないのだけれど。
「千年は、怪盗の話を聞いたことがあるか?」
「あーーーるよっ。ええっと、あの奇妙奇天烈摩訶不思議なお名前の怪盗さんでしょ? 確か、ええっと、カリアゲヒジキだったっけっ」
「違う」
「えー? じゃあ、えっとハリボテカジキ?」
「全く違う……」
怪盗も、ここまで名前を知られていないのでは事件を起こす気を失くしてもおかしくはないな。千年はまだ新たな名前をひねり出そうとしていたが、私はそれを止めさせた。
「正解は、仮初非力だ」
「ああ、それそれ」
千年は何度も肯いて、黒いショートヘアを揺らした。
「それなら、今ガッコで話題もちきり、学内騒然だよっ! あれだよねっ? 名探偵さんと勝負するー、てやつ! でしょでしょ」
「ああ。名探偵本人はやる気零だったがな」
私はため息をつく。――あの名探偵は、何故ああも動かないのか。まったく、私に面白い話題の一つも提供できないとは!
「あー、名探偵さんと言えば、不起ちゃん、今頃どうしてるかなぁ? あれから一度も逢ってないんだよねぇっ」
「ああ、不起ねえ。そういえばそうだね、彼女はどうしてるだろうな」
再起の妹・事件請負人・不起。彼女は私の相続した屋敷を代価に、我が亡き遠叔父の依頼を完遂し、千年の元を新しい両親が訪れるという『事件』を起こした。そのついでのように、再起をぼこぼこにやっつけて。
そんなことを思い出しながら画面を眺めていると、一つの記事に目が留まった。
「ん……あれ、最新記事――。何々、『熒熒町の皆々様方におかれましては、いかがお過ごしかな。/私はこの町唯一の怪盗であるが、同じくこの町にただ一人の名探偵・覆水再起は私に恐れをなしたのか、何の行動も起こしていない。/しかし、私は彼に構うことなく、計画を進めている。/着々と進行中のその計画によって、この小さく平和な町は、恐怖のどん底に突き落とされるであろう。/それでは皆様、御機嫌よう。/怪盗・仮初非力』……おやおや。流石の怪盗も、あの名探偵殿には痺れを切らしたと見える」
「そうなのっ? そりゃあすごいねっ、名探偵さんには脱帽脱帽、敬服の至りだよっ!」
千年はおおげさな台詞で、静かに騒ぎ立てた。私は何度か文面を見直すが、怪盗が次にどのような行動に出るか、全く予測がつかない。――さて、どうするか。
「しかし、まだ何の事件も起きていないわけだしな」
呟いてから、再起の言葉を思い出す。そういえばあいつ、依頼が来てないから捜査しないというようなことを言っていたな。――ああ、何だ。なんて単純な話だ。
「千年、行くぞ」
私はパソコンをシャットダウンして、椅子から立ち上がった。
「ふぇ。へーい、ラジャラジャラジャ~っ。ところで、何処へ何用でお出かけですかな?」
千年は無表情に首をかしげた。
「決まっている。名探偵・覆水再起の事務所だよ。捜査の依頼にね」
そうして私たちは千年の家を出た。
しかし、そのまま名探偵の事務所へ行くことは出来なかった。