名探偵はお嫌いですか?
「名探偵はお嫌いですか?」
町を歩いていると、突如としてそのような台詞と共に現れた男がいた。一瞬、どこかのホストかと思うような、奇抜かつ人目を惹く派手な服装をしている。
真っ青のスーツ。その下には真っ白のシャツ。髪は真っ黒だが、丁寧に撫で付けられ、更にワックスか何かで固めたようにつやつやしている。顔立ちも一見上品な美形。しかし、よくよく見ると、どこか軽薄そうな、もしくはずるそうな、そういう顔をしている。――なんだ、こいつ。
「名探偵はお嫌いですか?」
そいつはまたも、そんなことを言う。私は念のためきょろきょろと辺りを見回す。だが、夕方ならまだしも、平日の昼日中にこんな場所を歩いている人間など、他に見当たらない。ということは、この妙な格好をした人間は、私に向かって話しかけているということだ。
「名探偵はお嫌いですか?」
三度目の問いかけに、私は無視を決め込むことにし、再び歩き出した。男は若干焦ったように私の横について、尚も同じ台詞を繰り返した。――うるさい奴だ。
私は少しいらついて、足を止める。ほっとしたような表情の男に向き直り、言ってやる。
「嫌いだ」
「――――」
男は、見る見るうちに顔を歪めた。お、何だ何だと思ったときにはすでに遅く、うえうえと泣き始めてしまった。大の大人がうえうえと声を上げて泣きじゃくる様はなかなかに珍妙かつ興味深い光景で、私はじいっとそれを見守る。――面白い奴だ。
「何、あんた、探偵なわけ?」
私は、面白い光景をじっくり見せてくれたお礼にと、そう声をかけた。その瞬間男はがばと顔を上げ、涙と鼻水まみれになりながらも、首を振る。
「違う。名探偵です」
「あ、そう」
「名探偵がお嫌いなんですか」
先ほどまでとは微妙に違うニュアンスに変更された言葉を、男は口にする。私は肯く。
「うん。嫌いだ」
「うえ……うえ」
また同じような光景を見せられても、と、私は歩き始める。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
男がたったか走って、私に追いつく。私はため息をつきつつ、振り返って足を止めた。
「何」
「あなた、私のような人間を欲していらっしゃるでしょう」
「欲していらっしゃりません」
冷たく言い放った私の言葉に、男はまたも顔をくしゃくしゃにする。それでも、今度は頑張って、すぐに口を開いた。
「でもあなた、殺人事件の香りがします」
「しません」
「いえいえ、名探偵の私には分かるのです」
「分かってません」
「う……」
私が一向に取り合わないので、男はうめいて、薔薇の刺さった胸ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。手渡されたのでそれを破く。男は再度うめき、それでもめげずにもう一枚取り出した。しかたなくそれを受け取って、またそれを破く。
「ええっと。私はですね。名探偵の覆水再起 と言います。覆水探偵事務所を経営しております」
名刺を手渡すのを諦めたのだろう。男はそう名乗りを上げた。
「ああ、そう」
私はいい加減に肯き、それでも歩き出さない。――何だか面白そうだ。
「それで、私に何の用」
「それはですね……、」
ようやく本題に入れるのが余程嬉しいのか、男は――覆水は、顔を輝かせた。いや、もしかしたら、顔中に貼りついた涙と鼻水が輝いて見えただけかもしれないけれど。
「それはですね。あなたがこれから遭遇するであろう殺人事件の解決をして差し上げようかと思いまして」
「不要」
私はびりびりに破いた名刺二枚分の紙くずを、覆水の顔に吹き付ける。覆水はまたも「うえ」、と言いかけたが、それをどうにか飲み込んで、紙切れを顔から引き剥がした。
「どうしてですか。あなたはこれから、難解な殺人事件に遭遇しますよ。名探偵である私には分かるんです」
「そんなこと、私にだって分かる」
「え?」
首をひねり、覆水は私を見る。そして、言った。
「あなたも名探偵だったんですか」
「違う。私はそんな微妙な生き物じゃない」
「微妙って……」
覆水は哀しげに眉を寄せる。でも、名探偵なんて生き物は微妙な存在に決まっている。
「それじゃあ、何故分かるんですか?」
「決まっている。その殺人事件は、これから私が起こすからだ」
私が堂々とそう言うと、覆水はきょとんとし、次いで慌てたような顔になり、最終的にはほとんど恐慌状態に陥っていた。――面白い。
「起こすって、それじゃああなたから立ち上ってきたあの高貴な殺人事件の香りは……」
「無論、私がこれから起こす事件のものだろう」
「い、いや。それはちょっと止めておいたほうが良いですよ。殺人なんて、あなたのようなか弱そうな女性が行うべきものではない」
「か弱そうでもかわうそでも。私は殺人事件を起こすよ」
私は、目を白黒させる覆水に、断言した。覆水はわたわたと手を動かし、私の進行方向に立ちふさがった。
町を歩いていると、突如としてそのような台詞と共に現れた男がいた。一瞬、どこかのホストかと思うような、奇抜かつ人目を惹く派手な服装をしている。
真っ青のスーツ。その下には真っ白のシャツ。髪は真っ黒だが、丁寧に撫で付けられ、更にワックスか何かで固めたようにつやつやしている。顔立ちも一見上品な美形。しかし、よくよく見ると、どこか軽薄そうな、もしくはずるそうな、そういう顔をしている。――なんだ、こいつ。
「名探偵はお嫌いですか?」
そいつはまたも、そんなことを言う。私は念のためきょろきょろと辺りを見回す。だが、夕方ならまだしも、平日の昼日中にこんな場所を歩いている人間など、他に見当たらない。ということは、この妙な格好をした人間は、私に向かって話しかけているということだ。
「名探偵はお嫌いですか?」
三度目の問いかけに、私は無視を決め込むことにし、再び歩き出した。男は若干焦ったように私の横について、尚も同じ台詞を繰り返した。――うるさい奴だ。
私は少しいらついて、足を止める。ほっとしたような表情の男に向き直り、言ってやる。
「嫌いだ」
「――――」
男は、見る見るうちに顔を歪めた。お、何だ何だと思ったときにはすでに遅く、うえうえと泣き始めてしまった。大の大人がうえうえと声を上げて泣きじゃくる様はなかなかに珍妙かつ興味深い光景で、私はじいっとそれを見守る。――面白い奴だ。
「何、あんた、探偵なわけ?」
私は、面白い光景をじっくり見せてくれたお礼にと、そう声をかけた。その瞬間男はがばと顔を上げ、涙と鼻水まみれになりながらも、首を振る。
「違う。名探偵です」
「あ、そう」
「名探偵がお嫌いなんですか」
先ほどまでとは微妙に違うニュアンスに変更された言葉を、男は口にする。私は肯く。
「うん。嫌いだ」
「うえ……うえ」
また同じような光景を見せられても、と、私は歩き始める。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
男がたったか走って、私に追いつく。私はため息をつきつつ、振り返って足を止めた。
「何」
「あなた、私のような人間を欲していらっしゃるでしょう」
「欲していらっしゃりません」
冷たく言い放った私の言葉に、男はまたも顔をくしゃくしゃにする。それでも、今度は頑張って、すぐに口を開いた。
「でもあなた、殺人事件の香りがします」
「しません」
「いえいえ、名探偵の私には分かるのです」
「分かってません」
「う……」
私が一向に取り合わないので、男はうめいて、薔薇の刺さった胸ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。手渡されたのでそれを破く。男は再度うめき、それでもめげずにもう一枚取り出した。しかたなくそれを受け取って、またそれを破く。
「ええっと。私はですね。名探偵の
名刺を手渡すのを諦めたのだろう。男はそう名乗りを上げた。
「ああ、そう」
私はいい加減に肯き、それでも歩き出さない。――何だか面白そうだ。
「それで、私に何の用」
「それはですね……、」
ようやく本題に入れるのが余程嬉しいのか、男は――覆水は、顔を輝かせた。いや、もしかしたら、顔中に貼りついた涙と鼻水が輝いて見えただけかもしれないけれど。
「それはですね。あなたがこれから遭遇するであろう殺人事件の解決をして差し上げようかと思いまして」
「不要」
私はびりびりに破いた名刺二枚分の紙くずを、覆水の顔に吹き付ける。覆水はまたも「うえ」、と言いかけたが、それをどうにか飲み込んで、紙切れを顔から引き剥がした。
「どうしてですか。あなたはこれから、難解な殺人事件に遭遇しますよ。名探偵である私には分かるんです」
「そんなこと、私にだって分かる」
「え?」
首をひねり、覆水は私を見る。そして、言った。
「あなたも名探偵だったんですか」
「違う。私はそんな微妙な生き物じゃない」
「微妙って……」
覆水は哀しげに眉を寄せる。でも、名探偵なんて生き物は微妙な存在に決まっている。
「それじゃあ、何故分かるんですか?」
「決まっている。その殺人事件は、これから私が起こすからだ」
私が堂々とそう言うと、覆水はきょとんとし、次いで慌てたような顔になり、最終的にはほとんど恐慌状態に陥っていた。――面白い。
「起こすって、それじゃああなたから立ち上ってきたあの高貴な殺人事件の香りは……」
「無論、私がこれから起こす事件のものだろう」
「い、いや。それはちょっと止めておいたほうが良いですよ。殺人なんて、あなたのようなか弱そうな女性が行うべきものではない」
「か弱そうでもかわうそでも。私は殺人事件を起こすよ」
私は、目を白黒させる覆水に、断言した。覆水はわたわたと手を動かし、私の進行方向に立ちふさがった。
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