最悪の出会い
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十月九日────すなわち、陽介が事故を起こす日の昼休みもそうだった。煩わしい授業が終わり、クラスが生徒たちの楽しげな声でにぎわうなかで、瑞月の席だけが喧騒から切り離されたかのように静かだった。
瑞月は普段、一番窓際の列の、前から二番目の席に座っている。そんな目立たない席に座っていながらも、彼女は人目を惹く存在だった。それは身にまとった純白のマウンテンパーカーの存在感のせいもあるけれど、一番の理由は彼女の姿勢の良さだった。
瀬名瑞月という女生徒は姿勢がいい。授業中や小休憩、いつだって歪みやだらけた様子とは無縁で、背筋をピッと一直線に伸ばして、凛とした碧 い瞳を前方に据えている。そんな彼女のまわりには常に、背筋を正したくなるようなキリリと引き締まった空気が流れていた。
けれどその空気も、彼女が不在になれば途端に掻き消えてしまう。主不在でもの寂しげな空席を、陽介が後方の自席から眺めていると、「よーっす」と馴染みのある明るい声に呼びかけられた。
「花村ってば、なに窓のほう見て黄昏れちゃってんの」
「お、里中じゃん。どしたよ」
気がついた陽介に、スポーティなライムグリーンのジャージに身を包んだ同級生────里中千枝が注意を促すように手を振った。人懐こそうなボブカットと、くりッとした大きな瞳が示すように、活発で社交的な女子だ。実際、転校してきたばかりの陽介にも物怖じせず最初に話しかけてくれたのは彼女だし、交流を重ねた今はこのように打ち解けた口調で話す仲である。
要件を問われた千枝は、ふむと腕を組み、こてりと不思議そうに首を傾げる。
「いや、アンタがボケッとしてるっぽかったから。どしたんかなと思って。まさか雪子に振られたコトまだ気にしてんの?」
「いや、その話題は蒸し返しちゃいけませんぜ、里中さんや」
「なんのお話してるの? 私がどうかした?」
「あ、雪子」
「うおっ、天城」
噂をすれば当人来たり。陽介はちょっと気まずそうな苦笑いを浮かべると、赤いカーディガンに赤いカチューシャと、華やかな赤に身を包んだ大和撫子────天城雪子は、きょとりと涼しげな瞳を瞬いた。
指通りのよさそうな黒の艶髪に、しゃなりとした立ち居振る舞いが特徴的なこの少女は、学内でも深窓の令嬢と名高い女生徒だ。そして千枝にとっては、小学校以来の親友であるという。その親友が自分の名前をあげた訳が気になったのだろう。返事を待つ雪子に、千枝は気安い口調で応える。
「や、雪子。花村がなんか窓の外見て黄昏てたみたいだからさ、ショックなコトでもあったんかな~~って。お目当ての女子に振られたとか」
「あらそうなの、お気の毒にね」
「いや待て天城。お前がそれを言うか。この前のオレの告白、あんなスパッと切っといて」
「?」
雪子は不可解と言わんばかりに細い眉尻を下げた。何も覚えていない様子の彼女を前に、陽介は軽くショックを受ける。実は陽介、八十神高校に転入して早々に、一度雪子へ告白しているのだ。もちろん、異性として付き合ってくださいという意味で。
だがしかし、「ごめんなさい。放課後は用事があるし、あなたと出かけるのは嫌」と交際のお誘いであることも気づかれていないまま、公衆の面前でドストレートに断られたのだった。
とりつく暇もない冷淡な振り文句は、陽介のハートにグサリと刺さっていまだに抜けていない。一方、振った本人はまっっっっったく、これっぽっっっっっちも心に残っていなかったらしい。愕然と、陽介は机につっぷした。
(まぁ、なかば本気じゃなかったってのはあるけどさ……)
転校して周りの目がどこか余所余所しかったから、親しみやすいお調子者キャラをアピールするために仕掛けた告白ではある。(きれいな子と付き合いたい下心もちょっぴりあったけど)
だから、別に断られても良かったのだが、記憶からデリートされるほどぞんざいな扱いには泣けてくる。デリケートな青年期の心がしくしくと痛むのを感じていると、微妙な空気を見かねた千枝が口を開いた。
「ま、まぁ、その話はそこまででいいじゃん。で、花村、結局なんで黄昏てたのさ?」
「あぁ、うん。ちょっとまあ気になるものがあって」
「気になるもの?」
興味を持ったのか、千枝がきゅるりと目を丸くした。彼女に見えるように、陽介は身体を起こして「ほれ」と窓際の空席を指差す。
「あそこの席、この昼休みになるといつも空席だろ。んで座ってる子はいったいドコ行ってんのかなって。つーか、どんな子なのかなってさ……このクラスに転校してきてから、授業以外でロクに見かけたことないからさ」
「ああ……あそこの子か、たしかに目立つけど、あんまりクラスにはいないもんね」
「だっろー。同じクラスメイトだし、話すこともあるかもだから名前くらい知りたいなって。つか、けっこー美人さんだから、そういう意味でもお近づきになりてーかもって」
「こりないな、あんたは……」
軽薄な陽介に千枝がゲンナリとした顔を見せる。彼女の背後で、雪子も白けたように唇を閉ざした。それでもめげずに陽介は食い下がる。どんな理由であろうと、お近づきになりたい気持ちは本物だから。
「いやいや、もしかしたら日直とかでご一緒する機会があるかもじゃん? そのときに話題がなくて気まずい思いするのはお互いイヤじゃん。だからさ里中、そーいうハズイ思いしないためにも、あそこの黒髪碧眼女子について教えて!」
「あー、ったく、やっぱそーゆう方面だったか。でも、残念。……あたしもあの子に関しては、あんまり知らないんだよねー」
「え……」
陽介はびっくりして固まる。なぜなら、千枝が「知らない」と言ったのが意外だったからだ。
人懐こく明るい性格のおかげか千枝は校内に友達が多く、それゆえに人脈と情報網も幅広い。ゆえに同学年の人物に関しては、だいたいどんな来歴と性格なのか把握しているのだ。
その彼女が「知らない」と言い切る人物とは、一体どんな子なのか。ますます黒髪碧眼の女生徒に興味を募らせた陽介に向かって、千枝は思案げに解答する。
「瀬名瑞月さん。きれいな子だってコト以外、知らないね。あたしも話しかけてみようとはしたんだけど、必要最低限のこと以外、接点もてないんだ。学校の連絡が済んだら、『そうか。ありがとう』で終わり。入学した時も、スキ見て話しかけようする子たちはいたけど、あっさり躱しちゃうし……」
「え、じゃあ……けっこう人との関りとかかあんま好かないカンジ……?」
「うん。でもま、悪い子ではないんじゃないかな? あの”モロキン”が理不尽なコト言うと、物怖じしないで窘めちゃうし」
「は……!? あの”モロキン”を!?」
陽介は目を白黒させた。”モロキン”と言うのは、八十神高校の悪い意味での名物教師────諸岡 金四郎 のことだ。生徒たちを「腐ったミカン」と罵倒し、常に高圧的な態度で毒のある説教を長々と展開するイヤミな教師である。
アカハラモラハラの権化とも言ってもいい教師。それを生徒の立場から窘めてしまうなど、相当に肝が据わっていなければできないだろう。どうやら黒髪碧眼の女生徒────『瀬名瑞月』は 涼やかな容姿には似つかわない度胸の持ち主らしい。
陽介が唖然としている間に、千枝は雪子にアイコンタクトを送る。瑞月について何か知っているかという問いかけを汲んだらしい雪子は、首をふるふると横に振った。
「私も本人とは話したことないな。瀬名さんのお母さんとは話したことがあるんだけど」
「え、雪子、そんなところで繋がりあったの!?」
「うん。瀬名さんのお母さん、地元の農産品を活用する仕事をしているの。板前さんたちと地元野菜を用いた新作料理を考案していてね……」
「へー、そうなんだ。それって料理研究家ってやつー?」
思わぬ情報に食いつく千枝とは裏腹に、地元、という単語に対して陽介はわずかに眉をひそめた。陽介と八十稲羽土着の住民にはある事情により隔たりがある。その影響か────商店街といった街に根付いた文化と強く結びついた人間からは距離を置かれていた。
それは学校生活も例外ではなかった。陽介はちらと、教室内に目を向ける。すると、じっとりと嫌な湿度をともなった数名の生徒による視線が突き刺さる。陽介は軽く下唇を噛んで、目を逸らした。
稲羽市に転校して来てからずっとこうだ。都会出身の余所者という理由もあるが、花村家が抱えたある事情 から、陽介は地元市民から、こうした監視じみた視線を向けられることが常だ。
はぁと、陽介は気落ちしたため息を吐く。
雪子の話を聞く限り、瑞月の母親は地元と関わりの強い人間らしい。ならば、その娘である瑞月が稲羽市民と確執のある陽介に偏見を持っている可能性は否めない。
くわえて、本人はいかにも冷たそうな器質だ。それらが相まって、ふつうに話しかけるのは難しいかもしれないと、陽介は物憂げに結論付けた。
しかし、彼女と話す機会は思いもよらず早くにやってきた。
陽介の転倒事故に瑞月を巻きこんで水浸しにするという、最悪の出会いを経て。
瑞月は普段、一番窓際の列の、前から二番目の席に座っている。そんな目立たない席に座っていながらも、彼女は人目を惹く存在だった。それは身にまとった純白のマウンテンパーカーの存在感のせいもあるけれど、一番の理由は彼女の姿勢の良さだった。
瀬名瑞月という女生徒は姿勢がいい。授業中や小休憩、いつだって歪みやだらけた様子とは無縁で、背筋をピッと一直線に伸ばして、凛とした
けれどその空気も、彼女が不在になれば途端に掻き消えてしまう。主不在でもの寂しげな空席を、陽介が後方の自席から眺めていると、「よーっす」と馴染みのある明るい声に呼びかけられた。
「花村ってば、なに窓のほう見て黄昏れちゃってんの」
「お、里中じゃん。どしたよ」
気がついた陽介に、スポーティなライムグリーンのジャージに身を包んだ同級生────里中千枝が注意を促すように手を振った。人懐こそうなボブカットと、くりッとした大きな瞳が示すように、活発で社交的な女子だ。実際、転校してきたばかりの陽介にも物怖じせず最初に話しかけてくれたのは彼女だし、交流を重ねた今はこのように打ち解けた口調で話す仲である。
要件を問われた千枝は、ふむと腕を組み、こてりと不思議そうに首を傾げる。
「いや、アンタがボケッとしてるっぽかったから。どしたんかなと思って。まさか雪子に振られたコトまだ気にしてんの?」
「いや、その話題は蒸し返しちゃいけませんぜ、里中さんや」
「なんのお話してるの? 私がどうかした?」
「あ、雪子」
「うおっ、天城」
噂をすれば当人来たり。陽介はちょっと気まずそうな苦笑いを浮かべると、赤いカーディガンに赤いカチューシャと、華やかな赤に身を包んだ大和撫子────天城雪子は、きょとりと涼しげな瞳を瞬いた。
指通りのよさそうな黒の艶髪に、しゃなりとした立ち居振る舞いが特徴的なこの少女は、学内でも深窓の令嬢と名高い女生徒だ。そして千枝にとっては、小学校以来の親友であるという。その親友が自分の名前をあげた訳が気になったのだろう。返事を待つ雪子に、千枝は気安い口調で応える。
「や、雪子。花村がなんか窓の外見て黄昏てたみたいだからさ、ショックなコトでもあったんかな~~って。お目当ての女子に振られたとか」
「あらそうなの、お気の毒にね」
「いや待て天城。お前がそれを言うか。この前のオレの告白、あんなスパッと切っといて」
「?」
雪子は不可解と言わんばかりに細い眉尻を下げた。何も覚えていない様子の彼女を前に、陽介は軽くショックを受ける。実は陽介、八十神高校に転入して早々に、一度雪子へ告白しているのだ。もちろん、異性として付き合ってくださいという意味で。
だがしかし、「ごめんなさい。放課後は用事があるし、あなたと出かけるのは嫌」と交際のお誘いであることも気づかれていないまま、公衆の面前でドストレートに断られたのだった。
とりつく暇もない冷淡な振り文句は、陽介のハートにグサリと刺さっていまだに抜けていない。一方、振った本人はまっっっっったく、これっぽっっっっっちも心に残っていなかったらしい。愕然と、陽介は机につっぷした。
(まぁ、なかば本気じゃなかったってのはあるけどさ……)
転校して周りの目がどこか余所余所しかったから、親しみやすいお調子者キャラをアピールするために仕掛けた告白ではある。(きれいな子と付き合いたい下心もちょっぴりあったけど)
だから、別に断られても良かったのだが、記憶からデリートされるほどぞんざいな扱いには泣けてくる。デリケートな青年期の心がしくしくと痛むのを感じていると、微妙な空気を見かねた千枝が口を開いた。
「ま、まぁ、その話はそこまででいいじゃん。で、花村、結局なんで黄昏てたのさ?」
「あぁ、うん。ちょっとまあ気になるものがあって」
「気になるもの?」
興味を持ったのか、千枝がきゅるりと目を丸くした。彼女に見えるように、陽介は身体を起こして「ほれ」と窓際の空席を指差す。
「あそこの席、この昼休みになるといつも空席だろ。んで座ってる子はいったいドコ行ってんのかなって。つーか、どんな子なのかなってさ……このクラスに転校してきてから、授業以外でロクに見かけたことないからさ」
「ああ……あそこの子か、たしかに目立つけど、あんまりクラスにはいないもんね」
「だっろー。同じクラスメイトだし、話すこともあるかもだから名前くらい知りたいなって。つか、けっこー美人さんだから、そういう意味でもお近づきになりてーかもって」
「こりないな、あんたは……」
軽薄な陽介に千枝がゲンナリとした顔を見せる。彼女の背後で、雪子も白けたように唇を閉ざした。それでもめげずに陽介は食い下がる。どんな理由であろうと、お近づきになりたい気持ちは本物だから。
「いやいや、もしかしたら日直とかでご一緒する機会があるかもじゃん? そのときに話題がなくて気まずい思いするのはお互いイヤじゃん。だからさ里中、そーいうハズイ思いしないためにも、あそこの黒髪碧眼女子について教えて!」
「あー、ったく、やっぱそーゆう方面だったか。でも、残念。……あたしもあの子に関しては、あんまり知らないんだよねー」
「え……」
陽介はびっくりして固まる。なぜなら、千枝が「知らない」と言ったのが意外だったからだ。
人懐こく明るい性格のおかげか千枝は校内に友達が多く、それゆえに人脈と情報網も幅広い。ゆえに同学年の人物に関しては、だいたいどんな来歴と性格なのか把握しているのだ。
その彼女が「知らない」と言い切る人物とは、一体どんな子なのか。ますます黒髪碧眼の女生徒に興味を募らせた陽介に向かって、千枝は思案げに解答する。
「瀬名瑞月さん。きれいな子だってコト以外、知らないね。あたしも話しかけてみようとはしたんだけど、必要最低限のこと以外、接点もてないんだ。学校の連絡が済んだら、『そうか。ありがとう』で終わり。入学した時も、スキ見て話しかけようする子たちはいたけど、あっさり躱しちゃうし……」
「え、じゃあ……けっこう人との関りとかかあんま好かないカンジ……?」
「うん。でもま、悪い子ではないんじゃないかな? あの”モロキン”が理不尽なコト言うと、物怖じしないで窘めちゃうし」
「は……!? あの”モロキン”を!?」
陽介は目を白黒させた。”モロキン”と言うのは、八十神高校の悪い意味での名物教師────
アカハラモラハラの権化とも言ってもいい教師。それを生徒の立場から窘めてしまうなど、相当に肝が据わっていなければできないだろう。どうやら黒髪碧眼の女生徒────『瀬名瑞月』は 涼やかな容姿には似つかわない度胸の持ち主らしい。
陽介が唖然としている間に、千枝は雪子にアイコンタクトを送る。瑞月について何か知っているかという問いかけを汲んだらしい雪子は、首をふるふると横に振った。
「私も本人とは話したことないな。瀬名さんのお母さんとは話したことがあるんだけど」
「え、雪子、そんなところで繋がりあったの!?」
「うん。瀬名さんのお母さん、地元の農産品を活用する仕事をしているの。板前さんたちと地元野菜を用いた新作料理を考案していてね……」
「へー、そうなんだ。それって料理研究家ってやつー?」
思わぬ情報に食いつく千枝とは裏腹に、地元、という単語に対して陽介はわずかに眉をひそめた。陽介と八十稲羽土着の住民にはある事情により隔たりがある。その影響か────商店街といった街に根付いた文化と強く結びついた人間からは距離を置かれていた。
それは学校生活も例外ではなかった。陽介はちらと、教室内に目を向ける。すると、じっとりと嫌な湿度をともなった数名の生徒による視線が突き刺さる。陽介は軽く下唇を噛んで、目を逸らした。
稲羽市に転校して来てからずっとこうだ。都会出身の余所者という理由もあるが、花村家が抱えた
はぁと、陽介は気落ちしたため息を吐く。
雪子の話を聞く限り、瑞月の母親は地元と関わりの強い人間らしい。ならば、その娘である瑞月が稲羽市民と確執のある陽介に偏見を持っている可能性は否めない。
くわえて、本人はいかにも冷たそうな器質だ。それらが相まって、ふつうに話しかけるのは難しいかもしれないと、陽介は物憂げに結論付けた。
しかし、彼女と話す機会は思いもよらず早くにやってきた。
陽介の転倒事故に瑞月を巻きこんで水浸しにするという、最悪の出会いを経て。