1章
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「ん~、おいし~~!」
律儀に手を合わせて、一口掬い取ったイチゴパフェを食した遠野さんの第一声である。声と言葉に違わず、彼女の表情も本当にうれしそうだ。ほっぺたを抑えてふにゃっとやわらかく笑う彼女のまわりには、パステルカラーの綿毛がとびかっている。
それからまた一口食べては笑顔を浮かべ、すいっと上品なしぐさで、もう一口。ほんとうに幸せそうにパフェを味わう彼女の食べ方は、見ている俺からすればとても気持ちいいもので。
オゴった甲斐があったな。なんて笑いながらチーズケーキに手をつける。同時にこれさいわいと遠野さんに雑談をしかけた。
「はは、そりゃよかった。さっきメニュー表みてて、遠野さん興味もってるっぽかったからさ」
「ええ、わたしそんなに赤裸々だった? は、恥ずかしいなぁ……」
「いいじゃんいいじゃん。おかげで俺は遠野さんが好きなもん頼めたしさ。パフェ好きなの?」
「ん~~、パフェっていうか、イチゴと生クリームが魅惑的だったんだ。ショートケーキみたいで」
「へー、ショートケーキ好きなんか。なんか意外。遠野さんなら、ティラミスとかチョコケーキとか好きそうだけど」
紺の髪に、ブルーグレーの瞳。地味……というか落ち着いた寒色の色合いの彼女には、なんとなくシックで大人っぽいケーキが似合いそうな気がした。ふんわりとした生クリームの白とか、きらびやか赤じゃなくて。俺の言葉を聞いた彼女はふふっと笑う。
「たしかに、他の人にもそう言われるなぁ。私の見た目的にそういうのが似合いそうって。……でも、私にとっては思い出のケーキだから。やっぱりショートケーキが一番好きかな」
そう告げた遠野さんの笑顔にほんの少し翳りが落ちて、俺は既視感を覚え——そして胸がざわついた。だって、その翳りがいいものではなかったから。
彼女の翳りは、まるで葬儀のときのそれだ。今はない誰かを偲ぶとき、頭を俯けたときに顔にかかる喪失の翳り──。
「だからね、こうして食べられて嬉しいんだよ。ありがとうね花村くん」
だが瞬時に、彼女は笑った。思い出の品に巡りあえて幸せだといわんばかりの、やわらかな笑み。暗い表情から一転して繰り出されたてらいのない感謝に、「お、おう……」と俺は相槌を打つ。
遠野さんははむっとイチゴパフェを口にした。白くてなめらかな生クリームとイチゴのあまずっぱさ。そのマリアージュを幸せそうに目を細めてしみじみ楽しむと「さて!」と意気込んだ声をあげた。
「じゃあ、あまいものもご馳走になったし、そろそろちゃんとお話ししないとね。ちょっと話すのは……恥ずかしいんだけど……その覚えてるよね? 私が転んだときに落としちゃった名刺のこと」
「……ああばっちり。つーか遠野さん、今日ガッコ休んでたよな。もしかして……そのバイトのせい……?」
「う……そこを突かれるとなんとも痛いです」
俺の指摘に、遠野さんはウグッと眉根を寄せる。学校を休んだという罪悪感がひしひしと伝わってきて、さすがにからかったり責めたりなんてできなかった。
そもそも交流は薄いけど──真面目な彼女のことだ。学校を理由なしに休むなんてするはずがない。
どうして。と頭に疑問が浮かんだ俺にむけて、遠野さんはショルダーバックからスッと小さい紙片を取り出した。
「花村くんのお察しのとおり、私こうゆうお店でバイトしてるんだ。これが私の名刺だよ」
そういって、手にした名刺──フリフリのメイド服を着た彼女の写真が載ったものを遠野さんは俺の眼前にすべらせる。
【『メイドカフェ twin☆kle』 専属メイド 『ステラ』】
名刺には、彼女がバイトしているのであろうメイドカフェの名前と、彼女の源氏名らしいものが、いかにもファンシーな文体で印刷されている。それを見た俺はひとこと、素直な感想を口にした。
「……なんか、カッコもずいぶん違うな。髪もこっちのが長いし、黒ブチの眼鏡つけてないし」
「あはは、そうでしょう。眼鏡は外して、髪はウィッグつけてるの。身元バレたくなくってね」
「あと、雰囲気も。なんかこっちの遠野さん、はなやかっつーか……すげー女の子らしいっつか」
「そう?」
「うん。普段、遠野さんって地味っつーか……ッ!」
しまった。俺はあわてて口を塞ぐ。女の子に『女の子らしい』とか、ましてや『地味』とか、完全にレッドカード! けれど「あははっ」と鈴を転がすような笑い声が耳に届く。見れば遠野さんは、笑い声が飛び出した口元を指先で覆っているところだった。でも、そのはじけるような笑いの明るさを覆い隠すことはできていない。
「うん。雰囲気が違うっていうのは、同僚さんから良く言われるし、『素が地味』っていうのもよく言われるよ」
「え、なら、なんでんな嬉しそうに……」
よく言われているのなら、その分辟易してもおかしくないはず。なのに彼女は、心から本当にうれしそうに笑ってみせる。その答えを、彼女は名刺の写真と同じくらい——いや、ナマで見るぶん、いっそう華やかな笑顔とともに答えた。
「こんな地味な私でも、メイドのときはちゃんと華やかに女の子らしく振る舞えてるんだってわかって、うれしかったから」
彼女の笑顔に、誇りをみた。着実に重ねた苦労と努力によって掘り出された宝石みたいな揺るぎない誇りが、彼女のブルーグレーの瞳のなかで輝いている。だが、それも一瞬。すぐに遠野さんは口調をちょっと落ち着いたものに切り替えた。
「まぁでも、あんまり詳しくない人とかからみたら、なんかコスプレしてる店員さんが切り盛りする中身が分からないあやしいお店って思うこともあるだろうから。私の秘密を知っちゃった花村くんには、ちゃんと説明しておきたかったんだ。ファミリーレストランとか喫茶店とか、フツーの飲食店と変わらないよって。それと……」
「それと……?」
にわかに、遠野さんが不安にまぶたを伏せる。
「『言わないで』って頼みたかったの。私があのお店でバイトしてること。絶対働いてるなんてわかったら、私学校でいる場所なくなっちゃうから」
「……」
彼女の訴えには、切実な響きがあった。その頼みごとが、遠野さんにとってとても重要であることは明白で。俺は沈黙を選ぶ。彼女がちゃんと話ができるように。遠野さんははむっとイチゴパフェをほおばった。ひとくちの甘い食べ物で栄養と休息を得ると、遠野さんはコトリとパフェスプーンを机に置いて話を続ける。
「さっき花村くんが言ってたけど、今日の学校をお休みしたのは、どうしてもバイトに出たかったから」
「出なきゃいけなかった……じゃなくて?」
「違うよ。私が自分の意志で店長にお話を通して、シフトを希望して、出させてもらったの。でも学校からしたら、欠席理由を偽ったっていうのもダメだけど、私が『メイド喫茶』でバイトしていることがバレたら、諸岡先生とか、噂好きな生徒とかが絶対囃し立ててくる」
「…………」
「そうしたら、私はバイトをやめなきゃいけない」
そう語る遠野さんの顔色には、苦いものが混じる。うちの学校について知っているからこそ、俺は彼女の懸念が理解できた。
ウチの学校の生活指導教員こと諸岡金四郎、通称『モロキン』は、風紀や生徒指導にとにかく厳しいと有名で、おまけに生徒に対しては上から押さえつけるみたいに高圧的だ。しかも、『不純異性交遊』と称して男女の付き合いには容赦がない。
去年だって、授業をサボってデートしていたハチコーカップルが問答無用で停学処分になったって、掲示板にデカデカ公表されてた。そんなヤツが、もしも遠野さんのバイトについて知ったら──彼女がひどい目に遭うのは想像に難くない。
「でも、私はあそこで働いていたいんだ。自分のためにもやめたくない。……だから、今日見たことは誰にも言わないで。お願い……!」
「ちょちょちょ、待って。頭上げてくれ!」
椅子から立って俺に頭を下げようとする遠野さんを、俺はあわてて差し止める。んなことしなくても彼女の熱を帯びた語りから、バイトを大切にしていることは明白だった。だから、俺に頭なんて下げてほしくなかった。遠野さんが自分の仕事に誇りを持っているっていうんなら、その誇りは俺なんかに頭を下げて、けなされていいものじゃない。
「言わねーよ、ゼッタイ。あぶねーことならそうするけど、遠野さんの話からすると、そうじゃないみたいだし」
「え……」
俺の宣言に、遠野さんは目を丸くした。まるで俺の言葉が予想外だったというみたいに。
「あ、あの、『違うバイトでもいい』とか言わないんですか?」
「ん? 言わねーよ? だって遠野さん、バイトの話してるときスゲー楽しそうだったじゃんか」
「あ、はい。バイトすごく楽しいです」
「ふはっ、なんで敬語。……俺もバイトやってるから分かるんだけどさ、バイトって楽しいことばっかじゃないじゃん。メイドカフェ、なんて要するに接客業だろ? なら、お客とのトラブルとかもありそうだし」
「あ、はい……ちょっと変わったお客さんとか来たときとか、困ります」
おおっと。若干遠野さんの肩がしょぼんとしてしまった。しかも大きな瞳から光が失われている。なにか嫌なことを思い出してしまっただろう彼女を盛り立てるために、俺は声のトーンも明るく宣言した。
「だからさ、どんな仕事でも苦しいこととか嫌だなってことがあるのは仕方ない。でも、そういうのひっくるめて『バイトが楽しい』って言える遠野さん、おなじくバイトしてる俺からすりゃあ、すげぇなって思うんだ」
それは心からの言葉だった。働いてれば、肉体労働、精神的疲労、人間関係……様々な苦労からは逃れられない。そういう誰かの苦労を代わりに引き受けて、その対価としてお金を貰うこと。それが『働く』ってことだと、俺は思うから。だからそういう苦労にもめげずに、全部ひっくるめて『楽しい』と言える遠野さんを俺は本当に……心からすごいと思ったんだ。
俺はニッと笑ってみせた。遠野さんにむかってまっすぐに、尊敬を示すために。遠野さんはキョトンとした様子で目をパチクリさせている。パチ、パチ──ポロリ。ポロポロポロ。
「え……?」
「あ……」
衝撃で、俺はチーズケーキにフォークをぶっさす。やわらかなケーキにフォークが墓標みたいに直立した。遠野さんは、泣いていた。大きな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼして。
「うえぇぇぇ!? ちょ、遠野さん!? ごめん、なんかオレ、分かりきったこと説教くさく」
「あ、あれ、ちがくて……おかしいな……」
遠野さん、泣いていることに気がつかなかったらしい。ポケットに忍ばせていたのであろうハンカチで、あわてて涙をぬぐい拭う。
「うれし、のに、ど……して、なみだが、でるんだろう?」
そういって、澄んだ涙を流しながら頬を桜色にほほえんだ彼女は、とてもとてもきれいだった。
律儀に手を合わせて、一口掬い取ったイチゴパフェを食した遠野さんの第一声である。声と言葉に違わず、彼女の表情も本当にうれしそうだ。ほっぺたを抑えてふにゃっとやわらかく笑う彼女のまわりには、パステルカラーの綿毛がとびかっている。
それからまた一口食べては笑顔を浮かべ、すいっと上品なしぐさで、もう一口。ほんとうに幸せそうにパフェを味わう彼女の食べ方は、見ている俺からすればとても気持ちいいもので。
オゴった甲斐があったな。なんて笑いながらチーズケーキに手をつける。同時にこれさいわいと遠野さんに雑談をしかけた。
「はは、そりゃよかった。さっきメニュー表みてて、遠野さん興味もってるっぽかったからさ」
「ええ、わたしそんなに赤裸々だった? は、恥ずかしいなぁ……」
「いいじゃんいいじゃん。おかげで俺は遠野さんが好きなもん頼めたしさ。パフェ好きなの?」
「ん~~、パフェっていうか、イチゴと生クリームが魅惑的だったんだ。ショートケーキみたいで」
「へー、ショートケーキ好きなんか。なんか意外。遠野さんなら、ティラミスとかチョコケーキとか好きそうだけど」
紺の髪に、ブルーグレーの瞳。地味……というか落ち着いた寒色の色合いの彼女には、なんとなくシックで大人っぽいケーキが似合いそうな気がした。ふんわりとした生クリームの白とか、きらびやか赤じゃなくて。俺の言葉を聞いた彼女はふふっと笑う。
「たしかに、他の人にもそう言われるなぁ。私の見た目的にそういうのが似合いそうって。……でも、私にとっては思い出のケーキだから。やっぱりショートケーキが一番好きかな」
そう告げた遠野さんの笑顔にほんの少し翳りが落ちて、俺は既視感を覚え——そして胸がざわついた。だって、その翳りがいいものではなかったから。
彼女の翳りは、まるで葬儀のときのそれだ。今はない誰かを偲ぶとき、頭を俯けたときに顔にかかる喪失の翳り──。
「だからね、こうして食べられて嬉しいんだよ。ありがとうね花村くん」
だが瞬時に、彼女は笑った。思い出の品に巡りあえて幸せだといわんばかりの、やわらかな笑み。暗い表情から一転して繰り出されたてらいのない感謝に、「お、おう……」と俺は相槌を打つ。
遠野さんははむっとイチゴパフェを口にした。白くてなめらかな生クリームとイチゴのあまずっぱさ。そのマリアージュを幸せそうに目を細めてしみじみ楽しむと「さて!」と意気込んだ声をあげた。
「じゃあ、あまいものもご馳走になったし、そろそろちゃんとお話ししないとね。ちょっと話すのは……恥ずかしいんだけど……その覚えてるよね? 私が転んだときに落としちゃった名刺のこと」
「……ああばっちり。つーか遠野さん、今日ガッコ休んでたよな。もしかして……そのバイトのせい……?」
「う……そこを突かれるとなんとも痛いです」
俺の指摘に、遠野さんはウグッと眉根を寄せる。学校を休んだという罪悪感がひしひしと伝わってきて、さすがにからかったり責めたりなんてできなかった。
そもそも交流は薄いけど──真面目な彼女のことだ。学校を理由なしに休むなんてするはずがない。
どうして。と頭に疑問が浮かんだ俺にむけて、遠野さんはショルダーバックからスッと小さい紙片を取り出した。
「花村くんのお察しのとおり、私こうゆうお店でバイトしてるんだ。これが私の名刺だよ」
そういって、手にした名刺──フリフリのメイド服を着た彼女の写真が載ったものを遠野さんは俺の眼前にすべらせる。
【『メイドカフェ twin☆kle』 専属メイド 『ステラ』】
名刺には、彼女がバイトしているのであろうメイドカフェの名前と、彼女の源氏名らしいものが、いかにもファンシーな文体で印刷されている。それを見た俺はひとこと、素直な感想を口にした。
「……なんか、カッコもずいぶん違うな。髪もこっちのが長いし、黒ブチの眼鏡つけてないし」
「あはは、そうでしょう。眼鏡は外して、髪はウィッグつけてるの。身元バレたくなくってね」
「あと、雰囲気も。なんかこっちの遠野さん、はなやかっつーか……すげー女の子らしいっつか」
「そう?」
「うん。普段、遠野さんって地味っつーか……ッ!」
しまった。俺はあわてて口を塞ぐ。女の子に『女の子らしい』とか、ましてや『地味』とか、完全にレッドカード! けれど「あははっ」と鈴を転がすような笑い声が耳に届く。見れば遠野さんは、笑い声が飛び出した口元を指先で覆っているところだった。でも、そのはじけるような笑いの明るさを覆い隠すことはできていない。
「うん。雰囲気が違うっていうのは、同僚さんから良く言われるし、『素が地味』っていうのもよく言われるよ」
「え、なら、なんでんな嬉しそうに……」
よく言われているのなら、その分辟易してもおかしくないはず。なのに彼女は、心から本当にうれしそうに笑ってみせる。その答えを、彼女は名刺の写真と同じくらい——いや、ナマで見るぶん、いっそう華やかな笑顔とともに答えた。
「こんな地味な私でも、メイドのときはちゃんと華やかに女の子らしく振る舞えてるんだってわかって、うれしかったから」
彼女の笑顔に、誇りをみた。着実に重ねた苦労と努力によって掘り出された宝石みたいな揺るぎない誇りが、彼女のブルーグレーの瞳のなかで輝いている。だが、それも一瞬。すぐに遠野さんは口調をちょっと落ち着いたものに切り替えた。
「まぁでも、あんまり詳しくない人とかからみたら、なんかコスプレしてる店員さんが切り盛りする中身が分からないあやしいお店って思うこともあるだろうから。私の秘密を知っちゃった花村くんには、ちゃんと説明しておきたかったんだ。ファミリーレストランとか喫茶店とか、フツーの飲食店と変わらないよって。それと……」
「それと……?」
にわかに、遠野さんが不安にまぶたを伏せる。
「『言わないで』って頼みたかったの。私があのお店でバイトしてること。絶対働いてるなんてわかったら、私学校でいる場所なくなっちゃうから」
「……」
彼女の訴えには、切実な響きがあった。その頼みごとが、遠野さんにとってとても重要であることは明白で。俺は沈黙を選ぶ。彼女がちゃんと話ができるように。遠野さんははむっとイチゴパフェをほおばった。ひとくちの甘い食べ物で栄養と休息を得ると、遠野さんはコトリとパフェスプーンを机に置いて話を続ける。
「さっき花村くんが言ってたけど、今日の学校をお休みしたのは、どうしてもバイトに出たかったから」
「出なきゃいけなかった……じゃなくて?」
「違うよ。私が自分の意志で店長にお話を通して、シフトを希望して、出させてもらったの。でも学校からしたら、欠席理由を偽ったっていうのもダメだけど、私が『メイド喫茶』でバイトしていることがバレたら、諸岡先生とか、噂好きな生徒とかが絶対囃し立ててくる」
「…………」
「そうしたら、私はバイトをやめなきゃいけない」
そう語る遠野さんの顔色には、苦いものが混じる。うちの学校について知っているからこそ、俺は彼女の懸念が理解できた。
ウチの学校の生活指導教員こと諸岡金四郎、通称『モロキン』は、風紀や生徒指導にとにかく厳しいと有名で、おまけに生徒に対しては上から押さえつけるみたいに高圧的だ。しかも、『不純異性交遊』と称して男女の付き合いには容赦がない。
去年だって、授業をサボってデートしていたハチコーカップルが問答無用で停学処分になったって、掲示板にデカデカ公表されてた。そんなヤツが、もしも遠野さんのバイトについて知ったら──彼女がひどい目に遭うのは想像に難くない。
「でも、私はあそこで働いていたいんだ。自分のためにもやめたくない。……だから、今日見たことは誰にも言わないで。お願い……!」
「ちょちょちょ、待って。頭上げてくれ!」
椅子から立って俺に頭を下げようとする遠野さんを、俺はあわてて差し止める。んなことしなくても彼女の熱を帯びた語りから、バイトを大切にしていることは明白だった。だから、俺に頭なんて下げてほしくなかった。遠野さんが自分の仕事に誇りを持っているっていうんなら、その誇りは俺なんかに頭を下げて、けなされていいものじゃない。
「言わねーよ、ゼッタイ。あぶねーことならそうするけど、遠野さんの話からすると、そうじゃないみたいだし」
「え……」
俺の宣言に、遠野さんは目を丸くした。まるで俺の言葉が予想外だったというみたいに。
「あ、あの、『違うバイトでもいい』とか言わないんですか?」
「ん? 言わねーよ? だって遠野さん、バイトの話してるときスゲー楽しそうだったじゃんか」
「あ、はい。バイトすごく楽しいです」
「ふはっ、なんで敬語。……俺もバイトやってるから分かるんだけどさ、バイトって楽しいことばっかじゃないじゃん。メイドカフェ、なんて要するに接客業だろ? なら、お客とのトラブルとかもありそうだし」
「あ、はい……ちょっと変わったお客さんとか来たときとか、困ります」
おおっと。若干遠野さんの肩がしょぼんとしてしまった。しかも大きな瞳から光が失われている。なにか嫌なことを思い出してしまっただろう彼女を盛り立てるために、俺は声のトーンも明るく宣言した。
「だからさ、どんな仕事でも苦しいこととか嫌だなってことがあるのは仕方ない。でも、そういうのひっくるめて『バイトが楽しい』って言える遠野さん、おなじくバイトしてる俺からすりゃあ、すげぇなって思うんだ」
それは心からの言葉だった。働いてれば、肉体労働、精神的疲労、人間関係……様々な苦労からは逃れられない。そういう誰かの苦労を代わりに引き受けて、その対価としてお金を貰うこと。それが『働く』ってことだと、俺は思うから。だからそういう苦労にもめげずに、全部ひっくるめて『楽しい』と言える遠野さんを俺は本当に……心からすごいと思ったんだ。
俺はニッと笑ってみせた。遠野さんにむかってまっすぐに、尊敬を示すために。遠野さんはキョトンとした様子で目をパチクリさせている。パチ、パチ──ポロリ。ポロポロポロ。
「え……?」
「あ……」
衝撃で、俺はチーズケーキにフォークをぶっさす。やわらかなケーキにフォークが墓標みたいに直立した。遠野さんは、泣いていた。大きな瞳からポロポロと大粒の涙をこぼして。
「うえぇぇぇ!? ちょ、遠野さん!? ごめん、なんかオレ、分かりきったこと説教くさく」
「あ、あれ、ちがくて……おかしいな……」
遠野さん、泣いていることに気がつかなかったらしい。ポケットに忍ばせていたのであろうハンカチで、あわてて涙をぬぐい拭う。
「うれし、のに、ど……して、なみだが、でるんだろう?」
そういって、澄んだ涙を流しながら頬を桜色にほほえんだ彼女は、とてもとてもきれいだった。