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「花村は、小西先輩のご実家がどちらか知っているか?」
瑞月の質問に、陽介はポカンと口を開ける。なぜ、そんなことを聞くのか、瑞月は何か知っているのか、喉から疑問が飛び出しそうになる。しかし、答えを待つ瑞月は、じっと陽介の目を見つめていた。ごまかしは許さない。と寒色の瞳が陽介に告げている。
陽介は記憶のなかを探る。そうして得た結論を陽介は素直に答えた。
「知らない、かな。先輩、あんまそういうの話さないから」
小西早紀──小西先輩の家族について、陽介はあまり聞いたことがない。せいぜい話しても、一つ下の弟について。振り返った記憶の中でも、母や父、家業について、彼女が言葉を漏らした記憶は少なく、あったとしても、うまくかわされてしまっていた。
陽介も、無理に聞き出そうとはしなかった。染みついた都会流の付き合いから、相手にズケズケと踏み込む質問は控えていたし、淡い想いを抱いた相手への遠慮ゆえに。
「そうか。なら、なおさら知っておいた方がいいだろう」
瑞月は頷く。陽介の答えを予想していたように動揺はない。まるで小西先輩が、陽介に告げていないと分かっていたかのようだ。陽介は、何だか面白くない。瑞月の反応は、まるで小西先輩が隠し事をしていたような、そんな扱いだ。
「はぁ。で、その実家がなんなわけ? 先輩は仕事できるし、面倒見いい人だかんな」
「花村。誤解しないでほしいのだが、私は小西先輩の人格をどうこう言うつもりはない。善悪問わず誰しもが、話したくない・触れてほしくない事柄を抱えているものだろう?」
口をへの字に曲げた陽介を、瑞月がたしなめる。いまいち納得がいかない陽介に、彼女は言葉を続けた。
「彼女が実家について話したくなかったのは、知られると自分が動きにくくなる。だから話さなかったのではないかと、私は考えている」
「……もったいぶってないで、早くしろよ。小西先輩の実家って一体何なんだ?」
「彼女のご実家は『コニシ酒店』。商店街に軒を連ねる一商店だ」
商店街────その単語に、陽介は身を固くする。冷や水を浴びせかけられたように。それも仕方のない反応だった。商店街から風当たりの強いショッピングセンター『ジュネス』の店長を父親に持つ陽介であれば。
約2か月前、八十稲羽に進出した大型のショッピングセンターであるジュネスは、近辺住民の流通を大きく変化させた。食品から衣料、家電まで豊富に取り揃えた品揃えが市街から顧客を呼び、開店からしばらく経った今でも客足が絶えることはない。にわかに”何もない”が取り柄だった八十稲羽は活気づいたかに思われた。
しかし、そう上手くはいかなかった。ジュネスは、ジュネス進出まで地元住民たちの市となっていた地元商店街──八十稲羽中央通り商店街の顧客をごっそり奪ってしまったのだ。繁殖力の強い外来種が、それまで命を繋いでいた在来種の土壌を侵略していくように。
結果、商店街は衰退し、長く続いていた店舗は次々と暖簾を下げた。生き残っている商店も、次々と困窮の縁に立たされている。そのような経緯から、ジュネスの関係者──特に家主が店舗責任者を務めている花村家──は、地元住民から複雑な目を向けられる機会が多い。なかでも、客を奪われた商店街関係者は、刺々しい態度を隠しもしない。
ジュネスの煽りを受けて、店が閉店したという話は陽介もいくつか耳にしている。というより、嫌でも耳にしてしまっていた。通りすがる地元住人が、陽介を視界にいれた途端、これ見よがしに陰口を叩くゆえに。
嫌な記憶がよみがえり、陽介は鬱々とする。せっかく心地のよい夢を見ていたのに、奈落に落ちるような感覚を覚えて飛び起きたときの不快感があった。
「……瀬名。何が言いたいんだよ」
そして何よりも、瑞月に苛立っていた。小西先輩は優しい。商店街の刺々しい態度を浴びせてくる人間と違って、陽介を後輩として可愛がってくれる──『ジュネスの息子』ではなく、『花村陽介』そのものを見てくれる、面倒見のいい人だ。だと言うのに、瑞月の言いぐさは小西先輩を心ない人々と同列に扱っていた。
それが、陽介は気に食わない。
「言っとくけど、小西先輩は悪い人じゃない。俺にだって気軽に接してくれるイイ人だよ」
「花村。再度言っておくが、私は小西先輩の人格をどうこう言うつもりはない。知りもしない人間について憶測で語るほど、無駄で恥ずべきことはないからな」
それに、と彼女は付け加える。
「小西先輩については私も会ったことがある。あの人自身は、強かで気が配れる人だ。ただ、な────」
陽介は痺れを切らした。苛立ちがにじむ声を、瑞月に向かって浴びせかける。だと言うのに、瑞月はいたって冷静だ。陽介にとって、瑞月の冷静さは好ましい長所である。しかし、今は彼女の澄ました態度が腹立たしくて仕方がなかった。
しかも瑞月は、小西先輩に会っていたという。彼女の人柄への評価も、陽介と一致する。だからこそ陽介は分からない。
「ただ、何だよ? 小西先輩のこと、お前は何をそんなに気にしてんだ?」
「私は彼女の父親から、差別的な発言を受けたことがある」
「────────────はっ?」
陽介は呆ける。瑞月が何を言っているのか、理解が追い付かない。さべつてきな、はつげん? 陽介は瑞月を見やった。常以上に、彼女の瞳は凪いでいた。だが、夜のまっくらい海のように不気味だ。その中に蠢く凶暴な生き物を悟らせまいとするような、わざとらしい静けさがある。
「私が酒店の前にある自販機で、飲み物を買ったときのことだ。小西先輩の父親はね、私を見かけるとこう言ったんだよ。──『日本酒の味も分からないガイジンの娘か』とね」
瑞月は一呼吸置く。彼女がいつのまにか硬く盛り上げていた肩のこわばりが取れていく。抑えている怒りがにじみ出るほど、彼女にとって侮辱的な言葉を口にしながら、彼女の声音は瞳と同じく不自然なほど凪いでいる。
「私の母が、クォーターであることはもう知っているな? 料理研究家でもある母は、『コニシ酒店』に仕事の協力を持ちかけにいったんだ」
「それで、どうなったんだ?」
「にべもなく断られた。『ガイジンだから』それだけの理由で、な。これが何を意味するか、花村には分かるか?」
陽介は言葉が出なかった。あの優しい小西先輩の親が、瑞月とその家族に暴言を吐く人間だなんて、信じたくなかった。陽介の沈黙を、発言の意が汲めないと受け取ったのか、瑞月はさらに続ける。
「あの店主はね、君と、その娘さんである小西先輩には悪いが……非常識なほど保守的なんだよ。外から来た人間を異常なほど敵視している。そんな人間が、花村から自身の娘さんに向けられている好意を知ったらどうなる?」
「それは……、身内は別かもしれないだろ?」
「甘い。保守的な人間は、異物を異常なほど嫌う。特に、自分の身のうちから生まれたのなら、な」
がん細胞と一緒だ。と瑞月は結論付けた。同じ遺伝子から生み出されたというのに、歪だからという理由で、情もなくシステマティックに身体から排除される細胞。いっそ無感情なほどに、瑞月は冷静に小西先輩を取り巻く家庭環境を分析する。
「それを知った上で、きみは小西先輩に好意を向けられるのか? ひいては交際に至ったとして、きみと小西先輩の関係から生じる面倒を、引き受ける手立てはあるのか?」
「そ、れは、ちゃんと隠して────」
「隠せていないじゃないか。さっき、大声を出して私に注意されただろう?」
しどろもどろになる陽介を、瑞月は冷静に指摘する。根拠を示され、陽介は言葉に詰まる。そうして、言葉に詰まることこそ、陽介が恋愛に対して甘い幻想しか抱いていない証拠に過ぎなかった。瑞月はそれを見抜いたらしい。
「きみは、自分の行動を自覚すべきだ。浮かれた気持ちを自覚せずに振る舞っていれば、いつか足元を掬われかねない」
陽介はなにも言えなかった。瑞月の指摘がまったくの正論だったからだ。少なくとも、陽介の立ち振舞いは周りに見られる立場で──そこまで考えて陽介はふと、気がついてしまった。
────俺、俺のなにが見られてるって言うんだ?
答えが、頭のなかにまざまざと思い浮かぶ。それは嫌と言うほどの生々しい記憶とともに、陽介の身体を埋め尽くした。陽介は息が詰まるような苦しさを覚えた。苦しい、息ができない。
なのに目の前の瑞月はいつもと変わらず冷静だ。陽介がこんなに苦しいと言うのに、見向きさえしてくれない。
「自分のことを、もう少し、よく見るんだ」
そうして彼女は、静かに告げた。
陽介の息苦しさなんて知らないで。
瞬間、ぷつんと。
陽介の中で何かが切れた。
瑞月の質問に、陽介はポカンと口を開ける。なぜ、そんなことを聞くのか、瑞月は何か知っているのか、喉から疑問が飛び出しそうになる。しかし、答えを待つ瑞月は、じっと陽介の目を見つめていた。ごまかしは許さない。と寒色の瞳が陽介に告げている。
陽介は記憶のなかを探る。そうして得た結論を陽介は素直に答えた。
「知らない、かな。先輩、あんまそういうの話さないから」
小西早紀──小西先輩の家族について、陽介はあまり聞いたことがない。せいぜい話しても、一つ下の弟について。振り返った記憶の中でも、母や父、家業について、彼女が言葉を漏らした記憶は少なく、あったとしても、うまくかわされてしまっていた。
陽介も、無理に聞き出そうとはしなかった。染みついた都会流の付き合いから、相手にズケズケと踏み込む質問は控えていたし、淡い想いを抱いた相手への遠慮ゆえに。
「そうか。なら、なおさら知っておいた方がいいだろう」
瑞月は頷く。陽介の答えを予想していたように動揺はない。まるで小西先輩が、陽介に告げていないと分かっていたかのようだ。陽介は、何だか面白くない。瑞月の反応は、まるで小西先輩が隠し事をしていたような、そんな扱いだ。
「はぁ。で、その実家がなんなわけ? 先輩は仕事できるし、面倒見いい人だかんな」
「花村。誤解しないでほしいのだが、私は小西先輩の人格をどうこう言うつもりはない。善悪問わず誰しもが、話したくない・触れてほしくない事柄を抱えているものだろう?」
口をへの字に曲げた陽介を、瑞月がたしなめる。いまいち納得がいかない陽介に、彼女は言葉を続けた。
「彼女が実家について話したくなかったのは、知られると自分が動きにくくなる。だから話さなかったのではないかと、私は考えている」
「……もったいぶってないで、早くしろよ。小西先輩の実家って一体何なんだ?」
「彼女のご実家は『コニシ酒店』。商店街に軒を連ねる一商店だ」
商店街────その単語に、陽介は身を固くする。冷や水を浴びせかけられたように。それも仕方のない反応だった。商店街から風当たりの強いショッピングセンター『ジュネス』の店長を父親に持つ陽介であれば。
約2か月前、八十稲羽に進出した大型のショッピングセンターであるジュネスは、近辺住民の流通を大きく変化させた。食品から衣料、家電まで豊富に取り揃えた品揃えが市街から顧客を呼び、開店からしばらく経った今でも客足が絶えることはない。にわかに”何もない”が取り柄だった八十稲羽は活気づいたかに思われた。
しかし、そう上手くはいかなかった。ジュネスは、ジュネス進出まで地元住民たちの市となっていた地元商店街──八十稲羽中央通り商店街の顧客をごっそり奪ってしまったのだ。繁殖力の強い外来種が、それまで命を繋いでいた在来種の土壌を侵略していくように。
結果、商店街は衰退し、長く続いていた店舗は次々と暖簾を下げた。生き残っている商店も、次々と困窮の縁に立たされている。そのような経緯から、ジュネスの関係者──特に家主が店舗責任者を務めている花村家──は、地元住民から複雑な目を向けられる機会が多い。なかでも、客を奪われた商店街関係者は、刺々しい態度を隠しもしない。
ジュネスの煽りを受けて、店が閉店したという話は陽介もいくつか耳にしている。というより、嫌でも耳にしてしまっていた。通りすがる地元住人が、陽介を視界にいれた途端、これ見よがしに陰口を叩くゆえに。
嫌な記憶がよみがえり、陽介は鬱々とする。せっかく心地のよい夢を見ていたのに、奈落に落ちるような感覚を覚えて飛び起きたときの不快感があった。
「……瀬名。何が言いたいんだよ」
そして何よりも、瑞月に苛立っていた。小西先輩は優しい。商店街の刺々しい態度を浴びせてくる人間と違って、陽介を後輩として可愛がってくれる──『ジュネスの息子』ではなく、『花村陽介』そのものを見てくれる、面倒見のいい人だ。だと言うのに、瑞月の言いぐさは小西先輩を心ない人々と同列に扱っていた。
それが、陽介は気に食わない。
「言っとくけど、小西先輩は悪い人じゃない。俺にだって気軽に接してくれるイイ人だよ」
「花村。再度言っておくが、私は小西先輩の人格をどうこう言うつもりはない。知りもしない人間について憶測で語るほど、無駄で恥ずべきことはないからな」
それに、と彼女は付け加える。
「小西先輩については私も会ったことがある。あの人自身は、強かで気が配れる人だ。ただ、な────」
陽介は痺れを切らした。苛立ちがにじむ声を、瑞月に向かって浴びせかける。だと言うのに、瑞月はいたって冷静だ。陽介にとって、瑞月の冷静さは好ましい長所である。しかし、今は彼女の澄ました態度が腹立たしくて仕方がなかった。
しかも瑞月は、小西先輩に会っていたという。彼女の人柄への評価も、陽介と一致する。だからこそ陽介は分からない。
「ただ、何だよ? 小西先輩のこと、お前は何をそんなに気にしてんだ?」
「私は彼女の父親から、差別的な発言を受けたことがある」
「────────────はっ?」
陽介は呆ける。瑞月が何を言っているのか、理解が追い付かない。さべつてきな、はつげん? 陽介は瑞月を見やった。常以上に、彼女の瞳は凪いでいた。だが、夜のまっくらい海のように不気味だ。その中に蠢く凶暴な生き物を悟らせまいとするような、わざとらしい静けさがある。
「私が酒店の前にある自販機で、飲み物を買ったときのことだ。小西先輩の父親はね、私を見かけるとこう言ったんだよ。──『日本酒の味も分からないガイジンの娘か』とね」
瑞月は一呼吸置く。彼女がいつのまにか硬く盛り上げていた肩のこわばりが取れていく。抑えている怒りがにじみ出るほど、彼女にとって侮辱的な言葉を口にしながら、彼女の声音は瞳と同じく不自然なほど凪いでいる。
「私の母が、クォーターであることはもう知っているな? 料理研究家でもある母は、『コニシ酒店』に仕事の協力を持ちかけにいったんだ」
「それで、どうなったんだ?」
「にべもなく断られた。『ガイジンだから』それだけの理由で、な。これが何を意味するか、花村には分かるか?」
陽介は言葉が出なかった。あの優しい小西先輩の親が、瑞月とその家族に暴言を吐く人間だなんて、信じたくなかった。陽介の沈黙を、発言の意が汲めないと受け取ったのか、瑞月はさらに続ける。
「あの店主はね、君と、その娘さんである小西先輩には悪いが……非常識なほど保守的なんだよ。外から来た人間を異常なほど敵視している。そんな人間が、花村から自身の娘さんに向けられている好意を知ったらどうなる?」
「それは……、身内は別かもしれないだろ?」
「甘い。保守的な人間は、異物を異常なほど嫌う。特に、自分の身のうちから生まれたのなら、な」
がん細胞と一緒だ。と瑞月は結論付けた。同じ遺伝子から生み出されたというのに、歪だからという理由で、情もなくシステマティックに身体から排除される細胞。いっそ無感情なほどに、瑞月は冷静に小西先輩を取り巻く家庭環境を分析する。
「それを知った上で、きみは小西先輩に好意を向けられるのか? ひいては交際に至ったとして、きみと小西先輩の関係から生じる面倒を、引き受ける手立てはあるのか?」
「そ、れは、ちゃんと隠して────」
「隠せていないじゃないか。さっき、大声を出して私に注意されただろう?」
しどろもどろになる陽介を、瑞月は冷静に指摘する。根拠を示され、陽介は言葉に詰まる。そうして、言葉に詰まることこそ、陽介が恋愛に対して甘い幻想しか抱いていない証拠に過ぎなかった。瑞月はそれを見抜いたらしい。
「きみは、自分の行動を自覚すべきだ。浮かれた気持ちを自覚せずに振る舞っていれば、いつか足元を掬われかねない」
陽介はなにも言えなかった。瑞月の指摘がまったくの正論だったからだ。少なくとも、陽介の立ち振舞いは周りに見られる立場で──そこまで考えて陽介はふと、気がついてしまった。
────俺、俺のなにが見られてるって言うんだ?
答えが、頭のなかにまざまざと思い浮かぶ。それは嫌と言うほどの生々しい記憶とともに、陽介の身体を埋め尽くした。陽介は息が詰まるような苦しさを覚えた。苦しい、息ができない。
なのに目の前の瑞月はいつもと変わらず冷静だ。陽介がこんなに苦しいと言うのに、見向きさえしてくれない。
「自分のことを、もう少し、よく見るんだ」
そうして彼女は、静かに告げた。
陽介の息苦しさなんて知らないで。
瞬間、ぷつんと。
陽介の中で何かが切れた。