暴露
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
どうせなら、腰を据えてじっくり語り合いたい。
陽介は商店街の雑貨屋こと四六商店 前のベンチに腰かける。直後、目の前にミルクティーが差し出された。提供者である瑞月は淡い桜のように微笑んだ。
「お疲れさま、バイトを完遂した花村に差し入れだ」
誉められているみたいで、なんだかくすぐったい。でも嫌ではなくて、「……あんがと」と陽介は受け取った。冷たい手に、ミルクティーの温かさが染み渡る。
陽介はミルクティー、瑞月は缶コーヒーをお供に備え付けのベンチに腰かける。途端に賑やかなお喋りが始まった。言葉のキャッチボールが小気味よくポンポンと続いていく。
「花村のいう通り、アクションが素晴らしい作品だったな。 敵が放った雨のような弾丸を紙一重で避けていく様はCGだと分かっていても圧巻だった……!」
「だろ!? 主役の俳優がなんってったってカッケーんだよな! 全弾スマートに避けていくサマがさ。シビれるよなー」
同じ映画ひとつとっても、同じシーンが印象的で盛り上がったり、違うところを好んだりと話題は尽きない。陽介が何とも思わなかったシーンでも、違う意見を持つ瑞月によって、抱いていた印象がガラリと変わることがある。
要するに、瑞月との映画対談は面白いのだ。
それに、お気に入りのワンシーンについて話す瑞月はいかにも楽しそうだ。普段は鋭くとがった目尻が、心なしか緩んで、身ぶり手振りも多くなる。楽しそうな瑞月を見るのは、陽介も楽しい。つられて陽介の頬も弾む。
だが、白熱した映画語りは突如として終わりを告げた。
陽介たちが腰かけたベンチの近くへと、2つの足音が近づいてくる。陽介は違和感を覚えた。2つの足音は──わざとなのか──明らかに歩調を遅めて、陽介たちの目の前を通りすぎたからだ。
ぞわぞわと、陽介の肌が粟立つ。こわごわと陽介は瞳を動かし、その原因を発見した。2人の、中年と思われる主婦たち。足音の主は彼女らだ。彼女たちは陰湿な視線を、陽介たちに──正確には陽介に7割向ける。そのねばついた視線に、陽介はいやというほど身に覚えがあった。
そうした人間が次に何をするのかも。
気にするな。と陽介は自分に言い聞かせた。そして、何とか瑞月との会話を続けようとする。しかし、防御姿勢に入りかけた陽介の喉は働きを停止した。瑞月との会話に応じようとしているのに上手く舌が回らない。
そして、その不調に、目の前の友人は気がついてしまったらしい。
「花村……、どうかしたのか?」
「あ、いや、その……」
瑞月が心配そうに首をかしげる。何でもない。という苦し紛れの返答は、イヤミなほどに甲高く、うるさい主婦たちの話し声に遮られた。
「アレって、ジュネスの……でしょ」
「この前なんてねぇ、大石さんのとこ……潰れちゃって」
「またココの店が潰れるかも分かんないのに、吞気でいいわねぇ」
陽介はおもく俯く。通り過ぎた主婦たちが口にするのは、ありもしない陽介への誹謗中傷だ。しかも、わざと陽介の視界に入る位置で、陽介の耳に入る声のボリュームで噂を立てている。
それ自体は別に良い。陽介がここを通るたびに、何度か経験していることだ。
都会から進出してきた大型スーパー『ジュネス』は、一部の稲羽市民——特に商店街近くの住民——からの風当たりが強い。その関係者の息子である陽介に対しては言わずもがなである。
とげのついた悪意を、粗末な紙切れで包んで投げつけられるような嫌がらせだって少なくなかった。
はじめは陽介だって反感を覚えていたし、何か言い返してやりたいと腹の中が不快になった。
けれど、一時の感情に任せて陽介がもし反論してしまったならば。
慣れない土地で友好的な関係を現地民と築こうとしている両親やジュネスの社員たちの努力を水泡に帰すこととなる。
だから、陽介は、悲しみも怒りも飲み込むと決めた。そうして何度も何度も繰り返すうちに、遣る瀬ない感情を飲み込む術を覚えてしまった。だからこそ、悪意をやり過ごすことができる。
けど、と陽介は歯噛みする。うつむいた視線の先で、瑞月の──さっきまで楽しそうにくるくると動いていた手が、膝上の缶コーヒーを力なく握っている。それを見た陽介の息が詰まる。
(なんで……よりにもよって瀬名の前でんな話すんだよ)
強く噛んだ奥歯が軋んだ。友達を──何よりも、無関係の瑞月を、陽介の問題に巻き込みたくなかった。こんな情けない目に遭っている、何も言い返せない陽介の不甲斐なさに瑞月を巻き込みたくなかった。
いや、正確には、知られたくなかった。瑞月の友達がこんなにも不甲斐ない人間なのだと。友達を自分の問題に巻き込んで、守りもできず口をつぐむしかできない人間なのだと。
「隣にいる子はだぁれ? 見ない子だけど」
「沖奈の子かしら……まさかこんなところに連れてくるなんて……」
「まぁ、そんなに田舎の人間が嫌なら、どうして稲羽になんて……都会に帰ればいいのに……」
なんと主婦たちは瑞月の悪口まで言い始めた。遠方の沖奈から何もない八十稲羽にわざわざ来るわけがないという、ごく当たり前の推測も、悪口には必要ないらしい。
下卑たせせら笑いに、彼女が手元の缶コーヒーを握りしめた。
「ごめん、瀬名」
友を守れない自分への不甲斐なさ、瑞月を巻き込んでしまった後悔、心ない言葉をぶつけられる苦しみ。せめてもの謝罪にはいくつもの苦い感情が入り交じる。陽介は、唇を噛んだ。瑞月 は何も言わない。ただ、缶コーヒーを握りしめているだけだ。
せっかく楽しく映画の話をしていたというのに、陽介の複雑な立場に巻き込んで、不快な想いをさせてしまった。情けなさと、押し潰した怒りと、恥ずかしさがぐるぐると重たい不快感となって陽介の腹にわだかまった。
(なんで、友達まで巻き込むんだろ)
申し訳なくて、陽介は顔を上げる。そして陽介は絶句した。視線の先に、みたこともない表情の瑞月がいたからだ。
普段の、凛として大人びた美しい面差しはそこにはない。唇を悔しげに噛みしめ、見開かれた紺碧の瞳には、燃えるような怒りと──何よりも深い、今にも泣き出しそうな悲しみが混じりあう。
子供のように、どうしようもない、負の感情の発露だ。
凛と澄ました表情は鏡のごとく割れ、少女が火がついたように泣き出す寸前のような、とにかく幼く痛ましい表情で、瑞月は陽介を見つめていた。
陽介はなにか、彼女のタブーに触れてしまった気がしてとっさに目を反らす。
それでも、主婦たちは大声で噂話を続ける。
所かまわず悪意を吹聴してくる主婦たちには怒りと悲しみを、瑞月の見たことのない表情に覚えた戸惑いを、飲み下そうと陽介が口を引き結んだ、その瞬間だった。
陽介は商店街の雑貨屋こと
「お疲れさま、バイトを完遂した花村に差し入れだ」
誉められているみたいで、なんだかくすぐったい。でも嫌ではなくて、「……あんがと」と陽介は受け取った。冷たい手に、ミルクティーの温かさが染み渡る。
陽介はミルクティー、瑞月は缶コーヒーをお供に備え付けのベンチに腰かける。途端に賑やかなお喋りが始まった。言葉のキャッチボールが小気味よくポンポンと続いていく。
「花村のいう通り、アクションが素晴らしい作品だったな。 敵が放った雨のような弾丸を紙一重で避けていく様はCGだと分かっていても圧巻だった……!」
「だろ!? 主役の俳優がなんってったってカッケーんだよな! 全弾スマートに避けていくサマがさ。シビれるよなー」
同じ映画ひとつとっても、同じシーンが印象的で盛り上がったり、違うところを好んだりと話題は尽きない。陽介が何とも思わなかったシーンでも、違う意見を持つ瑞月によって、抱いていた印象がガラリと変わることがある。
要するに、瑞月との映画対談は面白いのだ。
それに、お気に入りのワンシーンについて話す瑞月はいかにも楽しそうだ。普段は鋭くとがった目尻が、心なしか緩んで、身ぶり手振りも多くなる。楽しそうな瑞月を見るのは、陽介も楽しい。つられて陽介の頬も弾む。
だが、白熱した映画語りは突如として終わりを告げた。
陽介たちが腰かけたベンチの近くへと、2つの足音が近づいてくる。陽介は違和感を覚えた。2つの足音は──わざとなのか──明らかに歩調を遅めて、陽介たちの目の前を通りすぎたからだ。
ぞわぞわと、陽介の肌が粟立つ。こわごわと陽介は瞳を動かし、その原因を発見した。2人の、中年と思われる主婦たち。足音の主は彼女らだ。彼女たちは陰湿な視線を、陽介たちに──正確には陽介に7割向ける。そのねばついた視線に、陽介はいやというほど身に覚えがあった。
そうした人間が次に何をするのかも。
気にするな。と陽介は自分に言い聞かせた。そして、何とか瑞月との会話を続けようとする。しかし、防御姿勢に入りかけた陽介の喉は働きを停止した。瑞月との会話に応じようとしているのに上手く舌が回らない。
そして、その不調に、目の前の友人は気がついてしまったらしい。
「花村……、どうかしたのか?」
「あ、いや、その……」
瑞月が心配そうに首をかしげる。何でもない。という苦し紛れの返答は、イヤミなほどに甲高く、うるさい主婦たちの話し声に遮られた。
「アレって、ジュネスの……でしょ」
「この前なんてねぇ、大石さんのとこ……潰れちゃって」
「またココの店が潰れるかも分かんないのに、吞気でいいわねぇ」
陽介はおもく俯く。通り過ぎた主婦たちが口にするのは、ありもしない陽介への誹謗中傷だ。しかも、わざと陽介の視界に入る位置で、陽介の耳に入る声のボリュームで噂を立てている。
それ自体は別に良い。陽介がここを通るたびに、何度か経験していることだ。
都会から進出してきた大型スーパー『ジュネス』は、一部の稲羽市民——特に商店街近くの住民——からの風当たりが強い。その関係者の息子である陽介に対しては言わずもがなである。
とげのついた悪意を、粗末な紙切れで包んで投げつけられるような嫌がらせだって少なくなかった。
はじめは陽介だって反感を覚えていたし、何か言い返してやりたいと腹の中が不快になった。
けれど、一時の感情に任せて陽介がもし反論してしまったならば。
慣れない土地で友好的な関係を現地民と築こうとしている両親やジュネスの社員たちの努力を水泡に帰すこととなる。
だから、陽介は、悲しみも怒りも飲み込むと決めた。そうして何度も何度も繰り返すうちに、遣る瀬ない感情を飲み込む術を覚えてしまった。だからこそ、悪意をやり過ごすことができる。
けど、と陽介は歯噛みする。うつむいた視線の先で、瑞月の──さっきまで楽しそうにくるくると動いていた手が、膝上の缶コーヒーを力なく握っている。それを見た陽介の息が詰まる。
(なんで……よりにもよって瀬名の前でんな話すんだよ)
強く噛んだ奥歯が軋んだ。友達を──何よりも、無関係の瑞月を、陽介の問題に巻き込みたくなかった。こんな情けない目に遭っている、何も言い返せない陽介の不甲斐なさに瑞月を巻き込みたくなかった。
いや、正確には、知られたくなかった。瑞月の友達がこんなにも不甲斐ない人間なのだと。友達を自分の問題に巻き込んで、守りもできず口をつぐむしかできない人間なのだと。
「隣にいる子はだぁれ? 見ない子だけど」
「沖奈の子かしら……まさかこんなところに連れてくるなんて……」
「まぁ、そんなに田舎の人間が嫌なら、どうして稲羽になんて……都会に帰ればいいのに……」
なんと主婦たちは瑞月の悪口まで言い始めた。遠方の沖奈から何もない八十稲羽にわざわざ来るわけがないという、ごく当たり前の推測も、悪口には必要ないらしい。
下卑たせせら笑いに、彼女が手元の缶コーヒーを握りしめた。
「ごめん、瀬名」
友を守れない自分への不甲斐なさ、瑞月を巻き込んでしまった後悔、心ない言葉をぶつけられる苦しみ。せめてもの謝罪にはいくつもの苦い感情が入り交じる。陽介は、唇を噛んだ。瑞月 は何も言わない。ただ、缶コーヒーを握りしめているだけだ。
せっかく楽しく映画の話をしていたというのに、陽介の複雑な立場に巻き込んで、不快な想いをさせてしまった。情けなさと、押し潰した怒りと、恥ずかしさがぐるぐると重たい不快感となって陽介の腹にわだかまった。
(なんで、友達まで巻き込むんだろ)
申し訳なくて、陽介は顔を上げる。そして陽介は絶句した。視線の先に、みたこともない表情の瑞月がいたからだ。
普段の、凛として大人びた美しい面差しはそこにはない。唇を悔しげに噛みしめ、見開かれた紺碧の瞳には、燃えるような怒りと──何よりも深い、今にも泣き出しそうな悲しみが混じりあう。
子供のように、どうしようもない、負の感情の発露だ。
凛と澄ました表情は鏡のごとく割れ、少女が火がついたように泣き出す寸前のような、とにかく幼く痛ましい表情で、瑞月は陽介を見つめていた。
陽介はなにか、彼女のタブーに触れてしまった気がしてとっさに目を反らす。
それでも、主婦たちは大声で噂話を続ける。
所かまわず悪意を吹聴してくる主婦たちには怒りと悲しみを、瑞月の見たことのない表情に覚えた戸惑いを、飲み下そうと陽介が口を引き結んだ、その瞬間だった。