1章
夢小説設定
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◇◇◇
どうやら遠野さんは、人には言えない──メイドカフェのバイトについて、知らず知らずに重荷になっていたらしい。悪いことをしているわけではない。なのにどうして自分は口をつぐみ、秘密が明るみになることを恐れなければいけないんだろうと。
だからか、と俺は納得した。身元が明るみになった直後、彼女が駅で泣いた姿を思い出す。
彼女は否定されると思ったんだ。自分は誇りを持って取り組んでいる仕事を、否定されるのではないか。そんな恐れが、あの宙にぶちまけられたバックの中身を見られたときに爆発したのだ。
『だから、うれしかったの。花村くんがそんなふうに『すごい』って肯定してくれたことが』
『ありがとう。花村くんはやさしい人だね』
泣き止んだ遠野さんは、そう言ってはにかんだ。沖奈駅で別れた遠野さんは清々しい、星が輝く夜空のような笑みとともに、俺に手を振ってくれた。その笑顔を思い出すと頬が熱くなる。だからバイクに乗っているいまは、頬を撫でる風が涼しくて心地いい。
「やっぱ、遠野さんは笑ってたほうがかわいいな」
ポツリと呟いて俺は想いを馳せた。どうして俺が彼女の正体に気がつけたのか。その理由となる、ジュネス年末年始のアルバイトの記憶について。
それまで、俺は遠野さんのことを知らなかった。いや、いちクラスメイトとして知ってはいた。なぜなら彼女は、テスト成績上位の常連だったから。けれど、それだけ。特段なにか感情を抱いていたわけではない。ただ一緒のクラスしか縁のない、地味な同級生。それが遠野さんに対する俺の印象だった。
それが変わったのは、ジュネスでの年末年始商戦のことだ。年中無休のジュネスは、もちろん大晦日のセールや初売り出しで大忙しになる。そのための人でも当然になるから、臨時バイトの募集がかけられた。その中にいたひとりが、遠野さんだったというわけだ。
そうして迎えた怒涛の年末年始。セールによって人は押し寄せ、商品は飛ぶように売れる。特に俺と遠野さんが割り振られたグロサリー部門は特にすごかった。
並べたばかりの商品が嵐のように巻き上げられてなくなるというのに、慣れない臨時バイトも多い分正社員やバイトリーダーによる統制もあまくなるから、裏方は戦場のように混沌としていた。あまりの忙しさに、初日で音を上げて辞退するアルバイトも出たほどだ。
けれど遠野さんは違った。引き受けたバイトを放棄しないのは勿論のこと、小さい身体のどこにそんな力があるのかというほど活躍した。2段の段ボールを抱えて持ってきては、まるで燕みたいに機敏に売り場とバックヤードを往来した。さらに──
『花村くん、いま足りなそうなものってありますか?』
そう俺や正社員さんに尋ねては、バックヤードを取りしきるスタッフさんに逐一売り場の状況を報告してくれたんだ。おかげでバックヤードと売り場の連携が取れて、初日は流れが悪かった商品たちもスムーズに捌けていった。
おれは驚いた。勉強熱心……くらいにしか思ってなかった同級生がこんなに働き者だなんて。そして慣れない場所で夢中で働く遠野さんは、学校の姿からは考えられないほどカッコよかった。正直、臨時バイトの中で彼女ほど働いた人はいなかったように思う。
だから俺は年末年始商戦のバイト最終日に、ちょっとしたお礼をしにいったんだ。ちょっとしたお菓子の詰め合わせみたいなのを携えて、ありがとうって。そしたら
『こちらこそ、ありがとうございました。花村くんにそういっていただけて、うれしいです』
『え、俺なんかに?』
『『俺なんか』じゃ、ないですよ』
──誰よりも頑張っていた、あなたに言われたから、うれしいんです。
そういって、彼女は屈託なく笑った。俺があげた菓子折りを大切に胸の中へと抱えながら。
星を散らしたようにきれいな瞳を輝かせながら。
(その笑顔と、瞳の輝かせかたがそっくりだったから、気づけたんだ)
それにしても、と俺は思う。ジュネスのクーポン、しかも精肉のクーポンに喜ぶなんて不思議な子だと。
(不思議といえば、アレも不思議だったな……)
『ひとつ聞いてもいい?』
別れ際のことだ。喫茶店『シャガール』から出て、遠野さんを改札まで送る最中のことだ。
『はい、なんでしょうか?』と振り返る彼女に、俺は彼女に尋ねた。
『なんで遠野さんは今のトコで働いてんだ? あの店のことがバレたら、リスク被ることだって分かってただろ?』
「……そうだね。花村くんのいうとおりです。でも……」
遠野さんは少しだけ、視線をさまよわせた。だが、覚悟を決めたように頷いて口を開いた。
『あそこ、お給料がいいんです。私どうしても、ほしいものがあるので』
『その欲しいものって?』
『……そうですね。あまり大っぴらには言えないんですけど……私が自分の全部をかけてでも、手に入れたいって思うものなんです』
時間も、財産も、青春も、私の何もかもを投げうってでも。
そんな大げさな。と俺は言いそうになった。けれど、唇を固く結んだ遠野さんがひどく真剣な瞳をしていたから、圧倒されてなにも言えなかった。
「……なんなんだろうな。自分の全部を投げ打ってでも、手に入れたいものって」
バイクを運転しながら、俺はポツリと呟く。彼女が何を欲しているのかは分からない。けれど、欲しいものがあって一生懸命に働いている遠野さんには、同じくバイトに励む人間同士の親近感と、目標にむかって突き進んでいくまっすぐな姿勢に憧憬のようなものを感じて、目を細める。
だって、俺には、そんな自分の何もかもを犠牲にしてまで手に入れたいと願うものはないから。
(真面目な遠野さんがあんな真剣になるんだ。きっとスゲーもんなんだろうな)
仕事熱心なところが似ているけど、へらへら周りに流される俺なんかと違って、自分なりの目標を持って行動する遠野さん。彼女のしゃんとした佇まいが思い浮かんで、なんだか応援してあげたい。
いつの間にか、バイクは大道路に差しかかっていた。遮蔽物のないパノラマの空が頭上に広がる。太陽はすっかり沈んでしまって、紺色の夜闇には金の星々がまたたく。
その輝きが心からの笑顔を浮かべた遠野さんの瞳に似ていて。
「……ッ」
吹きつける風の冷たさも気にならないくらい、頬が火照った。
どうやら遠野さんは、人には言えない──メイドカフェのバイトについて、知らず知らずに重荷になっていたらしい。悪いことをしているわけではない。なのにどうして自分は口をつぐみ、秘密が明るみになることを恐れなければいけないんだろうと。
だからか、と俺は納得した。身元が明るみになった直後、彼女が駅で泣いた姿を思い出す。
彼女は否定されると思ったんだ。自分は誇りを持って取り組んでいる仕事を、否定されるのではないか。そんな恐れが、あの宙にぶちまけられたバックの中身を見られたときに爆発したのだ。
『だから、うれしかったの。花村くんがそんなふうに『すごい』って肯定してくれたことが』
『ありがとう。花村くんはやさしい人だね』
泣き止んだ遠野さんは、そう言ってはにかんだ。沖奈駅で別れた遠野さんは清々しい、星が輝く夜空のような笑みとともに、俺に手を振ってくれた。その笑顔を思い出すと頬が熱くなる。だからバイクに乗っているいまは、頬を撫でる風が涼しくて心地いい。
「やっぱ、遠野さんは笑ってたほうがかわいいな」
ポツリと呟いて俺は想いを馳せた。どうして俺が彼女の正体に気がつけたのか。その理由となる、ジュネス年末年始のアルバイトの記憶について。
それまで、俺は遠野さんのことを知らなかった。いや、いちクラスメイトとして知ってはいた。なぜなら彼女は、テスト成績上位の常連だったから。けれど、それだけ。特段なにか感情を抱いていたわけではない。ただ一緒のクラスしか縁のない、地味な同級生。それが遠野さんに対する俺の印象だった。
それが変わったのは、ジュネスでの年末年始商戦のことだ。年中無休のジュネスは、もちろん大晦日のセールや初売り出しで大忙しになる。そのための人でも当然になるから、臨時バイトの募集がかけられた。その中にいたひとりが、遠野さんだったというわけだ。
そうして迎えた怒涛の年末年始。セールによって人は押し寄せ、商品は飛ぶように売れる。特に俺と遠野さんが割り振られたグロサリー部門は特にすごかった。
並べたばかりの商品が嵐のように巻き上げられてなくなるというのに、慣れない臨時バイトも多い分正社員やバイトリーダーによる統制もあまくなるから、裏方は戦場のように混沌としていた。あまりの忙しさに、初日で音を上げて辞退するアルバイトも出たほどだ。
けれど遠野さんは違った。引き受けたバイトを放棄しないのは勿論のこと、小さい身体のどこにそんな力があるのかというほど活躍した。2段の段ボールを抱えて持ってきては、まるで燕みたいに機敏に売り場とバックヤードを往来した。さらに──
『花村くん、いま足りなそうなものってありますか?』
そう俺や正社員さんに尋ねては、バックヤードを取りしきるスタッフさんに逐一売り場の状況を報告してくれたんだ。おかげでバックヤードと売り場の連携が取れて、初日は流れが悪かった商品たちもスムーズに捌けていった。
おれは驚いた。勉強熱心……くらいにしか思ってなかった同級生がこんなに働き者だなんて。そして慣れない場所で夢中で働く遠野さんは、学校の姿からは考えられないほどカッコよかった。正直、臨時バイトの中で彼女ほど働いた人はいなかったように思う。
だから俺は年末年始商戦のバイト最終日に、ちょっとしたお礼をしにいったんだ。ちょっとしたお菓子の詰め合わせみたいなのを携えて、ありがとうって。そしたら
『こちらこそ、ありがとうございました。花村くんにそういっていただけて、うれしいです』
『え、俺なんかに?』
『『俺なんか』じゃ、ないですよ』
──誰よりも頑張っていた、あなたに言われたから、うれしいんです。
そういって、彼女は屈託なく笑った。俺があげた菓子折りを大切に胸の中へと抱えながら。
星を散らしたようにきれいな瞳を輝かせながら。
(その笑顔と、瞳の輝かせかたがそっくりだったから、気づけたんだ)
それにしても、と俺は思う。ジュネスのクーポン、しかも精肉のクーポンに喜ぶなんて不思議な子だと。
(不思議といえば、アレも不思議だったな……)
『ひとつ聞いてもいい?』
別れ際のことだ。喫茶店『シャガール』から出て、遠野さんを改札まで送る最中のことだ。
『はい、なんでしょうか?』と振り返る彼女に、俺は彼女に尋ねた。
『なんで遠野さんは今のトコで働いてんだ? あの店のことがバレたら、リスク被ることだって分かってただろ?』
「……そうだね。花村くんのいうとおりです。でも……」
遠野さんは少しだけ、視線をさまよわせた。だが、覚悟を決めたように頷いて口を開いた。
『あそこ、お給料がいいんです。私どうしても、ほしいものがあるので』
『その欲しいものって?』
『……そうですね。あまり大っぴらには言えないんですけど……私が自分の全部をかけてでも、手に入れたいって思うものなんです』
時間も、財産も、青春も、私の何もかもを投げうってでも。
そんな大げさな。と俺は言いそうになった。けれど、唇を固く結んだ遠野さんがひどく真剣な瞳をしていたから、圧倒されてなにも言えなかった。
「……なんなんだろうな。自分の全部を投げ打ってでも、手に入れたいものって」
バイクを運転しながら、俺はポツリと呟く。彼女が何を欲しているのかは分からない。けれど、欲しいものがあって一生懸命に働いている遠野さんには、同じくバイトに励む人間同士の親近感と、目標にむかって突き進んでいくまっすぐな姿勢に憧憬のようなものを感じて、目を細める。
だって、俺には、そんな自分の何もかもを犠牲にしてまで手に入れたいと願うものはないから。
(真面目な遠野さんがあんな真剣になるんだ。きっとスゲーもんなんだろうな)
仕事熱心なところが似ているけど、へらへら周りに流される俺なんかと違って、自分なりの目標を持って行動する遠野さん。彼女のしゃんとした佇まいが思い浮かんで、なんだか応援してあげたい。
いつの間にか、バイクは大道路に差しかかっていた。遮蔽物のないパノラマの空が頭上に広がる。太陽はすっかり沈んでしまって、紺色の夜闇には金の星々がまたたく。
その輝きが心からの笑顔を浮かべた遠野さんの瞳に似ていて。
「……ッ」
吹きつける風の冷たさも気にならないくらい、頬が火照った。