15年間X漬けだった私が脱X依存のためにやった2つのこと①

 朝起きたらXを開く。フォロワー様の「おはよう」ポストにいいね。通知を確認。リプ(返信)を送る。自作小説の「朝上げ」(朝の時間帯に行う宣伝活動)を行う。その後、人間活動を始める。
 職場での昼休み、Xを開く。「昼上げ」。通知確認。リプを送る。TLを眺めつつ昼食。
 帰宅してXを開く。「疲れたー」と送信。通知確認。リプを送る。夕飯を食べながらTLを見ることもある。そのせいでお風呂のタイミングを逃すこともある。寝る前に「夜上げ」。

 「「何もしない」を読んでも「何もしない」」の実践だ。我ながら酷い。ジョニー・オデルさんに叱られるかもしれないが、書籍にちゃんとお金を払って読んだので勘弁してほしい。

 そんな折、出会ったのが谷川嘉浩「スマホ時代の哲学」(ディスカヴァー携書)だ。
出版社の作品ページへのリンク

 「ああ、この本か」となった人も多いはず。
 昨年の夏に書店で見かけ、「なぜ不安や退屈をスマホで埋めてしまうのか」という帯文に惹かれて購入した(どうでもいいが、またしても職を辞したタイミングであった)。
 アテンション・エコノミーについて一度でも考えたことがある(そして何のアクションも起こさなかった)人間には刺さる。

 本の詳しい内容については省く。かなり有名な本だし、この記事の趣旨からは外れてしまうためだ。気になる人は上記の出版社サイトに飛ぶか、以下リンクから読了後の感想文を読むか、本のタイトルでググってみて欲しい。

増補改訂版 スマホ時代の哲学「常時接続の世界」で失われた孤独をめぐる冒険←読書記録ページへのリンク

 上記の感想文でも触れたが、特に、自分の思考をSNSによって深めるなんてできない、という部分(これは私の理解でしかないが)に驚きを感じ、深く納得した。

 私は一時期Xに、自分がその時思いついた断片的な考えを、リプで繋げて連投していた。何なら、その合間に確認する周りの反応によって思考を深められることもあるだろうと思っていた。

 だがこの本は、SNS上での思考の深まりを否定する。
 SNSという公開の場では、自由に発言している気でいたとしても、周りのことを気にせずにはいられない。自分が期待されているように振る舞ってしまう。そんな中で、自分だけの思考を深めるなんてこと、できるはずがない。

 考えてみれば、確かにそうだ。公開の場にあって、他人の目を一つも気にせずに本当に自由に発言なんて……少なくとも、私にはできない。

 これは感じたことのごく一部でしかないし、まだ自分でも全てを整理なんてできていない。
 この本は、自分の考えだと思っていたものを考え直してみるきっかけをいくつも与えてくれる。

 この本を読み通して、改めてスマホとの付き合いかたを考えようと思った。一度「何もしない」を通っているから、今度は結構、切迫した気持ちだ。
 単に時間を使いすぎているというのもあるが、それに加えて、このままでは「自分自身」というものがなくなってしまうような気がした。
 SNSに最適化された自分というものから一度離れて、誰にも見せない自分だけの日記を書くべきだ。

 そう考えた私は、少し前から気になっていた本に手を伸ばしたのだった……。
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