決意
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「あ、のさ……」
『うん』
ゆっくりゆっくり口を開く。思考をまとめずに出た声はこもっていて、掠れていて、とても聞き取りやすいとは言えない。けれど、瑞月は急かすことなく静穏に続きを促す。
「…………俺、小西先輩にとってさ、迷惑なヤツだったのかなって思って……」
────花ちゃんの事、ウザくて、妬ましかった。
陽介は吐き出す。あの世界で聞いてからずっとずっと心に突き刺さって苦しかった、小西先輩の本音について。もちろん、テレビの中で体験した出来事は伏せる。きっと瑞月は陽介に降りかかった────否、降りかかっている災難を知れば、絶対に彼女は止めようとするだろうから。
瑞月が息を詰めた気配がした。だが、しばらくするとほんの少し緊張した声が返ってくる。
『…………わけを聞いても? どうしてそう思うのか』
「……瀬名が帰ったあと、偶然聞いちまったんだ。小西先輩への実家の悪口とか、小西先輩がジュネスのバイト…………辛いって言ってたこととか、そんで俺にも不満があったってこと」
『それは、すまない。辛いことを思い出させた』
「いや、こっちこそ暗いコト話してごめん」
携帯越しにふっと短い息の音がした。それは瑞月が見せる微笑みの一つを想起させた。決して同情ではなく、怯えた相手を安心させるためにだけに形作られる穏やかな笑み。月明かりにも似た静謐な笑みの気配に、情けない自分の告白が撥ねつけられることなく受け入れられている気がした。
『謝るな。話をさせたのは私だ。続けて?』
「うん。えっと……」
息を吸い覚悟を決めた。ずっと胸に刺さって抜けない苦い記憶がズルリと引き出される。
「先輩、俺のこと『ウザい』って思ってたみたいなんだよ。でさ、こっからなんだけど……それに俺、胸がヒヤッとしたんだ」
『ヒヤッとした? ショックだったんじゃなくて?』
「…………うん、うん。そうだな。たしかに、ショックだけど、ヒヤッとしたんだ」
瑞月の呈した疑問に答えながら、陽介は腑に落ちた。あの、先輩のとりつく島もなく辛辣な本音を聞いたとき、心臓を摺り潰されるような衝撃とともに、心の内側に氷が凍りつくような恐怖を覚えたのか。
「俺さ、先輩に好きになって貰いたいって考えてばっかだった。考えるだけならいいけどさ、その気持ちを独り善がりで押しつけてばっかだったんだよ。……『なんか困ったら言ってよ?』とか調子いいこと言って……言うだけで……実際はなんもしなかった。しないどころか……ウザく絡んで、あの人の負担になってた……」
小西先輩の事情は、知っていたはずだった。彼女が、顧客の多くを奪われて現在も経営的に追い込れているという経緯から『ジュネス』と確執のある商店街の出身であることも。そして彼女の実家である酒屋も例に漏れず、風向きがよくないことも偶然聞いた学生バイトたちの噂から知っていた。
そして、小西先輩の父親が稲羽市外から来た人間たちを毛嫌いしていることも。先輩が苦労の多い立場にいると分かっているつもりだった。
けれど違った。所詮は『つもり』でしかなかったのだ。それらがどんなに陰湿な形で彼女を追い込んでいたか。あの異世界の息がつまるような閉塞感で満ち溢れた酒屋の内側に押しかけるまで、陽介は彼女の表面しか知らなかった。
否、知ろうとしなかった。下手を打って嫌われることを恐れて、自分が傷つくことを恐れて、苦しみを抱えた小西先輩の内側に踏み込まなかった。『先輩が話したくないならいい』なんて、良い人ぶった耳障りのいいおためごかしでごまかして。
「俺、全然先輩のこと分かってなかったんだって……。好きな人のことなのに、先輩のこと全然知ろうとしないで、自分の都合押しつけて、良い人ぶってたんだ。……そんなんウザいって思われて当然だよな」
瞳と喉の奥が熱くなる。陽介は結局、上辺だけの同情を寄せていただけだ。そのくせ、口では「何でも言ってよ」なんて耳障りのいいことを嘯いて────彼女を助けられなかった。
そして、一人で死なせてしまった。
「……で、それに今更気がついてさ、苦しいんだ。聞き分けのいい振りしないで、もっと先輩の悩みに踏み込んでたら……嫌われることなんて……俺が傷つくことなんて恐れないで、もっと親身にできてたんなら…………先輩の孤独にもっとちゃんと寄り添ってやれたんじゃないかって…………苦しくて、悔しいんだッ……!」
拳を痛いほど握りしめる。爪が食い込む鈍い痛みを持ってしても、感情を抑えることは叶わない。
「遅いって、どうしようもないことだってのは分かってる。けど、『もっと何か出来たんじゃないか』って、さっきからずっと頭んなか、いっぱいで…………!!」
小西先輩が好きだったというのに。何もできなかった自分が
情けなくて、不甲斐なくて、惨めで。
呼吸が、肺を押し潰されたように苦しい。まるで胸が冷たいナイフで切り裂かれたように痛い、でもこの苦しみを陽介はどうすることもできない。だって陽介が抱えた苦しみを取り去れる人はもうこの世にはいないのだから。
陽介はずっと、この苦しみを背負っていかねばならないのだ。慕っていた人に何もできなかった苦しみを。
胸の内に抱えていた苦しさを、陽介はすべてを打ち明けた。取り返しのつかない後悔が突き刺さって、胸がズキズキと痛む。すると、瑞月はそんな陽介の心情を慮ったような、労りがこもった響きで応える。
『……花村、話してくれてありがとう。とりあえず、一緒に深呼吸をしよう。今のきみはとてもとても苦しそうだ。……呼吸を疎かにしては、ほんとうに苦しいばっかりだから』
さんはいと、瑞月が静かな声音で促す。さあ、吐いて、吸って。
親友の耳馴染みのある声は、苦しいはずの胸にもすっと染み入ってきて、わだかまった感情の棘を抜き去ってくれたような気がした。実際、何回か深く呼吸を繰り返すと、陽介が抱いた息苦しさも少しほぐれて落ち着いてきた。
マイク越しにそれを汲み取ったらしい。瑞月はふいにポツリと言葉をこぼした。
『……なぁ、花村。少しだけ、私と小西先輩の思い出を話していいか?』