怪盗・仮初非力の結婚
「どれどれ――」
覆水が覗き込み、朗々と読み上げる。
「『 熒熒 町内の皆様、御機嫌よう。/私はこの小さく美しい平和な町をかき乱すという、使命を負った者である。/その手段については、この町の財産を我が手に収め、然るべき処置を施すというものに限定する。/私を捕らえたくば捕らえてみよ。/もとより、無能な警察どもに期待はしていない。/私は、私を捕らえられる可能性を持つものを、一人だけ知っている。/名探偵・覆水再起/私はお前に捕らえられるなら本望である。/では皆々様、今日のところはこれにて失礼致す。/怪盗・ 仮初非力 』……なんだこれは」
覆水は読み終え、首を振った。そして、再び同じ台詞を、丁寧に言いなおした。
「何ですかこれは」
「そのままの意味だろう、再起よ」
私は、どうやら動転したらしい再起に、そう言った。再起はもう一度目を凝らして画面を見つめていたが、何度見直しても文面は変わらない。やがて諦め、また長いすにいそいそと戻っていった。
「覆水先生、宜しいのですか?」
女性がその背中に問うが、当の名探偵は「むー」とか「うー」とか唸るだけで芳しい答えは返ってこない。
「おい再起、これは面白い話だぞ。名探偵に怪盗、あとはこれに事件が起きれば最高に面白くなる」
「面白くもなんともありませんよ、美寿寿さん」
再起は再び長いすに身を横たえ、天井を見つめながら言った。
「事件なんて起きない方が良いんです。平和を乱すと公言するような奴の挑発に乗る気はありませんよ」
「でも、事件が起きたら捜査するんだろう?」
「依頼はどこからも来ていませんからね……。私が独自に動いたって仕方ありません。報酬もありませんし」
「でも、犯人逮捕に貢献すれば、栄誉賞くらいは貰えるかもしれないぞ」
「そんなもんいりませんよ」
冷ややかな名探偵の言葉に、私は驚く。
「あんた、じゃあ何のために探偵なんてやってるんだ?」
「探偵じゃない、名探偵ですよ。――私は、平和を維持したいんです。だから、もしその怪盗何とやらさんが本気で事件を起こそうという気なら、……全力で阻止します」
名探偵・覆水再起は、真剣な眼差しで虚空を睨んでいた。
「…………」
ああ、何だ、と私は心の中で安堵の息を漏らした。――それもまた、面白そうな話ではないか!
しかし続く再起の言葉に、私は耳を疑った。
「でも、私はまだ動くつもりはありません」
「はあ?」
「何故です、先生」
私と女性が一斉に聞き返すと、再起は面倒そうに寝返りを打ち、私たちから顔を背けた。
「だからですね、その怪盗何たらは、本気で事件なんて起こす気はないんですよ。だから、私も面倒なコトはしないと言ってるんです」
「それが怠慢だというのだ、再起。怪盗だってお前を指名していたではないか。正体不明の怪盗に、名指しで捕まえてみろと言われたのだぞ? 探偵なら燃え上がるシチュエーションだろうに」
「それは凡百の探偵の話ですね。私のような名探偵には、縁もゆかりも関係もない話ですよ。それはそうと美寿寿さん、そろそろお腹が空いてきました。何か作ってくださ、ぐえ」
再起の言葉は、私が首を絞めにかかったので、うめき声とともに途切れた。
「面白くない、本当に面白くない……。そうか、再起。あんたもこの程度の奴だったか……。ああ、やはりくそ面白くない!」
私は一人で喚いて、再起の首から手を離した。ごほごほと咳き込む再起に、女性が駆け寄り、私をぽかんと見ている。
「貴女、先生になんてことなさるんです?」
「殺す気でやったわけじゃない、そう怒るな。私はただ、失望しただけだ。もう良い、私はここを出て行くよ。そして、もう二度と帰ってこない――さようなら」
私は手を振り、事務所を出た。
「覆水再起、私はお前を一生恨むよ」
そう言い捨てて。――前とそっくり同じではないか、と心の中でつっこみを入れながら。
「さようなら美寿寿さん」
後ろから聞こえてきた覆水の言葉は、やはり前と同じように、のんびりしていた。
「でもあなたはきっと、また私の元に帰ってくるでしょう」
覆水が覗き込み、朗々と読み上げる。
「『
覆水は読み終え、首を振った。そして、再び同じ台詞を、丁寧に言いなおした。
「何ですかこれは」
「そのままの意味だろう、再起よ」
私は、どうやら動転したらしい再起に、そう言った。再起はもう一度目を凝らして画面を見つめていたが、何度見直しても文面は変わらない。やがて諦め、また長いすにいそいそと戻っていった。
「覆水先生、宜しいのですか?」
女性がその背中に問うが、当の名探偵は「むー」とか「うー」とか唸るだけで芳しい答えは返ってこない。
「おい再起、これは面白い話だぞ。名探偵に怪盗、あとはこれに事件が起きれば最高に面白くなる」
「面白くもなんともありませんよ、美寿寿さん」
再起は再び長いすに身を横たえ、天井を見つめながら言った。
「事件なんて起きない方が良いんです。平和を乱すと公言するような奴の挑発に乗る気はありませんよ」
「でも、事件が起きたら捜査するんだろう?」
「依頼はどこからも来ていませんからね……。私が独自に動いたって仕方ありません。報酬もありませんし」
「でも、犯人逮捕に貢献すれば、栄誉賞くらいは貰えるかもしれないぞ」
「そんなもんいりませんよ」
冷ややかな名探偵の言葉に、私は驚く。
「あんた、じゃあ何のために探偵なんてやってるんだ?」
「探偵じゃない、名探偵ですよ。――私は、平和を維持したいんです。だから、もしその怪盗何とやらさんが本気で事件を起こそうという気なら、……全力で阻止します」
名探偵・覆水再起は、真剣な眼差しで虚空を睨んでいた。
「…………」
ああ、何だ、と私は心の中で安堵の息を漏らした。――それもまた、面白そうな話ではないか!
しかし続く再起の言葉に、私は耳を疑った。
「でも、私はまだ動くつもりはありません」
「はあ?」
「何故です、先生」
私と女性が一斉に聞き返すと、再起は面倒そうに寝返りを打ち、私たちから顔を背けた。
「だからですね、その怪盗何たらは、本気で事件なんて起こす気はないんですよ。だから、私も面倒なコトはしないと言ってるんです」
「それが怠慢だというのだ、再起。怪盗だってお前を指名していたではないか。正体不明の怪盗に、名指しで捕まえてみろと言われたのだぞ? 探偵なら燃え上がるシチュエーションだろうに」
「それは凡百の探偵の話ですね。私のような名探偵には、縁もゆかりも関係もない話ですよ。それはそうと美寿寿さん、そろそろお腹が空いてきました。何か作ってくださ、ぐえ」
再起の言葉は、私が首を絞めにかかったので、うめき声とともに途切れた。
「面白くない、本当に面白くない……。そうか、再起。あんたもこの程度の奴だったか……。ああ、やはりくそ面白くない!」
私は一人で喚いて、再起の首から手を離した。ごほごほと咳き込む再起に、女性が駆け寄り、私をぽかんと見ている。
「貴女、先生になんてことなさるんです?」
「殺す気でやったわけじゃない、そう怒るな。私はただ、失望しただけだ。もう良い、私はここを出て行くよ。そして、もう二度と帰ってこない――さようなら」
私は手を振り、事務所を出た。
「覆水再起、私はお前を一生恨むよ」
そう言い捨てて。――前とそっくり同じではないか、と心の中でつっこみを入れながら。
「さようなら美寿寿さん」
後ろから聞こえてきた覆水の言葉は、やはり前と同じように、のんびりしていた。
「でもあなたはきっと、また私の元に帰ってくるでしょう」