幕間 千枝と彼女とビフテキと

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 電話相手との会話が終わり、瑞月は携帯を閉じる。心なしか、通話を始める前よりも表情筋が硬い。それもそのはず。

「まさか直接、ケンカ中の相手に電話かけちゃうとはね……」

 電話相手は、瑞月と気まずい仲になっている陽介本人だった。瑞月は簡単な謝罪を述べた後、都合が良ければ話がしたいと話した。そしてなんと、今日会うことになったらしい。

「辰姫神社で午後3時だ。今日きちんと謝る」
「いや、思い切りいいな! さっきまで引け目感じてた相手に会おうとするなんて」
「そうしないと、逃げてしまいそうだったから」

 千枝のツッコミにも動じず、彼女はぎゅっと手のひらを握りしめる。元気がなく緩んでいた目じりは凛と張って、まるで清水の舞台から飛び降りる人は彼女のような面持ちなのだろう。

「花村と仲直りができるよう、逃げずに話して、謝る」

 一言一句、瑞月は自身に言い聞かせるように、はっきりと発語する。陽介と会うにあたって、覚悟を決めているらしい。瑞月の決意の強さに千枝は心を打たれた。頑張る人の背中は押してあげたい。ポンッと千枝は瑞月の肩を軽くたたく。

「よし、言ったね。だいじょぶ、もし仲直りできなかったら、アタシが花村の頭にかかと落としてやるから」
「絶対に仲直りする。花村が再起不能になってしまうのは嫌だ」

 身をカチコチに固めながら、瑞月は青い顔で宣言した。ふだん冷静な彼女からは想像できない慌てた様子が面白い。千枝は固くなった瑞月へと、意外さとともに問いかけた。

瑞月ちゃんってさ、変わったよね。文化祭のときから」
「交友関係のことか?」
「それもそうなんだけど……。優しくなったというか、うーん、人に向ける関心が広がったというか」
「学校への関心はいつだってある。林間学校も、中間テストも欠席にした覚えはない」
「えーと、そうなんだけど、そじゃなくてね……」
「?」

 頭上にハテナを浮かべて、瑞月は首をかしげる。そういうところが変わったと、千枝は言いたいのだ。

 ***

 入学当初の瑞月を千枝は覚えている。雪子に勝るとも劣らない美しさの彼女は、当時クラスで話題となり、声をかける人間も少なくなかった。かく言う千枝もその一人だ。

 だが、クラスの誰一人として、彼女と交友を持った者はいなかった。一緒に下校しないか、と誘ったときの彼女を千枝はよく覚えている。

『すまないが、予定があるんだ。先に失礼する』

 取り付く島もなく、彼女は千枝の誘いを断った。端麗な面差しは微動だにせず氷のような冷たさを放ち、よく通る、しかし熱のない言葉に拒絶がありありと浮かべられていた。

 ***

瑞月ちゃんって誰かと一緒にいたことなかったから。いつも、一人でいてさ──」

 外界と自分を、完全に見えない壁で切り離しているようだった。クラスとの関りは最小限に留め、ただでさえ少ない動作であっても決して自分の内側にある感情は一つとしてこぼさないよう堅く堅く閉じ込め、周囲を冷気で遠ざける、氷像のような人。それが文化祭前までの瀬名瑞月だったのだ。

「でも、ナヨナヨしたところなんか全然なくて、モロキン相手でもはっきり意見言えるし、すごい自立した子だなって」

 にべもない瑞月に取り入る者などいない。かといって、コケにする人間もいなかった。
 瑞月相手では、あの尊大なモロキンでさえ尻込みする。何者にも媚びず屈しない瑞月は、八校一年にて一目置かれている存在なのだ。本人はきっと知らないだろうが。

「意見? 諸岡先生に意見したことなどほとんどないが。せいぜい、政経の時間に長引いた説教をやめさせる程度だ」
「イヤ十分すごいから。他にも、モロキンを一学期のテストでコテンパンにしたとか」
「それは誤解だ。バイト先について苦言を呈した諸岡先生に認めてもらうために、彼が示した及第点を取っただけだ。コテンパンにはしていない」

 いやそれコテンパンにしたんと同じやん。と喉元までこみ上げたツッコミを千枝は抑えた。こともなげに首を振る瑞月には、きっと言っても通じない。彼女の表情は見慣れた無表情に戻っていた。

 無感情な、瑞月の凪いだ冷たい美貌。それこそが、彼女の象徴だった。周囲の人間にどう見られようが、何をされようが眉一つ動かさず、自分の力で進んでいく。乱されはしない、完成した、能面じみた面差し。

 けれど、今は──

「──やっぱ、瑞月ちゃんが変わったきっかけってさ、花村だったりする?」

 瑞月の瞳孔が丸くなる。やっぱり変わったなと、千枝は人間らしい瑞月を眺める。モロキンの長広舌にも崩れない、整った無表情がたった一言で瓦解してしまうのだから。

「……そうだな。あんなに優しくて、誠実な人を、私は初めて見たよ」

 瑞月は瞳を閉じる。そうしてゆっくりと瞼を開いた彼女は、ゆるりと笑った。

「花村がいたから、自分の世界を広げてみようと思ったんだ」

 千枝は呆気にとられた。目じりを優しく細めて柔和に笑う彼女に。氷のような冷たさは溶けて、雪の下に淡く咲いた花のように温かい笑みだった。簡単に言えば、慈愛に満ちていた。

 なぜか分からないが、千枝はお腹いっぱいになった。押し出された疑問を千枝はそのまま口に出す。

瀬名さんって、もしかして花村のことすごい好き?」
「そうだな。友人として好ましい人間だと思うし、誠実な一面は尊敬している」

 生真面目に、瑞月は答えた。ちょっと想定している答えと違って千枝は戸惑う。瑞月が見せた感情って、こう、青春によくある甘酸っぱい感情ではないだろうかと。

「うーそうマジメな答えじゃなくて。もうそれこ──」
「──ないよ。これは友愛であって、恋じゃない」

 ピシャリと、瑞月は否定する。いつの間にか、彼女は自嘲気味に頬を歪めていた。どこか辛そうな様子の彼女に、千枝は何か声をかけたかったが──黙るしかなかった。安易な励ましの言葉をかけてはいけない雰囲気だったからだ。

「それにね、私はむかし、決めたんだ」

 ──誰かと睦み合う未来は生きないって。

 言葉は戒めのように厳かで。呟いた瑞月の声は低く、重く、
 まるで鎖で巻かれた罪人のように苦しそうだった。
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