切々端々《きれぎれはしばし》
気づき
2023/09/19 21:09その他
相互さんの作品を読ませてもらって、自分との違いをまざまざと痛感した。一種、自分の理想とするものに近いもので、なおかつ今の私には絶対に書けないようなもので、すごく感情を揺さぶられた。
それで心の中が自分の未熟さとか方向性のあり方に対する疑問で(いい意味で)ぐちゃぐちゃになったんだけど、1日経って落ち着いたら「じゃあその人と比べて、自分はなにが書けるのか、何が書きたいのか」みたいなのが浮き彫りにされたような気がする。
私はただ飾る必要もないほどきれいで、それゆえに尊いものは書けないかもしれない。
けれど、剥き出しの心臓みたいな生々しい、だからこそ目を惹かれてしまうような"感情"は書こうとしてるし、そういうものを描きたいと思う。
一瞬、私は『きれいなもの』を引き立てるために醜いものや暗いものを使い、小手先のテクニックで物語を引き立てようとしてるのかもしれないと思い悩んだこともあった。
けれど、そうではない。これまでに頂いた読者さまのあたたかいメッセージや、私が愛した物語をもう一度読み返してそう確信した。
『平気で酷いことを行いながら。惨い仕打ちをしながら。相手を痛めつけながら。
こんなはずじゃなかった。こんな目に遭わせるつもりではなかったと嘆きもする。
憎みながら、怒りながら、相手を殺そうとしながら。
それだけでは生きていけない。
きっと、それこそが、人というものなのだろう。』
『僕は自分の人生を思い返した。様々なことがあった。どうしようもなく下らない最悪な日々があった。だが、そこには確かに輝くこともあったのだ。救えなかった人がいる、殺した人もいる。逆に、その手を取れた人もいる。生き残ってくれた人々は、僕から見て誰も彼もが尊い人たちだった。生き残って欲しいと願った人が生きていてくれている。
それは、僕にとって、何より嬉しいことだった。』
私は苦悩する人間が書きたいのだ。みずからの弱さや愚かさを呪い、目を背けたい現実にもがき、取りこぼしてしまったものに嘆き、苦しみながらも、誰に顧みられるでもなく、「それでも」と前に進む人間の意志の強さや優しさを描きたいのだ。
弱いからこそ、芽吹きうる強さを描きたいのだ。
『苦悩にまみれて 嘆き悲しみ それでも途絶えぬ歌に 陽は射さずとも』
そういうものを、私は書きたい。
そして、願わくばその苦悩が報われる瞬間が描きたい。
そのためには、絶対に醜さや弱さは絶対に描き出さなければいけない。避けては、通れない。
だから、私は私の道を行こうと思う。
自分の未熟さに何度も情けなくなりながらも、他の誰かが一生懸命綴るものに、鏡のように自分の怠惰や欠落を浮き彫りにされて打ちのめされようとも、私はやっぱりお話が描きたい。
私は他の人に憧れるけれど、決してその人にはなれない。なりたいとは思わない。だって、その人の文章は、私と違う経験を積んできたという"その人自身の血肉にも等しいもの"だから。
そして、私が書く文章にも、きっと誰一人として体験したことがない、私だけの経験が滲んでいる。私がかつて感じた感動や情動が、魂といえるものが込められているから。
私が感動したもの、私の心を動かしたもの、それは誰にも体験できない、私のとっておきの宝物。それを誰かに渡したくはないから。他の誰かのどんなに素晴らしい体験でもあがなえない、熱と脈動をともなった、私だけの宝物のような記憶を。
それにきっと、自分自身でなかったら、大好きな人たちが描いてくれる物語に感動することもできないから。
だから、私は私でいい。自分以外の、他の誰にもなれなくて、いい。
孤独であるということは、『自分にしか分からない気持ち』は、それすなわち、きっと自分自身であるということだ。
けれど、それを自分の中で完結させてしまったら、いつか忘れてしまう。どんなに心を揺さぶられたとしても、人の、肉体に捕らわれ代謝されていく記憶は儚いから。
だから、私は創作をするんだろう。自分の心を揺り動かしたものたちを忘れたくはないから。
そして、そうやって描いたものが誰かの心を震わせて、なにか少しでもその人の糧になってくれたのなら、きっとこれほど幸せなことはない。
そういう自分自身の持ちうる感性を大切にして、これから見て、聞いて、感じていくこと、ひとつひとつ大切にしたいなと思う。
忘れないように、ここに記す。
恥ずかしくなったら取り下げます。
それで心の中が自分の未熟さとか方向性のあり方に対する疑問で(いい意味で)ぐちゃぐちゃになったんだけど、1日経って落ち着いたら「じゃあその人と比べて、自分はなにが書けるのか、何が書きたいのか」みたいなのが浮き彫りにされたような気がする。
私はただ飾る必要もないほどきれいで、それゆえに尊いものは書けないかもしれない。
けれど、剥き出しの心臓みたいな生々しい、だからこそ目を惹かれてしまうような"感情"は書こうとしてるし、そういうものを描きたいと思う。
一瞬、私は『きれいなもの』を引き立てるために醜いものや暗いものを使い、小手先のテクニックで物語を引き立てようとしてるのかもしれないと思い悩んだこともあった。
けれど、そうではない。これまでに頂いた読者さまのあたたかいメッセージや、私が愛した物語をもう一度読み返してそう確信した。
『平気で酷いことを行いながら。惨い仕打ちをしながら。相手を痛めつけながら。
こんなはずじゃなかった。こんな目に遭わせるつもりではなかったと嘆きもする。
憎みながら、怒りながら、相手を殺そうとしながら。
それだけでは生きていけない。
きっと、それこそが、人というものなのだろう。』
『僕は自分の人生を思い返した。様々なことがあった。どうしようもなく下らない最悪な日々があった。だが、そこには確かに輝くこともあったのだ。救えなかった人がいる、殺した人もいる。逆に、その手を取れた人もいる。生き残ってくれた人々は、僕から見て誰も彼もが尊い人たちだった。生き残って欲しいと願った人が生きていてくれている。
それは、僕にとって、何より嬉しいことだった。』
私は苦悩する人間が書きたいのだ。みずからの弱さや愚かさを呪い、目を背けたい現実にもがき、取りこぼしてしまったものに嘆き、苦しみながらも、誰に顧みられるでもなく、「それでも」と前に進む人間の意志の強さや優しさを描きたいのだ。
弱いからこそ、芽吹きうる強さを描きたいのだ。
『苦悩にまみれて 嘆き悲しみ それでも途絶えぬ歌に 陽は射さずとも』
そういうものを、私は書きたい。
そして、願わくばその苦悩が報われる瞬間が描きたい。
そのためには、絶対に醜さや弱さは絶対に描き出さなければいけない。避けては、通れない。
だから、私は私の道を行こうと思う。
自分の未熟さに何度も情けなくなりながらも、他の誰かが一生懸命綴るものに、鏡のように自分の怠惰や欠落を浮き彫りにされて打ちのめされようとも、私はやっぱりお話が描きたい。
私は他の人に憧れるけれど、決してその人にはなれない。なりたいとは思わない。だって、その人の文章は、私と違う経験を積んできたという"その人自身の血肉にも等しいもの"だから。
そして、私が書く文章にも、きっと誰一人として体験したことがない、私だけの経験が滲んでいる。私がかつて感じた感動や情動が、魂といえるものが込められているから。
私が感動したもの、私の心を動かしたもの、それは誰にも体験できない、私のとっておきの宝物。それを誰かに渡したくはないから。他の誰かのどんなに素晴らしい体験でもあがなえない、熱と脈動をともなった、私だけの宝物のような記憶を。
それにきっと、自分自身でなかったら、大好きな人たちが描いてくれる物語に感動することもできないから。
だから、私は私でいい。自分以外の、他の誰にもなれなくて、いい。
孤独であるということは、『自分にしか分からない気持ち』は、それすなわち、きっと自分自身であるということだ。
けれど、それを自分の中で完結させてしまったら、いつか忘れてしまう。どんなに心を揺さぶられたとしても、人の、肉体に捕らわれ代謝されていく記憶は儚いから。
だから、私は創作をするんだろう。自分の心を揺り動かしたものたちを忘れたくはないから。
そして、そうやって描いたものが誰かの心を震わせて、なにか少しでもその人の糧になってくれたのなら、きっとこれほど幸せなことはない。
そういう自分自身の持ちうる感性を大切にして、これから見て、聞いて、感じていくこと、ひとつひとつ大切にしたいなと思う。
忘れないように、ここに記す。
恥ずかしくなったら取り下げます。