抑圧した心
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
現れた花村陽介──正確には、花村陽介の姿を模したナニカは、金の瞳を嘲笑の形に歪めて陽介本人を見下している。
悠はとっさに、陽介とクマを守るように庇い立った。対するナニカは、身体中からシャドウが誕生する瞬間に発する真っ黒な霧を立ちのぼらせ禍々しい雰囲気で悠たちを威圧する。
「あ、あれ? ヨ……ヨースケが2人……クマ?」
「お前……、誰だ!? 俺はそんなこと、思ってない」
クマは目を点にして頭を抱えている。そして、交互に本物の陽介と金の瞳のニセモノを見比べた。アワワワワと、どちらがどちらか分からず手をバタつかせる。あからさまに邪悪な気配に、陽介たちを後ろに庇った悠は牽制がわりにニセモノを睨みつける。陽介はたじろいで、禍々しい陽介から距離をとろうと後ずさった。形は違えど冷静さを失う一同──特に真っ青に血の気の引いた陽介を捉え、ニセモノはさも楽しそうに両手を広げる。
「《アハハ、よく言うぜ。いつまでそうやってカッコつけてる気だよ。……商店街もジュネスも、全部ウゼーんだろ! そもそも、田舎暮らしがウゼーんだよな!?》」
「は!? んな、ことは……!」
禍々しいニセモノの声は、ノイズを伴ってとても耳障りなものだった。陽介はその言葉に明確な否定を返せない。明らかに動揺している。禍々しいニセモノが腹を抱えて吹き出した。そして敗者を嘲笑うかのように怯える彼をせせら笑った。
「《アハハ、お前は孤立するのが怖いから、上手く取り繕ってヘラヘラしてんだよ。1人は寂しいもんなぁ。みんなに囲まれてたいもんなぁ》」
そこでスッと、ニセモノから笑顔が消えた。残ったのは、蔑みの冷ややかな無表情。笑いをとれない道化師を、心の底から軽蔑しきった傍観者のような冷ややかさ。だが次の瞬間、躁病者のごとく口端を吊り上げ、演説のごとく高らかに腕を掲げる。
「《小西先輩のために、この世界を調べにきただぁ? お前がここに興味を持ったホントの理由は────》」
「や、やめろ!」
必死の叫びもむなしく、ニセモノは裏切り者を告発する潔さを持って、陽介を指さした。
「《お前はこの場所にワクワクしてたんだ! ド田舎暮らしにはウンザリしてるもんなぁ! 焦っても無駄だぜ。俺には全部お見通しなんだから! 何か面白いものがあんじゃないか……。ここへ来たワケなんて、要はそれだけだろ!?》」
「違う……やめろ……」
切りひらかれた傷口をえぐる言葉の数々を、陽介は弱々しく否定する。その顔面は蒼白だ。
「《カッコつけやがってよ……あわよくば、ヒーローになれるって思ったんだよなぁ? ……大好きな先輩が死んだっていう、らしい口実もあるしさ……》」
「────違うッ!!」
それでも、陽介は否定する。自分を支えてくれた想いを否定されないために。ニセモノが発した言葉の綻びを探し出し、ニセモノ相手に食らいつく。
「口実なんかじゃ、ねぇ! 小西先輩が好きだった気持ちを貶すんじゃねーよッ!? それに……退屈? ハ、笑えるぜ! ……んなコトばっかじゃねー、楽しいコトだってあったつーの!」
「《へぇ……》」
吠える陽介に、ニセモノは艶然と唇を舐める。その姿に悠の背筋を悪寒が走り抜ける。 まるでその笑顔が、罠にかかった獲物をいたぶる獰猛さを伴ったから。
だが、残酷さはすぐに切り替わり、ニセモノはニコリと不気味なほど無邪気に笑った。
「《そうだったよなぁ? だってお前、小西先輩が好きじゃねーと、都合悪いもんなぁ。────そうしないと、瀬名の隣にいれねーし?》」
「────へ?」
陽介が呆けた。思わぬ人の名を口にしたニセモノによって、彼を取り囲む空気が凍りつく。予想外の人物の登場に悠はぽっかりと口を開け、クマは目を点にして「セナって……誰クマ?」と首をかしげている。
そして、なによりもひどいのは陽介だった。愕然とした様子で心臓を掴み、アザができそうな強さで掻き抱く。体温を失ったかのように身体を震わせる陽介に向かって、陽介のニセモノはニンマリと口の端を吊り上げて畳み掛けた。その顔は表情は違っても、どうしようもなく瓜二つだ。
「《お前の言ってるコトは正しーよ。小西先輩が好きなのも、退屈バッカじゃなかったってのもホント。……でも1個隠してるコトあるよなぁ……?》」
「な……ナニ言ってんだよ。お前……」
「《お前が親友をホントはどう思ってるかってハナシだよ。ごまかしてバッカのホンモノさん?》」
唐突に彼は腕を振るった。奇術師のごとく高々と掲げた腕をニセモノは花でも差し出すように──いや、本当に花を一輪を片手にして、陽介へと見せつける。その輝くような白さの花に悠は既視感を覚える。
(あれは──────)
蓮、だ。
白く、輝くように清浄な蓮だ。
瑞月が愛用している髪飾り。そのモーチフたる白蓮によく似た生花を胸元に引き寄せ、ニセモノは愛でた。蕚から花びらの先までを、まるでガラス細工に触れるかのような愛しげな手つきで触れる。
「《瀬名はカッコいいよなぁ……? 女の子だけど、男顔負けに強いし、面倒見はいいし、優しいし────なにより、綺麗だ。ホント、お前には勿体無いくらいのイイ親友だよ。けどさぁ────》」
白蓮を愛でるニセモノに、陽介は眦を吊り上げる。まるで、宝物に泥を塗られたかのような怒気を滲ませて。
あるいは恋人をとられたかのような嫉妬を込めて。
そんな陽介を尻目に、ニセモノはほくそ笑む。心底愉快だといわんばかりに。
そうしてニセモノは
「《────思ってんのは、そんなオキレイナコトだけじゃねーだろ?》」
くしゃりと、花弁を食んだ。
飢えた乞食が林檎ををかじるかのごとく、無惨に。
瞬間、陽介が絶望に目を見開く。
「…………あ………………あぁっ」
苦しげに呻く陽介に優越感さえあらわに、ニセモノは白蓮を貪り続ける。歯形をつけ、唾液をまとわせ、花弁の1枚を舌で転がし、ごくりと音を立てて飲み込む。
直後、彼は貪られ唾液でてろりと艶めく蓮の、幾重にも花弁が絡まりあい、パイ生地のように重厚な内側の白を見せつけて贄を貪った獣のように満悦な笑みを見せる。
「《知らないフリしちゃってさ。お前は、瀬名をこうしてぇって思ってんだよ》」
「ち、ちがっ……! なにいって……おれは……んなことっ……!」
「《くっっっっだんねぇ!! しらばっくれてんじゃねーよ!!》」
ニセモノが気性荒い獣のように吠える。そして燃え盛る憎悪をたぎらせて激しく歪んだ表情とともに、ぐしゃりと白蓮を握りつぶした。美しい、清浄な白の花弁が舞い踊るなか、陽介のニセモノは喉を破らんばかりの大声を叩きつける。
「《これがお前の望みだろーが!? 痕つけて、歯ぁ立てて、食って、ツバつけて知らねートコまで暴いて、貪って! 瀬名を自分のもんにしたいって、そう思ってんだろ!? ハハッ、“親友”が聞いて呆れるぜ!! こんな薄汚ねぇ欲を抱いてたんだからな!!》」
「ッ────っざっけんなっ!! 俺は瀬名をちゃんと親友だって思って──」
「《ハ、臆病者がよく吠えんな。想いを気取られて距離とられるコトが怖くて、”親友”ポジに甘んじたクセにさ》」
「──────!!」
陽介が愕然として後ずさる。立ち向かう覇気を無くした彼を、陽介の偽物は心から軽蔑した瞳で見下した。
「《小西先輩への想いだってそうだ。お前は瀬名への想いに目を瞑りたくて、小西先輩へのオキレイな恋心に執着したんだ。そのくせ小西先輩にも嫌われるのが怖くて、いい人面でウザいくらいにまとわりついてさ。……ソレが叶わないって分かったら、今度はヒーローごっこか? ハッハァッ!!! 滑稽も滑稽だよ、お前はぁ!! 瀬名への想いからも、小西先輩への想いからも、退屈な現実からも何もかもから逃げてばっかでさぁ!?》」
瞬間、悠の中である考察が閃いた。陽介が頑なに小西先輩への想いに拘り、瑞月を親友に留めおこうとする理由について。まさかと思うも、陽介のニセモノの言葉を真とするならば、不可解だと思っていた行動にも説明がつく。
(そうか……)
陽介が、親友としての瑞月との関係性を大切にしているからだ。
陽介は瑞月に決して綺麗とは言えない執着を抱いている。過激な表現だが、陽介のニセモノが明かした欲求はすべて”瑞月を自分のもの”にしたいという強い望みに行き着く。
(けど、花村は親友にそんな想いを抱いた自分が許せなかった)
陽介が瑞月に抱く想いは、恋とよく似ている。しかし、高校生が持ちうるものにしてはあまりにも身勝手で独りよがりな想いだ。優しく真面目な陽介はきっとそれが許せなかったのだろう。ましてや大切な親友を自分のモノにしたいなどという、おおよそ友情からかけ離れた欲求は。
だからこそ、陽介は小西先輩への恋心──高校生が持ちうる微笑ましい感情に拘った。瀬名へ身勝手な想いを知られて、親友としての関係性が壊れる恐れを抱いたから。瑞月への想いを封じ込めて、親友でいる道を選んだ。
陽介は友情のために、恋心をとったのだ。
ニセモノが両手を広げた。芝居がかった挑発的な仕草と共に、露悪的に頬をつり上げた。
「《────で、純愛ごっこは楽しかったかよ?》」
「────────黙れッ!!!!!」
踏みぬかれた地雷のごとく、陽介が怒りを爆発させた。目を血走らせて、彼は身を切るような叫びをあげる。
「お前、何なんだよ! 誰なんだよ!?」
冷静を保てない態度に、図星を突かれているのは明白だった。禍々しいニセモノは嗜虐的な笑みを深めた。そして、まるでその問いを待っていたかのように下唇を舐めた。
「《言ったろ? 俺はお前……お前の《影》。全部、お見通しだってな》」
ふと、悠が気づく。陽介が、陽介のニセモノ——陽介の影──に困惑すればするほど、禍々しい気配が強まっていることに。
——まさか、困惑や拒絶によって力を増しているのか。
「ふ……ざけんなっ! お前なんか知らない!」
「《ハハッ、イイぜぇ!! もっと言いなァ!!》」
「花村ッ、ソイツの言葉に答えるな! 相手の狙いは、お前の拒絶だ!!」
しかし残念ながら、悠の忠告は意味をなさなかった。冷静さを欠いた陽介に、悠の言葉は届かない。陽介は、喉を潰さんばかりに拒絶を叫んだ。
「お前なんか…… 俺じゃない!!」
拒絶を聞き届けた瞬間、陽介の影は壊れたように笑いだす。その身体を、シャドウの黒靄がぶわりと炎のごとく盛んに燃え上がり、包み込んだ。炭化して、崩れていく身体で嗤いながら、しかし殺意のみなぎった目で陽介たちを睨みつける。
「《ああ、そうさ。俺は俺だ。もうお前なんかじゃないっ!! もう抑圧なんてされるもんかっ!! 俺の周りにある退屈も、ままならないものも何もかも、全部全部ぶっ壊す!!》」
「あ、ああ……」
「花村!」
シャドウの禍々しさに当てられた陽介が、足元からくずおれる。弾かれたように駆け寄った悠がその身体を持ち上げると、譫言のように「違う、違う」と呟いている。矜持を打ち砕かれた虚ろな瞳は、もはや廃人も同然だ。
「クマ、こっちだ!」
むきになって、悠は陽介の肩を担ぐ。そして火事場の馬鹿力を発揮し、陽介を入口近くの、酒樽が積み重なった物陰まで運びこんだ。暴走したと思われる陽介のニセモノの死角になる場所だ。きちんとついてきたクマに陽介を託し、悠は告げた。
「クマ、花村を連れて逃げてくれ」
「でも、ユウサンはっ、ユウサンはどーするクマかーー!」
「戦う。あの、陽介の影が完全に形を成す前に。……お前たちは隠れていてくれ。逃げてもいい」
決意が揺らぐ前に、悠は己の逃げ道を断つ。待って、と制止しようとするクマの声を振り切り、陽介の影がいる場所へ戻る。
悠はとっさに、陽介とクマを守るように庇い立った。対するナニカは、身体中からシャドウが誕生する瞬間に発する真っ黒な霧を立ちのぼらせ禍々しい雰囲気で悠たちを威圧する。
「あ、あれ? ヨ……ヨースケが2人……クマ?」
「お前……、誰だ!? 俺はそんなこと、思ってない」
クマは目を点にして頭を抱えている。そして、交互に本物の陽介と金の瞳のニセモノを見比べた。アワワワワと、どちらがどちらか分からず手をバタつかせる。あからさまに邪悪な気配に、陽介たちを後ろに庇った悠は牽制がわりにニセモノを睨みつける。陽介はたじろいで、禍々しい陽介から距離をとろうと後ずさった。形は違えど冷静さを失う一同──特に真っ青に血の気の引いた陽介を捉え、ニセモノはさも楽しそうに両手を広げる。
「《アハハ、よく言うぜ。いつまでそうやってカッコつけてる気だよ。……商店街もジュネスも、全部ウゼーんだろ! そもそも、田舎暮らしがウゼーんだよな!?》」
「は!? んな、ことは……!」
禍々しいニセモノの声は、ノイズを伴ってとても耳障りなものだった。陽介はその言葉に明確な否定を返せない。明らかに動揺している。禍々しいニセモノが腹を抱えて吹き出した。そして敗者を嘲笑うかのように怯える彼をせせら笑った。
「《アハハ、お前は孤立するのが怖いから、上手く取り繕ってヘラヘラしてんだよ。1人は寂しいもんなぁ。みんなに囲まれてたいもんなぁ》」
そこでスッと、ニセモノから笑顔が消えた。残ったのは、蔑みの冷ややかな無表情。笑いをとれない道化師を、心の底から軽蔑しきった傍観者のような冷ややかさ。だが次の瞬間、躁病者のごとく口端を吊り上げ、演説のごとく高らかに腕を掲げる。
「《小西先輩のために、この世界を調べにきただぁ? お前がここに興味を持ったホントの理由は────》」
「や、やめろ!」
必死の叫びもむなしく、ニセモノは裏切り者を告発する潔さを持って、陽介を指さした。
「《お前はこの場所にワクワクしてたんだ! ド田舎暮らしにはウンザリしてるもんなぁ! 焦っても無駄だぜ。俺には全部お見通しなんだから! 何か面白いものがあんじゃないか……。ここへ来たワケなんて、要はそれだけだろ!?》」
「違う……やめろ……」
切りひらかれた傷口をえぐる言葉の数々を、陽介は弱々しく否定する。その顔面は蒼白だ。
「《カッコつけやがってよ……あわよくば、ヒーローになれるって思ったんだよなぁ? ……大好きな先輩が死んだっていう、らしい口実もあるしさ……》」
「────違うッ!!」
それでも、陽介は否定する。自分を支えてくれた想いを否定されないために。ニセモノが発した言葉の綻びを探し出し、ニセモノ相手に食らいつく。
「口実なんかじゃ、ねぇ! 小西先輩が好きだった気持ちを貶すんじゃねーよッ!? それに……退屈? ハ、笑えるぜ! ……んなコトばっかじゃねー、楽しいコトだってあったつーの!」
「《へぇ……》」
吠える陽介に、ニセモノは艶然と唇を舐める。その姿に悠の背筋を悪寒が走り抜ける。 まるでその笑顔が、罠にかかった獲物をいたぶる獰猛さを伴ったから。
だが、残酷さはすぐに切り替わり、ニセモノはニコリと不気味なほど無邪気に笑った。
「《そうだったよなぁ? だってお前、小西先輩が好きじゃねーと、都合悪いもんなぁ。────そうしないと、瀬名の隣にいれねーし?》」
「────へ?」
陽介が呆けた。思わぬ人の名を口にしたニセモノによって、彼を取り囲む空気が凍りつく。予想外の人物の登場に悠はぽっかりと口を開け、クマは目を点にして「セナって……誰クマ?」と首をかしげている。
そして、なによりもひどいのは陽介だった。愕然とした様子で心臓を掴み、アザができそうな強さで掻き抱く。体温を失ったかのように身体を震わせる陽介に向かって、陽介のニセモノはニンマリと口の端を吊り上げて畳み掛けた。その顔は表情は違っても、どうしようもなく瓜二つだ。
「《お前の言ってるコトは正しーよ。小西先輩が好きなのも、退屈バッカじゃなかったってのもホント。……でも1個隠してるコトあるよなぁ……?》」
「な……ナニ言ってんだよ。お前……」
「《お前が親友をホントはどう思ってるかってハナシだよ。ごまかしてバッカのホンモノさん?》」
唐突に彼は腕を振るった。奇術師のごとく高々と掲げた腕をニセモノは花でも差し出すように──いや、本当に花を一輪を片手にして、陽介へと見せつける。その輝くような白さの花に悠は既視感を覚える。
(あれは──────)
蓮、だ。
白く、輝くように清浄な蓮だ。
瑞月が愛用している髪飾り。そのモーチフたる白蓮によく似た生花を胸元に引き寄せ、ニセモノは愛でた。蕚から花びらの先までを、まるでガラス細工に触れるかのような愛しげな手つきで触れる。
「《瀬名はカッコいいよなぁ……? 女の子だけど、男顔負けに強いし、面倒見はいいし、優しいし────なにより、綺麗だ。ホント、お前には勿体無いくらいのイイ親友だよ。けどさぁ────》」
白蓮を愛でるニセモノに、陽介は眦を吊り上げる。まるで、宝物に泥を塗られたかのような怒気を滲ませて。
あるいは恋人をとられたかのような嫉妬を込めて。
そんな陽介を尻目に、ニセモノはほくそ笑む。心底愉快だといわんばかりに。
そうしてニセモノは
「《────思ってんのは、そんなオキレイナコトだけじゃねーだろ?》」
くしゃりと、花弁を食んだ。
飢えた乞食が林檎ををかじるかのごとく、無惨に。
瞬間、陽介が絶望に目を見開く。
「…………あ………………あぁっ」
苦しげに呻く陽介に優越感さえあらわに、ニセモノは白蓮を貪り続ける。歯形をつけ、唾液をまとわせ、花弁の1枚を舌で転がし、ごくりと音を立てて飲み込む。
直後、彼は貪られ唾液でてろりと艶めく蓮の、幾重にも花弁が絡まりあい、パイ生地のように重厚な内側の白を見せつけて贄を貪った獣のように満悦な笑みを見せる。
「《知らないフリしちゃってさ。お前は、瀬名をこうしてぇって思ってんだよ》」
「ち、ちがっ……! なにいって……おれは……んなことっ……!」
「《くっっっっだんねぇ!! しらばっくれてんじゃねーよ!!》」
ニセモノが気性荒い獣のように吠える。そして燃え盛る憎悪をたぎらせて激しく歪んだ表情とともに、ぐしゃりと白蓮を握りつぶした。美しい、清浄な白の花弁が舞い踊るなか、陽介のニセモノは喉を破らんばかりの大声を叩きつける。
「《これがお前の望みだろーが!? 痕つけて、歯ぁ立てて、食って、ツバつけて知らねートコまで暴いて、貪って! 瀬名を自分のもんにしたいって、そう思ってんだろ!? ハハッ、“親友”が聞いて呆れるぜ!! こんな薄汚ねぇ欲を抱いてたんだからな!!》」
「ッ────っざっけんなっ!! 俺は瀬名をちゃんと親友だって思って──」
「《ハ、臆病者がよく吠えんな。想いを気取られて距離とられるコトが怖くて、”親友”ポジに甘んじたクセにさ》」
「──────!!」
陽介が愕然として後ずさる。立ち向かう覇気を無くした彼を、陽介の偽物は心から軽蔑した瞳で見下した。
「《小西先輩への想いだってそうだ。お前は瀬名への想いに目を瞑りたくて、小西先輩へのオキレイな恋心に執着したんだ。そのくせ小西先輩にも嫌われるのが怖くて、いい人面でウザいくらいにまとわりついてさ。……ソレが叶わないって分かったら、今度はヒーローごっこか? ハッハァッ!!! 滑稽も滑稽だよ、お前はぁ!! 瀬名への想いからも、小西先輩への想いからも、退屈な現実からも何もかもから逃げてばっかでさぁ!?》」
瞬間、悠の中である考察が閃いた。陽介が頑なに小西先輩への想いに拘り、瑞月を親友に留めおこうとする理由について。まさかと思うも、陽介のニセモノの言葉を真とするならば、不可解だと思っていた行動にも説明がつく。
(そうか……)
陽介が、親友としての瑞月との関係性を大切にしているからだ。
陽介は瑞月に決して綺麗とは言えない執着を抱いている。過激な表現だが、陽介のニセモノが明かした欲求はすべて”瑞月を自分のもの”にしたいという強い望みに行き着く。
(けど、花村は親友にそんな想いを抱いた自分が許せなかった)
陽介が瑞月に抱く想いは、恋とよく似ている。しかし、高校生が持ちうるものにしてはあまりにも身勝手で独りよがりな想いだ。優しく真面目な陽介はきっとそれが許せなかったのだろう。ましてや大切な親友を自分のモノにしたいなどという、おおよそ友情からかけ離れた欲求は。
だからこそ、陽介は小西先輩への恋心──高校生が持ちうる微笑ましい感情に拘った。瀬名へ身勝手な想いを知られて、親友としての関係性が壊れる恐れを抱いたから。瑞月への想いを封じ込めて、親友でいる道を選んだ。
陽介は友情のために、恋心をとったのだ。
ニセモノが両手を広げた。芝居がかった挑発的な仕草と共に、露悪的に頬をつり上げた。
「《────で、純愛ごっこは楽しかったかよ?》」
「────────黙れッ!!!!!」
踏みぬかれた地雷のごとく、陽介が怒りを爆発させた。目を血走らせて、彼は身を切るような叫びをあげる。
「お前、何なんだよ! 誰なんだよ!?」
冷静を保てない態度に、図星を突かれているのは明白だった。禍々しいニセモノは嗜虐的な笑みを深めた。そして、まるでその問いを待っていたかのように下唇を舐めた。
「《言ったろ? 俺はお前……お前の《影》。全部、お見通しだってな》」
ふと、悠が気づく。陽介が、陽介のニセモノ——陽介の影──に困惑すればするほど、禍々しい気配が強まっていることに。
——まさか、困惑や拒絶によって力を増しているのか。
「ふ……ざけんなっ! お前なんか知らない!」
「《ハハッ、イイぜぇ!! もっと言いなァ!!》」
「花村ッ、ソイツの言葉に答えるな! 相手の狙いは、お前の拒絶だ!!」
しかし残念ながら、悠の忠告は意味をなさなかった。冷静さを欠いた陽介に、悠の言葉は届かない。陽介は、喉を潰さんばかりに拒絶を叫んだ。
「お前なんか…… 俺じゃない!!」
拒絶を聞き届けた瞬間、陽介の影は壊れたように笑いだす。その身体を、シャドウの黒靄がぶわりと炎のごとく盛んに燃え上がり、包み込んだ。炭化して、崩れていく身体で嗤いながら、しかし殺意のみなぎった目で陽介たちを睨みつける。
「《ああ、そうさ。俺は俺だ。もうお前なんかじゃないっ!! もう抑圧なんてされるもんかっ!! 俺の周りにある退屈も、ままならないものも何もかも、全部全部ぶっ壊す!!》」
「あ、ああ……」
「花村!」
シャドウの禍々しさに当てられた陽介が、足元からくずおれる。弾かれたように駆け寄った悠がその身体を持ち上げると、譫言のように「違う、違う」と呟いている。矜持を打ち砕かれた虚ろな瞳は、もはや廃人も同然だ。
「クマ、こっちだ!」
むきになって、悠は陽介の肩を担ぐ。そして火事場の馬鹿力を発揮し、陽介を入口近くの、酒樽が積み重なった物陰まで運びこんだ。暴走したと思われる陽介のニセモノの死角になる場所だ。きちんとついてきたクマに陽介を託し、悠は告げた。
「クマ、花村を連れて逃げてくれ」
「でも、ユウサンはっ、ユウサンはどーするクマかーー!」
「戦う。あの、陽介の影が完全に形を成す前に。……お前たちは隠れていてくれ。逃げてもいい」
決意が揺らぐ前に、悠は己の逃げ道を断つ。待って、と制止しようとするクマの声を振り切り、陽介の影がいる場所へ戻る。