1章
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偶然ナンパした相手がクラスメイトで、メイド喫茶の店員さんかもしれない。
そんなコトあるぅ? と首を傾げる皆さま(どこの誰だよ)。あるんですよ。だって現在進行形で、俺がその場面に遭遇しているんだから……!
「うっ……うう……ぐすっ……」
とりあえず、すごくマズイ事態であることは確かだ。俺の目の前で件のクラスメイト──遠野灯里は、予期せぬ出来事に動揺したせいか、駅前の地面に座り込んでいた。しかも、ぺたりと地面に座り込んで俯いてしまって。表情は分からないけれど、か細く悲しそうに震えている声はおそらく泣いているんだろう。
な ん て こ っ た。女の子を──しかも知り合いの子を泣かせてしまって俺の額からどっと汗が噴き出す。ダチとバイクを買った記念に、ちょっと都会な沖奈でナンパでもしてみようなんて軽い気持ちだったのに、どうしてこんな最悪の事態になった? 混乱と罪悪感と疑問でちょっとキャパオーバーなのだが、とりあえず遠野さんの涙が止まるように落ち着かせなければいけない。すわっと、俺は彼女の元に屈みこんで必死で言葉をかける。
「えと、遠野さん、ちょっと落ち着いて」
「……ここで、名前呼ばないでください……」
「え? えーとじゃあ……『ステラ』……?」
「……うぅぅぅぅ~~~~~!!」
「わーーーーーーーーーーーー!?!?!?」
やっべぇ! 良かれと思って、さっきの名刺に乗ってる名前呼んだら逆効果だった! さらに泣き声を激しくして、ボロボロと大粒の涙をこぼす遠野さんに俺はもうどうしていいか分からない。落ち着いて、泣き止んで欲しかったのに……! 泣かせたかったわけじゃないのに……!
どうしようどうしよう。万策尽きた俺はダラダラと冷や汗を流しながら、滑稽なピエロみたいに両手を宙に彷徨わせる。でも、そんなことで時間食ってる場合とちがう。何とかして、遠野さんの涙を止めてないと。
だって俺は、遠野さんには笑ってる顔が似合うって思うから。
どうすればいいんだ? 女の子を泣かせるという男として最低な行為に打ちひしがれながらも、脳内は高速で回転する。目の前でぐすぐすと泣いている彼女は子どもみたいで……子ども……? ちょっと待てよ。そうだ、ああすれば泣き止むかも。
泣いている彼女の頭まで腕を上げる。そして──ちょっと戸惑ったんだけど──俺は彼女の小ぶりな頭のてっぺんを撫でた。ゆるゆると緩慢に、絶対に乱暴にならないように、俺は彼女の頭を撫でる。
「ごめんな、いきなりびっくりしたよな……。俺になんか、話しかけられて」
同時に、穏やかな声とともに話しかける。幼いころ、転んで泣いたときとか、親父はこうして俺のこと宥めてくれたっけ。普段は「親愛を示すためだー」とか言ってワッシワッシと乱暴に撫でてくるけど。苦笑しながらも、俺は遠野さんの頭を撫でつづける。
すると変化が起こった。遠野さんの泣き声がだんだんと落ち着いてきたのだ。ぐっすぐっすとしゃくりあげる声はなくなり、激しく上下していた肩も落ち込んできた。良かった。泣き止んでくれたみたいだ。俺がホッとしてつい頬を緩めると、赤い目をした遠野さんがおずおずと俺を伺ってくる。
「あ、あの……経緯はどうであれ、介抱してくれてありがとうございます……おかげで、落ち着きました」
「いや、感謝されるいわれはナイっつか……泣かせたの俺のせ——」
「おーい、花村ー。なんだかスゴイ叫びが聞こえたけど、大丈夫か?」
一難去ってまた一難。聞き馴染みのある声に、俺の身体がびくりと跳ねる。声の正体を察したのだろう。泣き止んだはずの遠野さんもまた、ビクリと大きく、そしてカタカタと小刻みに身体を震わせてた。まずい! しかも声の大きさ的に、もう近くまで来てる……!
かくして俺の予想は的中した。沖奈駅に設営されたショップ街の方面から、軽快に俺たちに駆け寄ってくる人影がある。近づいてくる、サラリとした銀髪と涼やかな印象の瞳が特徴の美丈夫──俺のクラスメイトにして、親友の鳴上悠だ。あんまり頼りになるし、イイヤツだし気が合うので、俺は親しみを込めて”相棒”と呼んでいる。
まぁスゲーヤツだけど、俺と一緒にナンパにシャレこんじゃう年相応な一面もある。
さっきの叫びを聞きつけたのだろう。それなりのペースで走ってきたというのに、息も切らしていない。こういうところがイケメンな彼は、さっと身を屈めて俺の顔を覗きこんだ。
「花村、どうしたんだ。地面になんか屈みこんで。転んだにしてはピンピンしてるし……」
「あ、いや、別に俺が転んだわけじゃなくて……」
さて、鳴上に事情をどう説明しようかと考えあぐねていると、不意にきゅっと身に着けているYシャツの横腹あたりを引っ張られた。なんだ? と振り返れば、相変わらず地面にへたり込んだままの遠野さんが、俺のYシャツをちょこんと摘まんだまま、ブンブンブン! と必死で頭を横に振っている。
いつのまにか被ったキャスケット帽からはみ出た深い紺色のミディアムボブが乱れる。小さめな顔の中心にはまった、くりっと大きなブルーグレーの瞳は明らかに怯えきっていて、肉食獣に追いこまれた小動物を連想させた。俺はハッとする。
そうだ。遠野さんは正体を知られたくないんだ。どういうわけかは分からないけど。
「その人は……?」
遠野さんの存在に気がついたらしい鳴上が、そっちに目を向けようとする。俺はその視線から彼女を庇うように身体を張った。
「あーゴメン。あんま見ないだげて! どうも貧血で具合悪くて、倒れちまったみたいでさー この人」
つまり、そこのところに偶然通りかかった『他人同士』という設定で押し通しちまおうというわけだ。俺の得意な、ごくごく自然で人好きのする笑顔をつくると、優しい器質の悠は心配そうに目を細めた。
「そうなのか? なら俺も手伝おうか?」
「あーいいからいいから。気持ちはありがたいけど、タダでさえ体調悪いのに大人数で寄ってたかったら更に混乱しちまうだろうし。……心配すんなって。バイトとかの接客で一応こういうのオレ慣れてっから」
な? と俺は景気づけにパチンとウィンクを一発。見るからに軽薄なチャラ男の仕草だが、内心は不安ダラダラだった。鳴上は度を越して優しいヤツだから、もしかすると善意で介抱しようとするかもしれない。そうしたら、おのずと遠野さんと接触する時間が長くなる。それは避けたかった。悠は妙に鋭いところがあるヤツだから、接する時間が長ければ長いほど、遠野さんの正体を見抜いてしまう恐れがある。
腹にヒヤヒヤしたものを抱えながらも、俺はニコニコと人好きする笑顔をつくり続ける。すると悠は、ちょっとのあいだ頭を俯けて考えるような仕草を見せてから、こくんと頷いた。
「……分かった。そういうことなら、ちゃんと介抱してやれよ? 体調悪いんだから、早く帰してあげたほうがいい」
「わーってんよ」
暗にナンパするなと仄めかした悠に、俺はカラリと笑って返す。そして悠は──道端で倒れたという遠野さんの羞恥に配慮したのか──足早にその場を去っていく。彼の姿が遠目にも見えなくなると、俺はドッと疲れてその場に撃沈した。
「はー、なんとか乗り切った……」
一気に年をとった気分だ。遠野さんを庇うために気を張って、つっぱっていた身体から一気に力が抜けて立てない。玉手箱開けて倒れこんだ浦島太郎ってこんな気分だったのかな……なんてどうでもいいことを考えていると、またチョイチョイとYシャツをひっぱられた。
「んあ?」──振り返れば、くりくりと大きな瞳で遠野さんが俺をじっと見つめている。不安のなごりか、涙の膜が張った大きな瞳がゆらゆら揺らめく。不規則な光と入り混じって輝くブルーグレーの虹彩が誰も知らない水底のような静かな美しさを湛えるから、俺はドキリとしてしまった。
ああやっぱり、学校では目立っていないけれど、この子はとっても綺麗な子なんだと。
「あの……庇ってくださってありがとうございます。とてもとても助かりました」
俺が黙っていると、彼女はシャランと鈴が鳴るような声で礼を告げる。そうしてなんと、律儀にも俺に向けて頭を下げようとした。正座で。ウッソだろ……!? 迷惑かけたのはオレのほうだってのに!? トラブルの元になったのはオレなのに申し訳なさすぎる! ワァワァとあわてて両手を地面へきれいに並べた彼女を差し止める。
「いや、メッソーもない! つか大本は俺のせいなんだからそんな畏まらないで!」
「いえ! 事情がどうであれ、私が助けてもらったことは事実なので、お礼します! 私の気持ちの問題なのでお気になさらず!」
「気にしてぇ!? 気持ちは嬉しいけど、ココいちおうケッコーなひとの集まる駅前だから! このままだと俺が女の子に駅前で土下座させる超鬼畜野郎ってコトになっちゃうから!」
俺に女の子に土下座させる趣味はねーし、んなことしたら女の子に恥をかかせる最低野郎である。逼迫するオレの胸中を感じとってくれたのか、遠野さんはオレへの土下座を取りやめてくれた。ちょっと不満そうな顔つきをしてるけど、まぁ素直に聞いてくれたからいいとしよう。
「じゃ、じゃあ、せめてべつの形でお礼をさせていただけませんか? そうでないと、私の気が納まらないので」
「え……んなのいいってのに」
「ダメです。納得できません。そんなの」
さきほど頼りなげに泣いていたとは思えないほど、ハキハキとした口調で遠野さんは言いきる。そして、次の瞬間、俺は驚きでのけぞることとなった。
「──うおっ!?」
ズズイと、遠野さんが上体をまえに倒したせいで、俺たちは顔と顔を間近で突き合わせる距離になってしまったのだ。彼女から香る、あまい花のようなシャンプーの香りと、ふわりと爽やかでやさしい柚子の香りが俺の鼻腔を満たして、麻痺毒のように身体を縛りつけた。香りまでもが花のような彼女に囚われた俺を、遠野さんは『絶対に逃さない』という圧をこめた大きな瞳でもって射ぬく。
「なんであったとしても、助けてもらったのならそれ相応のお礼をしてしかるべきです。それに……」
ちょっとだけ、彼女の表情が泣きだしそうに曇る。それは俺に定期券と、彼女が勤めているのだろうメイドカフェの名刺を見られたときの表情と同じ翳りで。
「……ちょっとお話がしたいんです。私の……その……あのカードを見た、花村くんに。ヘンな誤解とかされたくないので……」
「…………わ、かった」
俺は頷くしかなくなった。だって、かわいい女の子の悲しむ姿なんて見たくないから。すると彼女はみるみるうちに瞳を輝かせた。ブルーグレーの瞳にまるで星のようにきらめく光たちを宿して。盛大に。
「ホントですか! やったぁ! ありがとうございます!」
「わひゃ!?」
宙に向かって腕をおもいきりバンザイした遠野さんは、しかし瞬時に俺の手つかみ、キラキラと輝くような笑顔をむけてくれる。かわいい女の子に至近距離で微笑まれるなんて、またとない幸運だ。場所が場所であれば、の話だが。
「遠野さんっ、ここ、ここ駅前っ、駅前だからっ!」
「え? …………あっ」
遠野さんはハッと我に返ってあたりを見渡す。そうして自分が置かれている状況をまたたく間に理解し、ふしゅーーーーっと顔から湯気を噴き出した。ちょうど日が暮れて通勤通学に訪れる人が増えてきたせいで、さっきからイタイものを見るような視線がグサグサと刺さっていたたまれないのだ。羞恥に頬を染めた遠野さんは「ごめんなさい!」と手を勢いよくはなした反動で、また地面に転がりかけた。
偶然ナンパした相手がクラスメイトで、メイド喫茶の店員さんかもしれない。
そんなコトあるぅ? と首を傾げる皆さま(どこの誰だよ)。あるんですよ。だって現在進行形で、俺がその場面に遭遇しているんだから……!
「うっ……うう……ぐすっ……」
とりあえず、すごくマズイ事態であることは確かだ。俺の目の前で件のクラスメイト──遠野灯里は、予期せぬ出来事に動揺したせいか、駅前の地面に座り込んでいた。しかも、ぺたりと地面に座り込んで俯いてしまって。表情は分からないけれど、か細く悲しそうに震えている声はおそらく泣いているんだろう。
な ん て こ っ た。女の子を──しかも知り合いの子を泣かせてしまって俺の額からどっと汗が噴き出す。ダチとバイクを買った記念に、ちょっと都会な沖奈でナンパでもしてみようなんて軽い気持ちだったのに、どうしてこんな最悪の事態になった? 混乱と罪悪感と疑問でちょっとキャパオーバーなのだが、とりあえず遠野さんの涙が止まるように落ち着かせなければいけない。すわっと、俺は彼女の元に屈みこんで必死で言葉をかける。
「えと、遠野さん、ちょっと落ち着いて」
「……ここで、名前呼ばないでください……」
「え? えーとじゃあ……『ステラ』……?」
「……うぅぅぅぅ~~~~~!!」
「わーーーーーーーーーーーー!?!?!?」
やっべぇ! 良かれと思って、さっきの名刺に乗ってる名前呼んだら逆効果だった! さらに泣き声を激しくして、ボロボロと大粒の涙をこぼす遠野さんに俺はもうどうしていいか分からない。落ち着いて、泣き止んで欲しかったのに……! 泣かせたかったわけじゃないのに……!
どうしようどうしよう。万策尽きた俺はダラダラと冷や汗を流しながら、滑稽なピエロみたいに両手を宙に彷徨わせる。でも、そんなことで時間食ってる場合とちがう。何とかして、遠野さんの涙を止めてないと。
だって俺は、遠野さんには笑ってる顔が似合うって思うから。
どうすればいいんだ? 女の子を泣かせるという男として最低な行為に打ちひしがれながらも、脳内は高速で回転する。目の前でぐすぐすと泣いている彼女は子どもみたいで……子ども……? ちょっと待てよ。そうだ、ああすれば泣き止むかも。
泣いている彼女の頭まで腕を上げる。そして──ちょっと戸惑ったんだけど──俺は彼女の小ぶりな頭のてっぺんを撫でた。ゆるゆると緩慢に、絶対に乱暴にならないように、俺は彼女の頭を撫でる。
「ごめんな、いきなりびっくりしたよな……。俺になんか、話しかけられて」
同時に、穏やかな声とともに話しかける。幼いころ、転んで泣いたときとか、親父はこうして俺のこと宥めてくれたっけ。普段は「親愛を示すためだー」とか言ってワッシワッシと乱暴に撫でてくるけど。苦笑しながらも、俺は遠野さんの頭を撫でつづける。
すると変化が起こった。遠野さんの泣き声がだんだんと落ち着いてきたのだ。ぐっすぐっすとしゃくりあげる声はなくなり、激しく上下していた肩も落ち込んできた。良かった。泣き止んでくれたみたいだ。俺がホッとしてつい頬を緩めると、赤い目をした遠野さんがおずおずと俺を伺ってくる。
「あ、あの……経緯はどうであれ、介抱してくれてありがとうございます……おかげで、落ち着きました」
「いや、感謝されるいわれはナイっつか……泣かせたの俺のせ——」
「おーい、花村ー。なんだかスゴイ叫びが聞こえたけど、大丈夫か?」
一難去ってまた一難。聞き馴染みのある声に、俺の身体がびくりと跳ねる。声の正体を察したのだろう。泣き止んだはずの遠野さんもまた、ビクリと大きく、そしてカタカタと小刻みに身体を震わせてた。まずい! しかも声の大きさ的に、もう近くまで来てる……!
かくして俺の予想は的中した。沖奈駅に設営されたショップ街の方面から、軽快に俺たちに駆け寄ってくる人影がある。近づいてくる、サラリとした銀髪と涼やかな印象の瞳が特徴の美丈夫──俺のクラスメイトにして、親友の鳴上悠だ。あんまり頼りになるし、イイヤツだし気が合うので、俺は親しみを込めて”相棒”と呼んでいる。
まぁスゲーヤツだけど、俺と一緒にナンパにシャレこんじゃう年相応な一面もある。
さっきの叫びを聞きつけたのだろう。それなりのペースで走ってきたというのに、息も切らしていない。こういうところがイケメンな彼は、さっと身を屈めて俺の顔を覗きこんだ。
「花村、どうしたんだ。地面になんか屈みこんで。転んだにしてはピンピンしてるし……」
「あ、いや、別に俺が転んだわけじゃなくて……」
さて、鳴上に事情をどう説明しようかと考えあぐねていると、不意にきゅっと身に着けているYシャツの横腹あたりを引っ張られた。なんだ? と振り返れば、相変わらず地面にへたり込んだままの遠野さんが、俺のYシャツをちょこんと摘まんだまま、ブンブンブン! と必死で頭を横に振っている。
いつのまにか被ったキャスケット帽からはみ出た深い紺色のミディアムボブが乱れる。小さめな顔の中心にはまった、くりっと大きなブルーグレーの瞳は明らかに怯えきっていて、肉食獣に追いこまれた小動物を連想させた。俺はハッとする。
そうだ。遠野さんは正体を知られたくないんだ。どういうわけかは分からないけど。
「その人は……?」
遠野さんの存在に気がついたらしい鳴上が、そっちに目を向けようとする。俺はその視線から彼女を庇うように身体を張った。
「あーゴメン。あんま見ないだげて! どうも貧血で具合悪くて、倒れちまったみたいでさー この人」
つまり、そこのところに偶然通りかかった『他人同士』という設定で押し通しちまおうというわけだ。俺の得意な、ごくごく自然で人好きのする笑顔をつくると、優しい器質の悠は心配そうに目を細めた。
「そうなのか? なら俺も手伝おうか?」
「あーいいからいいから。気持ちはありがたいけど、タダでさえ体調悪いのに大人数で寄ってたかったら更に混乱しちまうだろうし。……心配すんなって。バイトとかの接客で一応こういうのオレ慣れてっから」
な? と俺は景気づけにパチンとウィンクを一発。見るからに軽薄なチャラ男の仕草だが、内心は不安ダラダラだった。鳴上は度を越して優しいヤツだから、もしかすると善意で介抱しようとするかもしれない。そうしたら、おのずと遠野さんと接触する時間が長くなる。それは避けたかった。悠は妙に鋭いところがあるヤツだから、接する時間が長ければ長いほど、遠野さんの正体を見抜いてしまう恐れがある。
腹にヒヤヒヤしたものを抱えながらも、俺はニコニコと人好きする笑顔をつくり続ける。すると悠は、ちょっとのあいだ頭を俯けて考えるような仕草を見せてから、こくんと頷いた。
「……分かった。そういうことなら、ちゃんと介抱してやれよ? 体調悪いんだから、早く帰してあげたほうがいい」
「わーってんよ」
暗にナンパするなと仄めかした悠に、俺はカラリと笑って返す。そして悠は──道端で倒れたという遠野さんの羞恥に配慮したのか──足早にその場を去っていく。彼の姿が遠目にも見えなくなると、俺はドッと疲れてその場に撃沈した。
「はー、なんとか乗り切った……」
一気に年をとった気分だ。遠野さんを庇うために気を張って、つっぱっていた身体から一気に力が抜けて立てない。玉手箱開けて倒れこんだ浦島太郎ってこんな気分だったのかな……なんてどうでもいいことを考えていると、またチョイチョイとYシャツをひっぱられた。
「んあ?」──振り返れば、くりくりと大きな瞳で遠野さんが俺をじっと見つめている。不安のなごりか、涙の膜が張った大きな瞳がゆらゆら揺らめく。不規則な光と入り混じって輝くブルーグレーの虹彩が誰も知らない水底のような静かな美しさを湛えるから、俺はドキリとしてしまった。
ああやっぱり、学校では目立っていないけれど、この子はとっても綺麗な子なんだと。
「あの……庇ってくださってありがとうございます。とてもとても助かりました」
俺が黙っていると、彼女はシャランと鈴が鳴るような声で礼を告げる。そうしてなんと、律儀にも俺に向けて頭を下げようとした。正座で。ウッソだろ……!? 迷惑かけたのはオレのほうだってのに!? トラブルの元になったのはオレなのに申し訳なさすぎる! ワァワァとあわてて両手を地面へきれいに並べた彼女を差し止める。
「いや、メッソーもない! つか大本は俺のせいなんだからそんな畏まらないで!」
「いえ! 事情がどうであれ、私が助けてもらったことは事実なので、お礼します! 私の気持ちの問題なのでお気になさらず!」
「気にしてぇ!? 気持ちは嬉しいけど、ココいちおうケッコーなひとの集まる駅前だから! このままだと俺が女の子に駅前で土下座させる超鬼畜野郎ってコトになっちゃうから!」
俺に女の子に土下座させる趣味はねーし、んなことしたら女の子に恥をかかせる最低野郎である。逼迫するオレの胸中を感じとってくれたのか、遠野さんはオレへの土下座を取りやめてくれた。ちょっと不満そうな顔つきをしてるけど、まぁ素直に聞いてくれたからいいとしよう。
「じゃ、じゃあ、せめてべつの形でお礼をさせていただけませんか? そうでないと、私の気が納まらないので」
「え……んなのいいってのに」
「ダメです。納得できません。そんなの」
さきほど頼りなげに泣いていたとは思えないほど、ハキハキとした口調で遠野さんは言いきる。そして、次の瞬間、俺は驚きでのけぞることとなった。
「──うおっ!?」
ズズイと、遠野さんが上体をまえに倒したせいで、俺たちは顔と顔を間近で突き合わせる距離になってしまったのだ。彼女から香る、あまい花のようなシャンプーの香りと、ふわりと爽やかでやさしい柚子の香りが俺の鼻腔を満たして、麻痺毒のように身体を縛りつけた。香りまでもが花のような彼女に囚われた俺を、遠野さんは『絶対に逃さない』という圧をこめた大きな瞳でもって射ぬく。
「なんであったとしても、助けてもらったのならそれ相応のお礼をしてしかるべきです。それに……」
ちょっとだけ、彼女の表情が泣きだしそうに曇る。それは俺に定期券と、彼女が勤めているのだろうメイドカフェの名刺を見られたときの表情と同じ翳りで。
「……ちょっとお話がしたいんです。私の……その……あのカードを見た、花村くんに。ヘンな誤解とかされたくないので……」
「…………わ、かった」
俺は頷くしかなくなった。だって、かわいい女の子の悲しむ姿なんて見たくないから。すると彼女はみるみるうちに瞳を輝かせた。ブルーグレーの瞳にまるで星のようにきらめく光たちを宿して。盛大に。
「ホントですか! やったぁ! ありがとうございます!」
「わひゃ!?」
宙に向かって腕をおもいきりバンザイした遠野さんは、しかし瞬時に俺の手つかみ、キラキラと輝くような笑顔をむけてくれる。かわいい女の子に至近距離で微笑まれるなんて、またとない幸運だ。場所が場所であれば、の話だが。
「遠野さんっ、ここ、ここ駅前っ、駅前だからっ!」
「え? …………あっ」
遠野さんはハッと我に返ってあたりを見渡す。そうして自分が置かれている状況をまたたく間に理解し、ふしゅーーーーっと顔から湯気を噴き出した。ちょうど日が暮れて通勤通学に訪れる人が増えてきたせいで、さっきからイタイものを見るような視線がグサグサと刺さっていたたまれないのだ。羞恥に頬を染めた遠野さんは「ごめんなさい!」と手を勢いよくはなした反動で、また地面に転がりかけた。