幕間 雪子と彼女とテスト勉強と
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「瑞月ちゃん、今日はありがとう。おかげで今回の数学はよくできそうな気がする」
「そうか。細やかながら、天城さんの力になれたのならよかった」
下校時刻まで目いっぱい勉強をして、雪子と瑞月は並んで帰路についた。学びへの理解が深まった、気持ちのいい充足感が雪子の中ではいつもより強い。
「実家にいたら、ここまでできなかったと思う」
「……実家というのは、天城屋旅館のことか?」
「うん、今日はちょっと感覚が敏感になっててね。旅館の物音とか、そういうのがどうしても気になっちゃったんだ。…………!」
本音が口を突いて出てしまった。雪子は口元を片手で覆う。
仲居さんたちが支度に奔走する音、厨房から聞こえる鍋の煮立つ音、お客様の賑やかな会話。慣れ親しんだはずなのに、たまに煩わしく感じてしまう。
それが雪子には辛かった。自身を育んでくれた旅館を煩わしく思ってしまう、恩知らずな自分が。
今日がその日だったから、雪子は図書室で自習しようと決めたのだ。
しかしどうして、知り合ったばかりの瑞月に言ってしまったのだろうか。恐る恐る瑞月に目を向けると、彼女は鷹揚に頷いた。
「私も同じだ。ときどき、家では落ち着かなくなって、別の場所で勉強することがある。気分転換は大事、ということだな。……安心してくれ、誰にも言わない」
形のいい唇に、真顔で人差し指を立てる。その仕草が千枝から借りた少女漫画的にドキドキするほど滑らかなのに——表情筋が完璧に死滅していた。くちびる真一文字な無表情にときめく仕草。
そのギャップが雪子にとって命取りだった。
「……ふ」
「雪子さん?」
「ふふ、ふふふ、むふふふふ」
「ゆ、雪子さん?」
ダメ、と雪子は懸命に口元を押さえる。だがこみ上げた笑いは止まらない。唇真一文字少女漫画の仕草がリフレインして雪子を内側からくすぐった。困惑する瑞月にも構わず、雪子は揺れる身体を抑えつけた。
「ふふ、ごめん、瑞月ちゃん、っふ、面白い仕草するから」
「そ、そうか? 今のは面白いのか。……笑いのツボとは分からないところに転がっているのだな」
「————あはははははははッ!」
「雪子さんっ!?」
耐えきれないとばかりに、雪子はお腹を抑え込む。非常に真面目な顔で笑いのツボを分析する瑞月、ホールインワン。こうなっては、雪子自身――瑞月には申し訳ないが――止めようがない。
「あは、あははははははッ、ご、ごめッ、あはははっ」
「な、何かよく分からないが大変なコトなのだな。とりあえず――ビニール袋、使うか?」
「あはッ、あははっ、ひーっ、ひーっ、ふーっ」
「ラマーズ法か?」
正直、放っておいてほしい。わずかに残った理性で雪子が頭を振ると、雪子の背に温かいものが添わされた。困った末、瑞月は雪子の背を撫でてくれたのだ。一定のリズムで繰り返される手の動きに、雪子のひきつけのような笑いがじょじょに沈静する。
「はーっ、はぁぁー、——あ」
しまったと、雪子は固まった。雪子の謎めいた爆笑癖は、千枝や、家族を含めた旅館の関係者くらいにしか受け入れられていない。偶然目撃した人間は、大抵気の迷いとして雪子から目を背けるか、交友を築けずに離れていった。
おそるおそる、瑞月を伺う。雪子の予想は裏切られた。瑞月は心配をにじませた目で雪子を観察していた。
「雪子さん、大丈夫か? 苦しくはないか。やはりビニール袋を」
「あ、違う。違うよ! タダの癖なの」
「クセ?」
片眉を下げた瑞月に、なんとか言葉を言い募る。だというのに、恥ずかしさにから回った雪子の活舌は中々言葉を作れない。
「わ、私、幼い頃から面白いことがあると、ずっと笑っちゃうみたいで……その……」
「つまり、具合が悪くなったわけではないんだな?」
「う、うん」
雪子は目をつぶる。旅館の娘である自分のイメージを損なう真似をしてしまって、恥ずかしさで火を噴きそうだ。それを沈静したのもまた、瑞月の手のひらだった。
「そうか。なら良かった」
凛とした――けれど、子供をあやすように優しい言葉が降ってくる。雪子の笑い癖を瑞月は嫌厭したりしなかった。雪子の胸がジンとする。
大笑いした後でおぼつかない雪子を、瑞月は道路わきの街路樹の元へと手を引いた。街路樹に手をついた雪子が落ち着いて、頭をちゃんとあげられるようになったころ、彼女はくるりと背を向ける。
「雪子さん、髪が乱れている」
「あ……」
瑞月の言うとおり、頭を振りかざした反動から、雪子の髪はボサボサだった。瑞月はきっと『見ていないから直した方がいい』と暗に示しているのだろう。街路樹の元に移動したのも、幹を支えにするのと同時に、髪が乱れた雪子を隠すためだ。雪子は素直に従って、愛用のツゲ櫛で髪を梳く。その最中だった。
「話を戻そう。先程の発言について、私が誰かに言うことはない」
ツゲ櫛を繰る手を、雪子は止めた。先程とは、雪子が旅館を煩わしいと思った雪子の発言だ。雪子の立場を慮って、彼女は約束してくれたのだ。
「……ありがとう」
一瞬、雪子の頬に熱がめぐった。それをごまかそうと、ゆっくりゆっくり髪を梳く。
「そうか。細やかながら、天城さんの力になれたのならよかった」
下校時刻まで目いっぱい勉強をして、雪子と瑞月は並んで帰路についた。学びへの理解が深まった、気持ちのいい充足感が雪子の中ではいつもより強い。
「実家にいたら、ここまでできなかったと思う」
「……実家というのは、天城屋旅館のことか?」
「うん、今日はちょっと感覚が敏感になっててね。旅館の物音とか、そういうのがどうしても気になっちゃったんだ。…………!」
本音が口を突いて出てしまった。雪子は口元を片手で覆う。
仲居さんたちが支度に奔走する音、厨房から聞こえる鍋の煮立つ音、お客様の賑やかな会話。慣れ親しんだはずなのに、たまに煩わしく感じてしまう。
それが雪子には辛かった。自身を育んでくれた旅館を煩わしく思ってしまう、恩知らずな自分が。
今日がその日だったから、雪子は図書室で自習しようと決めたのだ。
しかしどうして、知り合ったばかりの瑞月に言ってしまったのだろうか。恐る恐る瑞月に目を向けると、彼女は鷹揚に頷いた。
「私も同じだ。ときどき、家では落ち着かなくなって、別の場所で勉強することがある。気分転換は大事、ということだな。……安心してくれ、誰にも言わない」
形のいい唇に、真顔で人差し指を立てる。その仕草が千枝から借りた少女漫画的にドキドキするほど滑らかなのに——表情筋が完璧に死滅していた。くちびる真一文字な無表情にときめく仕草。
そのギャップが雪子にとって命取りだった。
「……ふ」
「雪子さん?」
「ふふ、ふふふ、むふふふふ」
「ゆ、雪子さん?」
ダメ、と雪子は懸命に口元を押さえる。だがこみ上げた笑いは止まらない。唇真一文字少女漫画の仕草がリフレインして雪子を内側からくすぐった。困惑する瑞月にも構わず、雪子は揺れる身体を抑えつけた。
「ふふ、ごめん、瑞月ちゃん、っふ、面白い仕草するから」
「そ、そうか? 今のは面白いのか。……笑いのツボとは分からないところに転がっているのだな」
「————あはははははははッ!」
「雪子さんっ!?」
耐えきれないとばかりに、雪子はお腹を抑え込む。非常に真面目な顔で笑いのツボを分析する瑞月、ホールインワン。こうなっては、雪子自身――瑞月には申し訳ないが――止めようがない。
「あは、あははははははッ、ご、ごめッ、あはははっ」
「な、何かよく分からないが大変なコトなのだな。とりあえず――ビニール袋、使うか?」
「あはッ、あははっ、ひーっ、ひーっ、ふーっ」
「ラマーズ法か?」
正直、放っておいてほしい。わずかに残った理性で雪子が頭を振ると、雪子の背に温かいものが添わされた。困った末、瑞月は雪子の背を撫でてくれたのだ。一定のリズムで繰り返される手の動きに、雪子のひきつけのような笑いがじょじょに沈静する。
「はーっ、はぁぁー、——あ」
しまったと、雪子は固まった。雪子の謎めいた爆笑癖は、千枝や、家族を含めた旅館の関係者くらいにしか受け入れられていない。偶然目撃した人間は、大抵気の迷いとして雪子から目を背けるか、交友を築けずに離れていった。
おそるおそる、瑞月を伺う。雪子の予想は裏切られた。瑞月は心配をにじませた目で雪子を観察していた。
「雪子さん、大丈夫か? 苦しくはないか。やはりビニール袋を」
「あ、違う。違うよ! タダの癖なの」
「クセ?」
片眉を下げた瑞月に、なんとか言葉を言い募る。だというのに、恥ずかしさにから回った雪子の活舌は中々言葉を作れない。
「わ、私、幼い頃から面白いことがあると、ずっと笑っちゃうみたいで……その……」
「つまり、具合が悪くなったわけではないんだな?」
「う、うん」
雪子は目をつぶる。旅館の娘である自分のイメージを損なう真似をしてしまって、恥ずかしさで火を噴きそうだ。それを沈静したのもまた、瑞月の手のひらだった。
「そうか。なら良かった」
凛とした――けれど、子供をあやすように優しい言葉が降ってくる。雪子の笑い癖を瑞月は嫌厭したりしなかった。雪子の胸がジンとする。
大笑いした後でおぼつかない雪子を、瑞月は道路わきの街路樹の元へと手を引いた。街路樹に手をついた雪子が落ち着いて、頭をちゃんとあげられるようになったころ、彼女はくるりと背を向ける。
「雪子さん、髪が乱れている」
「あ……」
瑞月の言うとおり、頭を振りかざした反動から、雪子の髪はボサボサだった。瑞月はきっと『見ていないから直した方がいい』と暗に示しているのだろう。街路樹の元に移動したのも、幹を支えにするのと同時に、髪が乱れた雪子を隠すためだ。雪子は素直に従って、愛用のツゲ櫛で髪を梳く。その最中だった。
「話を戻そう。先程の発言について、私が誰かに言うことはない」
ツゲ櫛を繰る手を、雪子は止めた。先程とは、雪子が旅館を煩わしいと思った雪子の発言だ。雪子の立場を慮って、彼女は約束してくれたのだ。
「……ありがとう」
一瞬、雪子の頬に熱がめぐった。それをごまかそうと、ゆっくりゆっくり髪を梳く。