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生まれたてで寝ぼけているのか、怪物たちの足取りは遅い。3人は化け物の横を通り抜け、目についた階段を駆け下りる。
「なになになに、何なのあのきっもちわるいの!」
「わっかんねー! とにかく逃げるっきゃねーだろ!」
「2人とも階段下りきったら、外に出て! 広場みたいなところがあるから」
「外、なに!? ココ外とかあるわけっ!?」
もっとも後方を走る悠が頷く。彼によると、陽介たちがいたのはどうやらマンションの一室だったらしい。濃い霧の中にも関わらず、まるですべてを見通しているような物言いだが、それに構っている余裕はない。
階段を駆け下りきってエントランスから脱出すると、広大な土が剥き出しのグラウンドのような開けた場所につながった。後方を振り返ると怪物は追ってきていない。陽介が安心しかけた途端、前方を走っていた千枝が甲高く叫んだ。
「降ってきた。あいつら、上から降ってきた!!」
「はぁっ!?」
そんな最悪、あって欲しくない。陽介の願いは、しかしあっけなく打ち砕かれる。
怪物たちは霧に紛れて前方に扇状に広がって待ち伏せていた。まるで狡猾なハイエナが丸腰のか弱い獲物を集団で追い詰めるかのごとく。圧倒的不利な状況に、陽介は首に刃物を突きつけられたような鳥肌が立った。
先頭の1匹が爆発的な速度で3人に迫る。陽介をも凌ぐ巨体だというのに、重さのない風船を殴りつけたような勢いでゴムまりの化け物は滑空した。混乱で足が鈍った3人は避ける術を持たない。
「ヒッ────」
そうして涎の滴る大きな舌で、先頭を走っていた千枝の身体をベロリと舐めあげた。
「里中!」
陽介の呼び声もむなしく、彼女は崩れ落ちる。それは、「死」のイメージを想起させるために十分な、衝撃的な光景だ。彼女を助けなければ、という意志に反して、陽介の足は動かない。いきなり重石を括り付けられたように身体がすくむ。
怪物は何がおかしいのか──ケタケタと哄笑をあげた。ブクブクと泡を吹く姿の汚ならしさに陽介は後ずさる。
ゆらゆらと、ゴムまりはヨダレにまみれた生々しい肉の凹凸を持つ舌を陽介に向けた。丸いゴムまりの身体は仮面と舌だけで構成されているので、眼球はない。
なのに品定めするような意図を感じて──ああ、喰われる。感情が恐怖で支配された陽介の頭には、いっそ冷静と言えるほど自分の結末を予測した。
だが、突如としてゴムまりは陽介に興味を無くす。そうして背後へと舌先を向けた。そこには、メガネをかけ呆然と倒れた千枝を見つめる悠がいた。瞬間、陽介はゴムまりの標的を悟る。ヤツは悠を狙っている。
好機とばかりに、ゴムまりは哄笑に身体を震わせた。おこりのように身体を震わせるのは、きっと移動のための予備動作だろう。次は悠が襲われる。そう予想がついたと同時に、陽介の中である記憶が甦った。
『────お世話になってる下宿先に小学生の娘さんがいて、その子が心配なんだ』
瞬間、陽介は飛び出していた。
「ウゥラァァアアアアアア────────ッッ!!」
「花村っ!?」
悠を狙うゴムまりに、渾身の体当たりを食らわせる。ドンッと鈍い音がした。
硬いゴムに全身をぶつけたかような鈍い痛みとともに、陽介は地面に吹き飛ばされ、「ガッ」と無様に砂にまみれる。起死回生の一撃は、狙い通りの効果があったらしい。ゴムまりは地面をバウンドして吹き飛び、悠から距離ができる。
「花村ッ! だいじょ──」
「くんじゃねぇ!! お前は里中連れて逃げろ!」
取り乱して駆け寄ろうとする悠を、声をあらげて陽介は制する。続けざまに、陽介の剣幕に狼狽えた悠に向かって声を張った。
「そんで、あのクマが逃げていった跡辿れ! アイツもコイツらに怯えて逃げたっつーことは、もしかすると安全なトコに逃げたのかもしれねー! アイツに聞きゃ、出口もわかっかもしんねーんだぞ!」
「そんなっ……そんなことしたら……花村が……!」
「ウダウダいってねーで、さっさと行けって!!!」
叱責する陽介に、それでも悠はためらった。行けとまっすぐに睨みつけると、メガネフレーム越しの悠の瞳と視線がかち合う。彼の表情に、陽介は威嚇のための牙を抜かれた気分になった。
鳴上悠という人間は、感情の起伏が少ない穏やかな人間だ。けれども今は、メガネのフレーム越しでも分かるほどに今は内側の情動を発露させている。まるで大波に飲まれる人間を目の当たりにするかのように、彼は顔をひきつらせていた。
悲しみ、絶望、衝撃──数々の感情が灰色の瞳の中で渦巻く。けれども一番強いのは、困惑だ。なぜなのかと、なぜ自分を助けるのかと、切実に彼は声なき叫びで訴える。
陽介は────へらりと笑い返した。
(んなの、俺だって分かんねぇよ)
助からないとは分かってた。
喰われるだろうと分かってた。
きっと痛いというのも分かっていた。
けれども本当に、分からないのだ。
向こうの世界に帰れない絶望も、置いていかれる寂しさも、痛みとともに骨身を貪り喰われる恐怖も、不可逆的な「死」の恐ろしさも、全部ぜんぶ予想がついていたはずなのに。
気がついたら、身体が動いてしまったのだから。
どうして。と悠は問う。多分と、陽介は思う。
悠が、瑞月に似ていたからだ。陽介にとって、かけがえのない親友に。
落ち着いていて、優しくて。たった一人で、この町に来た異邦人で。年下の妹みたいな存在がいて。
地べたに転がった陽介に、厭わず手を差しのべてくれた人で。
だからだ。論理だった理由なんてない。なんの脈絡もない、愚かな理由かもしれない。
けれど陽介にとっては真実だった。
だからだ。
それだけ、だ。
陽介は笑う。今際のときだというのに、まるで親友に贈るように親しく、それでいて恐怖に歪んだ歪な笑顔を。
悠が驚愕に瞳孔を引き絞る。彼の反応に、陽介は絡んでいた視線を引きちぎる。
そうして己に迫りくる「死」と向き合う。
黒々とした影を纏って、ゴムまりの怪物は陽介を見据えた。陽介が突き飛ばしたヤツはきっとリーダーなのだろう。ないはずの眼光がギョロリと殺意を込めて、陽介を見据えた気がした。ガチガチと3体の怪物は不機嫌そうに歯を鳴らす。
ヒッと陽介の喉がひきつる。ぶるりと総身を恐気が貫く。もう恐怖で腰が抜けて、立ち上がれない。こんなとき、陽介が憧れるヒーローならば、地面を踏みしめて名乗りをあげるのだろう。
けれども、陽介はただの凡人だ。ヒーローではなく、恐怖に震え、地べたを這いずるどうしようもない人間だ。
(────それでも)
まだ動く右手を陽介は地面に突き立てて、砂を抉りとる。擦った指先の痛みにも構わず、一握の砂を正面切って撒き散らした。そしてトドメとばかりに、空元気でほざく。
「────こいよ、クソゴムまり野郎ッ!! 俺の不味い肉でせいぜいその中身ねーカラダを膨らませんだなッ!!」
陽介の挑発にいともたやすく怪物たちは引っ掛かる。ゲキャキャキャキャッと不機嫌そうなダミ声を撒き散らし、リーダーの怪物は陽介に向かって突撃した。
ゴムまりの怪物が暴走した大型トラックのように迫りくる。病巣じみた肉イボがぬめって光る舌。サイケデリックなピンクと黒の縞模様。吊り上がった口端。
そのすべてゆっくりと近づいてくるように感じられた。死に際は時間がゆっくりと感じられるんだなぁなんて、陽介はぼんやりと考えていた。
(俺、死ぬのか)
どうしてか、親友の──瑞月の笑顔が思い浮かぶ。ぬくい花の下で笑いあった、また来年一緒に桜を見たいねと笑いあった、彼女の春風の熱を宿した穏やかな笑みを。
怪物の生臭い息に、腕から力が抜けて、もう逃げることもできない陽介が目をつぶった────そのときだった。
青く、みなぎるような炎が、陽介を巻き込んで地面を迸った。
「なになになに、何なのあのきっもちわるいの!」
「わっかんねー! とにかく逃げるっきゃねーだろ!」
「2人とも階段下りきったら、外に出て! 広場みたいなところがあるから」
「外、なに!? ココ外とかあるわけっ!?」
もっとも後方を走る悠が頷く。彼によると、陽介たちがいたのはどうやらマンションの一室だったらしい。濃い霧の中にも関わらず、まるですべてを見通しているような物言いだが、それに構っている余裕はない。
階段を駆け下りきってエントランスから脱出すると、広大な土が剥き出しのグラウンドのような開けた場所につながった。後方を振り返ると怪物は追ってきていない。陽介が安心しかけた途端、前方を走っていた千枝が甲高く叫んだ。
「降ってきた。あいつら、上から降ってきた!!」
「はぁっ!?」
そんな最悪、あって欲しくない。陽介の願いは、しかしあっけなく打ち砕かれる。
怪物たちは霧に紛れて前方に扇状に広がって待ち伏せていた。まるで狡猾なハイエナが丸腰のか弱い獲物を集団で追い詰めるかのごとく。圧倒的不利な状況に、陽介は首に刃物を突きつけられたような鳥肌が立った。
先頭の1匹が爆発的な速度で3人に迫る。陽介をも凌ぐ巨体だというのに、重さのない風船を殴りつけたような勢いでゴムまりの化け物は滑空した。混乱で足が鈍った3人は避ける術を持たない。
「ヒッ────」
そうして涎の滴る大きな舌で、先頭を走っていた千枝の身体をベロリと舐めあげた。
「里中!」
陽介の呼び声もむなしく、彼女は崩れ落ちる。それは、「死」のイメージを想起させるために十分な、衝撃的な光景だ。彼女を助けなければ、という意志に反して、陽介の足は動かない。いきなり重石を括り付けられたように身体がすくむ。
怪物は何がおかしいのか──ケタケタと哄笑をあげた。ブクブクと泡を吹く姿の汚ならしさに陽介は後ずさる。
ゆらゆらと、ゴムまりはヨダレにまみれた生々しい肉の凹凸を持つ舌を陽介に向けた。丸いゴムまりの身体は仮面と舌だけで構成されているので、眼球はない。
なのに品定めするような意図を感じて──ああ、喰われる。感情が恐怖で支配された陽介の頭には、いっそ冷静と言えるほど自分の結末を予測した。
だが、突如としてゴムまりは陽介に興味を無くす。そうして背後へと舌先を向けた。そこには、メガネをかけ呆然と倒れた千枝を見つめる悠がいた。瞬間、陽介はゴムまりの標的を悟る。ヤツは悠を狙っている。
好機とばかりに、ゴムまりは哄笑に身体を震わせた。おこりのように身体を震わせるのは、きっと移動のための予備動作だろう。次は悠が襲われる。そう予想がついたと同時に、陽介の中である記憶が甦った。
『────お世話になってる下宿先に小学生の娘さんがいて、その子が心配なんだ』
瞬間、陽介は飛び出していた。
「ウゥラァァアアアアアア────────ッッ!!」
「花村っ!?」
悠を狙うゴムまりに、渾身の体当たりを食らわせる。ドンッと鈍い音がした。
硬いゴムに全身をぶつけたかような鈍い痛みとともに、陽介は地面に吹き飛ばされ、「ガッ」と無様に砂にまみれる。起死回生の一撃は、狙い通りの効果があったらしい。ゴムまりは地面をバウンドして吹き飛び、悠から距離ができる。
「花村ッ! だいじょ──」
「くんじゃねぇ!! お前は里中連れて逃げろ!」
取り乱して駆け寄ろうとする悠を、声をあらげて陽介は制する。続けざまに、陽介の剣幕に狼狽えた悠に向かって声を張った。
「そんで、あのクマが逃げていった跡辿れ! アイツもコイツらに怯えて逃げたっつーことは、もしかすると安全なトコに逃げたのかもしれねー! アイツに聞きゃ、出口もわかっかもしんねーんだぞ!」
「そんなっ……そんなことしたら……花村が……!」
「ウダウダいってねーで、さっさと行けって!!!」
叱責する陽介に、それでも悠はためらった。行けとまっすぐに睨みつけると、メガネフレーム越しの悠の瞳と視線がかち合う。彼の表情に、陽介は威嚇のための牙を抜かれた気分になった。
鳴上悠という人間は、感情の起伏が少ない穏やかな人間だ。けれども今は、メガネのフレーム越しでも分かるほどに今は内側の情動を発露させている。まるで大波に飲まれる人間を目の当たりにするかのように、彼は顔をひきつらせていた。
悲しみ、絶望、衝撃──数々の感情が灰色の瞳の中で渦巻く。けれども一番強いのは、困惑だ。なぜなのかと、なぜ自分を助けるのかと、切実に彼は声なき叫びで訴える。
陽介は────へらりと笑い返した。
(んなの、俺だって分かんねぇよ)
助からないとは分かってた。
喰われるだろうと分かってた。
きっと痛いというのも分かっていた。
けれども本当に、分からないのだ。
向こうの世界に帰れない絶望も、置いていかれる寂しさも、痛みとともに骨身を貪り喰われる恐怖も、不可逆的な「死」の恐ろしさも、全部ぜんぶ予想がついていたはずなのに。
気がついたら、身体が動いてしまったのだから。
どうして。と悠は問う。多分と、陽介は思う。
悠が、瑞月に似ていたからだ。陽介にとって、かけがえのない親友に。
落ち着いていて、優しくて。たった一人で、この町に来た異邦人で。年下の妹みたいな存在がいて。
地べたに転がった陽介に、厭わず手を差しのべてくれた人で。
だからだ。論理だった理由なんてない。なんの脈絡もない、愚かな理由かもしれない。
けれど陽介にとっては真実だった。
だからだ。
それだけ、だ。
陽介は笑う。今際のときだというのに、まるで親友に贈るように親しく、それでいて恐怖に歪んだ歪な笑顔を。
悠が驚愕に瞳孔を引き絞る。彼の反応に、陽介は絡んでいた視線を引きちぎる。
そうして己に迫りくる「死」と向き合う。
黒々とした影を纏って、ゴムまりの怪物は陽介を見据えた。陽介が突き飛ばしたヤツはきっとリーダーなのだろう。ないはずの眼光がギョロリと殺意を込めて、陽介を見据えた気がした。ガチガチと3体の怪物は不機嫌そうに歯を鳴らす。
ヒッと陽介の喉がひきつる。ぶるりと総身を恐気が貫く。もう恐怖で腰が抜けて、立ち上がれない。こんなとき、陽介が憧れるヒーローならば、地面を踏みしめて名乗りをあげるのだろう。
けれども、陽介はただの凡人だ。ヒーローではなく、恐怖に震え、地べたを這いずるどうしようもない人間だ。
(────それでも)
まだ動く右手を陽介は地面に突き立てて、砂を抉りとる。擦った指先の痛みにも構わず、一握の砂を正面切って撒き散らした。そしてトドメとばかりに、空元気でほざく。
「────こいよ、クソゴムまり野郎ッ!! 俺の不味い肉でせいぜいその中身ねーカラダを膨らませんだなッ!!」
陽介の挑発にいともたやすく怪物たちは引っ掛かる。ゲキャキャキャキャッと不機嫌そうなダミ声を撒き散らし、リーダーの怪物は陽介に向かって突撃した。
ゴムまりの怪物が暴走した大型トラックのように迫りくる。病巣じみた肉イボがぬめって光る舌。サイケデリックなピンクと黒の縞模様。吊り上がった口端。
そのすべてゆっくりと近づいてくるように感じられた。死に際は時間がゆっくりと感じられるんだなぁなんて、陽介はぼんやりと考えていた。
(俺、死ぬのか)
どうしてか、親友の──瑞月の笑顔が思い浮かぶ。ぬくい花の下で笑いあった、また来年一緒に桜を見たいねと笑いあった、彼女の春風の熱を宿した穏やかな笑みを。
怪物の生臭い息に、腕から力が抜けて、もう逃げることもできない陽介が目をつぶった────そのときだった。
青く、みなぎるような炎が、陽介を巻き込んで地面を迸った。