決意
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────花ちゃんの事、ウザくて、妬ましかった。
────それに花ちゃんはいいよね……心配してくれる、仲いい子がいて
────私なんて誰も、だあれも居なかったよ
ずっと、誰かに訊きたかったことだった。小西先輩を失って、彼女が遺した、吐き戻した毒のなかに滲んだ血混じりの孤独に触れて。寄り添えなかったことを悔やんで。でも、悔やんだところで何ができるわけでもなくて。それが悔しくて、虚しくて。
そんな、胸に抱えた虚ろな苦しさを瑞月なら埋めてくれると思ったのだ。埋めることは出来なくても、埋める方法を示してくれるのではないかと。だから尋ねた。
水を打ったような沈黙が落ちた。置時計の秒針がいやにゆっくりと聞こえる。体感では長い静けさのあと、まるで凪いだ泉のように透き通った声が返ってくる。
『…………引きずる、かな』
だがその答えはあまりにも後ろ向きなものだった。陽介は彼女らしからぬ返答にポカンと面食らって口を開ける。驚きと戸惑いに感情のままに陽介は思ったことを告げる。
「なんか、意外。お前のことだから、乗り越えるって言うんじゃないかと思ってた」
『…………だって、そんな失敗だったら、きっと忘れられないだろうから。後悔も、惨めさも、薄れることはあっても、一生消えないだろうから』
衝撃で、陽介は固まる。なぜなら、清らかなはずの瑞月の声が、言葉を口にした瞬間、濁ったような気がしたから。そして、陽介はその声に聞き覚えがあった。
それは、小西先輩の死を嘆く陽介の声だった。もう助けることすら叶わない、取り返しのつかない失敗をしたと嘆く陽介の声に似た昏い響きが、彼女の言葉には込められている。
だが瑞月の濁りは陽介のものよりずっと深い。まるで、紛れもなく取り返しのつかない後悔を気が遠くなるほどの歳月を背負った人間のもの────。
『……乗り越えられるのは自分の上限や意識、未来に関わる事柄だけだ。失敗は過去のものだし、どうやったって乗り越えられるものでは、ないからな。……ハードル走みたいなものだよ。…………一回のレースで越えられなかったハードルはずっと倒れたまま。直すことなんてできないだろう?』
昏い響きのまま、彼女は続ける。その秘された自責の告白に、陽介は悟ってしまう。彼女もきっと、なんらかの悲惨な後悔を負って生きていたと。それが小西先輩を救えなかった陽介には、分かってしまったから。
皮肉な安堵がこみ上げた。重苦しい泥濘のなかに共にいるような、その中で無様にもがている人間を見つけたような、皮肉な安堵。
だからこそ、陽介は気になってしまった。同じ沼でもがいているであろう彼女がどんな後悔を背負っているのか。
「……瀬名は、さ」
『うん』
「その、いやだったら答えなくていいんだけど、そういう取り返しのつかない後悔とかしたことあんの?」
『………………うん』
────────あるよ。
その短い、本当に短い肯定で、陽介は十分だった。瑞月の、重く翳った言葉の重さにはいまだに尽きない苦悩と、それが終わることがないと悟っている空虚な諦めが如実に表れていたから。同時に、陽介は恐ろしくなった。
なぜなら、瑞月にとって深く昏い──そして刺すように冷たい心の核に無遠慮に触れてしまったような気がしたから。だが、彼女が恐ろしいのではない。それに触れて、彼女の声が明らかに震えたことが恐ろしかった。
まるで、陽介が触れたら、瑞月が壊れて、壊れなくても、深い傷を負ってしまいそうだったから。
きっとそれは────声を震わすほどに重い後悔とは、陽介が以前から感じていた、彼女が抱えた、他人に触れてほしくない負の記憶なのだろう。そう悟った陽介の口から反射的に謝罪が飛び出す。
「その、ごめん。調子乗って、こんなこと聞いて。無理に話さなくていいから」
思い出したくない記憶を、彼女にとって吐き出すことすら辛い記憶を、瑞月が話したいのならまだしも、陽介を慰めるためだけに吐き出すよう強要する行いは、友達としてやってはいけない非道だ。
『きみは……』
ゆえに陽介は、己の軽率な問いかけを後悔した。彼女を一瞬でも辛くさせてしまった事実を恥じていると、瑞月が静かに、どこか不安で揺らぐ声で問いかける。
『……きみは、いいのか? 友人である私が、得体の知れない秘め事を抱えているままで』
「え?」
陽介は問い返す。すると瑞月は『すまない』と不甲斐なさを滲ませながら続けた。
『……話せないというのは、きみを悪く思っているわけでは、ないんだ。ただ、私にとって、とても話すのが辛い、八十稲羽に来るまえの、過去の話になる』
瑞月は続ける。その声は、割れる直前のガラス細工のように脆く震えて、今にも消えてしまいそうだ。それほどに辛いというのに、瑞月はなんとか言葉を続ける。
『……だから、誰にも……今の家族にも、話さない……話せない。だから私は、墓まで持っていくと、決めた、そんな話だ』
「……」
『だがきみには……花村には、嘘を吐きたくないと思った。本当は、話さなければいけないけれど……これが私の精一杯だ。…………すまない』
一息に彼女は告げる。彼女らしい流暢さが失われた訥々とした語りに、陽介は友人としての誠実さと己の過去に板挟みにされた親友の苦悩を知る。陽介は乾いた唇を舐める、そうして、慎重に言葉を選ぶ。
「いや、それはたしかに、気になるっちゃ、気になるけど……」
気にならないといえば、嘘だ。彼女の言動の背後に、ときたまちらつく暗い影を見るたび、陽介はその正体を知りたくなる。知って、その上で彼女が心の奥底に封じた孤独な闇に寄り添ってやりたくなる。けれど、それは陽介のエゴでしかない。
陽介は自分の無力を知っていた。どこまでいっても凡庸な自分は、心の傷へと寄り添う専門の知識と技術を持つカウンセラーのように、慰めの言葉で人の傷を癒す方法も知りえはしない。そんな何の取り柄もない人間が、無理に瑞月の秘密を暴き立てたとしても互いに傷つきあうだけの不毛な結果が待っている。
それでも話して欲しいと望むなら────陽介にできることは待つことだけだ。瑞月が陽介を信頼して、この人なら受け止めてくれると心から確信したそのときだけ。
「親友ったってさ……話したくねぇことは、あるよ。俺だって、俺自身について、お前に話せないこととかあったし……、それに、正直、いつか話せたらいいと思うけど……まだ話せないこととか、ある」
『……』
「だからさ、その中身までは話してくれなくても、そういう、言えない秘密があるって、正直に話してくれただけで……上手く言えないけど、信頼してくれるのかなって、思う」
実際、そうして『言えないことがある』と正直に告げてくれたことが、少しだけ寂しいけれど、陽介は嬉しかった。いや、許された気がしてほっとしたのだ。
親友同士ならば、嘘はつかず、隠し事はせず、偽りのない自分でいないといけない──そんな思い込みが、陽介の頭の片隅にはあったのだ。だからこそ、瑞月に対して言えない想いを抱えている自身が陽介はどこか後ろ暗かった。
けれど瑞月の要求は、自分の秘密を話したくないという切な願いは、そんな陽介を赦すものだったから。自分も秘密があることを明かしたうえで、その上で親友としての関係を続けたいと願ってくれるものだったから。
「だから、いいよ。お前がどんな秘密を抱えていても。でも、抱えるの辛くなったら、言ってくれよ。俺、お前が苦しんでるなら、それを吐いて、少しでも楽になれるなら、聞いてやりたいって、そう思う」
それは心からの言葉だった。人の内側に踏みこむことを恐れていた臆病な陽介が、『いい人』の仮面を取り去って伝えられた、精一杯の友愛だった。
────それに花ちゃんはいいよね……心配してくれる、仲いい子がいて
────私なんて誰も、だあれも居なかったよ
ずっと、誰かに訊きたかったことだった。小西先輩を失って、彼女が遺した、吐き戻した毒のなかに滲んだ血混じりの孤独に触れて。寄り添えなかったことを悔やんで。でも、悔やんだところで何ができるわけでもなくて。それが悔しくて、虚しくて。
そんな、胸に抱えた虚ろな苦しさを瑞月なら埋めてくれると思ったのだ。埋めることは出来なくても、埋める方法を示してくれるのではないかと。だから尋ねた。
水を打ったような沈黙が落ちた。置時計の秒針がいやにゆっくりと聞こえる。体感では長い静けさのあと、まるで凪いだ泉のように透き通った声が返ってくる。
『…………引きずる、かな』
だがその答えはあまりにも後ろ向きなものだった。陽介は彼女らしからぬ返答にポカンと面食らって口を開ける。驚きと戸惑いに感情のままに陽介は思ったことを告げる。
「なんか、意外。お前のことだから、乗り越えるって言うんじゃないかと思ってた」
『…………だって、そんな失敗だったら、きっと忘れられないだろうから。後悔も、惨めさも、薄れることはあっても、一生消えないだろうから』
衝撃で、陽介は固まる。なぜなら、清らかなはずの瑞月の声が、言葉を口にした瞬間、濁ったような気がしたから。そして、陽介はその声に聞き覚えがあった。
それは、小西先輩の死を嘆く陽介の声だった。もう助けることすら叶わない、取り返しのつかない失敗をしたと嘆く陽介の声に似た昏い響きが、彼女の言葉には込められている。
だが瑞月の濁りは陽介のものよりずっと深い。まるで、紛れもなく取り返しのつかない後悔を気が遠くなるほどの歳月を背負った人間のもの────。
『……乗り越えられるのは自分の上限や意識、未来に関わる事柄だけだ。失敗は過去のものだし、どうやったって乗り越えられるものでは、ないからな。……ハードル走みたいなものだよ。…………一回のレースで越えられなかったハードルはずっと倒れたまま。直すことなんてできないだろう?』
昏い響きのまま、彼女は続ける。その秘された自責の告白に、陽介は悟ってしまう。彼女もきっと、なんらかの悲惨な後悔を負って生きていたと。それが小西先輩を救えなかった陽介には、分かってしまったから。
皮肉な安堵がこみ上げた。重苦しい泥濘のなかに共にいるような、その中で無様にもがている人間を見つけたような、皮肉な安堵。
だからこそ、陽介は気になってしまった。同じ沼でもがいているであろう彼女がどんな後悔を背負っているのか。
「……瀬名は、さ」
『うん』
「その、いやだったら答えなくていいんだけど、そういう取り返しのつかない後悔とかしたことあんの?」
『………………うん』
────────あるよ。
その短い、本当に短い肯定で、陽介は十分だった。瑞月の、重く翳った言葉の重さにはいまだに尽きない苦悩と、それが終わることがないと悟っている空虚な諦めが如実に表れていたから。同時に、陽介は恐ろしくなった。
なぜなら、瑞月にとって深く昏い──そして刺すように冷たい心の核に無遠慮に触れてしまったような気がしたから。だが、彼女が恐ろしいのではない。それに触れて、彼女の声が明らかに震えたことが恐ろしかった。
まるで、陽介が触れたら、瑞月が壊れて、壊れなくても、深い傷を負ってしまいそうだったから。
きっとそれは────声を震わすほどに重い後悔とは、陽介が以前から感じていた、彼女が抱えた、他人に触れてほしくない負の記憶なのだろう。そう悟った陽介の口から反射的に謝罪が飛び出す。
「その、ごめん。調子乗って、こんなこと聞いて。無理に話さなくていいから」
思い出したくない記憶を、彼女にとって吐き出すことすら辛い記憶を、瑞月が話したいのならまだしも、陽介を慰めるためだけに吐き出すよう強要する行いは、友達としてやってはいけない非道だ。
『きみは……』
ゆえに陽介は、己の軽率な問いかけを後悔した。彼女を一瞬でも辛くさせてしまった事実を恥じていると、瑞月が静かに、どこか不安で揺らぐ声で問いかける。
『……きみは、いいのか? 友人である私が、得体の知れない秘め事を抱えているままで』
「え?」
陽介は問い返す。すると瑞月は『すまない』と不甲斐なさを滲ませながら続けた。
『……話せないというのは、きみを悪く思っているわけでは、ないんだ。ただ、私にとって、とても話すのが辛い、八十稲羽に来るまえの、過去の話になる』
瑞月は続ける。その声は、割れる直前のガラス細工のように脆く震えて、今にも消えてしまいそうだ。それほどに辛いというのに、瑞月はなんとか言葉を続ける。
『……だから、誰にも……今の家族にも、話さない……話せない。だから私は、墓まで持っていくと、決めた、そんな話だ』
「……」
『だがきみには……花村には、嘘を吐きたくないと思った。本当は、話さなければいけないけれど……これが私の精一杯だ。…………すまない』
一息に彼女は告げる。彼女らしい流暢さが失われた訥々とした語りに、陽介は友人としての誠実さと己の過去に板挟みにされた親友の苦悩を知る。陽介は乾いた唇を舐める、そうして、慎重に言葉を選ぶ。
「いや、それはたしかに、気になるっちゃ、気になるけど……」
気にならないといえば、嘘だ。彼女の言動の背後に、ときたまちらつく暗い影を見るたび、陽介はその正体を知りたくなる。知って、その上で彼女が心の奥底に封じた孤独な闇に寄り添ってやりたくなる。けれど、それは陽介のエゴでしかない。
陽介は自分の無力を知っていた。どこまでいっても凡庸な自分は、心の傷へと寄り添う専門の知識と技術を持つカウンセラーのように、慰めの言葉で人の傷を癒す方法も知りえはしない。そんな何の取り柄もない人間が、無理に瑞月の秘密を暴き立てたとしても互いに傷つきあうだけの不毛な結果が待っている。
それでも話して欲しいと望むなら────陽介にできることは待つことだけだ。瑞月が陽介を信頼して、この人なら受け止めてくれると心から確信したそのときだけ。
「親友ったってさ……話したくねぇことは、あるよ。俺だって、俺自身について、お前に話せないこととかあったし……、それに、正直、いつか話せたらいいと思うけど……まだ話せないこととか、ある」
『……』
「だからさ、その中身までは話してくれなくても、そういう、言えない秘密があるって、正直に話してくれただけで……上手く言えないけど、信頼してくれるのかなって、思う」
実際、そうして『言えないことがある』と正直に告げてくれたことが、少しだけ寂しいけれど、陽介は嬉しかった。いや、許された気がしてほっとしたのだ。
親友同士ならば、嘘はつかず、隠し事はせず、偽りのない自分でいないといけない──そんな思い込みが、陽介の頭の片隅にはあったのだ。だからこそ、瑞月に対して言えない想いを抱えている自身が陽介はどこか後ろ暗かった。
けれど瑞月の要求は、自分の秘密を話したくないという切な願いは、そんな陽介を赦すものだったから。自分も秘密があることを明かしたうえで、その上で親友としての関係を続けたいと願ってくれるものだったから。
「だから、いいよ。お前がどんな秘密を抱えていても。でも、抱えるの辛くなったら、言ってくれよ。俺、お前が苦しんでるなら、それを吐いて、少しでも楽になれるなら、聞いてやりたいって、そう思う」
それは心からの言葉だった。人の内側に踏みこむことを恐れていた臆病な陽介が、『いい人』の仮面を取り去って伝えられた、精一杯の友愛だった。