暴露
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ドン、と乱暴な音がした。暴力的な雑音が主婦たちの会話を中断させる。瑞月が缶コーヒーをベンチに叩きつけたのだ。豊かな黒髪が、瑞月の美しい顔を覆い隠す。
そのまま、プルタブを折らん——いや折れた——ばかりの勢いで引き抜く(プルタブを倒すとかそういう次元の動きではなかった)陽介は唖然として、瑞月を凝視する。
「花村、これからすることは私の自己満足だ。君は帰れ。その前に、耳を塞いでいてくれ」
「へっ、えっ、はっ?」
行動の乱暴さとは裏腹に、陽介にだけ聞こえるささやきで──そして抗いがたい圧を持って、彼女は陽介に指示する。瑞月の奇行に陽介は返答できなかった。だが、反射的に陽介は両手で耳を塞ぐ。
次の瞬間、陽介は驚愕した。瑞月が缶コーヒーを口に押し当てる。まだ熱く苦い液体を、顔を振り上げて彼女は一気に飲み下した。まさしく瑞月は『煮え湯を飲んだ』。
まるで、陽介の抱えた苦しみを飲み干すかのように。
重ねて驚いたことに、彼女の奇行は終わらない。
すっくと立ちあがり、彼女は乱暴にコーヒーの残骸に膝蹴りを食らわせる。スチール缶は九の字に折れ曲がる。そのまま流れるように、瑞月 はスチール缶をくずかごに投げ入れた。
スチール缶とくずかごが接触事故を起こす。ゴガァン!! とけたたましい音が鳴った。陽介は耳を塞いでいたからいいが、塞がない人間の鼓膜には痛烈な騒音だ。言葉を持たぬ瑞月 の凄まじい威嚇に主婦たちはたじろぐ。
その隙に、瑞月は一息に主婦たちへ近づく。瑞月が何をするのか。疑問に思った陽介は耳を塞ぐ両手を外す。
「……な、なによ、あんた」
「……あなたたちがしていることは、今私がしたことと同じだと言っているのですよ」
悍ましいほどに瑞月の声は低かった。矛先を向けられていない陽介ですら鳥肌が立つほどだ。彼女は怒りに支配されている。曇天の陰りによって、ワインレッドのカーディガンが血染めの布に見えなくもない。
「わ……私たちは、ただ立ち話をしただけじゃない……」
「ならば他の場所でなさってくださいませんか。あなたたちの話が大きくて、私は好きな話を遮られて不快なんです。
私がさっき缶を投げ入れて大きな音が立ったとき、あなたたち何が起きたかって怖かったでしょう? それと、同じです。あなた方がどこで話すかは自由ですけれど、私にだって騒音や不快な話を聞きたくないと主張する権利だってあるのです。立ち話だったら、移動しながらでもできるでしょう? だから場所を変えてください」
ねぇ、と地を這うように瑞月は語りかける。おびえる主婦たちに、瑞月は一歩近づいた。ひぃ、と引きつった悲鳴を上げて、主婦たちは後ずさる。長く濡れた黒髪で顔を覆った瑞月は、某ホラー映画のテレビから出てくる女性のような恐ろしい顔をしているであろうと、陽介には予測がついた。
「内容に自分が関係あろうが、なかろうが、陰口って聞いている人を不快にするのですよ。貴方だって、酒に酔った夫が自分に関係ない愚痴をダラダラダラダラこぼしたら、腹が立つでしょう? どこかに行ってほしいって思うでしょう? だからね、あなたたちにはどこかに行ってほしいんです」
妙に現実感のある例えに、氷でも飲まされたように主婦たちは青ざめ、引き下がる。お構いなしに、瑞月はドシドシと無遠慮に近づく。
「────あなたたちの日ごろの鬱憤を、他のことに押し付けても何にも解決しませんし、時間を無駄にするだけですよ。ただでさえ、いい年なのに慎みというものをご存じ?」
「ば、化け物ッ!」
悲痛な叫びを、主婦が上げる。対して「ハハっ」と、乾いた笑い声が上がった。妙に幼い笑い方が不気味だ。そうして、情感たっぷりに、瑞月はゆらりと長い首をかしげた。
「あなたたちの軽口が、引き寄せたのかもしれませんね?」
────とりあえず、帰り道と夜道には気を付けましょうね。余計なコトは言うもんじゃありません。私みたいのを引き寄せますから。それがお嫌なら……誰にも話してはいけませんよ。
それだけ言うと主婦たちは凍りつく。瑞月が不意に近づいて、主婦たちの肩にとんと白い手を置く。
ぎゃーーーーっ!! と爆発的な悲鳴が上がった。主婦たちは無様に退散していく。足元をもつれさせながら、ともに話していたことなど忘れて2人の主婦は我先にと、道路の彼方に消えていった。
カバーガラスのように薄っぺらい主婦たちの友情を最後まで眺めたのち、瑞月は煩わしそうに髪をかきあげた。ワインレッドのカーディガンを脱ぎながら、瑞月はベンチを振り向く。マネキンのごとく固まった花村を見つけて、彼女はギョッとした。
「……花村、帰っていいといったろうに」
「……」
「花村、今すぐここから離れた方がいい。あの輩が警察を連れてきてはかなわないからな」
「…………」
陽介は言葉が出なかった。何から話していいのか分からなかったのだ。
瑞月がスチール缶を折ったことか、喉を焼くほどに熱いコーヒーをイッキ飲みしたことか、その缶をくずかごにものすさまじい勢いで投げつけたことか、妙にクオリティの高い貞子 の真似をして主婦たちに詰め寄ったことか。その主婦たちが無様に尻を捲って飛び逃げしたことか。
どれもこれもが三文芝居じみたコメディだった。あるいはお粗末な喜劇だった。観客は陽介一人だけ。定員割れも甚だしい安っぽさだ。
──それなのに、どうして自分はこんなにも清々しい気分なのか。
息が吸えた。さっきまで肺を締め付けるような苦しみに苛まれていたというのに。軽やかに、気道が開けたように胸部の筋肉がほぐれて動き出す。肺に取り込む新鮮な空気が体に沁み渡っていく。
息ができた。もう苦しさなんて感じなかった。瑞月の隣で陽介は、普通に呼吸ができた。
息をいっぱいに取り込む。そうして陽介が発したのは、
「あのさ、瀬名」
「どうした、花村」
「ありがとう」
瑞月への感謝だった。
すっとしたのだ、陽介は。瑞月が、陽介の代わりに怒ってくれたから。
新種の花粉が飛んでいるのだろうか。ぐずりと、花粉症でもないのに陽介は洟 をすする。視界が滲んだのだって、きっと新種の花粉のせいだと思いたかった。花粉にやられた顔なんて見せたくなくて、陽介は俯いて、身体を固くする。
すると、強ばった肩にポンと、人の温もりが落ちてきた。
「……私がしたくてしたことよ。ワガママだ」
静かな、いつもの通りに、凛とした声が降ってくる。瑞月 は何も聞かない。陽介の、鼻声の理由にも。俯いている理由にも。何も聞かずに、ただ、陽介の冷えてしまった肩を撫でる。
「ほら、映画話の続きをしようじゃないか。鮫川の方へ行こう」
何もなかったように、瑞月が誘った。うん。と陽介は鼻声で頷く。そうして、2人は四六商店を後にした。
そのまま、プルタブを折らん——いや折れた——ばかりの勢いで引き抜く(プルタブを倒すとかそういう次元の動きではなかった)陽介は唖然として、瑞月を凝視する。
「花村、これからすることは私の自己満足だ。君は帰れ。その前に、耳を塞いでいてくれ」
「へっ、えっ、はっ?」
行動の乱暴さとは裏腹に、陽介にだけ聞こえるささやきで──そして抗いがたい圧を持って、彼女は陽介に指示する。瑞月の奇行に陽介は返答できなかった。だが、反射的に陽介は両手で耳を塞ぐ。
次の瞬間、陽介は驚愕した。瑞月が缶コーヒーを口に押し当てる。まだ熱く苦い液体を、顔を振り上げて彼女は一気に飲み下した。まさしく瑞月は『煮え湯を飲んだ』。
まるで、陽介の抱えた苦しみを飲み干すかのように。
重ねて驚いたことに、彼女の奇行は終わらない。
すっくと立ちあがり、彼女は乱暴にコーヒーの残骸に膝蹴りを食らわせる。スチール缶は九の字に折れ曲がる。そのまま流れるように、瑞月 はスチール缶をくずかごに投げ入れた。
スチール缶とくずかごが接触事故を起こす。ゴガァン!! とけたたましい音が鳴った。陽介は耳を塞いでいたからいいが、塞がない人間の鼓膜には痛烈な騒音だ。言葉を持たぬ瑞月 の凄まじい威嚇に主婦たちはたじろぐ。
その隙に、瑞月は一息に主婦たちへ近づく。瑞月が何をするのか。疑問に思った陽介は耳を塞ぐ両手を外す。
「……な、なによ、あんた」
「……あなたたちがしていることは、今私がしたことと同じだと言っているのですよ」
悍ましいほどに瑞月の声は低かった。矛先を向けられていない陽介ですら鳥肌が立つほどだ。彼女は怒りに支配されている。曇天の陰りによって、ワインレッドのカーディガンが血染めの布に見えなくもない。
「わ……私たちは、ただ立ち話をしただけじゃない……」
「ならば他の場所でなさってくださいませんか。あなたたちの話が大きくて、私は好きな話を遮られて不快なんです。
私がさっき缶を投げ入れて大きな音が立ったとき、あなたたち何が起きたかって怖かったでしょう? それと、同じです。あなた方がどこで話すかは自由ですけれど、私にだって騒音や不快な話を聞きたくないと主張する権利だってあるのです。立ち話だったら、移動しながらでもできるでしょう? だから場所を変えてください」
ねぇ、と地を這うように瑞月は語りかける。おびえる主婦たちに、瑞月は一歩近づいた。ひぃ、と引きつった悲鳴を上げて、主婦たちは後ずさる。長く濡れた黒髪で顔を覆った瑞月は、某ホラー映画のテレビから出てくる女性のような恐ろしい顔をしているであろうと、陽介には予測がついた。
「内容に自分が関係あろうが、なかろうが、陰口って聞いている人を不快にするのですよ。貴方だって、酒に酔った夫が自分に関係ない愚痴をダラダラダラダラこぼしたら、腹が立つでしょう? どこかに行ってほしいって思うでしょう? だからね、あなたたちにはどこかに行ってほしいんです」
妙に現実感のある例えに、氷でも飲まされたように主婦たちは青ざめ、引き下がる。お構いなしに、瑞月はドシドシと無遠慮に近づく。
「────あなたたちの日ごろの鬱憤を、他のことに押し付けても何にも解決しませんし、時間を無駄にするだけですよ。ただでさえ、いい年なのに慎みというものをご存じ?」
「ば、化け物ッ!」
悲痛な叫びを、主婦が上げる。対して「ハハっ」と、乾いた笑い声が上がった。妙に幼い笑い方が不気味だ。そうして、情感たっぷりに、瑞月はゆらりと長い首をかしげた。
「あなたたちの軽口が、引き寄せたのかもしれませんね?」
────とりあえず、帰り道と夜道には気を付けましょうね。余計なコトは言うもんじゃありません。私みたいのを引き寄せますから。それがお嫌なら……誰にも話してはいけませんよ。
それだけ言うと主婦たちは凍りつく。瑞月が不意に近づいて、主婦たちの肩にとんと白い手を置く。
ぎゃーーーーっ!! と爆発的な悲鳴が上がった。主婦たちは無様に退散していく。足元をもつれさせながら、ともに話していたことなど忘れて2人の主婦は我先にと、道路の彼方に消えていった。
カバーガラスのように薄っぺらい主婦たちの友情を最後まで眺めたのち、瑞月は煩わしそうに髪をかきあげた。ワインレッドのカーディガンを脱ぎながら、瑞月はベンチを振り向く。マネキンのごとく固まった花村を見つけて、彼女はギョッとした。
「……花村、帰っていいといったろうに」
「……」
「花村、今すぐここから離れた方がいい。あの輩が警察を連れてきてはかなわないからな」
「…………」
陽介は言葉が出なかった。何から話していいのか分からなかったのだ。
瑞月がスチール缶を折ったことか、喉を焼くほどに熱いコーヒーをイッキ飲みしたことか、その缶をくずかごにものすさまじい勢いで投げつけたことか、妙にクオリティの高い
どれもこれもが三文芝居じみたコメディだった。あるいはお粗末な喜劇だった。観客は陽介一人だけ。定員割れも甚だしい安っぽさだ。
──それなのに、どうして自分はこんなにも清々しい気分なのか。
息が吸えた。さっきまで肺を締め付けるような苦しみに苛まれていたというのに。軽やかに、気道が開けたように胸部の筋肉がほぐれて動き出す。肺に取り込む新鮮な空気が体に沁み渡っていく。
息ができた。もう苦しさなんて感じなかった。瑞月の隣で陽介は、普通に呼吸ができた。
息をいっぱいに取り込む。そうして陽介が発したのは、
「あのさ、瀬名」
「どうした、花村」
「ありがとう」
瑞月への感謝だった。
すっとしたのだ、陽介は。瑞月が、陽介の代わりに怒ってくれたから。
新種の花粉が飛んでいるのだろうか。ぐずりと、花粉症でもないのに陽介は
すると、強ばった肩にポンと、人の温もりが落ちてきた。
「……私がしたくてしたことよ。ワガママだ」
静かな、いつもの通りに、凛とした声が降ってくる。瑞月 は何も聞かない。陽介の、鼻声の理由にも。俯いている理由にも。何も聞かずに、ただ、陽介の冷えてしまった肩を撫でる。
「ほら、映画話の続きをしようじゃないか。鮫川の方へ行こう」
何もなかったように、瑞月が誘った。うん。と陽介は鼻声で頷く。そうして、2人は四六商店を後にした。