一陽来復
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時間の感覚などとうに忘れた頃、プリントを受け取ろうとした陽介の手が空を切った。
機械化した思考が戻ってきて、複合テーブルの上に紙束がなくなっていると陽介は気がつく。
紙束は全て小冊子の山へと姿を変えていた。陽介たちはパンフレット製作を終えたのだ。
集中の糸が切れて、陽介はドカッと椅子の背もたれに身体を投げ出す。バイトでもこんな集中状態はまれだ。達成感が胸を突いて自然と陽介は言葉を溢してしまう。
「はー、なんかすげー速さで終わった……。ははっ、見たかよ」
「そうだな。あっという間だった。折り目も針の留め方も几帳面で、きっちりしている。丁寧な仕事だ」
瑞月はというと、出来立ての小冊子を素早くめくっていった。顎に手を当てて、ふむふむと頷いている。パンフレットの出来に感心している様子だ。先ほど腹を立てた相手だというのに、褒められるとやはり嬉しい。達成感と共に、ジワリと優越感が陽介の内側に滲む。
「どーよ瀬名さん。俺、そんなにいい加減な奴じゃねーだろ」
「ああ、そうだな。ゆえに、私は君に謝らなければいけない」
「は?」
瑞月は席を立ち、椅子を机に納めた。そして、背筋を正し──陽介へと頭を下げる。瑞月が、陽介に向かって頭を下げているのだ。事故の翌日、屋上で話したあの日とはまったく立場が逆転している。陽介は驚きで脱力する。
「は? いや? なんで瀬名さんが頭下げてるの?」
「私が、君を侮辱する発言をしたからだ」
「ナ、ナンデシタデショウカ」
「作業を手伝う前、私は花村くんが作業に飽きる可能性を予想していたんだ。途中で作業に飽きられでもしたら、私は居心地が悪いからね。それに、仮にもお客様に出すものだ。中途半端に作られたら私が困る」
つまり瑞月は、陽介がしっかりと作業をこなす責任を持っているか問うていたのだ。
たしかに、来客用のパンフレットならいい加減なものは出せない。しかも、陽介は『いい加減な』運転をして、瑞月をびしょ濡れにした前科がある。信用できなくとも仕方がなかった。
瑞月は続ける。
「だから、花村くんの提案を撥ねつけた。それに対して、君は『俺はお前の手伝いだから、無関係ではない』と言ったね」
「あ、ああ、確かに言った。でも、それ、そんな気にするコトか」
瑞月は頭を上げた。一度まぶたを瞬かせ、陽介をしっかりと見据える。
「同情といった一時的な感情ではなくて、花村くんは、私が任せた役割をきちんと果たす誠意を持ってくれているのだと。
そして花村くんは、きちんと作業をやり遂げた。誠意を持ってね。だからこそ、君の誠意を諮 りもせずに、頭ごなしにけなした私の発言が許せない」
「ちょちょちょ、小難しく考えすぎじゃね!? 俺、そんなできた人間じゃねーよ!!」
「今、眼の前にあるパンフレットの山を見るんだ。君が、作ったものだよ。中央に折られた線はどれも歪みがないし、きれいだ。ホチキスだって、きちんと留めてある。花村くんが真剣に取り組んだからこそ、作れたものだよ」
瑞月はパンフレットを取って、両手で開いて陽介に見せた。たしかに、ホチキスは2カ所に自然な位置で留められているし、本の頭頂部から見える中央線は全てのページのものが狂いなく重なっている。
「だから、君には謝罪と──感謝を。私は花村くんのおかげでパンフレットを作り終えられた。予定よりもずっと早い時間で。──先程の礼は謝罪のもので、今度は感謝のものだ」
瑞月はなめらかに、しかしゆっくりと一礼する。そして、端麗な面立ちを陽介へと向けた。
「花村くん、ありがとう」
彼女の大きな寒色の瞳は、清らかな泉のごとく澄んでいる。瑞月は、心から陽介へと謝意を示した。瑞月の透明な青を見た瞬間、陽介は自分の胸がすくような心地を覚えた。
(あ、れ)
ノートを探して教室を回った徒労感や、モロキンに愚痴を延々と聞かされた鬱積、瑞月の発言に覚えた苛立ちも、瑞月の瞳に吸い込まれたかのように消えてしまったのである。
からっぽになった胸に、嬉しさと羞恥が満ちていく。瑞月の誉め言葉は、あまりにもストレートだ。心なしか、顔も熱い。
「そ、そんないいっつのに。恥ずいって」
「真剣に取り組んだ事実に、恥ずべきことなどないだろう。実際に私は助かった」
「なら、なおさら人に頼りゃいいのに。他の実行委員とか、友達に頼むとか、方法あるだろ。ほれ、これも」
やはりあの作業量は一人でこなすものではなかったのだと、陽介は腑に落ちる。対する瑞月はどこからか段ボールを取り出し、完成したパンフレットを詰めている。慌てて、陽介も手元にあったパンフレットをまとめて瑞月へと手渡す。
「ありがとう。もう1人は急用で帰宅した。それに、私に友人はいない」
「最後のそれ、堂々と言うコトじゃねーだろ……」
「事実だが。……さて、まとめ終わったな。では、私はパンフレットを職員室に持っていく。あとの片づけは私がやろう。ここまで手伝ってくれて、助かった」
「片づけったって、机かたすくらいだろ?俺がやっとく。手伝ったからには最後までやるし……それより、パンフ運ぶの俺も手伝った方がいいか?」
「気持ちはありがたいが、私だけでも問題ない重さだ。それから、私と一緒に職員室に向かえば、君は諸岡先生に絡まれるだろうな。あの人が放課後、職員室にいない時間なんて稀だから」
「……それはカンベンだな。今日はもうアイツの顔見たくない。んじゃ、大人しく俺は机片しとくよ」
「ありがとう。恩にきる」
パンフレットの入った段ボールを抱えて、瑞月は軽く頭を下げる。教室の入り口の近くまで歩くと、わざわざ近くの机に段ボールを一度おろしてからドアを開いた。ふいに、彼女が陽介へと振り向く。
「ところで花村くん、きみは苦手な飲み物はあるか?」
「え……特にないけど」
「承知した」
瑞月は軽く頷く。段ボールを再び抱えた彼女は、今度こそ陽介を振り返らずに速足で職員室へと向かっていった。一体どうして、瑞月は陽介に飲み物の話など振ったのだろうか。
といっても、彼女の真意など分かるはずがない。疑問を頭から追い出して、陽介は複合テーブルを崩していく。作業の途中、陽介の脳内で瑞月の澄んだ瞳が蘇った。
『花村くんは、きちんと作業をやり遂げた。誠意を持ってね』
『今、眼の前にあるパンフレットの山を見るんだ。君が、作ったものだよ。中央に折られた線はどれも歪みがないし、きれいだ。ホチキスだって、きちんと留めてある。花村くんが真剣に取り組んだからこそ、作れたものだよ』
『だから、君には謝罪と、感謝を。私は花村くんのおかげでパンフレットを作り終えられた。予定よりもずっと早い時間で。——先程の礼は謝罪のもので、今度は感謝のものだ』
『花村くん、ありがとう』
「自分のやったこと、真正面から褒められるのって久しぶりかもな……」
誰もいない教室にて、陽介は瑞月と作業に没頭していた机をそっと指でなぞった。
機械化した思考が戻ってきて、複合テーブルの上に紙束がなくなっていると陽介は気がつく。
紙束は全て小冊子の山へと姿を変えていた。陽介たちはパンフレット製作を終えたのだ。
集中の糸が切れて、陽介はドカッと椅子の背もたれに身体を投げ出す。バイトでもこんな集中状態はまれだ。達成感が胸を突いて自然と陽介は言葉を溢してしまう。
「はー、なんかすげー速さで終わった……。ははっ、見たかよ」
「そうだな。あっという間だった。折り目も針の留め方も几帳面で、きっちりしている。丁寧な仕事だ」
瑞月はというと、出来立ての小冊子を素早くめくっていった。顎に手を当てて、ふむふむと頷いている。パンフレットの出来に感心している様子だ。先ほど腹を立てた相手だというのに、褒められるとやはり嬉しい。達成感と共に、ジワリと優越感が陽介の内側に滲む。
「どーよ瀬名さん。俺、そんなにいい加減な奴じゃねーだろ」
「ああ、そうだな。ゆえに、私は君に謝らなければいけない」
「は?」
瑞月は席を立ち、椅子を机に納めた。そして、背筋を正し──陽介へと頭を下げる。瑞月が、陽介に向かって頭を下げているのだ。事故の翌日、屋上で話したあの日とはまったく立場が逆転している。陽介は驚きで脱力する。
「は? いや? なんで瀬名さんが頭下げてるの?」
「私が、君を侮辱する発言をしたからだ」
「ナ、ナンデシタデショウカ」
「作業を手伝う前、私は花村くんが作業に飽きる可能性を予想していたんだ。途中で作業に飽きられでもしたら、私は居心地が悪いからね。それに、仮にもお客様に出すものだ。中途半端に作られたら私が困る」
つまり瑞月は、陽介がしっかりと作業をこなす責任を持っているか問うていたのだ。
たしかに、来客用のパンフレットならいい加減なものは出せない。しかも、陽介は『いい加減な』運転をして、瑞月をびしょ濡れにした前科がある。信用できなくとも仕方がなかった。
瑞月は続ける。
「だから、花村くんの提案を撥ねつけた。それに対して、君は『俺はお前の手伝いだから、無関係ではない』と言ったね」
「あ、ああ、確かに言った。でも、それ、そんな気にするコトか」
瑞月は頭を上げた。一度まぶたを瞬かせ、陽介をしっかりと見据える。
「同情といった一時的な感情ではなくて、花村くんは、私が任せた役割をきちんと果たす誠意を持ってくれているのだと。
そして花村くんは、きちんと作業をやり遂げた。誠意を持ってね。だからこそ、君の誠意を
「ちょちょちょ、小難しく考えすぎじゃね!? 俺、そんなできた人間じゃねーよ!!」
「今、眼の前にあるパンフレットの山を見るんだ。君が、作ったものだよ。中央に折られた線はどれも歪みがないし、きれいだ。ホチキスだって、きちんと留めてある。花村くんが真剣に取り組んだからこそ、作れたものだよ」
瑞月はパンフレットを取って、両手で開いて陽介に見せた。たしかに、ホチキスは2カ所に自然な位置で留められているし、本の頭頂部から見える中央線は全てのページのものが狂いなく重なっている。
「だから、君には謝罪と──感謝を。私は花村くんのおかげでパンフレットを作り終えられた。予定よりもずっと早い時間で。──先程の礼は謝罪のもので、今度は感謝のものだ」
瑞月はなめらかに、しかしゆっくりと一礼する。そして、端麗な面立ちを陽介へと向けた。
「花村くん、ありがとう」
彼女の大きな寒色の瞳は、清らかな泉のごとく澄んでいる。瑞月は、心から陽介へと謝意を示した。瑞月の透明な青を見た瞬間、陽介は自分の胸がすくような心地を覚えた。
(あ、れ)
ノートを探して教室を回った徒労感や、モロキンに愚痴を延々と聞かされた鬱積、瑞月の発言に覚えた苛立ちも、瑞月の瞳に吸い込まれたかのように消えてしまったのである。
からっぽになった胸に、嬉しさと羞恥が満ちていく。瑞月の誉め言葉は、あまりにもストレートだ。心なしか、顔も熱い。
「そ、そんないいっつのに。恥ずいって」
「真剣に取り組んだ事実に、恥ずべきことなどないだろう。実際に私は助かった」
「なら、なおさら人に頼りゃいいのに。他の実行委員とか、友達に頼むとか、方法あるだろ。ほれ、これも」
やはりあの作業量は一人でこなすものではなかったのだと、陽介は腑に落ちる。対する瑞月はどこからか段ボールを取り出し、完成したパンフレットを詰めている。慌てて、陽介も手元にあったパンフレットをまとめて瑞月へと手渡す。
「ありがとう。もう1人は急用で帰宅した。それに、私に友人はいない」
「最後のそれ、堂々と言うコトじゃねーだろ……」
「事実だが。……さて、まとめ終わったな。では、私はパンフレットを職員室に持っていく。あとの片づけは私がやろう。ここまで手伝ってくれて、助かった」
「片づけったって、机かたすくらいだろ?俺がやっとく。手伝ったからには最後までやるし……それより、パンフ運ぶの俺も手伝った方がいいか?」
「気持ちはありがたいが、私だけでも問題ない重さだ。それから、私と一緒に職員室に向かえば、君は諸岡先生に絡まれるだろうな。あの人が放課後、職員室にいない時間なんて稀だから」
「……それはカンベンだな。今日はもうアイツの顔見たくない。んじゃ、大人しく俺は机片しとくよ」
「ありがとう。恩にきる」
パンフレットの入った段ボールを抱えて、瑞月は軽く頭を下げる。教室の入り口の近くまで歩くと、わざわざ近くの机に段ボールを一度おろしてからドアを開いた。ふいに、彼女が陽介へと振り向く。
「ところで花村くん、きみは苦手な飲み物はあるか?」
「え……特にないけど」
「承知した」
瑞月は軽く頷く。段ボールを再び抱えた彼女は、今度こそ陽介を振り返らずに速足で職員室へと向かっていった。一体どうして、瑞月は陽介に飲み物の話など振ったのだろうか。
といっても、彼女の真意など分かるはずがない。疑問を頭から追い出して、陽介は複合テーブルを崩していく。作業の途中、陽介の脳内で瑞月の澄んだ瞳が蘇った。
『花村くんは、きちんと作業をやり遂げた。誠意を持ってね』
『今、眼の前にあるパンフレットの山を見るんだ。君が、作ったものだよ。中央に折られた線はどれも歪みがないし、きれいだ。ホチキスだって、きちんと留めてある。花村くんが真剣に取り組んだからこそ、作れたものだよ』
『だから、君には謝罪と、感謝を。私は花村くんのおかげでパンフレットを作り終えられた。予定よりもずっと早い時間で。——先程の礼は謝罪のもので、今度は感謝のものだ』
『花村くん、ありがとう』
「自分のやったこと、真正面から褒められるのって久しぶりかもな……」
誰もいない教室にて、陽介は瑞月と作業に没頭していた机をそっと指でなぞった。