15年間X漬けだった私がX依存から脱しつつある中で思うこと
X使用時間が減ると、当然、これまでXに注いでいた時間が浮く。浮いた時間で、就活・読書・動画鑑賞・家事・創作・日記執筆・その他趣味を行っている。
Xから距離を置いてみて実感しているのは、自分の思考をXのフォーマットではない形でまとめることができるようになってきたということである。
文字にすると恐ろしいことだが、X漬けの生活を15年も続けているうちに、私は140字以内というXのフォーマットに自分の思考を合わせるようになっていた、と思う。
まとまりのある文章としてではなく、140字以内の、TLのノリに合わせた形の文章として思考が浮き上がってくる感覚。
何かがあった時「後でこうポストしよう」と、140字以内にまとまる文章を思い浮かべてしまう感覚。
怖すぎる。
頭の中にいつもXの投稿欄が浮かんでいることには薄々気がついていたが、Xから距離を置き、日記という文字数制限なし・他人の目なし・他人の文章なしの自由空間を手に入れた今、これまでの自分がいかに制限された思考をしていたかがわかってしまった。
140字という制限があるからこそ短文の推敲力がつくなんて考えたこともあるが、今はちょっと、そんなのほほんと構えてはいられない。140字小説など創作表現の一つとしては別にいいと思うが、自分の思考までもがその枠に収まってしまうのはちょっと、怖すぎる。
Xから距離を置いてみて実感しているのは、自分の思考をXのフォーマットではない形でまとめることができるようになってきたということである。
文字にすると恐ろしいことだが、X漬けの生活を15年も続けているうちに、私は140字以内というXのフォーマットに自分の思考を合わせるようになっていた、と思う。
まとまりのある文章としてではなく、140字以内の、TLのノリに合わせた形の文章として思考が浮き上がってくる感覚。
何かがあった時「後でこうポストしよう」と、140字以内にまとまる文章を思い浮かべてしまう感覚。
怖すぎる。
頭の中にいつもXの投稿欄が浮かんでいることには薄々気がついていたが、Xから距離を置き、日記という文字数制限なし・他人の目なし・他人の文章なしの自由空間を手に入れた今、これまでの自分がいかに制限された思考をしていたかがわかってしまった。
140字という制限があるからこそ短文の推敲力がつくなんて考えたこともあるが、今はちょっと、そんなのほほんと構えてはいられない。140字小説など創作表現の一つとしては別にいいと思うが、自分の思考までもがその枠に収まってしまうのはちょっと、怖すぎる。