悪魔のお気に入り

 その廃工場は街外れに建っていた。正式に稼働していたのは数年前までで、本来ならとっくに取り壊されていてもおかしくない筈だが、経営していた会社が倒産してしまった関係で、施設はそのままになっていたらしい。それを昨年、エンタメ系の企画会社が買い取り、今秋、装いも新たに再オープンとなった。
 体験型のお化け屋敷として。
「お兄さん! 待ち時間にホットドッグはどうだい?」
 入場待機の行列に加わっていると、出店の店員に声をかけられた。私が首を振ると、店員はさして残念でもなさそうに、素早く私の後ろに並ぶカップルに声をかけた。
「じゃあひとつもらおうか。しかしこの列はすごいな! あと何時間かかるんだ」
 カップルの男性の方が呆れたように声を上げ、女性の方も同意の唸り声を上げた。確かに、列は長い。日頃、行列に並ぶことが少ない生活を送っている私には特にそう思えるのかもしれないが……会場となる工場の敷地内、駐車場に設置されたレーン沿いに折り返し折り返し並んだ人の数は、百はくだらないだろう。
「この位置からだと、そうだね……あと二時間も並べば入場できるんじゃないかな」
 店員の言葉に、男性は「まじかよ」と小さく叫んだ。
「おいおい、みんな暇人だな」
 自分のことは棚にあげた発言に、思わず口元が緩む。人間は、私のような天使や悪魔とは全く違う時間軸の中に生きている。その短い間を、列に並ぶ時間などに消費したくはないのだろう。
 とは言え、あと二時間か。話し相手が欲しいところだ。
 あの男も誘えばよかったろうか。
 脳裏に黒髪の男……愛する悪魔が浮かぶ。しかし、今日はさすがに誘うことはできない。
 私がここに来たのは、この廃工場、もといお化け屋敷から、良くない者の意志を感じたためだ。その正体までは、まだ分からない。わからないから、確かめる。
 何もなければ、それでいい。
 街中よりは澄んだ空気を楽しみながら脳内に積んでいる本を引き出してくることにして、私は再び前方に顔を向けた。
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