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 瑞月にとって、陽介は大切な友人だ。親友と呼んでもいい。
そして、瑞月にとって傷ついて欲しくない人間でもある。

 瑞月は、陽介を傷つけた過去がある。その苦い記憶は戒めのごとく鮮明に覚えていた。腹の底から吐き出された陽介の悲痛な叫びが、瑞月の鼓膜には未だに焼き付いている。

『結局、俺が『ジュネスの息子』だからだろっ? 瀬名が言いたいのはそういうことなんだろ!? 『ジュネスの息子』だから、まわりに迷惑をかけるから、自分の気持ちを押し殺せってそう言いたいんだろ!?』

 泣き出しそうなのに泣けない陽介の悲痛な表情が、伸ばした手を弾くほどの錯乱ぶりが瑞月は忘れられなかった。

 同時に悟った。『ジュネスの息子』というレッテルの重さと、それを利用してくる周囲の束縛に彼がどれだけ苦しめられてきたのかを。年相応のやかましい明るさの裏に隠された、悲しく大人びた少年の横顔の正体を。

 陽介はずっと、耐えていたのだ。容赦なくのし掛かる『ジュネスの息子』という理不尽なレッテルの重みを。それによって降りかかる艱難辛苦に心を痛めながらも、年相応のやかましさを押し出した笑顔という名の仮面で必死でやり過ごしていた。

 理不尽と不条理という針の筵で簀巻きにされて、刺し傷だらけになった心の悲鳴をひた隠して。

 瑞月は陽介が抱えた問題の大きさを計り違えて、陽介を傷つけてしまったのだ。加えて、情けなくも陽介を傷つけた事実に、瑞月は己の傲慢を見た。

 瑞月は、陽介の実情を見ずに、思い上がりの善意を押しつけていたのだと。

 瑞月は、八十稲羽の生まれではない。家庭の事情があって養子に出され、縁あって八十稲羽に家を構える瀬名家に引き取られた。つまり、陽介と同じ、八十稲羽の外部から来た人間だ。
 引き取られた前後について、瀬名家の人々以外に良い思い出はない。周りの人間たちは特殊な生い立ちの瑞月をゴシップの対象として扱ったからだ。

 ”外から来た” ”養子” ”忌み子”。

 たったそれだけの薄っぺらい言葉で瑞月のすべてを知った気になり、まるで真綿で首を締め付け、さらにはその上から針で皮膚を刺すような、じくじくと痛みを伴う閉塞感を、周りは瑞月に強いてきた。

 自分と同じ苦しみを、友人である陽介にしてほしくなかった。
 陽介に傷ついて欲しくなかった。

 けれど瑞月の発言に取り乱した陽介に、その思想は瑞月の傲慢だと気がついた。
 瑞月はかつての自分と似た境遇にいる陽介を助けて、過去に辛酸を嘗めた自分を救った気になっているだけだ。

(私は、花村の不幸を、食い物にしていた)

 助けることもできない過去の自分を助けるために。
 これを傲慢と言わず、何と言うのか。

 陽介を傷つけたその日、瑞月は己を呪い、疑った。
 瑞月が抱いていた陽介に対する尊敬なんて実はなくて、ただ瑞月の都合がいいように利用しているのではないか? あの優しい、心から優しい陽介を、自分にとって都合のいい道具として扱っているのではないか? 『花村陽介』というかけがえのない人間性を持つ男の子の意思と未来を、瑞月の傲慢によって踏み潰そうとしてはいないか?

 くよくよと悩む自分が情けなくて、何よりも己の惨めを覆い隠すために、陽介と並んでいた自分が情けなくて。
 瑞月は、陽介から逃げた。

 だが、いくら思い悩んだところで、瑞月が陽介を傷つけた事実は変わらない。だからせめて、友人ではなくとも、人として誠実でありたいと願った。

 怖じ気づく心を叱責して──友人である千枝の励ましもあって──瑞月は陽介に謝ると決めた。

(けれど、彼を待つ間、私はずっと────寒かった)

 冷たい木枯らしのせいでもなく、辰姫たつひめ神社の無機質な石畳のせいでもなく、
 血潮を産み出すはずの心臓が、寒いと叫んでいた。
 そのとき、気がついたのだ。

(ああ、そうか……)

 瑞月は怖かったのだ。初めて得た、家族以外の心地よい居場所である彼の隣を失ってしまうのではないかと。
 陽介を傷つけて逃げた、己の傲慢を押しつけた瑞月が、彼の隣を求める資格なんてないのに。

 なのに。
 それなのに。

瀬名……! ど、こだ……?』

 陽介は、来てくれた。逃げたはずの瑞月の下に。
 気を失うほどに身体を酷使してまで。倒れ込んだ彼の身体の、焚き火のような熱が、冷えた瑞月の身体に染みていった感覚を覚えている。

『でも、瀬名は俺のこと、一度だって『ジュネスの息子』とか言ったりしなかった。ただの同級生とか友達として扱ってくれてさ。それがすごく居心地良かったんだよ』

 そうして、瑞月の行動を「助けられた」と認めてくれた。

『でも、でもっ……! お前は、なにも悪くないじゃんか。み子でも、何でもない、タダの女の子なのにっ……! なのに、なんで、そんな……』

 それどころか、怒ってくれた。
 瑞月を弄んだ過去の理不尽に。お前は傷ついていい存在ではないと、顔を歪めて。

 そのとき、瑞月は救われた気がしたのだ。
 理不尽に傷つかざるを得なかった過去の幼い自分が。それでも耐え忍んで歩いてきた自分が。しがらみという、幾重の鎖に繋がれて呼吸に喘いでいた自分が。

 正当に扱われることなく傷つけられた幼い自分が、陽介の隣で、
 初めて正当に扱われ、救われた気がした。

(きっと私は、彼の優しさに救われた)

 和解に至った日、仲直りのために陽介とは再び握手を交わした。
 そのときの陽介の表情を、瑞月は鮮明に覚えている。

 情けなく下げられた眉の下に表れた、幼子のように無邪気で優しい、太陽のように温かく、眩しい笑顔。
 まるで、陽介の優しさそのものだった。
 八十稲羽の息がつまるような閉塞感に苛まれようとも、決して失われなかった彼の優しさ。

 無垢で、真っすぐで、脆くて──でも強くて、温かい。
 冷たい泥のなかでも、日だまりの輝きを放つ宝石のような、優しい陽介そのものの笑み。

 一生、忘れることなど、ないだろうと思えるほどに、きれいなきれいな笑みだった。

(私は、こんなに優しく笑えるひとを失いたくない)

 だからこそ、瑞月は守ると誓った。稀有な優しさを持つ陽介を。
 彼を不当に傷つけるものは、何であろうと許さないと。

 そうして、彼の手を瑞月は握り返した。
 つよくつよく、あなたを守ると、約束を結ぶかわりに。
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