文化祭当日
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しかし、淀んだ空気は突如として打ち払われる。
「撤回してください」
清廉な、声が響いた。聞いた者の淀みを洗い流すかのように、その声は凛と澄み切っている。
怪訝に呟いた客に、瑞月は毅然と切り返す。折っていた背を真っすぐに戻した、彼女の立ち姿は毅然としていた。
「『ポッとで』の言葉を撤回してくださいと申し上げました。ご理解いただけたでしょうか」
「『ポッとで』の何が間違ってるんだ。せいぜい設営に2日3日かけたばかりだろ」
「ご説明いたします。時間のお話ではなく、心持ちの話をしているのです」
彼女はついっと指を指し、模擬店内の数々を示していく。何人かのクラスメイトの名前が上がり、どのような働きをしたか、それが店にどのような影響を及ぼしたのか、瑞月は滔々と話していく。突如として彼女は、クラスメイトをほめちぎりだしたのである。
そして、その中には陽介の名前もあった。
「この席は、花村陽介君がスタッフとお客様の移動を考え、提案したものです。実際に、お客様への配膳がスムーズに行われ、転倒のトラブルもなく、私たちは料理を提供できています」
「だ、だから何だって言うんだっ」
痺れを切らした客が吠えた。瀬名はにこりとほほ笑む。それは、暖かな笑顔ではなかった、相手に恐怖を抱かせる、氷のような笑顔。
「この『いなば食堂』は地元理解の促進、企画運営による生徒たちの交流促進。学校が示した理念によって開店された店です。成り立ちから、利益も、すべて学校のもの。私たちの手元に残るのは、思い出と心の満足、それくらいです。
しかし、それでもいいと、クラスメイトの皆さんは、勉学・部活動に当てる貴重な時間を割いて奮闘してくださいました。なぜか?熱意があったのです。文化祭を楽しいものにしたいという熱意が」
瑞月の表情が変わる。氷が熱で蒸発したかのような変貌だった。キッと眉を吊り上げ、紺碧の瞳は怒りの炎を灯している。
「『ポッとで』という言葉は、クラスメイトたちが積み上げてきた努力と熱意を否定するもの。端的に言って、クラスに対する侮辱に他ならない」
研ぎ澄まされた言葉で、瑞月は粗暴な男を切った。
「新参者であろうが、良いサービスを提供しようとするクラスメイトの熱意と努力は生半可なものではありません。先ほどの発言、撤回してください。または、静粛な退去を願います。さもなくばーー」
瑞月がニコリと頬を歪めた。絶対零度の空気をまとって彼女は言い放つ。
「先生方に通告の上、然るべき対処をいたしましょう。ここが学び舎であるとの事実を、お忘れではありませんね?」
男の顔が急速に青くなった。瑞月は暗に、男の立場を示してみせたのだ。男は客である。しかし、この場所は飲食店以前に生徒たちを育てる教育機関だ。
生徒は守られる立場に位置する。教師に複数名の生徒が訴えたのならば、部外者である男は相応の処罰を受けるだろう。
入口を、手のひらで瑞月は示す。粗暴な男が呆然と入口を見て、よろよろと立ち上がった。瑞月は氷の笑みで男に告げた。
「私たちの商品を快く受け入れてくれる他のお客様に、私たちは限られた時間を使いたい。お客様、貴重なお時間を拝借いたしました。見送りまで、お付き合いいたします」
瑞月は男と共に、模擬店の入り口に向かう。冷ややかな瑞月に、群がっていた野次馬が海を割り開くかのように掃けた。男を優先して、後に続いた瑞月がくるりと振り返る。
「皆さん、お客様がいらっしゃっている。いい機会だ、クラスの熱意を披露してやろうじゃないか」
凛とした呼びかけに、クラスは我に返った。謎めいたテンションの高さで、野次馬を取り込み、文化祭も終盤だというのに『いなば食堂』のテーブルは瞬く間に埋まっていく。
「……なんか、すごかったね」
「……」
「花村?」
あっけにとられる千枝の問いかけに、陽介は答えない。湧き上がってくるのは歓喜か、感謝か、訳の分からない、ただ飛び跳ねたくなるような高揚感が陽介の胸をいっぱいに占めていた。
『新参者であろうが、良いサービスを提供しようとするクラスメイトの熱意と努力は生半可なものではありません』
今も、瑞月の言葉が陽介の頭の中で反響している。
「わり、里中。ちょっと……トイレ」
千枝に声をかけて、陽介は模擬店を立ち去った。
瑞月の言葉は陽介に向けたものではないかもしれない。けれど、だからこそ、瑞月の言葉は嬉しかった。瑞月は自分を『ジュネスの息子』としてではなく、『一人のクラスメイト』として見てくれた。そうして、結果として自分を庇ってくれた。
なぜか、湧き上がった涙を陽介は無性にこぼしたくなかった。
レッテルを張りつけられた花村陽介ではなく、『花村陽介』と、陽介が成したことをちゃんと見てくれていた。
その事実がこらえきれないほどに、褪せる感情が惜しいほどに、陽介は嬉しい。
「撤回してください」
清廉な、声が響いた。聞いた者の淀みを洗い流すかのように、その声は凛と澄み切っている。
怪訝に呟いた客に、瑞月は毅然と切り返す。折っていた背を真っすぐに戻した、彼女の立ち姿は毅然としていた。
「『ポッとで』の言葉を撤回してくださいと申し上げました。ご理解いただけたでしょうか」
「『ポッとで』の何が間違ってるんだ。せいぜい設営に2日3日かけたばかりだろ」
「ご説明いたします。時間のお話ではなく、心持ちの話をしているのです」
彼女はついっと指を指し、模擬店内の数々を示していく。何人かのクラスメイトの名前が上がり、どのような働きをしたか、それが店にどのような影響を及ぼしたのか、瑞月は滔々と話していく。突如として彼女は、クラスメイトをほめちぎりだしたのである。
そして、その中には陽介の名前もあった。
「この席は、花村陽介君がスタッフとお客様の移動を考え、提案したものです。実際に、お客様への配膳がスムーズに行われ、転倒のトラブルもなく、私たちは料理を提供できています」
「だ、だから何だって言うんだっ」
痺れを切らした客が吠えた。瀬名はにこりとほほ笑む。それは、暖かな笑顔ではなかった、相手に恐怖を抱かせる、氷のような笑顔。
「この『いなば食堂』は地元理解の促進、企画運営による生徒たちの交流促進。学校が示した理念によって開店された店です。成り立ちから、利益も、すべて学校のもの。私たちの手元に残るのは、思い出と心の満足、それくらいです。
しかし、それでもいいと、クラスメイトの皆さんは、勉学・部活動に当てる貴重な時間を割いて奮闘してくださいました。なぜか?熱意があったのです。文化祭を楽しいものにしたいという熱意が」
瑞月の表情が変わる。氷が熱で蒸発したかのような変貌だった。キッと眉を吊り上げ、紺碧の瞳は怒りの炎を灯している。
「『ポッとで』という言葉は、クラスメイトたちが積み上げてきた努力と熱意を否定するもの。端的に言って、クラスに対する侮辱に他ならない」
研ぎ澄まされた言葉で、瑞月は粗暴な男を切った。
「新参者であろうが、良いサービスを提供しようとするクラスメイトの熱意と努力は生半可なものではありません。先ほどの発言、撤回してください。または、静粛な退去を願います。さもなくばーー」
瑞月がニコリと頬を歪めた。絶対零度の空気をまとって彼女は言い放つ。
「先生方に通告の上、然るべき対処をいたしましょう。ここが学び舎であるとの事実を、お忘れではありませんね?」
男の顔が急速に青くなった。瑞月は暗に、男の立場を示してみせたのだ。男は客である。しかし、この場所は飲食店以前に生徒たちを育てる教育機関だ。
生徒は守られる立場に位置する。教師に複数名の生徒が訴えたのならば、部外者である男は相応の処罰を受けるだろう。
入口を、手のひらで瑞月は示す。粗暴な男が呆然と入口を見て、よろよろと立ち上がった。瑞月は氷の笑みで男に告げた。
「私たちの商品を快く受け入れてくれる他のお客様に、私たちは限られた時間を使いたい。お客様、貴重なお時間を拝借いたしました。見送りまで、お付き合いいたします」
瑞月は男と共に、模擬店の入り口に向かう。冷ややかな瑞月に、群がっていた野次馬が海を割り開くかのように掃けた。男を優先して、後に続いた瑞月がくるりと振り返る。
「皆さん、お客様がいらっしゃっている。いい機会だ、クラスの熱意を披露してやろうじゃないか」
凛とした呼びかけに、クラスは我に返った。謎めいたテンションの高さで、野次馬を取り込み、文化祭も終盤だというのに『いなば食堂』のテーブルは瞬く間に埋まっていく。
「……なんか、すごかったね」
「……」
「花村?」
あっけにとられる千枝の問いかけに、陽介は答えない。湧き上がってくるのは歓喜か、感謝か、訳の分からない、ただ飛び跳ねたくなるような高揚感が陽介の胸をいっぱいに占めていた。
『新参者であろうが、良いサービスを提供しようとするクラスメイトの熱意と努力は生半可なものではありません』
今も、瑞月の言葉が陽介の頭の中で反響している。
「わり、里中。ちょっと……トイレ」
千枝に声をかけて、陽介は模擬店を立ち去った。
瑞月の言葉は陽介に向けたものではないかもしれない。けれど、だからこそ、瑞月の言葉は嬉しかった。瑞月は自分を『ジュネスの息子』としてではなく、『一人のクラスメイト』として見てくれた。そうして、結果として自分を庇ってくれた。
なぜか、湧き上がった涙を陽介は無性にこぼしたくなかった。
レッテルを張りつけられた花村陽介ではなく、『花村陽介』と、陽介が成したことをちゃんと見てくれていた。
その事実がこらえきれないほどに、褪せる感情が惜しいほどに、陽介は嬉しい。