禁忌の男

 今日の兄貴はなんか変だ。変と言えば、一週間前にひとつのボストンバッグを持ち帰ってきたときから妙に興奮していたが……。昨日まではそのバッグを使って何かでかい取引をするんだって話で盛り上がっていたのに、今日は打って変わって妙に静かで、張り詰めているような……そう、何かに怯えているような雰囲気だ。
「しっかり見張れ。誰も入れるな。怪しい奴がいたらすぐに報告しろ」
「わかったよ、兄貴」
 もとより兄貴の命令は絶対だ。オレは監視カメラに目を凝らす。兄貴が経営を任されているバーはいつもなら常連客で賑わっているが、今日は急遽、閉店になっている。店の入り口からこの管理室に至るまでを見渡せるいくつものモニターには、当然だが人影なんかない。この建物の中にはオレと兄貴しかいないのだ。
「兄貴。一体、誰をそんなに怖がってるんだ」
「馬鹿言え、俺が誰かを怖がるなんてことあるかよ。いいからしっかり見張れ、モニターから目を離すな」
 どう考えても、兄貴は何者かを恐れている。電子錠をロックして閉め切った建物にいてすら。
 やはり、あのボストンバッグの持ち主だろうか。
 兄貴は部屋の隅で拳銃を持って、バッグを抱えている。まるでその何者かが電子錠を開錠し、監視カメラをかいくぐり、自分の命を脅かすと信じているように。
 オレは八つあるモニターを俯瞰して、チラとでも何か映ればすぐ反応できるように構えていた。しかし、一時間経っても何も映らない。ネズミ一匹さえ通らない。二時間経っても、三時間経っても。
「兄貴……これ、いつまでやってればいいんだ」
 ずっと辛抱していたけれども、とうとう痺れを切らして、オレは兄貴に目を向けた。
 そこに兄貴はいなかった。ボストンバッグもなかった。ただ、兄貴の『名残り』としか形容のできない、湿った塊がソファにこびりついていて、オレは吐いた。
 後日、オレたちの面倒を見てくれている組織の幹部の前で、監視カメラの録画映像を確かめる機会があった。監視カメラには、見たことのない長身の男が映っていた。黒髪、黒いジャケットに黒いパンツ、黒い靴。ご丁寧に全てのカメラに目線を向け、俳優のように整った笑顔を残している。そして……本来なら店の入り口を映しているはずのカメラに、この部屋の映像が残されていた。どこからともなく現れた男が、間抜けにも突っ立ったままのオレの後ろで、兄貴をあの塊にしてしまう、ショッキングな映像。
 黒髪の男はボストンバッグを持ち、存在しないカメラに手を振り、元のように消えた。
 幹部達と共に呆然と映像を確認し終えたオレは、慌ててもう一度、録画を再生しようとした。が、できなかった。何の不具合なのか、壊れてもいないのに、該当の映像だけ、もう二度と再生できなくなっていた。
 兄貴の死は誰にも説明できず、ボストンバッグがどこから来たものだったのかも分からずじまいだ。ただ一つ分かっていることは……兄貴が、決して手を出すべきではなかった相手に手を出してしまったのだろう、ということだけだ。
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