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花村陽介と瀬名瑞月の出会いは、俗にいえば最悪なのだろう。
なんせ、陽介が転倒させた自転車が起こした水しぶきが、瑞月をずぶ濡れにしたという代物だったのだから。
だが、瑞月にとっては洗濯が面倒なくらいで、水濡れになることは特に問題ではなかった。ただ、悪天候での軽率な運転は間違いなく問題だったから、反省を受け取って陽介との関係は手切れにするつもりだった。
しかし、それでは陽介の気は済まなかったらしい。
『じゃあ、なんか瀬名さんが困ってることあったら、俺を使ってください。頼む! このままじゃ情けかけられたこと一生後悔するから』
まるで取引先と関係を打ち切られるサラリーマンのような必死さで、陽介は瑞月に懇願したのである。あまりの間に迫る様子に、断ったら何かしら面倒を残すとは想像に難くない。
瑞月の望みは騒ぎのない『平穏』だ。なれば、人間関係に大なり小なり禍根を残したくはなかった。ゆえに、瑞月が担当していた文化祭の補佐に任命したのだ。
陽介はよく働いた。実働員としても優秀だったが、彼は対人関係の折衝に長けていた。文化祭の設営では、クラスメイトの適正や体力を把握し、適切な配置を行った。
ときに渋る生徒をなだめたり、疲労の溜まった生徒を励ましたりして。転校生で、クラスとの交流が浅い身の上にもかかわらず、だ。
瑞月以外の文化祭クラス委員を押しのけて、そのコミュニケーション能力は抜群に高い。その結果である模擬店の設営スピードには瑞月も舌を巻いたほどだ。聞けば文化祭当日も、ホールスタッフとして並々ならぬ活躍をしていたらしい。
しかも、陽介は善良で、優しい人間だった。
発注ミスの損失を補うために、単身農家に走った瑞月を追いかけてきた。なぜと理由を尋ねると彼は切れた息を整えながら、こう言ったのだ。
『ぜぇ……一人で、怪我でもしたら大変だろうが……俺も、手伝うっての』
今にも倒れそうなのに、何を言っているんだろう。と、瑞月は首をかしげた。だが、疲労困憊の身であるにも関わらず、陽介は畑仕事に懸命に取り組み(実際、1人でやるよりも作業時間は短縮されたので感謝している)、野菜を収穫し終えた。
そのときの、額を流れる汗を乱雑に拭った、泥まみれになった陽介の大きな手のひらを、瑞月は覚えている。
覚えていたって、何になる訳でもないのに。
瑞月の異常はここから始まった。瑞月の内に奇妙な違和感──胸の内側に穴が開いて、そのなかで何かが蠢くような、落ち着かない感覚が生まれたのだ。
文化祭の準備は順調に進むたび、奇妙な違和感は大きくなっていく。
それが文化祭の終わりに、陽介と別れる寂しさだと気がついて、瑞月は戸惑った。
誰かとの別れに、胸の中が空くような寂しさを覚えたのは、初めてだったから。
なぜなら、瑞月にとって他人は『どうでもいい』存在だった。いても、いなくても変わらない。もしくは、瑞月に──ときには瑞月の家族に危害を加えてくる。瑞月にとっては忌避すべき存在。
そんな存在に、情を抱くほど深い関係を築く必要などない。ゆえに、他者との交流を最低限に留める術を瑞月は身につけたのだから。
けれども、陽介は違った。
瑞月がいくらはねつけようと、彼は手を伸ばしてきた。
しかも、彼はその理由さえいたって善良だった。
「瀬名が大変そうだから」
ただ、それだけだ。
邪な思惑なんて一切なかった。
瑞月が忌避する”他人”の定義と外れた人間、それが花村陽介だった。
気づけば、瑞月は花村陽介という人間に興味を持っていた。
そうして、瑞月と陽介は文化祭終了後も友達として関係を継続している。陽介が、どうしても友達になりたいと頼み込んできたからだ。陽介は期限付きの関係を逆手にとって、新たに交友を築こうと言い出したのである。
陽介の熱意に折れる形で、瑞月は承諾した。ひとりを望んだ瑞月が、なぜか。
ひとえに言えば、興味と打算だった。
陽介の対人能力は稀有な高さだ。親交を持っておいおけば、文化祭のような大勢を統率する面倒が起こった時に都合がいい(のちに、陽介を通じて友人が2人増えたのは誤算であったが)。
下心の見え透いた実益と、自分の興味。
瑞月が陽介と交友を持った理由は本当に利己的なものだった。
だが、下心があったとして、友達になった以上は陽介に何かあった場合、瑞月は助ける心づもりだった。別に思いやりといった高尚な理由ではない。瑞月の傍にいようとする陽介が心を乱していたのなら、瑞月も落ち着かなくなるからだ。
そういうリスクも承知の上で、瑞月は陽介との交友を受け入れた。
一度決めたならば、責任を押し通すべき。それが瑞月の考えだった。
こうして瑞月は、おのれの『平穏』の中に陽介を含めると決めた。
陽介と親睦を深めるために、それなりの交流を持った。
陽介は明るく、多弁だ。ただ、ときおり無理を押して喋っているのではと思うほど、舌を回すときがある。それが鬱陶しかった。
心から楽しんで喋ってくれるのならいい。けれど、焦ったように舌を回されると、「そんなに無理しなくてもいいのに」と、瑞月はどうしてか、胸がゾワゾワして切ない気持ちになるから。
だから瑞月は、彼を強引に昼寝へと誘った。黙っていようが、瑞月は陽介を見限らないと知らせておきたかったのである。瑞月はあまり人を笑わせる会話は得意ではないから、黙っていても何も問題はないのだと。
結果、効を奏したらしい。昼寝の次に会ったときから、会話が途切れても無理に話そうとしなくなった。少なくなった会話とは裏腹に、親密さは増したようで、会話が砕けたものになっていった。
そして、陽介はときたま瑞月の横で眠るようになった。そのとき初めて知ったが、安らかに眠る彼の寝顔は存外幼かった。
長いまつげに縁取られた瞳を伏せて、無防備に開いた唇から小さな吐息を漏らす姿に庇護欲を掻き立てられて、ときどき瑞月はこっそりと眠る陽介の頭を撫でた。彼の外跳ねした髪の毛は意外と柔らかい感触で、瑞月は気に入っている。
そうして積み重ねた時間は、瑞月の中にある陽介への興味を解消するどころか、より深いものにしていった。
知れば知るほど、花村陽介は不思議な男だった。普段のやかましく年相応な明るさとは裏腹に、沈黙の中ではどこか寂しそうな、ともすれば悲しく大人びた少年の横顔を見せる。その2面性が瑞月には興味深かった。
ただ、いつでも、優しく思いやりのある人間性は一貫していた。
それを確信したのは、彼のバイト先であるジュネスにて、佳菜 ——瑞月の最愛の妹——を優しく諭して面倒を見る彼と遭遇したときだ。瑞月の最愛の妹を、陽介はそうとは知らずとも大切に扱ってくれた。
それだけのこと。と誰かは言うかもしれない。
だが、佳菜に優しく接するというのは、彼女が抱えた身体的な特徴から難しいのだ。
佳菜の母親は、異国の血を引くクウォーターである。その血を引いたため、佳菜は若草色のきれいな瞳を持っていた。瑞月を含めた家族は、佳菜が生まれ持った素敵なものとしてその瞳を扱っている。
しかし、周りはそうとはいかない。八十稲羽の人間の中には奇異の目を佳菜に向けてくるものがいる。異国の血が混じっているから奇妙な子という、根拠と事実の釣り合わない偏見で。
しかし、陽介は初めて会ったばかりの佳菜にも親身になって保護者を探そうとしてくれた。容姿に驚いたのも一瞬で、アルバイトという役割から外れた後も、しっかり目線を合わせて佳菜と遊んでくれた。
その無垢な善良さと優しさに、瑞月は陽介に興味と──尊敬を覚えたのだ。同時に、陽介を友達として手放してはならないという奇妙な予感も。
陽介との友情が打算ではなくなった瞬間だった。
なんせ、陽介が転倒させた自転車が起こした水しぶきが、瑞月をずぶ濡れにしたという代物だったのだから。
だが、瑞月にとっては洗濯が面倒なくらいで、水濡れになることは特に問題ではなかった。ただ、悪天候での軽率な運転は間違いなく問題だったから、反省を受け取って陽介との関係は手切れにするつもりだった。
しかし、それでは陽介の気は済まなかったらしい。
『じゃあ、なんか瀬名さんが困ってることあったら、俺を使ってください。頼む! このままじゃ情けかけられたこと一生後悔するから』
まるで取引先と関係を打ち切られるサラリーマンのような必死さで、陽介は瑞月に懇願したのである。あまりの間に迫る様子に、断ったら何かしら面倒を残すとは想像に難くない。
瑞月の望みは騒ぎのない『平穏』だ。なれば、人間関係に大なり小なり禍根を残したくはなかった。ゆえに、瑞月が担当していた文化祭の補佐に任命したのだ。
陽介はよく働いた。実働員としても優秀だったが、彼は対人関係の折衝に長けていた。文化祭の設営では、クラスメイトの適正や体力を把握し、適切な配置を行った。
ときに渋る生徒をなだめたり、疲労の溜まった生徒を励ましたりして。転校生で、クラスとの交流が浅い身の上にもかかわらず、だ。
瑞月以外の文化祭クラス委員を押しのけて、そのコミュニケーション能力は抜群に高い。その結果である模擬店の設営スピードには瑞月も舌を巻いたほどだ。聞けば文化祭当日も、ホールスタッフとして並々ならぬ活躍をしていたらしい。
しかも、陽介は善良で、優しい人間だった。
発注ミスの損失を補うために、単身農家に走った瑞月を追いかけてきた。なぜと理由を尋ねると彼は切れた息を整えながら、こう言ったのだ。
『ぜぇ……一人で、怪我でもしたら大変だろうが……俺も、手伝うっての』
今にも倒れそうなのに、何を言っているんだろう。と、瑞月は首をかしげた。だが、疲労困憊の身であるにも関わらず、陽介は畑仕事に懸命に取り組み(実際、1人でやるよりも作業時間は短縮されたので感謝している)、野菜を収穫し終えた。
そのときの、額を流れる汗を乱雑に拭った、泥まみれになった陽介の大きな手のひらを、瑞月は覚えている。
覚えていたって、何になる訳でもないのに。
瑞月の異常はここから始まった。瑞月の内に奇妙な違和感──胸の内側に穴が開いて、そのなかで何かが蠢くような、落ち着かない感覚が生まれたのだ。
文化祭の準備は順調に進むたび、奇妙な違和感は大きくなっていく。
それが文化祭の終わりに、陽介と別れる寂しさだと気がついて、瑞月は戸惑った。
誰かとの別れに、胸の中が空くような寂しさを覚えたのは、初めてだったから。
なぜなら、瑞月にとって他人は『どうでもいい』存在だった。いても、いなくても変わらない。もしくは、瑞月に──ときには瑞月の家族に危害を加えてくる。瑞月にとっては忌避すべき存在。
そんな存在に、情を抱くほど深い関係を築く必要などない。ゆえに、他者との交流を最低限に留める術を瑞月は身につけたのだから。
けれども、陽介は違った。
瑞月がいくらはねつけようと、彼は手を伸ばしてきた。
しかも、彼はその理由さえいたって善良だった。
「瀬名が大変そうだから」
ただ、それだけだ。
邪な思惑なんて一切なかった。
瑞月が忌避する”他人”の定義と外れた人間、それが花村陽介だった。
気づけば、瑞月は花村陽介という人間に興味を持っていた。
そうして、瑞月と陽介は文化祭終了後も友達として関係を継続している。陽介が、どうしても友達になりたいと頼み込んできたからだ。陽介は期限付きの関係を逆手にとって、新たに交友を築こうと言い出したのである。
陽介の熱意に折れる形で、瑞月は承諾した。ひとりを望んだ瑞月が、なぜか。
ひとえに言えば、興味と打算だった。
陽介の対人能力は稀有な高さだ。親交を持っておいおけば、文化祭のような大勢を統率する面倒が起こった時に都合がいい(のちに、陽介を通じて友人が2人増えたのは誤算であったが)。
下心の見え透いた実益と、自分の興味。
瑞月が陽介と交友を持った理由は本当に利己的なものだった。
だが、下心があったとして、友達になった以上は陽介に何かあった場合、瑞月は助ける心づもりだった。別に思いやりといった高尚な理由ではない。瑞月の傍にいようとする陽介が心を乱していたのなら、瑞月も落ち着かなくなるからだ。
そういうリスクも承知の上で、瑞月は陽介との交友を受け入れた。
一度決めたならば、責任を押し通すべき。それが瑞月の考えだった。
こうして瑞月は、おのれの『平穏』の中に陽介を含めると決めた。
陽介と親睦を深めるために、それなりの交流を持った。
陽介は明るく、多弁だ。ただ、ときおり無理を押して喋っているのではと思うほど、舌を回すときがある。それが鬱陶しかった。
心から楽しんで喋ってくれるのならいい。けれど、焦ったように舌を回されると、「そんなに無理しなくてもいいのに」と、瑞月はどうしてか、胸がゾワゾワして切ない気持ちになるから。
だから瑞月は、彼を強引に昼寝へと誘った。黙っていようが、瑞月は陽介を見限らないと知らせておきたかったのである。瑞月はあまり人を笑わせる会話は得意ではないから、黙っていても何も問題はないのだと。
結果、効を奏したらしい。昼寝の次に会ったときから、会話が途切れても無理に話そうとしなくなった。少なくなった会話とは裏腹に、親密さは増したようで、会話が砕けたものになっていった。
そして、陽介はときたま瑞月の横で眠るようになった。そのとき初めて知ったが、安らかに眠る彼の寝顔は存外幼かった。
長いまつげに縁取られた瞳を伏せて、無防備に開いた唇から小さな吐息を漏らす姿に庇護欲を掻き立てられて、ときどき瑞月はこっそりと眠る陽介の頭を撫でた。彼の外跳ねした髪の毛は意外と柔らかい感触で、瑞月は気に入っている。
そうして積み重ねた時間は、瑞月の中にある陽介への興味を解消するどころか、より深いものにしていった。
知れば知るほど、花村陽介は不思議な男だった。普段のやかましく年相応な明るさとは裏腹に、沈黙の中ではどこか寂しそうな、ともすれば悲しく大人びた少年の横顔を見せる。その2面性が瑞月には興味深かった。
ただ、いつでも、優しく思いやりのある人間性は一貫していた。
それを確信したのは、彼のバイト先であるジュネスにて、
それだけのこと。と誰かは言うかもしれない。
だが、佳菜に優しく接するというのは、彼女が抱えた身体的な特徴から難しいのだ。
佳菜の母親は、異国の血を引くクウォーターである。その血を引いたため、佳菜は若草色のきれいな瞳を持っていた。瑞月を含めた家族は、佳菜が生まれ持った素敵なものとしてその瞳を扱っている。
しかし、周りはそうとはいかない。八十稲羽の人間の中には奇異の目を佳菜に向けてくるものがいる。異国の血が混じっているから奇妙な子という、根拠と事実の釣り合わない偏見で。
しかし、陽介は初めて会ったばかりの佳菜にも親身になって保護者を探そうとしてくれた。容姿に驚いたのも一瞬で、アルバイトという役割から外れた後も、しっかり目線を合わせて佳菜と遊んでくれた。
その無垢な善良さと優しさに、瑞月は陽介に興味と──尊敬を覚えたのだ。同時に、陽介を友達として手放してはならないという奇妙な予感も。
陽介との友情が打算ではなくなった瞬間だった。