1章
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◇◇◇
ナンパで入手した電話番号は、テレクラと『ヤ』のつく自営業の人のだった。どちらもロクな結果ではない。これが俺たち『バイク密着計画』とかいう、男3人しょーもないナンパ作戦の成果である。
やっぱりただ通りがかっただけで振り向いてくれるなんて、ありえねーんだな。あったとしても、それはロクな人間ではない。『運命の人』などというあまい幻想と、俺の『バイクの後ろに女の子を乗せて密着したい!』という夢はあっけなく潰えたのであった。
いや、いま考えるとショーもない夢だな。知り合いの女の子に迷惑かけるくらいなら。気の合う男友達3人でワイワイやれたのは楽しかったけど。
などと考えながら、俺はまだ沖奈にいる。友人たち──悠と完二は先に帰ってしまったけれど、俺にはまだ予定が残っていたから。
新品のバイクを駐車スペースに待たせて、俺は駅前のショップ街を歩きぬける。そして、その最奥にあるレトロな喫茶店『シャガール』前のベンチまで行くと目的の人物がそこにはいた。
遠野灯里さん──八十神高校2ー2組の女生徒、すなわち俺のクラスメイトで……今日、俺が正体を知らずにナンパしてしまった女の子。紺のミディアムボブにブルーグレーの大きな瞳と、色彩が地味な女の子。
緑のカーディガンに白いポロシャツ、紺のジーンズ、黒のキャスケットという、いかにも個性のない服装が地味さに拍車をかけている。でも野暮ったいってワケではなくて、しゃんとした佇まいが好ましい。学校では黒ブチの古めかしい眼鏡をかけてるはずだけど、今日は外しているらしく、くりっとした瞳の透明さがよく分かる。
遠野さんも俺が来たのがわかったらしい。ちょこんとベンチの端っこに座ってた身体をピョンとかろやかに立たせると、俺のところまでスススッと歩いてきてくれる。
なんか迎えにきてくれたみたいで嬉しいな、なんて見当違いな感情が沸き上がってきたが、そんな俺の下心なんて知らずに遠野さんは口を開く。
「ご用事、済みましたか?」
「ああ、うん。まーな」
「そうですか。お疲れさまです。ではさっそく入りましょう」
遠野さんはビジネスライクなやりとりを済ませると、迷いなく『シャガール』のドアを開く。照れている様子もなく、特に異性として意識されているわけではない反応である。かなしい。
「いらっしゃい」
「すみません。2人です。あまり人目につかない席でお願いします」
「……あいよ」
テキパキとした遠野さんの要望にスキンヘッドのいかつい店員さんが頷いた。そうして、連れられた奥の対面席──パーテションで区切られていて、たしかに人目につきにくい──まで着くと、遠野さんが動いた。彼女は備えつけのダイニングチェアを音もなく引いて、それをスラリと細い指先で指し示した。
「花村くん、どうぞ」
「…………」
一瞬絶句してしまった。彼女の席を引いて案内するまでがあまりにも流麗な──まるで本物のメイドのような仕草だったから。俺はたしかにプロを見た。しかし、遠野さんはごくごく自然なことらしい。
「どうしたんですか?」席につかない俺をみて、不思議そうに首をかしげている。「あ、ああ、ごめん」なんとなく謝りながら俺が席に着くと、彼女はにっこりと──本当にうれしそうに笑って、対面する席に着いた。
「さて、ではなにか頼みましょうか。花村くんはなにを頼みますか? お会計は私が持ちますので」
遠野さんがそう、ごく自然に訊いてくるから俺は動揺してしまった。待って。本来オゴるべきは俺のほうだ。だって俺の迷惑で、遠野さんはずいぶん迷惑をこうむったんだから。ここだけは譲れない……!
「待って。そこは俺がオゴる。元はといえば、俺が話しかけたせいであんなことになったんだし」
「そうはいきません。もとがどうであれ、私が助けてもらったのは事実ですから」
「え……ええ……」
むんっと胸を張った彼女は、こちらが言葉を尽くしてみるも一歩も引かない。俺がオゴると言っているのに、助けてもらったので。の一点張りだ。か弱そうな見た目に反して意志が強い。いままで全然話したことないから分かんなかったけど。なんとしても支払いを譲らない遠野さんに、痺れをきらした俺は提案した。
「じゃあさ、遠野さんの食うヤツを俺が、俺が食うヤツを遠野さんが支払うってならどーよ」
「それは……」
「遠野さんが俺にお礼をしたいって気持ちは分かった。でも俺も遠野さんに詫びたいって気持ちがあるんだよ。だから、そうしてくれーねーかな? そしたら俺も遠野さんにしたこと、気に病まなくて済むからさ」
「そういうもの……なんですか……?」
「そうそ。ついでに、遠野さんがウマいもん食ってどんな反応するか見たいし~」
おちゃらけていうと、「べつに普通ですよ?」と遠野さんが首を傾けた。それから、俺のお詫びがしたいという気持ちを汲んでくれたらしい。「では分かりました」と俺にスッとメニュー表を差し出す。その仕草がまた洗練されている。
「ちなみにここ、コーヒーはあまり頼まないほうがいいそうです。味が独創的なのだそうで」
「ふーん。それってどれくらい?」
「……不慣れな人は意識を飛ばすらしく……」
「人が意識飛ばすコーヒーって、ナニ……!? つか料理で意識飛ばすことがあんの?」
「……あまり私も聞いたことがありませんね。ところで花村くん、ご注文は決まりましたか?」
「んー、そんじゃあな……。コーヒーが頼めないなら、無難に紅茶にでもしようかな」
俺は即決した。メニューをみたところ、この店で一番安いメニューだから、いいだろう。すると遠野さんはちょっと頬を膨らませて、納得がいかないというような顔をした。
「それだけというのは、すこしもの寂しいです。もう少し頼んでください。ほらデザートとか」
「え、いや、そんなオゴッてもらうの……なんか申しわけねーよ」
「申し訳なくなんてないです。これはお礼なんですから、それだけのことを花村くんはしてくれたんですよ?」
そういって、彼女はふんわりと笑う。その笑顔にはてらいのない感謝が込められていて、俺は反論できなかった。同時に、遠野さんの笑顔を曇らせたくなくて、俺は自然とメニュー表のチーズケーキを指で叩いていた。
「……じゃあ、これ」
「はい、チーズケーキですね。じゃあ紅茶セットで注文します」
「ちなみに、遠野さんは?」
「え……」
そのとき、あきらかに遠野さんの目が泳ぎ——一瞬だけイチゴパフェに視線が釘付けになった。だがしかし、耐えるように目をつむったあと、無理やり手を動かして紅茶を指し示した。
「え、ええと、私も紅茶……ですかね」
「すいませーん、チーズケーキの紅茶セットと、イチゴパフェの紅茶セットお願いしまーす」
「うえぇぇぇ──!?」
問答無用でイチゴパフェも注文すると、遠野さんはあわてた様子で両手をワタワタさせた。感情豊かでみてて飽きないなこの子。
「ダ、ダメですよぉ! パ、パ、イチゴパフェなんて高いのに!」
「もう注文しちまったんでな。それに、食べたかったんだろ? さっき顔に描いてあったし」
「……う」
そういうと、遠野さんはまっかになって口ごもった。自分の本音がバレて恥ずかしかったのだろうか。視線をななめ下にむけて、手を組んでもにょもにょと動かす。オゴられるのに慣れてないのだろうか? 俺の周りはたいてい「オゴる」っていうと喜んでくっついてくるヤツばっかだったけど、遠野さんはそうじゃなくて、戸惑っている。その仕草が珍しくて、俺は興味深く見入ってしまう。
「……それでも」
ようやっと、遠野さんが口を開いた。鈴が鳴るようにはかなげな声は、しかしたしかに芯を持ってひびいた。
「それでも、花村くんの、お金です。花村くんが一生懸命、骨身を砕いて、働いて得たお金です。それを、あなたの罪悪感にかこつけて、必要以上のお詫びを受け取るのは、道理に反する気がします」
「…………」
目を見開く。そんなふうに言われるのは、初めてだった。だって、大抵の人はオゴるっていうと、ただ喜んでくれたから。なんかこういうふうに言うと、俺が節操なく他人にオゴってる人間みたいに聞こえるけど、そうではないと言っておく。俺だって、オゴる相手も、場合もちゃんと選んでる。
でも、いろんな人にオゴってきたけど——遠野さんみたいに、俺がその資金を手に入れる過程に、苦労に、克明に想いを馳せた人なんて、初めてだった。
ふと俺は嫌悪を覚えた。かたくなにオゴられることを拒む遠野さんにではなく、やたらと懐の余裕をひけらかす自分自身に。遠野さんの言葉から、彼女がお金を大切にする価値観を持っていることは明白だ。しかも、それを手に入れる苦労を踏まえたうえで。遠野さんにとって、お金は大切なものだった。なのに俺は、それをなんでもない顔で使おうとして。
それって……すごく傲慢というか、失礼じゃないか? 遠野さんが大切にするものを、俺の罪悪感を無しにするという自己満足のために使うのは。
目の前では遠野さんが申し訳なさそうに肩をすくめている。そのしょんぼりとした姿に俺は気がついた。
俺は彼女のこんな顔が見たかったんじゃない。
「ごめん、遠野さん」
だから俺は頭を下げた。正直に気持ちが伝わるように深々と。「え……」突然机にふせった俺にオロオロしているのだろう。彼女が対応に躊躇しているあいだに、おれは言葉を続ける。
「謝罪がしたかったってのは、ちょっと正確じゃなかった。おれ、遠野さんに笑ってほしかったんだ」
「え、わたしに? それは、どうして」
いまいちピンときていない彼女に、俺は言葉を続ける。ここで、引いたら俺たちはなにかかなしい誤解を抱えたまま、一緒のクラスで過ごすことになるから。それは嫌だったから、俺は拙い語彙を駆使して語りつくす。
「それは……遠野さんに、かなしい顔なんて、してほしくなかったから。それでオレ、考えたんだ。いままでの経験から、大抵かなしい顔してるヤツとかも、メシ食うと笑顔になるから。だから遠野さんも、ウマいもの食えば笑ってくれるかな……って……」
いっていながら気がついた。いま俺とんでもないこと言ってない!? 特別交流のない女の子に告白じみた恥ずかしい本音暴露しちゃってない!? そう認識すると、さっきまでの威勢はどこへやら。喉はガッチガチに固まって、「あ……お……」と実にヘタレな呻きが漏れる。そんな無様な俺を、遠野さんはきょとんと見つめて、きれいなブルーグレーの瞳をきらりと——まるで星を散らした夜空のように──輝かせて
「ふ……ふふ、ふふふっ」
……笑った。笑ってくれた。からかうとか、おかしくて笑うとか、そんなんじゃない。とてもあたたかい、まるで夜闇を照らすランタンみたいにあったかい笑顔で笑ってくれた。俺が見たいと思ってた、よろこびの笑顔。
それがうれしくて、胸があたたかいものでいっぱいになる。ぼうっと、遠野さんのきれいな笑みに見惚れて固まっていると、彼女は鈴を鳴らしたような笑い声をおさめて、落ち着くためにか、お冷をひとくち含む。そうして再びあたたかな笑みを浮かべた
「そっかそっか。花村くんは私に喜んでほしかったんだね」
「あ、うん」
「なら、私もごめんなさい。花村くんの純粋な気持ちを、無下にしちゃうところだったんだから。たしかに自分がしたことで人が喜ぶのってうれしいもんね」
「お、おう。そうだな」
遠野さんはにっこりと笑った。そしてかたくななまでだった敬語が解けて、彼女が俺に心を見せてくれたのだと知る。
「じゃあ、ありがたくいただかせてもらいます」
「……話は終わったか。チーズケーキとイチゴパフェの紅茶セット、お待ちどおさん」
「「え……」」
俺たちは同時に声を上げて、通路の側を見る。ちょうどスキンヘッドの店員さんが注文の一式そろった盆を掲げて立っていた。「あ、ありがとうございます」遠野さんのかけ声にあわせて、店員さんは颯爽と品物を並べていく。あざやかに淹れられた紅茶から、いい香りの湯気が立ち上がった。
「それと坊主、うちの店の商品でカノジョを喜ばせたいなんて中々粋じゃないか。ゆっくりしていけ」
「え……」
「わ……」
ニヤリと笑う店員さんに俺はすべてを察した。つまり、おれらのやりとりはバッチシこの人に見られていたわけで……。恥ずかしさがこみ上げて、顔が熱くなった。
遠野さんも同じだったらしい。俺たちはふしゅーっと湯気を立てて机に撃沈し、再起するころには紅茶が飲みやすい温度にまでなってしまっていた。
ナンパで入手した電話番号は、テレクラと『ヤ』のつく自営業の人のだった。どちらもロクな結果ではない。これが俺たち『バイク密着計画』とかいう、男3人しょーもないナンパ作戦の成果である。
やっぱりただ通りがかっただけで振り向いてくれるなんて、ありえねーんだな。あったとしても、それはロクな人間ではない。『運命の人』などというあまい幻想と、俺の『バイクの後ろに女の子を乗せて密着したい!』という夢はあっけなく潰えたのであった。
いや、いま考えるとショーもない夢だな。知り合いの女の子に迷惑かけるくらいなら。気の合う男友達3人でワイワイやれたのは楽しかったけど。
などと考えながら、俺はまだ沖奈にいる。友人たち──悠と完二は先に帰ってしまったけれど、俺にはまだ予定が残っていたから。
新品のバイクを駐車スペースに待たせて、俺は駅前のショップ街を歩きぬける。そして、その最奥にあるレトロな喫茶店『シャガール』前のベンチまで行くと目的の人物がそこにはいた。
遠野灯里さん──八十神高校2ー2組の女生徒、すなわち俺のクラスメイトで……今日、俺が正体を知らずにナンパしてしまった女の子。紺のミディアムボブにブルーグレーの大きな瞳と、色彩が地味な女の子。
緑のカーディガンに白いポロシャツ、紺のジーンズ、黒のキャスケットという、いかにも個性のない服装が地味さに拍車をかけている。でも野暮ったいってワケではなくて、しゃんとした佇まいが好ましい。学校では黒ブチの古めかしい眼鏡をかけてるはずだけど、今日は外しているらしく、くりっとした瞳の透明さがよく分かる。
遠野さんも俺が来たのがわかったらしい。ちょこんとベンチの端っこに座ってた身体をピョンとかろやかに立たせると、俺のところまでスススッと歩いてきてくれる。
なんか迎えにきてくれたみたいで嬉しいな、なんて見当違いな感情が沸き上がってきたが、そんな俺の下心なんて知らずに遠野さんは口を開く。
「ご用事、済みましたか?」
「ああ、うん。まーな」
「そうですか。お疲れさまです。ではさっそく入りましょう」
遠野さんはビジネスライクなやりとりを済ませると、迷いなく『シャガール』のドアを開く。照れている様子もなく、特に異性として意識されているわけではない反応である。かなしい。
「いらっしゃい」
「すみません。2人です。あまり人目につかない席でお願いします」
「……あいよ」
テキパキとした遠野さんの要望にスキンヘッドのいかつい店員さんが頷いた。そうして、連れられた奥の対面席──パーテションで区切られていて、たしかに人目につきにくい──まで着くと、遠野さんが動いた。彼女は備えつけのダイニングチェアを音もなく引いて、それをスラリと細い指先で指し示した。
「花村くん、どうぞ」
「…………」
一瞬絶句してしまった。彼女の席を引いて案内するまでがあまりにも流麗な──まるで本物のメイドのような仕草だったから。俺はたしかにプロを見た。しかし、遠野さんはごくごく自然なことらしい。
「どうしたんですか?」席につかない俺をみて、不思議そうに首をかしげている。「あ、ああ、ごめん」なんとなく謝りながら俺が席に着くと、彼女はにっこりと──本当にうれしそうに笑って、対面する席に着いた。
「さて、ではなにか頼みましょうか。花村くんはなにを頼みますか? お会計は私が持ちますので」
遠野さんがそう、ごく自然に訊いてくるから俺は動揺してしまった。待って。本来オゴるべきは俺のほうだ。だって俺の迷惑で、遠野さんはずいぶん迷惑をこうむったんだから。ここだけは譲れない……!
「待って。そこは俺がオゴる。元はといえば、俺が話しかけたせいであんなことになったんだし」
「そうはいきません。もとがどうであれ、私が助けてもらったのは事実ですから」
「え……ええ……」
むんっと胸を張った彼女は、こちらが言葉を尽くしてみるも一歩も引かない。俺がオゴると言っているのに、助けてもらったので。の一点張りだ。か弱そうな見た目に反して意志が強い。いままで全然話したことないから分かんなかったけど。なんとしても支払いを譲らない遠野さんに、痺れをきらした俺は提案した。
「じゃあさ、遠野さんの食うヤツを俺が、俺が食うヤツを遠野さんが支払うってならどーよ」
「それは……」
「遠野さんが俺にお礼をしたいって気持ちは分かった。でも俺も遠野さんに詫びたいって気持ちがあるんだよ。だから、そうしてくれーねーかな? そしたら俺も遠野さんにしたこと、気に病まなくて済むからさ」
「そういうもの……なんですか……?」
「そうそ。ついでに、遠野さんがウマいもん食ってどんな反応するか見たいし~」
おちゃらけていうと、「べつに普通ですよ?」と遠野さんが首を傾けた。それから、俺のお詫びがしたいという気持ちを汲んでくれたらしい。「では分かりました」と俺にスッとメニュー表を差し出す。その仕草がまた洗練されている。
「ちなみにここ、コーヒーはあまり頼まないほうがいいそうです。味が独創的なのだそうで」
「ふーん。それってどれくらい?」
「……不慣れな人は意識を飛ばすらしく……」
「人が意識飛ばすコーヒーって、ナニ……!? つか料理で意識飛ばすことがあんの?」
「……あまり私も聞いたことがありませんね。ところで花村くん、ご注文は決まりましたか?」
「んー、そんじゃあな……。コーヒーが頼めないなら、無難に紅茶にでもしようかな」
俺は即決した。メニューをみたところ、この店で一番安いメニューだから、いいだろう。すると遠野さんはちょっと頬を膨らませて、納得がいかないというような顔をした。
「それだけというのは、すこしもの寂しいです。もう少し頼んでください。ほらデザートとか」
「え、いや、そんなオゴッてもらうの……なんか申しわけねーよ」
「申し訳なくなんてないです。これはお礼なんですから、それだけのことを花村くんはしてくれたんですよ?」
そういって、彼女はふんわりと笑う。その笑顔にはてらいのない感謝が込められていて、俺は反論できなかった。同時に、遠野さんの笑顔を曇らせたくなくて、俺は自然とメニュー表のチーズケーキを指で叩いていた。
「……じゃあ、これ」
「はい、チーズケーキですね。じゃあ紅茶セットで注文します」
「ちなみに、遠野さんは?」
「え……」
そのとき、あきらかに遠野さんの目が泳ぎ——一瞬だけイチゴパフェに視線が釘付けになった。だがしかし、耐えるように目をつむったあと、無理やり手を動かして紅茶を指し示した。
「え、ええと、私も紅茶……ですかね」
「すいませーん、チーズケーキの紅茶セットと、イチゴパフェの紅茶セットお願いしまーす」
「うえぇぇぇ──!?」
問答無用でイチゴパフェも注文すると、遠野さんはあわてた様子で両手をワタワタさせた。感情豊かでみてて飽きないなこの子。
「ダ、ダメですよぉ! パ、パ、イチゴパフェなんて高いのに!」
「もう注文しちまったんでな。それに、食べたかったんだろ? さっき顔に描いてあったし」
「……う」
そういうと、遠野さんはまっかになって口ごもった。自分の本音がバレて恥ずかしかったのだろうか。視線をななめ下にむけて、手を組んでもにょもにょと動かす。オゴられるのに慣れてないのだろうか? 俺の周りはたいてい「オゴる」っていうと喜んでくっついてくるヤツばっかだったけど、遠野さんはそうじゃなくて、戸惑っている。その仕草が珍しくて、俺は興味深く見入ってしまう。
「……それでも」
ようやっと、遠野さんが口を開いた。鈴が鳴るようにはかなげな声は、しかしたしかに芯を持ってひびいた。
「それでも、花村くんの、お金です。花村くんが一生懸命、骨身を砕いて、働いて得たお金です。それを、あなたの罪悪感にかこつけて、必要以上のお詫びを受け取るのは、道理に反する気がします」
「…………」
目を見開く。そんなふうに言われるのは、初めてだった。だって、大抵の人はオゴるっていうと、ただ喜んでくれたから。なんかこういうふうに言うと、俺が節操なく他人にオゴってる人間みたいに聞こえるけど、そうではないと言っておく。俺だって、オゴる相手も、場合もちゃんと選んでる。
でも、いろんな人にオゴってきたけど——遠野さんみたいに、俺がその資金を手に入れる過程に、苦労に、克明に想いを馳せた人なんて、初めてだった。
ふと俺は嫌悪を覚えた。かたくなにオゴられることを拒む遠野さんにではなく、やたらと懐の余裕をひけらかす自分自身に。遠野さんの言葉から、彼女がお金を大切にする価値観を持っていることは明白だ。しかも、それを手に入れる苦労を踏まえたうえで。遠野さんにとって、お金は大切なものだった。なのに俺は、それをなんでもない顔で使おうとして。
それって……すごく傲慢というか、失礼じゃないか? 遠野さんが大切にするものを、俺の罪悪感を無しにするという自己満足のために使うのは。
目の前では遠野さんが申し訳なさそうに肩をすくめている。そのしょんぼりとした姿に俺は気がついた。
俺は彼女のこんな顔が見たかったんじゃない。
「ごめん、遠野さん」
だから俺は頭を下げた。正直に気持ちが伝わるように深々と。「え……」突然机にふせった俺にオロオロしているのだろう。彼女が対応に躊躇しているあいだに、おれは言葉を続ける。
「謝罪がしたかったってのは、ちょっと正確じゃなかった。おれ、遠野さんに笑ってほしかったんだ」
「え、わたしに? それは、どうして」
いまいちピンときていない彼女に、俺は言葉を続ける。ここで、引いたら俺たちはなにかかなしい誤解を抱えたまま、一緒のクラスで過ごすことになるから。それは嫌だったから、俺は拙い語彙を駆使して語りつくす。
「それは……遠野さんに、かなしい顔なんて、してほしくなかったから。それでオレ、考えたんだ。いままでの経験から、大抵かなしい顔してるヤツとかも、メシ食うと笑顔になるから。だから遠野さんも、ウマいもの食えば笑ってくれるかな……って……」
いっていながら気がついた。いま俺とんでもないこと言ってない!? 特別交流のない女の子に告白じみた恥ずかしい本音暴露しちゃってない!? そう認識すると、さっきまでの威勢はどこへやら。喉はガッチガチに固まって、「あ……お……」と実にヘタレな呻きが漏れる。そんな無様な俺を、遠野さんはきょとんと見つめて、きれいなブルーグレーの瞳をきらりと——まるで星を散らした夜空のように──輝かせて
「ふ……ふふ、ふふふっ」
……笑った。笑ってくれた。からかうとか、おかしくて笑うとか、そんなんじゃない。とてもあたたかい、まるで夜闇を照らすランタンみたいにあったかい笑顔で笑ってくれた。俺が見たいと思ってた、よろこびの笑顔。
それがうれしくて、胸があたたかいものでいっぱいになる。ぼうっと、遠野さんのきれいな笑みに見惚れて固まっていると、彼女は鈴を鳴らしたような笑い声をおさめて、落ち着くためにか、お冷をひとくち含む。そうして再びあたたかな笑みを浮かべた
「そっかそっか。花村くんは私に喜んでほしかったんだね」
「あ、うん」
「なら、私もごめんなさい。花村くんの純粋な気持ちを、無下にしちゃうところだったんだから。たしかに自分がしたことで人が喜ぶのってうれしいもんね」
「お、おう。そうだな」
遠野さんはにっこりと笑った。そしてかたくななまでだった敬語が解けて、彼女が俺に心を見せてくれたのだと知る。
「じゃあ、ありがたくいただかせてもらいます」
「……話は終わったか。チーズケーキとイチゴパフェの紅茶セット、お待ちどおさん」
「「え……」」
俺たちは同時に声を上げて、通路の側を見る。ちょうどスキンヘッドの店員さんが注文の一式そろった盆を掲げて立っていた。「あ、ありがとうございます」遠野さんのかけ声にあわせて、店員さんは颯爽と品物を並べていく。あざやかに淹れられた紅茶から、いい香りの湯気が立ち上がった。
「それと坊主、うちの店の商品でカノジョを喜ばせたいなんて中々粋じゃないか。ゆっくりしていけ」
「え……」
「わ……」
ニヤリと笑う店員さんに俺はすべてを察した。つまり、おれらのやりとりはバッチシこの人に見られていたわけで……。恥ずかしさがこみ上げて、顔が熱くなった。
遠野さんも同じだったらしい。俺たちはふしゅーっと湯気を立てて机に撃沈し、再起するころには紅茶が飲みやすい温度にまでなってしまっていた。