蛍の光を歌おう
個室居酒屋「蛍光」は非常に繁盛していた。四季 晴歌 は店の入り口で会った嘗ての同級生数人と共に、その細い歩廊を歩いている。
秋らしいトレンチコートの襟から、清潔感のあるシャツが覗く。いつもはツンツン立てているシルバーアッシュの髪は、おとなしめに撫で付けてある。誰が見ても、新進気鋭のロックバンド「a hollow in the world」のボーカル・ハルだとは思うまい。
後ろをついて歩くひとりが、晴歌のシュッとした背中を見て言う。
「晴歌は変わらないな」
「そんなことないよ。皆だって全然変わってない」
晴歌は穏やかに首を振り、「あ、ここだ」と一つの障子の前で立ち止まる。節にタコのある細い指が、そっと障子をスライドさせる。個室には、もうほとんどの同窓生が揃っているようだった。掘り炬燵の周りをぐるりと囲むのは、二十代半ばの男女が五人ずつと、初老の男性が一人。男性は分厚いメガネレンズの向こうで、大きな目を細めた。
「おお、これで揃ったんじゃないの」
「先生、ご無沙汰してます。お元気でしたか」
晴歌たちが礼をして入って行くと、男性は自分の隣の座布団を叩いた。
「四季はここ。去年は佐藤だったからな」
「はい、失礼します」
七年前の担任の隣は、参加者の出席番号順で毎年回している。自然、宴の音頭もそこに座る者が取るようになった。
「せんせー、四季君は真面目すぎて会が盛り上がらない恐れがありまーす」
そう声を上げた元同級生に、晴歌は「歌えない場では、そうなる可能性もあるな」と柔らかく返した。「そこが四季のいいところだよ」、と先生も微笑む。
「じゃあ二次会はカラオケだな!」と合いの手を入れたのは、水路 暁時 だ。晴歌の幼馴染である彼は当然のように晴歌の隣に陣取り、そこに座りたそうにしていた女性を阻んでしまった。女性は唇を尖らせる。
「まだ始まってもいないのに、もう二次会の話? 水路君、気が早いよ。てかそれより、私は四季君の隣に座りたいの。どけて」
「ハルの隣は俺って、昔から決まってんの」
暁時は舌を出すが、晴歌はため息混じりに首を振った。
「決まってねえ。桜さんに譲れよ」
「へーい」
特に未練もなさそうに、暁時は席を替えた。桜と呼ばれた女性はニコニコとそこへ座る。晴歌は用意されていたグラスを持って立ち上がり、座を見回した。
「それじゃあ皆も集まったことだし、っていうか俺たちが最後だったわけだけど」
一同が笑う。
「梶宮クラスの同窓生で集まるのも、もう七回目。こうして見たらいつものメンバーしか来てないけど、まあいいよな。楽しくやろう。慣例に倣って、先生からの一言は最後にいただきます。とりあえず、乾杯」
グラスが鳴り交わされ、歓談が始まった。同じ高校の同級生だったとは言え、今は違う街に住む者も多い。一年に一度の同窓会は、嘗ての楽しいひとときを思い出す貴重な機会となっている。
「四季君は相変わらず彼女いないの」
桜に問われ、晴歌は頷いた。
「なんで〜。性格良し頭良し、顔だってめちゃくちゃイケメンじゃないかもだけど整ってるのに」
「ハルの恋人は音楽だからな。俺の恋人がギターであるように」
「水路君は黙ってて」
桜は暁時の方を見もせずに言うが、その言葉は気にかかったらしい。「四季君は音楽好きだもんね。音楽一筋って感じなの?」と首を傾げた。
「まあ、そんな感じ。とりあえず今は、それ以外に色々割いてる余裕ないかな」
「へえ……そっか」
桜は残念そうにグラスを空け、追加の注文をし、質問を再開した。
「今はどんな活動してるの?」
晴歌が以前から暁時と組んで音楽活動をしていることを、桜は知っている。中学生の時から組んでいると聞いていた。だが、これまでは活動というよりもその前準備、曲作りや他のメンバー探しなんかに注力しているという話だった。
晴歌は慎重に答えを返す。
「ん……アキや他のメンバーと組んで、バンドやってるよ」
「え! 本当? なんてバンド?」
「皆にはまだ秘密。もっと有名になったら教えるよ」
スマホを取り出して構えていた桜は、肩を落とした。
「そうなんだ、わかった。有名になるの待ってるね」
「きっとすぐに有名になるぜ!」
「水路君は話に入ってこないで」
男同士の友情というものは繊細さに欠ける、と、桜は顔を顰める。
「まあまあ、桜。水路がいないと、四季の活動だって成り立たないんだから」
梶宮がとりなし、桜は渋々頷く。暁時のギターの腕前は、高校の文化祭などで重々承知していた。それに、晴歌と特別に仲がいいため話にすぐ割って入ってくるだけで、暁時も性格はいいのだ。あまり邪険にするものではないというのも、それはそうだった。
「……水路君はやっぱりギター担当なの?」
桜が尋ねると、暁時は「それ以外に選択肢はないからな」と胸を張った。
「それに、ベースは超上手い人がメンバーになってくれたし、俺の出る幕じゃない」
「ふうん。私、ギターとベースの違いもよくわからないけど」
「いやいや全然違うから! 好きなバンドのライブ動画とか見てみろよ」
桜と暁時の会話がそこそこ盛り上がり始めた隣で、梶宮と晴歌は静かに言葉を交わす。
「四季君は学生の時から、こうと決めたことは必ずやり遂げたからねえ。きっと音楽でも成功するよ」
「ありがとうございます……。あの」
「ん?」
晴歌は、彼にしては珍しく、視線を逸らした。まだそれほど飲んでいない筈だが、顔が赤い。
「先生は覚えてないかもしれませんが、二者面談の時に俺が夢を話したら、先生が言ってくれたんですよ……『叶うまで追えば、それは夢じゃなくなる』って。俺、その言葉にすごく勇気づけられたんです」
「そうか、そうか」
梶宮の目尻の皺が、深くなる。
「僕がそんないいことをねえ」
「やっぱり覚えてませんでしたか」
二人は笑い合い、さらに思い出話を語り合った。
秋らしいトレンチコートの襟から、清潔感のあるシャツが覗く。いつもはツンツン立てているシルバーアッシュの髪は、おとなしめに撫で付けてある。誰が見ても、新進気鋭のロックバンド「a hollow in the world」のボーカル・ハルだとは思うまい。
後ろをついて歩くひとりが、晴歌のシュッとした背中を見て言う。
「晴歌は変わらないな」
「そんなことないよ。皆だって全然変わってない」
晴歌は穏やかに首を振り、「あ、ここだ」と一つの障子の前で立ち止まる。節にタコのある細い指が、そっと障子をスライドさせる。個室には、もうほとんどの同窓生が揃っているようだった。掘り炬燵の周りをぐるりと囲むのは、二十代半ばの男女が五人ずつと、初老の男性が一人。男性は分厚いメガネレンズの向こうで、大きな目を細めた。
「おお、これで揃ったんじゃないの」
「先生、ご無沙汰してます。お元気でしたか」
晴歌たちが礼をして入って行くと、男性は自分の隣の座布団を叩いた。
「四季はここ。去年は佐藤だったからな」
「はい、失礼します」
七年前の担任の隣は、参加者の出席番号順で毎年回している。自然、宴の音頭もそこに座る者が取るようになった。
「せんせー、四季君は真面目すぎて会が盛り上がらない恐れがありまーす」
そう声を上げた元同級生に、晴歌は「歌えない場では、そうなる可能性もあるな」と柔らかく返した。「そこが四季のいいところだよ」、と先生も微笑む。
「じゃあ二次会はカラオケだな!」と合いの手を入れたのは、
「まだ始まってもいないのに、もう二次会の話? 水路君、気が早いよ。てかそれより、私は四季君の隣に座りたいの。どけて」
「ハルの隣は俺って、昔から決まってんの」
暁時は舌を出すが、晴歌はため息混じりに首を振った。
「決まってねえ。桜さんに譲れよ」
「へーい」
特に未練もなさそうに、暁時は席を替えた。桜と呼ばれた女性はニコニコとそこへ座る。晴歌は用意されていたグラスを持って立ち上がり、座を見回した。
「それじゃあ皆も集まったことだし、っていうか俺たちが最後だったわけだけど」
一同が笑う。
「梶宮クラスの同窓生で集まるのも、もう七回目。こうして見たらいつものメンバーしか来てないけど、まあいいよな。楽しくやろう。慣例に倣って、先生からの一言は最後にいただきます。とりあえず、乾杯」
グラスが鳴り交わされ、歓談が始まった。同じ高校の同級生だったとは言え、今は違う街に住む者も多い。一年に一度の同窓会は、嘗ての楽しいひとときを思い出す貴重な機会となっている。
「四季君は相変わらず彼女いないの」
桜に問われ、晴歌は頷いた。
「なんで〜。性格良し頭良し、顔だってめちゃくちゃイケメンじゃないかもだけど整ってるのに」
「ハルの恋人は音楽だからな。俺の恋人がギターであるように」
「水路君は黙ってて」
桜は暁時の方を見もせずに言うが、その言葉は気にかかったらしい。「四季君は音楽好きだもんね。音楽一筋って感じなの?」と首を傾げた。
「まあ、そんな感じ。とりあえず今は、それ以外に色々割いてる余裕ないかな」
「へえ……そっか」
桜は残念そうにグラスを空け、追加の注文をし、質問を再開した。
「今はどんな活動してるの?」
晴歌が以前から暁時と組んで音楽活動をしていることを、桜は知っている。中学生の時から組んでいると聞いていた。だが、これまでは活動というよりもその前準備、曲作りや他のメンバー探しなんかに注力しているという話だった。
晴歌は慎重に答えを返す。
「ん……アキや他のメンバーと組んで、バンドやってるよ」
「え! 本当? なんてバンド?」
「皆にはまだ秘密。もっと有名になったら教えるよ」
スマホを取り出して構えていた桜は、肩を落とした。
「そうなんだ、わかった。有名になるの待ってるね」
「きっとすぐに有名になるぜ!」
「水路君は話に入ってこないで」
男同士の友情というものは繊細さに欠ける、と、桜は顔を顰める。
「まあまあ、桜。水路がいないと、四季の活動だって成り立たないんだから」
梶宮がとりなし、桜は渋々頷く。暁時のギターの腕前は、高校の文化祭などで重々承知していた。それに、晴歌と特別に仲がいいため話にすぐ割って入ってくるだけで、暁時も性格はいいのだ。あまり邪険にするものではないというのも、それはそうだった。
「……水路君はやっぱりギター担当なの?」
桜が尋ねると、暁時は「それ以外に選択肢はないからな」と胸を張った。
「それに、ベースは超上手い人がメンバーになってくれたし、俺の出る幕じゃない」
「ふうん。私、ギターとベースの違いもよくわからないけど」
「いやいや全然違うから! 好きなバンドのライブ動画とか見てみろよ」
桜と暁時の会話がそこそこ盛り上がり始めた隣で、梶宮と晴歌は静かに言葉を交わす。
「四季君は学生の時から、こうと決めたことは必ずやり遂げたからねえ。きっと音楽でも成功するよ」
「ありがとうございます……。あの」
「ん?」
晴歌は、彼にしては珍しく、視線を逸らした。まだそれほど飲んでいない筈だが、顔が赤い。
「先生は覚えてないかもしれませんが、二者面談の時に俺が夢を話したら、先生が言ってくれたんですよ……『叶うまで追えば、それは夢じゃなくなる』って。俺、その言葉にすごく勇気づけられたんです」
「そうか、そうか」
梶宮の目尻の皺が、深くなる。
「僕がそんないいことをねえ」
「やっぱり覚えてませんでしたか」
二人は笑い合い、さらに思い出話を語り合った。