私の愛しい

 マリアは、私には過ぎた女性だ。何年も寂しい山小屋での暮らしを送っていた私の前に突如として現れ、一晩の宿を貸したことをきっかけに、居着いてしまった。
「実は生まれた国を追われ……他に行く宛がないのです。置いていただけませんか」
 伏目がちにそう言った彼女を、これから冬になろうという深い山に追い出すわけにも行かなかった。仕方なく馬小屋を改造して部屋を作ってやり、仕事を手伝ってもらうことにした。
 彼女はよく働いた。私より早く起き、家畜の世話をし、家事全般まで引き受けようとしてくれた。が、それでは私のやることがなくなる。結局うまいこと仕事を分担し、私たちは徐々にいいコンビになっていった。
「それは素敵な話です」
 テーブルの向かいに座った男が相槌を打つ。ふわふわの金髪を顔の周りで揺らしながら、マリアと同じ、心根の優しい人間特有の眼差しで。
「ははは。ありがとうございます。……ああ、マリア、いいんだよ。座っていてくれ。久々のお客様なんだ、お前も聞きたいことがたくさんあるだろう」
 お茶のおかわりをとってこようとして腰を浮かしかけていたマリアに声をかける。マリアは微笑んで座り直した。客人はマリアの方を見た。
「マリアさん、ここでの生活はどうですか」
 マリアは、ほとんど私と同じような言葉で、私と同じような感慨を答えた。年甲斐もなく、頬が熱くなる。客人はにっこりと笑って頷いて、紅茶を啜った。
「お二人はとても息が合っておいでですね。きっと縁が強いのでしょう」
「そ、そうでしょうか。しかし、マリアのように美しい女性が私なんかの妻になってくれて……いまだに実感がないんです。こんな所でずっと一人だったものですからね。手慰みに魔術書なんてものを読み耽ってしまうくらい」
「魔術書、とおっしゃいますと」
 客人の青い瞳が、きらりと光る。私は慌てて両手を振った。
「いや、眉唾物ですがね。この小屋の前の持ち主が、そういう類の古本を大量に置いたままにしていたんですよ。それで、暇な時にパラパラめくっていただけでして」
「なるほど。……実は私も、その手の本には興味がありまして。例えば人の気持ちを惹きつけるまじないとか、そういうのですか?」
 変人扱いされてしまうかと思っていたが、そうではないようだ。
「ええ、ええ。そういうものもありました」
「その手のものだと、あとは健康増進とか……金運上昇とか……」
「ええ」
 客人が首を捻りながら、思いつくものを挙げていく。私はいちいち頷いて、そういえばそんなものもあったな、と思い出していく。
「それに……死者を甦らせる、とか」
 客人はそこで言葉を切った。私は首を傾げた。
「いや、そんなのはなかったように思いますね。それでは黒魔術だ」
「ふふ。確かにそうですね」
 青い目が楽しげに和む。
「ああ。でも……、ゴーレムの作り方、なんてものは載ってましたね」
 私が言うと、客人は興味深げに身を乗り出した。
「ゴーレム……作った人間の言うことを聞く土人形でしたか」
「よくご存知ですね。ただ、あの本に載っていたのは少しそれとは違いまして」
 視界の隅で、マリアがモゾモゾ動いた。そういえば彼女は、この手の話があまり好きではなかったのだ。
「すまなかったね、マリア。部屋に戻っていていいよ。お客様にはまた後でお話しさせていただけばいいんだから」
 マリアは一礼して、自分の部屋に戻って行った。その姿を見送って、私は話を続けた。
「その本に載っていたのはですね。ゴーレムの実在を信じ込むことで、自分の目に映る世界で自由自在に動かすことができる、というものでした。最近では何と言うんでしたか、そういうのを……」
「イマジナリーフレンド」
「ああ、そうです、そうです。それと同じことだと思いますが、ポイントは、その術を行ったら、術者もその事実を忘れてしまうということです。つまり……」
「自分の想像の中の存在が、この世に実在していると信じ込んでしまう」
「そういうことですね。まあ、そんなことあり得ないだろうと思って、私も試してみたことがあるんですが」
 そこまで言ったとき、戸惑いが私の口を塞いだ。次に言うべき言葉が、わからなかった。
 そうだ、確かに私は数年前、他の様々な術と同様に、その術も試してみた。だが、その後のことが思い出せない。私は一体、何を想像したのだろう。そして、その結果は……?
「大丈夫です。無理に思い出そうとしないで。あなたは今、幸せなんでしょう?」
 客人の言葉が、私の喉に詰まった何かを溶かしてゆく。何か、思い出してはいけないことが、再び頭の暗がりに引っ込んでゆく。
 私は胸を押さえて深呼吸した。客人は辛抱強く、私が落ち着くのを待ってくれた。ようやく動悸がおさまり、私は首を捻った。
「……はて。今、私は何の話をしていましたかね」
 客人は何もかも包み込むような微笑みを浮かべて、私を見つめた。黄色い電球の光がその金髪を照らし、神々しさすら感じられる。
「あなたとマリアさんの幸福な暮らしの話を」
「ああ、そうでした。そう、聞いてくださいよ、マリアはね……」
 机に置かれたカップの中身が冷え切るまで、私は客人との話に花を咲かせた。
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