客人〈マレビト〉来たりき
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『次は、八十稲羽 ー。八十稲羽ー』
目的地を知らせる車内放送が、目覚ましになって乗客を起こした。覚醒した乗客たちは電車から次々と降りていく。都会から来た少年──鳴上悠もその1人だ。大きな荷物を抱えて、彼は電車を降りる。季節は春。盛りを迎えた桜の花びらが、ひらりひらりと駅のホームに落ちていく。
「おーい、こっちだ!」
はっきりと、大きな呼び声が悠の耳に届く。改札口を潜り抜けて、悠は声の方向へ急いだ。たどり着いた駅の出入口に、壮年の男性が立っていた。短く刈り上げた黒髪に無精髭、赤いネクタイと灰色のシャツ、グレーのスラックスを身につけた、厳つい印象の男性である。彼のそばには、寄り添うように5・6歳くらいの女の子が立っていた。
男性は悠の叔父だ。血縁で言えば、悠の母の弟にあたる。両親に見せられた写真で知っていた悠は、彼の下へ向かう。背筋を伸ばして、悠は彼と対面した。
「ようこそ、稲羽 市へ。お前を預かることになっている、堂島 遼太郎 だ」
「迎え、ありがとうございます。それから、こっちで1年の間お世話になる、鳴上 悠です」
「おーおー、しっかりした子供になっちまって」
そう笑って、堂島が手を差し出した。悠は一瞬戸惑う。叔父である堂島と過ごした記憶はない。だというのに、相手が悠を知っているような口ぶりがちぐはぐで、おかしかったのだ。けれど、口調自体は好意的だ。
おそるおそる手を差し出すと、堂島はしっかり握り返してくれた。がっしりしていて、大きな手だ。
「最後にあったのは、お前が幼稚園に上がる前だったからな。覚えてなくても無理はない。お互いさまだ」
それから、と堂島は女の子を目で示す。きちんと梳かれた髪を二つ結びにした、タートルネックの女の子。重ね着した厚手のピンクのワンピースがエプロンのようだった。
「娘の菜々子 だ。お前の従姉妹だな。今年で小学校に上がったばっかになる」
警戒心が強いのか、悠と堂島のやり取りの間に、女の子は堂島の背中に隠れてしまっていた。彼女は顔の半分ほどを出して、じっと悠を見つめている。焦げ茶の大きな瞳が興味津々と悠に向けられていた。
「ほら、挨拶しろ」
「……にちわ」
「はは、なんだ、こいつ照れてんのか?」
口ごもって、顔を隠した菜々子を堂島がからかう。すかさず、菜々子は堂島をはたいた。イテッと口に出してはいるが、悠が母から見せてもらった写真より、堂島の表情は柔らかい。
「菜々子ちゃん、俺は 鳴上悠っていいます。これからよろしく」
悠は膝を折り、手を振った。そうすれば、菜々子の緊張も幾分か和らぐのではないかと思ったのだ。
悠の予想はあたったらしい。菜々子はおずおずと小さく手を振り返してくれる。迎え入れようとしてくれているのだと、悠は内心安堵した。
堂島は一瞬、驚いたように悠を見る。けれどそれも一瞬。すぐに安心したように緊張を解いた。
「じゃあ、こっちだ。ついてきてくれ」
「はい」
堂島の車に向かおうとして、ふと、悠は後ろを振り返る。駅に咲いた桜の花が気にかかったのだ。
紙吹雪のように舞う桜がきれいだ。軽やかに落ちる花びらが、日の光を反射して白い。物に溢れた都会では、桜の白は他の騒がしい色に塗りつぶされてしまう。薄く色づいた白を、こんなに見つめたことはない。きれいだ、と悠はため息混じりに咲き誇る桜に見入った。
だが、ふと悠は異物を発見する。
黒い、男である。
白が続く光景の中、彼だけが黒かった。緩やかに顔を縁取る髪から、見に着けているツナギも、全てが黒い。白が輝く場所で、彼だけが鮮烈さを湛えて黒かった。桜吹雪の中にいるというのに、身体に桜が張りついた様子もない。白に拒まれた男は、悠へと駆けよってくる。何事かと悠が目を見張る。すると男は人が良さそうな笑みを浮かべた。
「良かった。気がついてくれて。ねぇ、これ、君のかな?」
男は小さな紙切れを持っていた。あ、と悠はポケットを調べる。いつのまにか、堂島の電話番号を書いたメモがなくなっていた。黒い男は優しく微笑んで、メモを悠に差し出す。
その笑みに、悠は奇妙な感情を見いだした。懐かしいそうな、悲しそうな──それでいて、嬉しそうな不思議な懐古が入り交じった瞳が悠へと向けられている。
男の、森のように濃く深い、ともすれば黒とも見紛う瞳に見いられて悠は一瞬、息を忘れていしまった。微動だにしない悠にも関わらず、男は柔和な、同時に泣き出しそうな懐かしさを湛えた笑みを深める。まるで、やっと会えたと、心から待ち望んでいたと言うみたいに。
「見つかって、良かったね」
「あの、ありが──」
いいかけて、どうっと風が吹いた。吹き散らされた桜の白が眼前を覆い尽くす。あまりに強い風に、悠は目をつぶった。
目を開いたとき、黒い男は忽然といなくなっていた。ふにゃりとやわらかい、花びらみたいな笑みとともに彼は消えてしまった。あとにはメモと、桜の花びらが残るばかりだ。
「誰だったんだろう……」
呆然と悠は呟く。悠に優しい、けれど複雑な懐古を向けた、桜が見せた幻のように儚く消えた人。夢か現か。確かめる術はない悠は、たったひとつ、その人がくれたメモを握りしめた。
「どうしたー。忘れ物か」
「あっ、すみません。いま行きます」
堂島の声に、我に返る。桜の幻をふりきって、悠は堂島の車へ急いだ。
目的地を知らせる車内放送が、目覚ましになって乗客を起こした。覚醒した乗客たちは電車から次々と降りていく。都会から来た少年──鳴上悠もその1人だ。大きな荷物を抱えて、彼は電車を降りる。季節は春。盛りを迎えた桜の花びらが、ひらりひらりと駅のホームに落ちていく。
「おーい、こっちだ!」
はっきりと、大きな呼び声が悠の耳に届く。改札口を潜り抜けて、悠は声の方向へ急いだ。たどり着いた駅の出入口に、壮年の男性が立っていた。短く刈り上げた黒髪に無精髭、赤いネクタイと灰色のシャツ、グレーのスラックスを身につけた、厳つい印象の男性である。彼のそばには、寄り添うように5・6歳くらいの女の子が立っていた。
男性は悠の叔父だ。血縁で言えば、悠の母の弟にあたる。両親に見せられた写真で知っていた悠は、彼の下へ向かう。背筋を伸ばして、悠は彼と対面した。
「ようこそ、
「迎え、ありがとうございます。それから、こっちで1年の間お世話になる、鳴上 悠です」
「おーおー、しっかりした子供になっちまって」
そう笑って、堂島が手を差し出した。悠は一瞬戸惑う。叔父である堂島と過ごした記憶はない。だというのに、相手が悠を知っているような口ぶりがちぐはぐで、おかしかったのだ。けれど、口調自体は好意的だ。
おそるおそる手を差し出すと、堂島はしっかり握り返してくれた。がっしりしていて、大きな手だ。
「最後にあったのは、お前が幼稚園に上がる前だったからな。覚えてなくても無理はない。お互いさまだ」
それから、と堂島は女の子を目で示す。きちんと梳かれた髪を二つ結びにした、タートルネックの女の子。重ね着した厚手のピンクのワンピースがエプロンのようだった。
「娘の
警戒心が強いのか、悠と堂島のやり取りの間に、女の子は堂島の背中に隠れてしまっていた。彼女は顔の半分ほどを出して、じっと悠を見つめている。焦げ茶の大きな瞳が興味津々と悠に向けられていた。
「ほら、挨拶しろ」
「……にちわ」
「はは、なんだ、こいつ照れてんのか?」
口ごもって、顔を隠した菜々子を堂島がからかう。すかさず、菜々子は堂島をはたいた。イテッと口に出してはいるが、悠が母から見せてもらった写真より、堂島の表情は柔らかい。
「菜々子ちゃん、俺は 鳴上悠っていいます。これからよろしく」
悠は膝を折り、手を振った。そうすれば、菜々子の緊張も幾分か和らぐのではないかと思ったのだ。
悠の予想はあたったらしい。菜々子はおずおずと小さく手を振り返してくれる。迎え入れようとしてくれているのだと、悠は内心安堵した。
堂島は一瞬、驚いたように悠を見る。けれどそれも一瞬。すぐに安心したように緊張を解いた。
「じゃあ、こっちだ。ついてきてくれ」
「はい」
堂島の車に向かおうとして、ふと、悠は後ろを振り返る。駅に咲いた桜の花が気にかかったのだ。
紙吹雪のように舞う桜がきれいだ。軽やかに落ちる花びらが、日の光を反射して白い。物に溢れた都会では、桜の白は他の騒がしい色に塗りつぶされてしまう。薄く色づいた白を、こんなに見つめたことはない。きれいだ、と悠はため息混じりに咲き誇る桜に見入った。
だが、ふと悠は異物を発見する。
黒い、男である。
白が続く光景の中、彼だけが黒かった。緩やかに顔を縁取る髪から、見に着けているツナギも、全てが黒い。白が輝く場所で、彼だけが鮮烈さを湛えて黒かった。桜吹雪の中にいるというのに、身体に桜が張りついた様子もない。白に拒まれた男は、悠へと駆けよってくる。何事かと悠が目を見張る。すると男は人が良さそうな笑みを浮かべた。
「良かった。気がついてくれて。ねぇ、これ、君のかな?」
男は小さな紙切れを持っていた。あ、と悠はポケットを調べる。いつのまにか、堂島の電話番号を書いたメモがなくなっていた。黒い男は優しく微笑んで、メモを悠に差し出す。
その笑みに、悠は奇妙な感情を見いだした。懐かしいそうな、悲しそうな──それでいて、嬉しそうな不思議な懐古が入り交じった瞳が悠へと向けられている。
男の、森のように濃く深い、ともすれば黒とも見紛う瞳に見いられて悠は一瞬、息を忘れていしまった。微動だにしない悠にも関わらず、男は柔和な、同時に泣き出しそうな懐かしさを湛えた笑みを深める。まるで、やっと会えたと、心から待ち望んでいたと言うみたいに。
「見つかって、良かったね」
「あの、ありが──」
いいかけて、どうっと風が吹いた。吹き散らされた桜の白が眼前を覆い尽くす。あまりに強い風に、悠は目をつぶった。
目を開いたとき、黒い男は忽然といなくなっていた。ふにゃりとやわらかい、花びらみたいな笑みとともに彼は消えてしまった。あとにはメモと、桜の花びらが残るばかりだ。
「誰だったんだろう……」
呆然と悠は呟く。悠に優しい、けれど複雑な懐古を向けた、桜が見せた幻のように儚く消えた人。夢か現か。確かめる術はない悠は、たったひとつ、その人がくれたメモを握りしめた。
「どうしたー。忘れ物か」
「あっ、すみません。いま行きます」
堂島の声に、我に返る。桜の幻をふりきって、悠は堂島の車へ急いだ。