決意
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突然の告白に固まった陽介を見越したように、彼女は笑った。サプライズが成功して、相手が喜ぶ顔を見た子供みたいな無邪気さで。
『ふふっ、驚くよなぁ。でもね、私、本当にそう思っているんだよ』
彼女は一つ息を吐いた。そうして、内省的な、遠い記憶をなぞるような口調で続ける。
『……私は、家族以外に親しい人なんていらないと思ってた。だって、私にとっての他人は、心無くこちらを傷つけてくる人間ばかりだったから。……昔のことだというのに、今思い出しただけでも腸が煮えくり返りそうなことだって、覚えてる』
「瀬名……」
『だから、私は強くなろうって思った。あのころの私はあまり強くなかったから……だけど、いや、だからこそ、誰も助けてくれなくても、平気なくらい強くなろうって、一人で大丈夫なようになろうって……がむしゃらだった。ほんとの私は、一人で平気なほど……強くないのに』
陽介の胸がきゅっと切なく締めつけられる。それは、稲羽市外からやってきたという立場を同じくする人間だからこそ持ちうる共感と、彼女の過去を知るからこそ来る悲しみだった。
瑞月は稲羽市の生まれではない。不仲だった生みの両親が別れるときに”忌み子”だからと、およそ信じられないくらい身勝手な理由で捨てられ、瀬名家に養子として引き取られた。
陽介と出会うまで、排他的な八十稲羽で彼女が苦労していたというのは、本人や彼女の養母から直接告げられた事実である。
心無い他人の言葉や振る舞いに傷ついた機会が幾度もあったとは、それこそ想像に難くない。だから彼女は、人を避け、一人でいる道を選んだ。
実際、陽介と会ったばかりの瑞月はひとりだった。他人を寄せつけない無表情の仮面を被って、外部との交流を最低限に、誰とも絆を結ばず、誰にも共感しない日々を過ごしていた。家族を除いた他人との交流に意味を頑なに絶っていた頃の、笑顔さえ見せなかった瑞月を陽介は知っている。
陽介が友達になってから少しずつ、一緒にいる時間を積み重ねていく内に、心を開いてくれるようになって、花のような笑顔を見せてくれるようになったけれど。
『……でも、でもね、一人だったから、傷ついたから……だからこそ、そのお陰で得たものもあると思うのだ』
「え?」
陽介は呆ける。傷つくことは痛くて辛いはずだ。なのに瑞月は、得たものがあると肯定してみせる。一体彼女は、辛いもの以外に何を得たというのか。どこか誇らしげに瑞月は答えを告げる。
『馬鹿にされるのが悔しかったから、勉強を頑張った。それが今は雪子さんやきみに勉強を教える役に立っている。見下されるのが嫌だったから、合気道や身体づくりに夢中になった。それが今は千枝さんとトレーニングの話をしたり、きみに頼まれる臨時バイトをこなしたりする体力の源になっている。
傷つけられるのが怖かったから、他人を遠ざける無表情の仮面を被った。だからこそ────そんな仮面すら越えて、まっすぐな優しさでぶつかってくれる花村に会えた』
陽介の視界が潤む。それはまるで、彼女が必死で歩いてきた路の先に見た美しい景色の中に、あなたがいて良かったと、あなたがいるからこそ良かったと、言われているようなもので。
『良いことも悪いことも、全部積み重ねて今があるんだ。始めて会ったとき、泥と雨水にまみれたからこそ、文化祭で協力しあったからこそ、本気で言い争ったからこそ、私が孤独だったからこそ……きみが八十稲羽に来たからこそ、今の私と花村の関係がある』
そして、それは陽介も同じだった。八十稲羽の退屈な日々に瑞月がいて良かった。小西先輩を失ったこの夜、彼女と話せて良かった。彼女がいて、陽介はどれだけ救われているのか。彼女はいつだって、陽介の苦しみに寄り添って支えてくれるから。
そんな瑞月と出会えたきっかけは、間違いなく、退屈な八十稲羽に来たからこそだった。退屈な日々に耐えたからこそ、陽介にも、報いはあったのだ。陽介は目を見開く。
『痛みを忘れないで、ときに恐れを抱きながらも向き合って、その先に得たものがあるなら、私はそれがどんなものでも、とても尊いものだと思う』
そして瑞月によって、また報われていく。あの恐ろしい、霧の世界で己の弱さと向き合って傷ついた陽介が。救われていく。小西先輩を失うまで何もできずに、失ってから無力を嘆いた陽介が。
『すべての苦悩が報われるとは限らないかもしれない。けれどね、だから、だからこそ、私は祈るよ。きみが未来を信じられないのなら、私がずっと祈る。きみを大切にする人間の一人として。きみが背負ってしまった消えない後悔や苦しみが、いつか報われるように。……きみが私の苦しみに、救いをくれたように、そうなるようにって』
ぼろりと大粒の涙が溢れた。滲む視界とともに、しゃくりあげそうになる喉を必死で抑えて、瑞月の心からの、どこまでも誠実でまっすぐな祈りに聞き入る。
『良いことも悪いことも────きみが持ちうるあたたかく優しい心の糧となって、いつか花と成せるように』
────善事 も禍事 も、きっと花と成せるように。
瑞月の言葉は結ばれる。その言葉が、陽介のずっとずっと深くに響く。
この言葉だけで、ずっと闘えると思った。小西先輩を見失った喪失とも、霧の世界の中で怪物たちを退けながら真実を探す途方もない旅路も、退屈な現実も、陽介を苛む何もかもと。辛いものがいつか、花咲くことを信じ続けられるから。
そして、失いたくないと思った。陽介の苦悩が報われるようにと、切に願ってくれた少女の何もかもを。その気持ちの正体が、友愛か、恋なのか、はたまた執着なのかは、分からないけれど。
けれどたしかに、陽介は瑞月に、そばにいて欲しいと思った。
「……おっ、まえなぁ、カッコ悪いトコばっか思い出してんじゃねーって! チャリでおまえ水浸しにしたコトとか軽く黒歴史なんですけどぉ!?」
けれど、言わない。わざと悪態をつき、ぐずりと鼻を鳴らす。
陽介の醜い本音を洗いざらい暴露した、陽介の本音を背負っていてくれたシャドウが去り際に残した言葉がよみがえる。
────受け入れたんなら、ちゃんと向き合えよ。お前が何であんな風に退屈だって、特別になりたいって、瀬名が欲しいって、思うのか。
その答えがわからない限り、瑞月のそばに自分はいたいとは言えない気がしたから。
それに陽介は、小西先輩を殺した犯人を追う身だ。ゴールも見えず、危険の伴う道のりに挑む人間が、何の関係もない瑞月を巻き込むわけにはいかない。
『そうなのか? こうしてきみと笑い合って話せる今では、私にとってあの事件は、もはや笑い話のような扱いなのだがな』
「いや、ちょっと、最近チャリでツッコんだこと思い出しちまうから俺的にはやめてほしーっていうか」
『ん? ツッコむ……突っ込む……!? またどこかに自転車で突っ込んだのかきみは!?』
「うわヤッベ、口スベッたッ!?」
その後、自転車でゴミ捨て場に突っ込んだ件について、陽介は瑞月に根ほり葉ほり聞かれ、一通り説教を受けた。
まったく大怪我をしたらどうする。そもそもきみは自分の扱いが無意識下でぞんざいすぎる。ちゃんと自分を大切にしろ。もっともな正論に陽介は一方的に頷くしかない。いつも通りの流れである。
しかし一通り話し終えたあと、瑞月は『まぁでも……花村が無事で、良かった』と柔和な、多分優しく微笑んでいるであろう声で応じた。陽介が好きな、春のような穏やかさを伴ったその言葉に、陽介の胸がほんわりとあたたかくなった。
瑞月はいつだって、陽介を案じてくれる。こうした日常の些細な出来事であろうと、小西先輩を喪ったという重大な出来事であろうと、関係なく。そこに思い立ったとき、陽介の唇から自然と、ある想いがあふれた。
「なぁ、瀬名」
『ん、どうした?』
「ありがとうな、俺の話、聴いてくれて」
後悔、懺悔、無力感、怒り。小西先輩の死によって陽介が負ったものは数多い。けれど────
「考えてみるよ。俺が、これからできること」
────大丈夫だ。この先、どんなことがあっても、稲羽の日常に瑞月がいる限り、非日常の中でも、退屈の中でも戦っていける。
瑞月は陽介にとって帰るべき、そして揺るがない”平穏”の象徴なのだから。どんな困難があっても、きっと乗り越えて、彼女のいる場所に帰ってみせる。陽介は強く決意を固めた。決意を秘めた陽介の宣言に、瑞月がふわりと電話越しにほほ笑んだ気配がした。
『……うん、がんばって』
「おう、がんばる。とりあえず……バイトがんばって、お前になんかオゴっちゃおっかな~~。この前もうまい夕メシ食わせてもらったし」
『え!? い、いや、あれはちょうど、用意があったからで……』
携帯越しに伝う覇気のない声から、明らかな動揺が伝わってくる。おろおろと視線をあちらこちらに彷徨わせる親友の姿が、陽介には手に取るように分かった。瑞月は、与えられることに慣れていない。自分は何の躊躇もなく、ときには自身を犠牲にしてでも、当たり前のように他人に施しを授けて、なんでもない顔をしているのに。与えられる立場となったら、唐突に幼げな戸惑いを見せる。実に愉快だと、陽介の頬がゆるりと上を向く。
「はいはい、言い訳は禁止な。こーゆーのは、お前がやったことがお前に『ありがとー!!』って気持ちとして返ってきてるんだから、素直に受け取ること。じゃないと、オレショックで泣いちゃう」
『う……』
急所を突かれたとばかりに、瑞月は口ごもった。ずるい陽介はほくそ笑む。ストレートに感謝を伝えられれば彼女は照れる。そして断られたときの悲しみを匂わせれば、陽介の傷つく姿を嫌がる彼女が、突っぱねることができないと分かっていたから。
「で? なんか食いたいものとか、見たい映画とかないの?」
『うぅ……』
会話中の沈黙は、隙を見せたのと同じだ。形勢を完全に崩した彼女を完全に丸めこむと、降参のため息が聞こえた。
にぎやかだった先ほどとは打ってかわって、沈黙が訪れる。それでも陽介は辛抱強く待った。生い立ちから、人に頼ることが苦手な彼女の望みを聞けるのなら、陽介は静けさだって耐え抜ける。
『では……』
「うん」
『……『喫茶La Pause』の、ケーキセットが食べたい』
「おっ、ケーキセットか。いいじゃん、あそこ菓子もコーヒーも上手いし、お前甘いもの好きだもんな」
『……うん! 実は最近、マスターご夫婦が新作のタルトを考案されたらしいのだ。だからその……食べたいなって』
もじもじと、だが懸命に望みを口にする瑞月に、陽介はくすりと笑ってしまう。奢られるのを苦手とする彼女だか、親友となった陽介であれば──今も若干の戸惑いはあるが──素直に受けてくれるようになった。そして、望みを口にしてくれるようにもなった。
そうやって、心を許してくれているという事実に、陽介は満ち足りた想いになる。
「うしっ! じゃー楽しみにしてろよ」
『うん! 出かけるの、とても楽しみだ』
電話越しに、瑞月の嬉しそうな声が弾けた。陽介の提案に喜んでくれる無邪気な瑞月に、陽介の胸に愛おしさが募る。
同時に、このかけがえのない女の子を守りたいという気持ちも。
結局、課題を済ませて2人して笑いあって通話を終えた。彼女に話を聞いて貰ったからなのか、陽介の胸からは澱みが晴れて、思考は信じられないくらい澄んで冴えていた。
『ふふっ、驚くよなぁ。でもね、私、本当にそう思っているんだよ』
彼女は一つ息を吐いた。そうして、内省的な、遠い記憶をなぞるような口調で続ける。
『……私は、家族以外に親しい人なんていらないと思ってた。だって、私にとっての他人は、心無くこちらを傷つけてくる人間ばかりだったから。……昔のことだというのに、今思い出しただけでも腸が煮えくり返りそうなことだって、覚えてる』
「瀬名……」
『だから、私は強くなろうって思った。あのころの私はあまり強くなかったから……だけど、いや、だからこそ、誰も助けてくれなくても、平気なくらい強くなろうって、一人で大丈夫なようになろうって……がむしゃらだった。ほんとの私は、一人で平気なほど……強くないのに』
陽介の胸がきゅっと切なく締めつけられる。それは、稲羽市外からやってきたという立場を同じくする人間だからこそ持ちうる共感と、彼女の過去を知るからこそ来る悲しみだった。
瑞月は稲羽市の生まれではない。不仲だった生みの両親が別れるときに”忌み子”だからと、およそ信じられないくらい身勝手な理由で捨てられ、瀬名家に養子として引き取られた。
陽介と出会うまで、排他的な八十稲羽で彼女が苦労していたというのは、本人や彼女の養母から直接告げられた事実である。
心無い他人の言葉や振る舞いに傷ついた機会が幾度もあったとは、それこそ想像に難くない。だから彼女は、人を避け、一人でいる道を選んだ。
実際、陽介と会ったばかりの瑞月はひとりだった。他人を寄せつけない無表情の仮面を被って、外部との交流を最低限に、誰とも絆を結ばず、誰にも共感しない日々を過ごしていた。家族を除いた他人との交流に意味を頑なに絶っていた頃の、笑顔さえ見せなかった瑞月を陽介は知っている。
陽介が友達になってから少しずつ、一緒にいる時間を積み重ねていく内に、心を開いてくれるようになって、花のような笑顔を見せてくれるようになったけれど。
『……でも、でもね、一人だったから、傷ついたから……だからこそ、そのお陰で得たものもあると思うのだ』
「え?」
陽介は呆ける。傷つくことは痛くて辛いはずだ。なのに瑞月は、得たものがあると肯定してみせる。一体彼女は、辛いもの以外に何を得たというのか。どこか誇らしげに瑞月は答えを告げる。
『馬鹿にされるのが悔しかったから、勉強を頑張った。それが今は雪子さんやきみに勉強を教える役に立っている。見下されるのが嫌だったから、合気道や身体づくりに夢中になった。それが今は千枝さんとトレーニングの話をしたり、きみに頼まれる臨時バイトをこなしたりする体力の源になっている。
傷つけられるのが怖かったから、他人を遠ざける無表情の仮面を被った。だからこそ────そんな仮面すら越えて、まっすぐな優しさでぶつかってくれる花村に会えた』
陽介の視界が潤む。それはまるで、彼女が必死で歩いてきた路の先に見た美しい景色の中に、あなたがいて良かったと、あなたがいるからこそ良かったと、言われているようなもので。
『良いことも悪いことも、全部積み重ねて今があるんだ。始めて会ったとき、泥と雨水にまみれたからこそ、文化祭で協力しあったからこそ、本気で言い争ったからこそ、私が孤独だったからこそ……きみが八十稲羽に来たからこそ、今の私と花村の関係がある』
そして、それは陽介も同じだった。八十稲羽の退屈な日々に瑞月がいて良かった。小西先輩を失ったこの夜、彼女と話せて良かった。彼女がいて、陽介はどれだけ救われているのか。彼女はいつだって、陽介の苦しみに寄り添って支えてくれるから。
そんな瑞月と出会えたきっかけは、間違いなく、退屈な八十稲羽に来たからこそだった。退屈な日々に耐えたからこそ、陽介にも、報いはあったのだ。陽介は目を見開く。
『痛みを忘れないで、ときに恐れを抱きながらも向き合って、その先に得たものがあるなら、私はそれがどんなものでも、とても尊いものだと思う』
そして瑞月によって、また報われていく。あの恐ろしい、霧の世界で己の弱さと向き合って傷ついた陽介が。救われていく。小西先輩を失うまで何もできずに、失ってから無力を嘆いた陽介が。
『すべての苦悩が報われるとは限らないかもしれない。けれどね、だから、だからこそ、私は祈るよ。きみが未来を信じられないのなら、私がずっと祈る。きみを大切にする人間の一人として。きみが背負ってしまった消えない後悔や苦しみが、いつか報われるように。……きみが私の苦しみに、救いをくれたように、そうなるようにって』
ぼろりと大粒の涙が溢れた。滲む視界とともに、しゃくりあげそうになる喉を必死で抑えて、瑞月の心からの、どこまでも誠実でまっすぐな祈りに聞き入る。
『良いことも悪いことも────きみが持ちうるあたたかく優しい心の糧となって、いつか花と成せるように』
────
瑞月の言葉は結ばれる。その言葉が、陽介のずっとずっと深くに響く。
この言葉だけで、ずっと闘えると思った。小西先輩を見失った喪失とも、霧の世界の中で怪物たちを退けながら真実を探す途方もない旅路も、退屈な現実も、陽介を苛む何もかもと。辛いものがいつか、花咲くことを信じ続けられるから。
そして、失いたくないと思った。陽介の苦悩が報われるようにと、切に願ってくれた少女の何もかもを。その気持ちの正体が、友愛か、恋なのか、はたまた執着なのかは、分からないけれど。
けれどたしかに、陽介は瑞月に、そばにいて欲しいと思った。
「……おっ、まえなぁ、カッコ悪いトコばっか思い出してんじゃねーって! チャリでおまえ水浸しにしたコトとか軽く黒歴史なんですけどぉ!?」
けれど、言わない。わざと悪態をつき、ぐずりと鼻を鳴らす。
陽介の醜い本音を洗いざらい暴露した、陽介の本音を背負っていてくれたシャドウが去り際に残した言葉がよみがえる。
────受け入れたんなら、ちゃんと向き合えよ。お前が何であんな風に退屈だって、特別になりたいって、瀬名が欲しいって、思うのか。
その答えがわからない限り、瑞月のそばに自分はいたいとは言えない気がしたから。
それに陽介は、小西先輩を殺した犯人を追う身だ。ゴールも見えず、危険の伴う道のりに挑む人間が、何の関係もない瑞月を巻き込むわけにはいかない。
『そうなのか? こうしてきみと笑い合って話せる今では、私にとってあの事件は、もはや笑い話のような扱いなのだがな』
「いや、ちょっと、最近チャリでツッコんだこと思い出しちまうから俺的にはやめてほしーっていうか」
『ん? ツッコむ……突っ込む……!? またどこかに自転車で突っ込んだのかきみは!?』
「うわヤッベ、口スベッたッ!?」
その後、自転車でゴミ捨て場に突っ込んだ件について、陽介は瑞月に根ほり葉ほり聞かれ、一通り説教を受けた。
まったく大怪我をしたらどうする。そもそもきみは自分の扱いが無意識下でぞんざいすぎる。ちゃんと自分を大切にしろ。もっともな正論に陽介は一方的に頷くしかない。いつも通りの流れである。
しかし一通り話し終えたあと、瑞月は『まぁでも……花村が無事で、良かった』と柔和な、多分優しく微笑んでいるであろう声で応じた。陽介が好きな、春のような穏やかさを伴ったその言葉に、陽介の胸がほんわりとあたたかくなった。
瑞月はいつだって、陽介を案じてくれる。こうした日常の些細な出来事であろうと、小西先輩を喪ったという重大な出来事であろうと、関係なく。そこに思い立ったとき、陽介の唇から自然と、ある想いがあふれた。
「なぁ、瀬名」
『ん、どうした?』
「ありがとうな、俺の話、聴いてくれて」
後悔、懺悔、無力感、怒り。小西先輩の死によって陽介が負ったものは数多い。けれど────
「考えてみるよ。俺が、これからできること」
────大丈夫だ。この先、どんなことがあっても、稲羽の日常に瑞月がいる限り、非日常の中でも、退屈の中でも戦っていける。
瑞月は陽介にとって帰るべき、そして揺るがない”平穏”の象徴なのだから。どんな困難があっても、きっと乗り越えて、彼女のいる場所に帰ってみせる。陽介は強く決意を固めた。決意を秘めた陽介の宣言に、瑞月がふわりと電話越しにほほ笑んだ気配がした。
『……うん、がんばって』
「おう、がんばる。とりあえず……バイトがんばって、お前になんかオゴっちゃおっかな~~。この前もうまい夕メシ食わせてもらったし」
『え!? い、いや、あれはちょうど、用意があったからで……』
携帯越しに伝う覇気のない声から、明らかな動揺が伝わってくる。おろおろと視線をあちらこちらに彷徨わせる親友の姿が、陽介には手に取るように分かった。瑞月は、与えられることに慣れていない。自分は何の躊躇もなく、ときには自身を犠牲にしてでも、当たり前のように他人に施しを授けて、なんでもない顔をしているのに。与えられる立場となったら、唐突に幼げな戸惑いを見せる。実に愉快だと、陽介の頬がゆるりと上を向く。
「はいはい、言い訳は禁止な。こーゆーのは、お前がやったことがお前に『ありがとー!!』って気持ちとして返ってきてるんだから、素直に受け取ること。じゃないと、オレショックで泣いちゃう」
『う……』
急所を突かれたとばかりに、瑞月は口ごもった。ずるい陽介はほくそ笑む。ストレートに感謝を伝えられれば彼女は照れる。そして断られたときの悲しみを匂わせれば、陽介の傷つく姿を嫌がる彼女が、突っぱねることができないと分かっていたから。
「で? なんか食いたいものとか、見たい映画とかないの?」
『うぅ……』
会話中の沈黙は、隙を見せたのと同じだ。形勢を完全に崩した彼女を完全に丸めこむと、降参のため息が聞こえた。
にぎやかだった先ほどとは打ってかわって、沈黙が訪れる。それでも陽介は辛抱強く待った。生い立ちから、人に頼ることが苦手な彼女の望みを聞けるのなら、陽介は静けさだって耐え抜ける。
『では……』
「うん」
『……『喫茶La Pause』の、ケーキセットが食べたい』
「おっ、ケーキセットか。いいじゃん、あそこ菓子もコーヒーも上手いし、お前甘いもの好きだもんな」
『……うん! 実は最近、マスターご夫婦が新作のタルトを考案されたらしいのだ。だからその……食べたいなって』
もじもじと、だが懸命に望みを口にする瑞月に、陽介はくすりと笑ってしまう。奢られるのを苦手とする彼女だか、親友となった陽介であれば──今も若干の戸惑いはあるが──素直に受けてくれるようになった。そして、望みを口にしてくれるようにもなった。
そうやって、心を許してくれているという事実に、陽介は満ち足りた想いになる。
「うしっ! じゃー楽しみにしてろよ」
『うん! 出かけるの、とても楽しみだ』
電話越しに、瑞月の嬉しそうな声が弾けた。陽介の提案に喜んでくれる無邪気な瑞月に、陽介の胸に愛おしさが募る。
同時に、このかけがえのない女の子を守りたいという気持ちも。
結局、課題を済ませて2人して笑いあって通話を終えた。彼女に話を聞いて貰ったからなのか、陽介の胸からは澱みが晴れて、思考は信じられないくらい澄んで冴えていた。