距離

夢小説設定

本棚全体の夢小説設定
夢主の名字
夢主の名前
夢主の名字 カタカナ

この小説の夢小説設定
夢主の名字
夢主の名前

「──────んだよ」
「ん? 花村、どうし────」
「何を、見ろってんだよ」

 呻きにも似た声が、絞り出された。攻撃を受けた怒り、己を傷つけられた悲しみ、何よりも出どころの分からない失望が複雑に絡まって吐き出される。

「これ以上何を見ろってんだよ……? 俺のことなんてな、俺がよく知ってんだよ」

 それこそ、陽介はよく知っていた。八十稲羽の人々が自分をどう見ているか。
 バイト先の人間たちが、自分をどのように扱っているのか。

「この場所にいて、良いように思われてないことぐらい、俺が一番よく分かってんだよっ!?」

 みんなが、針の筵でつつくように、陽介を腫れ物のように、もしくは壊れてもいい使い捨ての部品みたいに扱う。陽介に『ひとり』を押し付けてくる。だけど、それでも、『ひとり』は嫌だから、言われもない噂にも耐えて、勝手に押し付けられる誰かの横暴にも耐えてきた。
 それでも、いくら自分が頑張っても、認めてくれる人はいなくて。
 そんな中で、瑞月は自分を見てくれた。『花村陽介』を見てくれたと思っていたのに──。

「花村っ? 落ちつ──」

 動揺した瑞月が、陽介に手を伸ばす。文化祭のアクシデントでも冷静な面持ちを崩さなかった瑞月が取り乱すなんて、諸岡が説教をしない授業くらい珍しい。けれど、陽介はそれにすら気づかないほど余裕がなかった。

 パシンッと、手が弾かれる。瑞月が伸ばした手を、信じられないほど無遠慮に陽介は払い除けた。ありありと示された拒絶の意に、瑞月が目を見開いて絶句した。彼女が黙りこんだ事実しか見えない陽介は、ドロドロと吐き出すことすら痛々しい胸の内をぶちまけた。

「結局、俺が『ジュネスの息子』だからだろっ? 瀬名が言いたいのはそういうことなんだろ!? 『ジュネスの息子』だから、まわりに迷惑をかけるから、自分の気持ちを押し殺せってそう言いたいんだろ!?」
「そんなことっ、言ってないだろう!?」

 瑞月が声を暴げる。それがまた、陽介には堪えた。図星をつかれた人間は、大抵の場合取り乱す。人と接してきた機会が多かった陽介はそれが分かってしまって、さらに胸がジクジクと痛んだ。

「同じじゃんか! なにが違うっていうんだよっ!?」
 ────瀬名も結局、『ジュネスの息子』としてしか俺を見ていない。

 信頼していた相手に裏切られた失望が、悲しみと怒りになって喉を突き刺す。自分の初恋相手を諦めろとほのめかされた反発もあって、自分でも驚くほど攻撃的に、陽介は吐き捨てた。
 信頼して寄りかかっていた柱が脆く崩れて、あとに残った瓦礫が全身を刺しているかのように、心が痛くて悲鳴じみた叫びを上げた。

「……瀬名はいいよ。根っこから、この町の人間でさ。それに、なんでも持ってて頼もしくて」

 肺の空気をすべて吐き出し、もう叫ぶ気力もない。それでも弱々しく陽介は情けなく羨望の言葉を吐き出した。完全に言う必要のない瀬名へのひがみだ。だが、呑み込んだままでは胸が痛くて痛くて、陽介は吐き出さずにはいられなかった。

 瑞月と陽介は違う。気が合うと、心を許せると思っていたけれど、結局は他人なのだ。瑞月の親も瑞月自身も八十稲羽の人間で、陽介の両親と陽介自身は外から来た人間だ。

 何よりも、瑞月は強かった。根無し草で周りに流されて生きる陽介と違って、芯を持って生きている。

「そんな何の苦労もねーヤツに、俺のことなんて分かるわけがねぇよ……」

 そんな瑞月が、陽介は心から羨ましかった。

 恐ろしいほどの沈黙が落ちる。

 晴れ渡った屋上の空気は、太陽の光が降り注いでいると言うのに寒々しい。秋風の冷たさに当てられて、檄した陽介の頭も落ち着きを取り戻していった。

 ふと、変だと気がつく。瑞月が一向に喋らないのだ。千枝や雪子とも仲良くなった彼女は、陽介が千枝と言い争いを必ずといっていいほど止めてくれる(おかげでヒートアップして、千枝に蹴られる機会は減った)。

 おかしいな、と陽介は顔をあげる。次の瞬間、言葉をなくした。

 凛とした表情は無惨に割れた鏡のように壊れていた。瑞月は唇を歪むほど噛み締めていた。そして、陽介が振り払った腕を硬直させている。だが、よくよく見ればその細い腕は殴られたように細かく震えている。
 そんな彼女の見たことのない、かわいそうなほど無惨な表情に陽介はいやおうなく悟ってしまった。彼女は傷ついているのだと。
 そして、彼女を傷つけてしまった人間は、陽介以外にいなかった。

「あ……瀬名、おれ……」

 後悔が、陽介の唇から知らず知らずに漏れ出した。愕然とする陽介の視線に気がついたのだろう。瑞月は、素早く陽介から顔を逸らした。艶やかな黒髪が彼女の横顔を覆い隠す。普段の彼女からは考えられない、覇気のない声で彼女は答えた。

「……すまない。どうやら、きみにとって不快な事実をあけすけに言い過ぎたようだ。……口の過ぎた私は、これにて失礼する」
「あ……その……」

 友達を傷つけた。その事実がショックで、陽介は口の聞けない人間のように言葉を喉に詰まらせた。引き留めたいのに、謝りたいのに、いつもよく回る舌は気の利いた言葉ひとつ口にできない。そうして、陽介が何も言えないまま、レジャーシートから立ち上がった瑞月はどんどん遠ざかる。

 手を伸ばしても、届かないほどに。

「ただ、な」

 ──たとえ花村が何者であったとしても、その足元を掬おうとする人間はゴマンといるということを心に留めておいてくれ。

 ふいに立ち止まった瑞月が言った。陽介に傷つけられたというのに、清水のようなその声は、染み入るように優しかった。
 陽介は悟る。どうして、彼女が小西先輩の実家とそれにまつわる苦い記憶について語ったか。

瀬名は、俺のこと────きっと、心配してくれたんだ)

 だが、どうしようもなかった。歩き出せば追いつく距離だというのに、陽介は断崖と相対するように立ち尽くしていた。待って、と短い言葉すら、告げられない。

 2人の距離はどうしようもなく遠く、瑞月は振り返ることなく、陽介のもとから遠ざかっていく。

 そして瑞月の姿は見えなくなった。いつもより覇気のない立ち姿も、たなびくマウンテンパーカーの裾も、屋上に突き出した出入口もハッチの影にあっけなく隠れてしまう。

 陽介は呆然と立ち尽くす。一人残された彼の背後には、瑞月がいつも使っているカラフルなレジャーシートが、ぽつねんと、座る人もなく残されていた。
4/4ページ
スキ