彼女の母
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
水奈子はふさがらない口を何とか動かして、驚いた理由を明かした。陽介もまた、衝撃で口を開ける。母親である水奈子の反応に偽りはない。瑞月が文化祭実行委員としての活動していた事実を、彼女は本当に知らないようだ。
「そ、そんな大変なお仕事していたなんて……! 『ちょっと文化祭を手伝うだけの役目』ってあの子言っていたのに」
嘘ではない。嘘ではないけれど、『ちょっと』の守備範囲が広すぎる。内心で陽介は突っ込んだ。水奈子はというと、ううと弱々しく呻いて両手で表情を覆い隠した。
「み、水奈子さん……? 大丈夫っすか?」
「すみません……。家族として瑞月ちゃんの生活を把握していなかったことへの不甲斐なさと、瑞月ちゃんが私のために身体を張って頑張ってくれたことへの嬉しさで変な顔になっています」
どうやら、陽介は地雷というか、水奈子にとって繊細な話題に突っ込んでしまったらしい。
驚いた様子から一転して、そういえば家でも作業していた……、そういえば文化祭で全然顔を見なかったなど、顔を覆った水奈子は憂いいっぱいの苦言を流している。このままでは和やかな会話など程遠い。非常によくない流れだ。
「そ、そーなんすよ! 瀬名のやつ頑張ってて。メニューとかもすげーウマくて……あ、そういやメニューに使われてたトマトソース、水奈子さんが作ったんすよね!? 実際に商品として売ってるヤツ」
「え? ええ。たしかに農産組合の方たちと開発をご一緒させていただきましたが……」
「そう、それ! 俺、都会から越してきたばっかだったんですけど、瀬名の作ったピザ食べて、地元にこんなうまいモノがあるんだって感動したんスよ」
「本当ですか!?」
水奈子は両手を打ち合わせる。暗い様子から一転して、彼女は明るい様子で陽介に食い下がった。ニコニコとした水奈子の笑みは、窓から降り注ぐ光を上回らんほどにまばゆい。
「嬉しいです! この土地に越してきたばかりの人に、稲羽の野菜を使った品を褒めていただけて。地元の方たちはもちろん、遠方の方々にも稲羽の野菜を何とか宣伝できないかと思って作った商品でしたので」
陽介は胸をなでおろす。どうやら、落ち込んだ水奈子の立て直しを図れたようだ。
「え、じゃあ、稲羽以外にも広まるように作ったんですか」
「そうなんです。稲羽固有の野菜って独特の見た目をしているから、知らない人は怯えてしまう場合が多いんですよね。人の形をしたナスだったり、光り輝くメロンだったり」
「……なんか、ゲームのアイテムみたいっすね」
率直な陽介の言葉に、水奈子は大きな若草色の瞳を引き絞る。何をそんなに驚いているのか、陽介は思い至り、ハッとした。楽し気な水奈子を前に、ついつい敬語が崩れてしまっていたのだ。
「うわ、すんま──」
「ふふふ、大丈夫ですよ」
頭を下げようとする陽介を、水奈子は手で制した。陽介が顔を上げた先で、水奈子は楽しそうに笑んだ口元を覆い隠している。
「だいぶ肩の力を下ろしてくださって嬉しいです。私は口調がこんな“ですます調”ですし、急に花村くんを呼び出した身の上で、話を気軽にできるくらい打ちとけてくださるか不安だったんですよ」
そういって、水奈子はほっと息を吐き出した。初対面の人間にも不安も包み隠さず明かせる、天真爛漫な女性らしい。瑞月の妹である佳菜と通じるところがある。やはり親子なのだと取り留めなく思う陽介を水奈子はまっすぐと見つめた。
陽介は身を固くする。友達の親に会うということで、普段の派手なトップスは控えて、マリーゴールドのカーディガンと白字のVネック、ブラウンのチノパンという、陽介の私服の中では落ち着いたものを身に着けている。気に入らなかっただろうかと、焦った陽介とは裏腹に、水奈子は柔和に笑った。
「そのカーディガン、落ち着いた感じがするのに明るく温かい色合いで、落葉が鮮やかな季節にぴったり」
「あ、ありがと、ございます」
彼女は瑞月の母親で間違いなかった。外見はまったく似つかないが、さらっと人を褒めるところがもろかぶりだ。突然の誉め言葉に動揺する陽介を眺めて、水奈子はころころと笑う。
「瑞月ちゃん。初めてできたお友達が、こんなおしゃれで社交的な男の子だったんですね」
水奈子は引き続き、陽介を褒める。しかし、照れるよりも先に、ある言葉が陽介の耳をついた。水奈子は陽介を『初めてできた友達』と言ったのだ。彼女はそれまで陽介をまっすぐに向けていた視線を、テーブルの上に落とす。一瞬、その瞳に寂しそうな陰りが差す。
「だから、会ってみたかったんです。瑞月ちゃんの初めてのお友達がどんな子なのか、それに、瑞月ちゃんが学校でどう過ごしているのか知りたくて」
しかし、水奈子は再び陽介に向けて笑った。ふんわりと笑う表情に後ろ暗い好奇心はなく、友好的な、仲良くなりたいという真摯な想いが現れている。
「だから、花村くんのことも聞かせてくださいね。花村くんは『引っ越してきた』と言いましたが、それはいつからですか?」
「ああ、ちょうど10月の初めあたりっすね。俺、親父が——──」
陽介が話し始めたあたりで、ウエイターがアメリカンコーヒーとお茶請けのお菓子を持ってきてた、水奈子は事前に頼んでいた紅茶を、陽介はアメリカンコーヒーを飲みながら、2人は交互にプロフィールを教えあった。
水奈子は料理研究家で、稲羽の農産物を普及する活動に従事しているという。稲羽産の野菜を使った商品開発や飲食店メニューの考案、稲羽の食料品の宣伝、一般向けレシピの開発などその活躍は手広い。
「このお店『La Pause』のメニューの開発に関わらせていただきました。文化祭のピザで使った野菜ソースも取り扱ったメニューがあるんですよ」
「そうなんですか! あれ、旨かったからどこで売ってるのか気になってたんすよね」
「今のところ取り扱いは直売所くらいですね。機会があれば、通信販売や地元スーパーとの取引も伺っています。ご興味があれば、仕事用の名刺を渡しておきましょうか? 花村くんのお父さんはジュネスの店長さんでしたものね」
「え、いいんすか?」
陽介はぽかんと間抜けに口を開ける。ジュネスは商店街をはじめとした地元民とは隔たりがある。伸ばした手も、撥ねつけられる事態だって珍しくない。
だが、水奈子はごく自然に手を伸ばしてきた。色眼鏡ではない、真っ直ぐな瞳が陽介を映し出す。
「商品を手に取ってもらえる取り扱い場所が増えるなら、嬉しいですもの。私は閉じた場所で自分の商品を終わりになんてしたくない。色々な人に自分が携わった商品を知ってもらいたいですから」
水奈子が静かに笑う。若草の穏やかな瞳には強い意志を湛えた光が宿っていた。陽介はしばらく言葉を忘れて水奈子を見つめていた。
水奈子は、地元に関わる人間ではある。だが、外部から来たジュネスを敵視するのではなく、利害ありで協力関係を結ぼうとする人間は水奈子が初めてだった。
そして、『ジュネスの店長』としての陽介を不満や不当な要求のはけ口とは別の形で──具体的には軋轢の多い人間関係のクッションとしてではなく、友好的な利益を生み出すきっかけとして関わってくれることが。
そういう風に、陽介たちを見てくれる人がいるのだと、陽介が喉の奥が感動でつかえる。なんとか堪えて、陽介は言葉を絞り出した。
「なんか……そういう風に扱ってもらえるの嬉しっす。部外者じゃなくて、地域の店の一つとして見てくれんの」
「私もジュネスにお世話になっている一人ですから。子育てをする身からすると、一か所で生活用品を揃えられるのは本当にありがたいです。だから、もし協力できることがあれば手を取りたいと思っています」
照れ臭そうに鼻の下をこする陽介に対し、水奈子は柔和な笑みで名刺を滑らせる。受けとった紙片には、たしかに水奈子の名前とアドレスが記されていた。
「ちょっとすんません」
陽介は二つ折りの財布を取り出し、名刺をしまう。見つめている折り目が付かないように水奈子の名刺を丁寧にポケットに収めた。その様子を、息をのんで見つめている水奈子に陽介は気が付かない。財布に名刺をしまい終わった陽介はふと思ったことを告げた。
「やっぱり親子なんすね」
「え?」
水奈子が首をかしげる。言葉が足りなかったなと、陽介は口を開く。陽介にとって大切な思い出を、水奈子になら明かしてもよいと思ったのだ。
「俺、初めのころは『転校してきたヤツ』ってことで、クラスでは浮いてる感じだったんすけど──瑞月さんは俺のことクラスメイトの一人として扱ってくれました。そういう分け隔てないところ、瑞月さんと親子なんだなって」
外部から来た人間であろうと、仲間外れにしないところが、瑞月と水奈子はよく似ている。
「そんで偶然なんですけど、誘われて文化祭の準備を手伝ってたら、クラスのやつらともちょっとは馴染めるようになったんです」
文化祭前、陽介はクラスで浮いた存在だった。里中や天城、一条や長瀬といった友人はいたけれど、『都会からの転校生』や『ジュネスの息子』というレッテルが付きまとっていて、他のクラスメイトからが針をチクチクと刺すような険しい視線にさらされていた。
けれど、文化祭を経た後、クラス内での居心地は良くなったと思う。文化祭で奮闘する陽介を見て、『クラスメイトとしての花村陽介』を認識するようになったのだろう。クラスメイトに話しかけてもツンケンした態度を取られる機会はぐっと減った。さすがに商店街関係者は厳しいが。
瑞月の友人であるというのに、自分の情けなさをさらしてばかりでこそばゆい。陽介はガシガシと頭を掻いた。
「俺、なに言ってんでしょうね。こんな話されても迷惑────」
陽介は苦笑した顔を上げ、驚きに言葉をなくした。対面する水奈子は、口元を三角に組んだ両手で多い、俯いている。しかし、その目元は泣き出す直前のように真っ赤だ。いきなり泣き出しそうになっている水奈子にむかって、陽介は茫然と声をかける。
「水奈子さん? すんません。俺、なんか失礼なコト──」
「ちっ、違うんです!」
水奈子は慌てた様子で、両手を振って否定する。その声は、今にも泣きだしそうなほど震えていた。
「困らせてしまってごめんなさい。でも、本当にそういうのじゃないの! 花村くんが悪いとか、そういうのじゃないんです」
ならば、水奈子はなぜ泣きそうになっているというのか。袂からハンカチを取り出し、彼女は揺れる若草色の瞳に当てた。落ち着いた水奈子は心から安堵するような吐息と共に言葉を紡ぐ。
「まず、花村くんがとても優しい人であることが嬉しかったんです」
「俺が……? 俺、さっきから水奈子さんを混乱させてばっかで、全然そんな……」
「いいえ」
水奈子は、穏やかに、しかしはっきりと否定する。
「友達の親と言っても、よく知りもしない人間のために、時間を使ったり、服装に気を使ったり──名刺を傷つけないように扱うなんて、なかなかできませんもの」
そういって、水奈子はふわりと笑った。淡い花が開くような可憐な笑みだ。
「きっとあなたを育ててくださったご両親も、素敵な人なのね」
「!」
陽介の胸がぎゅっと締め付けられる。決して不快な感覚ではなく、絞り出された心臓の熱が、喉元を駆け上がってくるような心地よい感覚だった。
「優しい子と、瑞月ちゃんが友達であることが──そして何よりも瑞月ちゃんがその友だちを支えられる優しい子であることが分かって。あまつさえ、瑞月ちゃんの優しさに私の面影を重ねてくれることが、涙が出るほど嬉しかったんです。ごめんなさい。私、涙腺がゆるくて」
嫌な気持ちにさせてしまいましたね。と水奈子は言う。とんでもないと陽介は首を振る。
「……いえ、大丈夫です」
嬉しかった。お世辞ではなく陽介を褒めてくれて、そして、陽介が大切にしている両親を褒めてくれて。陽介を通じて親をこき下ろす人はいても、褒めてくれる人なんてなかなかいなかったから。
同時に、罪悪感が背中を引っ張る。彼女の娘である瑞月を傷つけた事実を、優しく接してくれる水奈子に隠している陽介自身に対する罪の意識が。
「そ、そんな大変なお仕事していたなんて……! 『ちょっと文化祭を手伝うだけの役目』ってあの子言っていたのに」
嘘ではない。嘘ではないけれど、『ちょっと』の守備範囲が広すぎる。内心で陽介は突っ込んだ。水奈子はというと、ううと弱々しく呻いて両手で表情を覆い隠した。
「み、水奈子さん……? 大丈夫っすか?」
「すみません……。家族として瑞月ちゃんの生活を把握していなかったことへの不甲斐なさと、瑞月ちゃんが私のために身体を張って頑張ってくれたことへの嬉しさで変な顔になっています」
どうやら、陽介は地雷というか、水奈子にとって繊細な話題に突っ込んでしまったらしい。
驚いた様子から一転して、そういえば家でも作業していた……、そういえば文化祭で全然顔を見なかったなど、顔を覆った水奈子は憂いいっぱいの苦言を流している。このままでは和やかな会話など程遠い。非常によくない流れだ。
「そ、そーなんすよ! 瀬名のやつ頑張ってて。メニューとかもすげーウマくて……あ、そういやメニューに使われてたトマトソース、水奈子さんが作ったんすよね!? 実際に商品として売ってるヤツ」
「え? ええ。たしかに農産組合の方たちと開発をご一緒させていただきましたが……」
「そう、それ! 俺、都会から越してきたばっかだったんですけど、瀬名の作ったピザ食べて、地元にこんなうまいモノがあるんだって感動したんスよ」
「本当ですか!?」
水奈子は両手を打ち合わせる。暗い様子から一転して、彼女は明るい様子で陽介に食い下がった。ニコニコとした水奈子の笑みは、窓から降り注ぐ光を上回らんほどにまばゆい。
「嬉しいです! この土地に越してきたばかりの人に、稲羽の野菜を使った品を褒めていただけて。地元の方たちはもちろん、遠方の方々にも稲羽の野菜を何とか宣伝できないかと思って作った商品でしたので」
陽介は胸をなでおろす。どうやら、落ち込んだ水奈子の立て直しを図れたようだ。
「え、じゃあ、稲羽以外にも広まるように作ったんですか」
「そうなんです。稲羽固有の野菜って独特の見た目をしているから、知らない人は怯えてしまう場合が多いんですよね。人の形をしたナスだったり、光り輝くメロンだったり」
「……なんか、ゲームのアイテムみたいっすね」
率直な陽介の言葉に、水奈子は大きな若草色の瞳を引き絞る。何をそんなに驚いているのか、陽介は思い至り、ハッとした。楽し気な水奈子を前に、ついつい敬語が崩れてしまっていたのだ。
「うわ、すんま──」
「ふふふ、大丈夫ですよ」
頭を下げようとする陽介を、水奈子は手で制した。陽介が顔を上げた先で、水奈子は楽しそうに笑んだ口元を覆い隠している。
「だいぶ肩の力を下ろしてくださって嬉しいです。私は口調がこんな“ですます調”ですし、急に花村くんを呼び出した身の上で、話を気軽にできるくらい打ちとけてくださるか不安だったんですよ」
そういって、水奈子はほっと息を吐き出した。初対面の人間にも不安も包み隠さず明かせる、天真爛漫な女性らしい。瑞月の妹である佳菜と通じるところがある。やはり親子なのだと取り留めなく思う陽介を水奈子はまっすぐと見つめた。
陽介は身を固くする。友達の親に会うということで、普段の派手なトップスは控えて、マリーゴールドのカーディガンと白字のVネック、ブラウンのチノパンという、陽介の私服の中では落ち着いたものを身に着けている。気に入らなかっただろうかと、焦った陽介とは裏腹に、水奈子は柔和に笑った。
「そのカーディガン、落ち着いた感じがするのに明るく温かい色合いで、落葉が鮮やかな季節にぴったり」
「あ、ありがと、ございます」
彼女は瑞月の母親で間違いなかった。外見はまったく似つかないが、さらっと人を褒めるところがもろかぶりだ。突然の誉め言葉に動揺する陽介を眺めて、水奈子はころころと笑う。
「瑞月ちゃん。初めてできたお友達が、こんなおしゃれで社交的な男の子だったんですね」
水奈子は引き続き、陽介を褒める。しかし、照れるよりも先に、ある言葉が陽介の耳をついた。水奈子は陽介を『初めてできた友達』と言ったのだ。彼女はそれまで陽介をまっすぐに向けていた視線を、テーブルの上に落とす。一瞬、その瞳に寂しそうな陰りが差す。
「だから、会ってみたかったんです。瑞月ちゃんの初めてのお友達がどんな子なのか、それに、瑞月ちゃんが学校でどう過ごしているのか知りたくて」
しかし、水奈子は再び陽介に向けて笑った。ふんわりと笑う表情に後ろ暗い好奇心はなく、友好的な、仲良くなりたいという真摯な想いが現れている。
「だから、花村くんのことも聞かせてくださいね。花村くんは『引っ越してきた』と言いましたが、それはいつからですか?」
「ああ、ちょうど10月の初めあたりっすね。俺、親父が——──」
陽介が話し始めたあたりで、ウエイターがアメリカンコーヒーとお茶請けのお菓子を持ってきてた、水奈子は事前に頼んでいた紅茶を、陽介はアメリカンコーヒーを飲みながら、2人は交互にプロフィールを教えあった。
水奈子は料理研究家で、稲羽の農産物を普及する活動に従事しているという。稲羽産の野菜を使った商品開発や飲食店メニューの考案、稲羽の食料品の宣伝、一般向けレシピの開発などその活躍は手広い。
「このお店『La Pause』のメニューの開発に関わらせていただきました。文化祭のピザで使った野菜ソースも取り扱ったメニューがあるんですよ」
「そうなんですか! あれ、旨かったからどこで売ってるのか気になってたんすよね」
「今のところ取り扱いは直売所くらいですね。機会があれば、通信販売や地元スーパーとの取引も伺っています。ご興味があれば、仕事用の名刺を渡しておきましょうか? 花村くんのお父さんはジュネスの店長さんでしたものね」
「え、いいんすか?」
陽介はぽかんと間抜けに口を開ける。ジュネスは商店街をはじめとした地元民とは隔たりがある。伸ばした手も、撥ねつけられる事態だって珍しくない。
だが、水奈子はごく自然に手を伸ばしてきた。色眼鏡ではない、真っ直ぐな瞳が陽介を映し出す。
「商品を手に取ってもらえる取り扱い場所が増えるなら、嬉しいですもの。私は閉じた場所で自分の商品を終わりになんてしたくない。色々な人に自分が携わった商品を知ってもらいたいですから」
水奈子が静かに笑う。若草の穏やかな瞳には強い意志を湛えた光が宿っていた。陽介はしばらく言葉を忘れて水奈子を見つめていた。
水奈子は、地元に関わる人間ではある。だが、外部から来たジュネスを敵視するのではなく、利害ありで協力関係を結ぼうとする人間は水奈子が初めてだった。
そして、『ジュネスの店長』としての陽介を不満や不当な要求のはけ口とは別の形で──具体的には軋轢の多い人間関係のクッションとしてではなく、友好的な利益を生み出すきっかけとして関わってくれることが。
そういう風に、陽介たちを見てくれる人がいるのだと、陽介が喉の奥が感動でつかえる。なんとか堪えて、陽介は言葉を絞り出した。
「なんか……そういう風に扱ってもらえるの嬉しっす。部外者じゃなくて、地域の店の一つとして見てくれんの」
「私もジュネスにお世話になっている一人ですから。子育てをする身からすると、一か所で生活用品を揃えられるのは本当にありがたいです。だから、もし協力できることがあれば手を取りたいと思っています」
照れ臭そうに鼻の下をこする陽介に対し、水奈子は柔和な笑みで名刺を滑らせる。受けとった紙片には、たしかに水奈子の名前とアドレスが記されていた。
「ちょっとすんません」
陽介は二つ折りの財布を取り出し、名刺をしまう。見つめている折り目が付かないように水奈子の名刺を丁寧にポケットに収めた。その様子を、息をのんで見つめている水奈子に陽介は気が付かない。財布に名刺をしまい終わった陽介はふと思ったことを告げた。
「やっぱり親子なんすね」
「え?」
水奈子が首をかしげる。言葉が足りなかったなと、陽介は口を開く。陽介にとって大切な思い出を、水奈子になら明かしてもよいと思ったのだ。
「俺、初めのころは『転校してきたヤツ』ってことで、クラスでは浮いてる感じだったんすけど──瑞月さんは俺のことクラスメイトの一人として扱ってくれました。そういう分け隔てないところ、瑞月さんと親子なんだなって」
外部から来た人間であろうと、仲間外れにしないところが、瑞月と水奈子はよく似ている。
「そんで偶然なんですけど、誘われて文化祭の準備を手伝ってたら、クラスのやつらともちょっとは馴染めるようになったんです」
文化祭前、陽介はクラスで浮いた存在だった。里中や天城、一条や長瀬といった友人はいたけれど、『都会からの転校生』や『ジュネスの息子』というレッテルが付きまとっていて、他のクラスメイトからが針をチクチクと刺すような険しい視線にさらされていた。
けれど、文化祭を経た後、クラス内での居心地は良くなったと思う。文化祭で奮闘する陽介を見て、『クラスメイトとしての花村陽介』を認識するようになったのだろう。クラスメイトに話しかけてもツンケンした態度を取られる機会はぐっと減った。さすがに商店街関係者は厳しいが。
瑞月の友人であるというのに、自分の情けなさをさらしてばかりでこそばゆい。陽介はガシガシと頭を掻いた。
「俺、なに言ってんでしょうね。こんな話されても迷惑────」
陽介は苦笑した顔を上げ、驚きに言葉をなくした。対面する水奈子は、口元を三角に組んだ両手で多い、俯いている。しかし、その目元は泣き出す直前のように真っ赤だ。いきなり泣き出しそうになっている水奈子にむかって、陽介は茫然と声をかける。
「水奈子さん? すんません。俺、なんか失礼なコト──」
「ちっ、違うんです!」
水奈子は慌てた様子で、両手を振って否定する。その声は、今にも泣きだしそうなほど震えていた。
「困らせてしまってごめんなさい。でも、本当にそういうのじゃないの! 花村くんが悪いとか、そういうのじゃないんです」
ならば、水奈子はなぜ泣きそうになっているというのか。袂からハンカチを取り出し、彼女は揺れる若草色の瞳に当てた。落ち着いた水奈子は心から安堵するような吐息と共に言葉を紡ぐ。
「まず、花村くんがとても優しい人であることが嬉しかったんです」
「俺が……? 俺、さっきから水奈子さんを混乱させてばっかで、全然そんな……」
「いいえ」
水奈子は、穏やかに、しかしはっきりと否定する。
「友達の親と言っても、よく知りもしない人間のために、時間を使ったり、服装に気を使ったり──名刺を傷つけないように扱うなんて、なかなかできませんもの」
そういって、水奈子はふわりと笑った。淡い花が開くような可憐な笑みだ。
「きっとあなたを育ててくださったご両親も、素敵な人なのね」
「!」
陽介の胸がぎゅっと締め付けられる。決して不快な感覚ではなく、絞り出された心臓の熱が、喉元を駆け上がってくるような心地よい感覚だった。
「優しい子と、瑞月ちゃんが友達であることが──そして何よりも瑞月ちゃんがその友だちを支えられる優しい子であることが分かって。あまつさえ、瑞月ちゃんの優しさに私の面影を重ねてくれることが、涙が出るほど嬉しかったんです。ごめんなさい。私、涙腺がゆるくて」
嫌な気持ちにさせてしまいましたね。と水奈子は言う。とんでもないと陽介は首を振る。
「……いえ、大丈夫です」
嬉しかった。お世辞ではなく陽介を褒めてくれて、そして、陽介が大切にしている両親を褒めてくれて。陽介を通じて親をこき下ろす人はいても、褒めてくれる人なんてなかなかいなかったから。
同時に、罪悪感が背中を引っ張る。彼女の娘である瑞月を傷つけた事実を、優しく接してくれる水奈子に隠している陽介自身に対する罪の意識が。