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一緒に暮らすと、相手の知らなかった一面が分かる──。使い古されたよくある話だが、どうやらそれは本当らしい。
とはいえ、外面はいいけど生活がだらしなかった~。とか、性格のそりが合わなかった~。とか、いわゆるありふれた『ガッカリ』オチの話ではない。
むしろ、俺の場合はその逆。普段はしっかりものの彼女だけれど、たとえばかわいいものが好きなこと。疲れると、猫みたいに甘えるということ。それから────意外とおっとりしていること。
***
「お、いい匂い」
なに作ってんの? 俺の気安い問いかけに、彼女がくるりと振り向く。
昼下がりのキッチンは、澄んだ初夏の光が差し込んで明るい。窓辺で栽培されているハーブたちは、息を吹き返したかのように青々とその葉を広げている。
まるで、隠れ家的なロッジのような和やかさ。そんな場所は、心がほどけるような焼き菓子の匂いに包まれていた。
手入れが行き届いた清潔なワークスペースの上でかたん、と軽い音がたつ。オーブンから取り出した天板を静かに置くと、彼女はふっと微笑んだ。
「おつかれ、おまえさま」
紺碧の瞳が、まっすぐに俺の姿を映す。簡素に後ろ手でまとめられた黒髪が、白いブラウスにさらりとかかる。エプロンにスキニーと完全にお家モードの家人──俺の恋人であり、今は嫁でもある──瑞月は楽しげに目を細めた。
「ギターの武者修行はもういいのか?」
「んー、なかなかに険しい道のりとなっております」
「ふーむ、つまり健闘まっただなかということだな」
おどけたトーンに合わせて、彼女はうむうむと頷いた。芝居がかった仕草に、思わず笑いが込み上げてくる。笑った拍子に、持っていたコップに入った氷がカランと弾んだ。
「はは、なんだよ『健闘まっただなか』って。修行中の武士か?」
「特段、そこまで面白いことを言ったつもりはないのだがな……」
「いんや、いい気分転換になったって」
飲み物を口実に部屋から出てきてよかったな、と思う。見せ場の速弾きがアマチュア泣かせでクサクサしていたけれど、そんなものもくるくると表情を変える彼女を前に吹き飛んでしまった。コップの中身をシンクに流した腕が張って少し痛い。そこから意識を逸らすように、俺は彼女を眺めた。
俺の嫁さん、ちょーかわいい。こてっと小さな頭を傾げる仕草はあどけなくて、初夏の光を吸い込んで明るい紺碧の瞳に見つめられると胸がきゅうっとなる。レモンクリームみたいな、パステルイエローのスカートエプロンもかわいい。
料理の材料を取りにいくためか、瑞月は冷蔵庫まで歩き出した。ぱたぱたと軽やかなステップに合わせて、パステルイエローのスカートが花のように揺れる。「よしっ」と小さく呟いた彼女は、どうやらお目当てのものを見つけたらしい。冷蔵庫の引き出しを閉じ、まっすぐとした足取りで戻ってくる。……キッチンのワークスペースではなく、俺のところへ。
え、なんで? そんな疑問を挟む間もなく、「はいこれ」と瑞月が俺に何かを差し出した。
「えっ、これって……」
「保冷剤。肌に張り付くといけないからハンカチで包んだんだ」
そういって、俺に小さい保冷剤をしっかり握らせる。手渡されたそれは、アジサイ模様の木綿のハンカチでカバーされていた。柔らかい布地から発される、ひんやりとした冷気が強張った指先に心地いい。
ちょっと言葉が見つからない。無言で固まる俺の手を、瑞月は両手で包み込んだ。なめらかな指先が強張った手をゆっくりと撫でる。べつに何の変哲もない腕を愛おしそうに見つめながら、瑞月は微笑む。
「練習が済んだら、ちゃんとケアしないとな。大事な身体なんだから」
完全に、俺は木偶の棒と化した。デカい置き物になった俺には気付かず、瑞月は名残惜しげに手を離す。今度こそワークスペースの方へ体をむけると、「あ、そうだ」と思い出したみたいに足を止めた。
「ぬるくなったら言ってくれ。替えの保冷剤はまだあるからな」
「ごめん、もう溶けちったかも」
「なんと!?」
いや無理だって。誰だってこんなん耐えられねーよ。好きな子に心配されるなんてただでさえ胸キュンイベントなのにサラッと不意打ちでお出しされたら心臓決壊するつか顔マジであっちイヤ助けてマジで顔面発火する。
オーバーヒートする俺はいざ知らず、瑞月はいたって的確だった。まず休憩用の椅子に俺をストンと座らせる。間を置かずに用意した氷嚢を俺の額に乗せると、ふぅっと額を拭った。
「びっくりした……どうして保冷剤を渡したら顔から蒸気を噴き出してのぼせるんだ」
「いやそれ以上にアッチアチな言葉をいきなりブチ込まれたみたいな……」
「……当たり前のことを言っただけなのだがな」
「その『当たり前』がこそばゆいんですよ……」
いやぁ、いま絶対瑞月のほう見れないわ。絶対、人に見せられないニヤケ顔してる自覚ある。ソワソワピリピリする首筋を抑えて目を逸らせば、視界の端でパステルイエローがふわりと揺れた。
「まぁ、だいぶ顔色は落ち着いたな。椅子は好きなタイミングで片づけてくれ」
私は戻るから。と穏やかに告げて足音が離れていく。顔を上げれば、瑞月が料理を再開していた。小麦粉と砂糖、それからバターの甘い匂いが彼女の手元から漂ってくる。なに作ってんだろ?
「──陽介」
「ん?」
「距離が近いな、ぶつかってしまう」
「のぁ! わりぃ」
ちょっと距離近すぎた。そっと近づいたつもりだったけど、無意識に距離を詰めていたらしい。瑞月の忠告どおり、シンクの手前に避難する。お、いいじゃんここ。瑞月の手元も見れるし、ベストポジション。
「──陽介」
「ん、どした? なんか手伝う?」
「いや……どうして、そんなにまじまじと見ているんだ?」
「あっ」
やっべ気づかれてた。まっすぐにこっちを見据える視線に射抜かれて、肩が跳ねる。やっべ、恥ずい。頬アツい。こんな、分かりやすく見てたことに気づかれるなんて。
「いや、えっと、その……」
言い訳をこねくり回そうと頭の中をぶん回すけど、まったくいいセリフが浮かばない。
腹減ったから~、とか? いやダメだ! 餌付けされるか、『ちゃんと朝ごはん食べただろう』ってペットみたいにあしらわれる未来が見える! かわいいからつい見ちゃった~とか、いやそんな歯の浮いたセリフ言えるか!
「えっと────」
くそ、こうなったら────
「────好きだから、さ。料理してるお前を見るの」
もう取り繕っても仕方ない。正直に告 ることにした。でも、やっぱりまっすぐは見れない。見栄とか、ハッタリとかのない、思い浮かんだ正直な言葉だから。
ハッと息を詰める気配がした。無音のキッチンで、どっどっとはやる心臓の音だけがうるさい。つーか俺の心臓の音がうるさくて何も聞こえない。瑞月はどうだろう。呆れてしまっただろうか、こんな浮かれた理由でチョロチョロつきまとう男なんて。
「…………ずるい」
ひたっと、透明な声が響いた。水面に落ちる雫のように澄んだ声に、忙しなく脈打っていた心臓が静まり返る。いつのまにか、視界は真正面を向いていた。
「…………そんなこと言われたら、もう何も言えないじゃないか」
さすがに、俺の嫁は強かだった。決して見られたくないのか、俺からは見えない方向に顔を背けている。
……でもさ、分かるよ。ぽつりとつぶやいた言葉が、ちょっと上ずっているところとか。汗ばんだ首筋がほんのり赤く色づいてるとことか。ブラウス真っ白だから、余計に分かりやすいし。そんなに浅い付き合いじゃねぇもん。
「あのさ、瑞月」
「どうした、おまえさま」
「その、非常に差し出がましいことかと存じますが……お顔、見せてもらっても」
「それはダメだマフィンがパサつく」
「つれないッッ!!」
***
ことごとく俺のお願いを一蹴した瑞月は、足早に冷蔵庫へと向かった。ガサゴソと庫内を探してるってのは、最小限の開け閉めを心がける瑞月にしては珍しい。まさか……冷気で顔冷やしてんのか?
なんて邪推をしてたら、冷蔵庫のアラームがピーと鳴る。冷蔵庫は急いで閉じられた。ガラス瓶を持った瑞月が、足早にこっちに戻ってくる。その頬はチークをのせたみたいに淡く色づいていた。
「……はっはーん」
「……茶々を入れるようなら、それ相応の対処をするのでな」
ネイルガン並みの爆速で釘を打たれた。速攻で口を塞いで、『大丈夫。もう何も言わないから』と空いた片手の親指を立てる。対する瑞月は納得のいっていない様子で溜息をついた。
しかし、引きずることもない。気持ちを切り替えるように、彼女は目の前のお菓子と向き合う。
瑞月が作っていたのは、マフィンだ。英字がプリントされたオシャレなカップケーキ型に、綺麗なドーム状に盛り上がった焼き菓子が入っている。焼けムラなく、こんがり小麦色に焼きあがったマフィンに思わず「ウマそう」とこぼしていた。
「なんか入れた? ドライフルーツみたいなの入ってるけど」
「お、気付いたか」
「まぁ、伊達にお前の作るもん食ってないからな」
「……ふふ、そうか。ちょうど保管していたものがあったのでな」
「おお、豪華じゃん。見た目がもうスペシャルっぽい」
「そうだろう。しかも、今日は焼き上げが上手くいったんだ」
ふふん、と楽しげな様子で、瑞月はキッチンの上に調理器具を並べていく。両手におさまるくらいに小さい耐熱ボウルに、スプーンとシリコン製の刷毛 。見るからに作業用のラインナップに、あれ? と俺は思った。
「マフィンって、焼いたらそれでOKじゃねーの? 『焼き立てが一番美味い』とかよく言われるけど」
「たしかに、焼き立てでしか味わえない風味や食感はあるな」
疑問に応じながら、瑞月は道具たちにアルコールを吹きかける。その口調はハキハキと論理的で────すこし高揚した響きがある。子供みたいな明るさがにじむ声は心地よい。耐熱ボウルに残ったアルコールをペーパーナプキンで素早くふき取る手を見ながら、彼女の話に身をゆだねた。
「しかし、焼いたお菓子を休ませることで得られるものもあるんだ。生地が安定して、食感がより好ましいものになったり、混ぜ込んだ具材の風味が馴染んで、より味わい深いものになったり。……種類は違うが、カレーや煮込み料理は、その代表格だろう?」
「あ、そりゃたしかに」
「だろう? ただし、いたずらに時間を置けばいいわけではない。適切な手順が必要になってくる」
だから、これを使うんだ。と、瑞月はガラス瓶に手をかける。冷蔵庫から持ってきたそれは、いかにもな保存瓶だった。白いフタとガラス瓶の継ぎ目がしっかりしていて、密閉性が高そうな代物。カコンと瑞月が瓶を開けば、中から甘酸っぱい、フルーティーな香りが溢れだす。
「……もしかして、ジャム? 杏の」
「うん、そうだ! いい香りだろう?」
言うやいなや、瑞月ははしゃいだ様子で俺にジャムを差し出した。杏の──とろりとツヤのある橙色のジャムからは、たしかにいい匂いがする。あったかい太陽の光をたくさん詰め込みましたって感じの、弾けるような甘酸っぱい匂い。つかこれ、結構いいジャムじゃね? つか……
「なんかこう……スプーンで直に舐めたくなるわ。水飴みたいに」
「気持ちは分かるが、今はできないな。なんせ……このジャムには今から一仕事してもらうんだから」
意味ありげに、瑞月が手元のスプーンを回転させた。ストレッチが終わったとばかりに、匙の部分をジャム瓶の中に差し込む。銀色に冷たく輝くスプーンが、陽だまりのツヤを帯びた濃厚な杏ジャムを掬い取る。弾けるような蜜の匂いが、初夏のキッチンに花を添えた。
瑞月は耐熱ボウルにジャムを移すと、それを手早くお湯で溶く。いくらか緩くなった杏ジャムをレンジに入れると、スイッチオン。中身がグツグツ煮立つとレンジを止めて、取り上げたジャムをスプーンでクルクル混ぜ続ける。熱が引いて泡が出なくなると、橙色のゆるい水あめみたいなものが完成した。
「なんだこれ、ソース? 皿とかに、オシャレな盛りつけするときの」
「似ているけれど、ソースではないんだ」
瑞月はふふ、と笑った。しなやかな黒髪が楽しげに揺れる。
「これはナパージュ。お菓子のツヤを出すために塗るものだ。ほら、ケーキ屋さんのフルーツケーキって、ツヤツヤしてておいしそうだろう?」
「ほーん、なんつーか意外。家でも作れちまうもんなんだ。特別な材料使ってるのかと思ったけど」
「製菓材料はたしかに珍しい食材が多いからな。でも、ナパージュは家でも簡単に作れるんだ」
あたりには、まだ杏の華やかな匂いが漂っている。瑞月が刷毛にナパージュを含ませる。画家が色を混ぜるみたいに慣れた手つきで刷毛にナパージュを纏わせると、まだ熱を残したマフィンの表面にそれを塗りはじめた。
隙間なく、丁寧に。キャンバスに乗せる色を微調節するような手際で、ナパージュを纏わせていく。するとどうだろう。マフィンのこんがりとした小麦色が、しっとりと深みを増していく。オーブンの高温に当てられて乾いたマフィンの表面が、水を吸ったような柔らかなツヤを帯びていく。これはたしかに、焼き立てよりもウマそうだ。
キッチンは、甘い香りに包まれていた。焼き菓子の香ばしさと、陽だまりのような杏の甘酸っぱい匂い。そして、匂いには色があるのだろうか。昼下がりのキッチンは、壁にかけられたフライ返しも、スパイスを引く木製のミルも、魔法を振りまいたみたいにきらきらと輝いていた。
その中心で、穏やかに微笑む人がいる。
「なぁ瑞月」
呼びかければ、ん~~? と瑞月がゆるやかにこちらを見た。凪いだ碧の瞳が、まっすぐに俺を含めた景色を映しだす。その事実に、胸がきゅうっとなった。ニヤケそうになる顔を、髪をかきあげるキザな仕草で誤魔化す。そして、ふと思ったことを訊いた。
「おまえ、なんかずっと嬉しそうだな。やっぱ、マフィンが上手く焼けたからとか?」
「……それもたしかなんだが──」
ナパージュを塗る手を、瑞月は止めた。ガラスのボウルに入ったナパージュに刷毛を差し入れて、つややかな水面をそっと撫でる。
「────たぶん、ジャムのおかげかな」
橙色の水面が波打つ。そこから生まれる金の光に、瑞月は目を細める。碧の瞳をまぶしい金色で染めながら、彼女は言った。
「橙色を見かけると、なんだか嬉しくなるんだ。おまえさまの色だからかな」
…………? 今、なんつった?
「…………」
「あっ、他の色が似合わないわけではないからな! ここは誤解しないでくれ。陽介はかっこいいし、オシャレさんだから、自分に合う色をコーディネートするのがすごく上手い! この前卸したネイビーのシャツもとても素敵だったし」
「…………」
「それに陽介、たしかシトラス系の香水をつけていたことがあっただろう? アプリコットの入った。もう学生の頃のことだが、すごく優しい匂いでおまえさまによく馴染んでいた。懐かしいなぁ」
「よ……」
「よ……?」
「────ッ、嫁が、俺のこと好きすぎる!!!」
「だから嫁いできたんだが?」
「ちくしょう勝てねぇ!」
何に対する敗北なのかって? 知らねーよ俺が教えてほしいくらいだよ……! いや待て『橙色を見かけるとなんだか嬉しくなる』ってことは常日頃から瑞月に俺のこと思い出させてる俺の勝ちってことじゃイヤでもそのたびに嬉しくなってくれてるってイヤもうわっかんねっぅあああぁああああ……!
ガタリと力が抜けてシンクに突っ伏す。うるさくしてゴメン瑞月。イヤでもほんと無理だって。こんなド直球ぶん投げられて平然と受け止められる方が無理だってぇ……!
「おまえさま!」
人肌の温度がするりと背中を撫でる。この小ささは瑞月の手だ。案の定、あわあわと瑞月が混乱した様子で俺を覗き込む。
「大丈夫か陽介!? 蒸気がすごいぞ、まるで出来立ての焼き菓子のようだ」
「お前の熱量が俺を焼いたんです……」
「────なら看病は引き受けた!」
グッと固く拳を握り、彼女はそう宣言した。俺の嫁たのもし~~(泣)。つか真剣なときのキリッと鋭い目尻かっこいい~。
(……というか、)
ふと、思う。なんだか新鮮な気分だ。
大人になって、瑞月は表情が豊かになった。だから、嬉しそうな表情も、楽しそうな表情も、すぐそばでたくさん見てきた。けど────
(────今日は特に、きらきらしてる)
まだ、杏の甘い香りがする。あの橙の水面から生まれる、金の光がキッチンを漂っているのだろうか。瑞月の碧い瞳のゆらめき、雪細工のようになめらかな手、ふわりと花のように揺れるスカートエプロン。それらの輪郭が、写真みたいに目の奥に焼きつく。
ふはっと思わず笑っていた。瑞月がパチクリと目を見開く。
「どうした、陽介。突然笑って」
「いや……なんか今日、いい日だな。お前の幸せそうな表情いっぱい見れるし」
「きゅっ」
「きゅっ? ────って、うわぁっ!」
危ねぇ!
ふらぁーーーーっと倒れそうになる瑞月の体に手を伸ばして────間一髪、彼女を抱き留める。良かった、キッチン……つかどこだろうと転んだら洒落になんねぇもんな。とにかく安否確認だ。
「瑞月、だいじょ……」 顔を覗きこんで、ハッと息が止まる。いやなんだよそのかわいい顔。紺碧の瞳は涙でウルウルして、白かった肌は耳まで真っ赤じゃん。つか、ふにゅっと柔らかい胸の奥バクバクいって……ってか、胸マシュマロみたいにやわらか……アッダメだこれいじょう考えるのやめとこ。
「あの……」
おずおずとした声で、我に返った。と、思ったら、身体が人肌のぬくもりで包まれた。
……!? 瑞月が俺を抱きしめ返している。絶句して言葉を紡げないおれを、杏とマフィンの甘い香りで包み込む。パステルイエローのエプロンの裾が、花のように靡 いた。
「私も、陽介と一緒で、しあわせ……だから……」
すり、と首筋に肌を摺り寄せる。きめこまかな肌のなめらかさと温度をしみこませると、彼女はそっと、涙の滲む声で囁いた。
「これからも末永く、おそばにいさせてくださいますか……?」
そんなの、答えは一つだけだった。
***
一緒に暮らすと、相手の知らなかった一面が分かる──。使い古されたよくある話だが、どうやらそれは本当らしい。
普段はしっかりものの彼女だけれど、たとえばかわいいものが好きなこと。疲れると、猫みたいに甘えるということ。それから、意外とおっとりしていること。
そして────俺のことを、ずっと好きでいてくれるということ。
とはいえ、外面はいいけど生活がだらしなかった~。とか、性格のそりが合わなかった~。とか、いわゆるありふれた『ガッカリ』オチの話ではない。
むしろ、俺の場合はその逆。普段はしっかりものの彼女だけれど、たとえばかわいいものが好きなこと。疲れると、猫みたいに甘えるということ。それから────意外とおっとりしていること。
***
「お、いい匂い」
なに作ってんの? 俺の気安い問いかけに、彼女がくるりと振り向く。
昼下がりのキッチンは、澄んだ初夏の光が差し込んで明るい。窓辺で栽培されているハーブたちは、息を吹き返したかのように青々とその葉を広げている。
まるで、隠れ家的なロッジのような和やかさ。そんな場所は、心がほどけるような焼き菓子の匂いに包まれていた。
手入れが行き届いた清潔なワークスペースの上でかたん、と軽い音がたつ。オーブンから取り出した天板を静かに置くと、彼女はふっと微笑んだ。
「おつかれ、おまえさま」
紺碧の瞳が、まっすぐに俺の姿を映す。簡素に後ろ手でまとめられた黒髪が、白いブラウスにさらりとかかる。エプロンにスキニーと完全にお家モードの家人──俺の恋人であり、今は嫁でもある──瑞月は楽しげに目を細めた。
「ギターの武者修行はもういいのか?」
「んー、なかなかに険しい道のりとなっております」
「ふーむ、つまり健闘まっただなかということだな」
おどけたトーンに合わせて、彼女はうむうむと頷いた。芝居がかった仕草に、思わず笑いが込み上げてくる。笑った拍子に、持っていたコップに入った氷がカランと弾んだ。
「はは、なんだよ『健闘まっただなか』って。修行中の武士か?」
「特段、そこまで面白いことを言ったつもりはないのだがな……」
「いんや、いい気分転換になったって」
飲み物を口実に部屋から出てきてよかったな、と思う。見せ場の速弾きがアマチュア泣かせでクサクサしていたけれど、そんなものもくるくると表情を変える彼女を前に吹き飛んでしまった。コップの中身をシンクに流した腕が張って少し痛い。そこから意識を逸らすように、俺は彼女を眺めた。
俺の嫁さん、ちょーかわいい。こてっと小さな頭を傾げる仕草はあどけなくて、初夏の光を吸い込んで明るい紺碧の瞳に見つめられると胸がきゅうっとなる。レモンクリームみたいな、パステルイエローのスカートエプロンもかわいい。
料理の材料を取りにいくためか、瑞月は冷蔵庫まで歩き出した。ぱたぱたと軽やかなステップに合わせて、パステルイエローのスカートが花のように揺れる。「よしっ」と小さく呟いた彼女は、どうやらお目当てのものを見つけたらしい。冷蔵庫の引き出しを閉じ、まっすぐとした足取りで戻ってくる。……キッチンのワークスペースではなく、俺のところへ。
え、なんで? そんな疑問を挟む間もなく、「はいこれ」と瑞月が俺に何かを差し出した。
「えっ、これって……」
「保冷剤。肌に張り付くといけないからハンカチで包んだんだ」
そういって、俺に小さい保冷剤をしっかり握らせる。手渡されたそれは、アジサイ模様の木綿のハンカチでカバーされていた。柔らかい布地から発される、ひんやりとした冷気が強張った指先に心地いい。
ちょっと言葉が見つからない。無言で固まる俺の手を、瑞月は両手で包み込んだ。なめらかな指先が強張った手をゆっくりと撫でる。べつに何の変哲もない腕を愛おしそうに見つめながら、瑞月は微笑む。
「練習が済んだら、ちゃんとケアしないとな。大事な身体なんだから」
完全に、俺は木偶の棒と化した。デカい置き物になった俺には気付かず、瑞月は名残惜しげに手を離す。今度こそワークスペースの方へ体をむけると、「あ、そうだ」と思い出したみたいに足を止めた。
「ぬるくなったら言ってくれ。替えの保冷剤はまだあるからな」
「ごめん、もう溶けちったかも」
「なんと!?」
いや無理だって。誰だってこんなん耐えられねーよ。好きな子に心配されるなんてただでさえ胸キュンイベントなのにサラッと不意打ちでお出しされたら心臓決壊するつか顔マジであっちイヤ助けてマジで顔面発火する。
オーバーヒートする俺はいざ知らず、瑞月はいたって的確だった。まず休憩用の椅子に俺をストンと座らせる。間を置かずに用意した氷嚢を俺の額に乗せると、ふぅっと額を拭った。
「びっくりした……どうして保冷剤を渡したら顔から蒸気を噴き出してのぼせるんだ」
「いやそれ以上にアッチアチな言葉をいきなりブチ込まれたみたいな……」
「……当たり前のことを言っただけなのだがな」
「その『当たり前』がこそばゆいんですよ……」
いやぁ、いま絶対瑞月のほう見れないわ。絶対、人に見せられないニヤケ顔してる自覚ある。ソワソワピリピリする首筋を抑えて目を逸らせば、視界の端でパステルイエローがふわりと揺れた。
「まぁ、だいぶ顔色は落ち着いたな。椅子は好きなタイミングで片づけてくれ」
私は戻るから。と穏やかに告げて足音が離れていく。顔を上げれば、瑞月が料理を再開していた。小麦粉と砂糖、それからバターの甘い匂いが彼女の手元から漂ってくる。なに作ってんだろ?
「──陽介」
「ん?」
「距離が近いな、ぶつかってしまう」
「のぁ! わりぃ」
ちょっと距離近すぎた。そっと近づいたつもりだったけど、無意識に距離を詰めていたらしい。瑞月の忠告どおり、シンクの手前に避難する。お、いいじゃんここ。瑞月の手元も見れるし、ベストポジション。
「──陽介」
「ん、どした? なんか手伝う?」
「いや……どうして、そんなにまじまじと見ているんだ?」
「あっ」
やっべ気づかれてた。まっすぐにこっちを見据える視線に射抜かれて、肩が跳ねる。やっべ、恥ずい。頬アツい。こんな、分かりやすく見てたことに気づかれるなんて。
「いや、えっと、その……」
言い訳をこねくり回そうと頭の中をぶん回すけど、まったくいいセリフが浮かばない。
腹減ったから~、とか? いやダメだ! 餌付けされるか、『ちゃんと朝ごはん食べただろう』ってペットみたいにあしらわれる未来が見える! かわいいからつい見ちゃった~とか、いやそんな歯の浮いたセリフ言えるか!
「えっと────」
くそ、こうなったら────
「────好きだから、さ。料理してるお前を見るの」
もう取り繕っても仕方ない。正直に
ハッと息を詰める気配がした。無音のキッチンで、どっどっとはやる心臓の音だけがうるさい。つーか俺の心臓の音がうるさくて何も聞こえない。瑞月はどうだろう。呆れてしまっただろうか、こんな浮かれた理由でチョロチョロつきまとう男なんて。
「…………ずるい」
ひたっと、透明な声が響いた。水面に落ちる雫のように澄んだ声に、忙しなく脈打っていた心臓が静まり返る。いつのまにか、視界は真正面を向いていた。
「…………そんなこと言われたら、もう何も言えないじゃないか」
さすがに、俺の嫁は強かだった。決して見られたくないのか、俺からは見えない方向に顔を背けている。
……でもさ、分かるよ。ぽつりとつぶやいた言葉が、ちょっと上ずっているところとか。汗ばんだ首筋がほんのり赤く色づいてるとことか。ブラウス真っ白だから、余計に分かりやすいし。そんなに浅い付き合いじゃねぇもん。
「あのさ、瑞月」
「どうした、おまえさま」
「その、非常に差し出がましいことかと存じますが……お顔、見せてもらっても」
「それはダメだマフィンがパサつく」
「つれないッッ!!」
***
ことごとく俺のお願いを一蹴した瑞月は、足早に冷蔵庫へと向かった。ガサゴソと庫内を探してるってのは、最小限の開け閉めを心がける瑞月にしては珍しい。まさか……冷気で顔冷やしてんのか?
なんて邪推をしてたら、冷蔵庫のアラームがピーと鳴る。冷蔵庫は急いで閉じられた。ガラス瓶を持った瑞月が、足早にこっちに戻ってくる。その頬はチークをのせたみたいに淡く色づいていた。
「……はっはーん」
「……茶々を入れるようなら、それ相応の対処をするのでな」
ネイルガン並みの爆速で釘を打たれた。速攻で口を塞いで、『大丈夫。もう何も言わないから』と空いた片手の親指を立てる。対する瑞月は納得のいっていない様子で溜息をついた。
しかし、引きずることもない。気持ちを切り替えるように、彼女は目の前のお菓子と向き合う。
瑞月が作っていたのは、マフィンだ。英字がプリントされたオシャレなカップケーキ型に、綺麗なドーム状に盛り上がった焼き菓子が入っている。焼けムラなく、こんがり小麦色に焼きあがったマフィンに思わず「ウマそう」とこぼしていた。
「なんか入れた? ドライフルーツみたいなの入ってるけど」
「お、気付いたか」
「まぁ、伊達にお前の作るもん食ってないからな」
「……ふふ、そうか。ちょうど保管していたものがあったのでな」
「おお、豪華じゃん。見た目がもうスペシャルっぽい」
「そうだろう。しかも、今日は焼き上げが上手くいったんだ」
ふふん、と楽しげな様子で、瑞月はキッチンの上に調理器具を並べていく。両手におさまるくらいに小さい耐熱ボウルに、スプーンとシリコン製の
「マフィンって、焼いたらそれでOKじゃねーの? 『焼き立てが一番美味い』とかよく言われるけど」
「たしかに、焼き立てでしか味わえない風味や食感はあるな」
疑問に応じながら、瑞月は道具たちにアルコールを吹きかける。その口調はハキハキと論理的で────すこし高揚した響きがある。子供みたいな明るさがにじむ声は心地よい。耐熱ボウルに残ったアルコールをペーパーナプキンで素早くふき取る手を見ながら、彼女の話に身をゆだねた。
「しかし、焼いたお菓子を休ませることで得られるものもあるんだ。生地が安定して、食感がより好ましいものになったり、混ぜ込んだ具材の風味が馴染んで、より味わい深いものになったり。……種類は違うが、カレーや煮込み料理は、その代表格だろう?」
「あ、そりゃたしかに」
「だろう? ただし、いたずらに時間を置けばいいわけではない。適切な手順が必要になってくる」
だから、これを使うんだ。と、瑞月はガラス瓶に手をかける。冷蔵庫から持ってきたそれは、いかにもな保存瓶だった。白いフタとガラス瓶の継ぎ目がしっかりしていて、密閉性が高そうな代物。カコンと瑞月が瓶を開けば、中から甘酸っぱい、フルーティーな香りが溢れだす。
「……もしかして、ジャム? 杏の」
「うん、そうだ! いい香りだろう?」
言うやいなや、瑞月ははしゃいだ様子で俺にジャムを差し出した。杏の──とろりとツヤのある橙色のジャムからは、たしかにいい匂いがする。あったかい太陽の光をたくさん詰め込みましたって感じの、弾けるような甘酸っぱい匂い。つかこれ、結構いいジャムじゃね? つか……
「なんかこう……スプーンで直に舐めたくなるわ。水飴みたいに」
「気持ちは分かるが、今はできないな。なんせ……このジャムには今から一仕事してもらうんだから」
意味ありげに、瑞月が手元のスプーンを回転させた。ストレッチが終わったとばかりに、匙の部分をジャム瓶の中に差し込む。銀色に冷たく輝くスプーンが、陽だまりのツヤを帯びた濃厚な杏ジャムを掬い取る。弾けるような蜜の匂いが、初夏のキッチンに花を添えた。
瑞月は耐熱ボウルにジャムを移すと、それを手早くお湯で溶く。いくらか緩くなった杏ジャムをレンジに入れると、スイッチオン。中身がグツグツ煮立つとレンジを止めて、取り上げたジャムをスプーンでクルクル混ぜ続ける。熱が引いて泡が出なくなると、橙色のゆるい水あめみたいなものが完成した。
「なんだこれ、ソース? 皿とかに、オシャレな盛りつけするときの」
「似ているけれど、ソースではないんだ」
瑞月はふふ、と笑った。しなやかな黒髪が楽しげに揺れる。
「これはナパージュ。お菓子のツヤを出すために塗るものだ。ほら、ケーキ屋さんのフルーツケーキって、ツヤツヤしてておいしそうだろう?」
「ほーん、なんつーか意外。家でも作れちまうもんなんだ。特別な材料使ってるのかと思ったけど」
「製菓材料はたしかに珍しい食材が多いからな。でも、ナパージュは家でも簡単に作れるんだ」
あたりには、まだ杏の華やかな匂いが漂っている。瑞月が刷毛にナパージュを含ませる。画家が色を混ぜるみたいに慣れた手つきで刷毛にナパージュを纏わせると、まだ熱を残したマフィンの表面にそれを塗りはじめた。
隙間なく、丁寧に。キャンバスに乗せる色を微調節するような手際で、ナパージュを纏わせていく。するとどうだろう。マフィンのこんがりとした小麦色が、しっとりと深みを増していく。オーブンの高温に当てられて乾いたマフィンの表面が、水を吸ったような柔らかなツヤを帯びていく。これはたしかに、焼き立てよりもウマそうだ。
キッチンは、甘い香りに包まれていた。焼き菓子の香ばしさと、陽だまりのような杏の甘酸っぱい匂い。そして、匂いには色があるのだろうか。昼下がりのキッチンは、壁にかけられたフライ返しも、スパイスを引く木製のミルも、魔法を振りまいたみたいにきらきらと輝いていた。
その中心で、穏やかに微笑む人がいる。
「なぁ瑞月」
呼びかければ、ん~~? と瑞月がゆるやかにこちらを見た。凪いだ碧の瞳が、まっすぐに俺を含めた景色を映しだす。その事実に、胸がきゅうっとなった。ニヤケそうになる顔を、髪をかきあげるキザな仕草で誤魔化す。そして、ふと思ったことを訊いた。
「おまえ、なんかずっと嬉しそうだな。やっぱ、マフィンが上手く焼けたからとか?」
「……それもたしかなんだが──」
ナパージュを塗る手を、瑞月は止めた。ガラスのボウルに入ったナパージュに刷毛を差し入れて、つややかな水面をそっと撫でる。
「────たぶん、ジャムのおかげかな」
橙色の水面が波打つ。そこから生まれる金の光に、瑞月は目を細める。碧の瞳をまぶしい金色で染めながら、彼女は言った。
「橙色を見かけると、なんだか嬉しくなるんだ。おまえさまの色だからかな」
…………? 今、なんつった?
「…………」
「あっ、他の色が似合わないわけではないからな! ここは誤解しないでくれ。陽介はかっこいいし、オシャレさんだから、自分に合う色をコーディネートするのがすごく上手い! この前卸したネイビーのシャツもとても素敵だったし」
「…………」
「それに陽介、たしかシトラス系の香水をつけていたことがあっただろう? アプリコットの入った。もう学生の頃のことだが、すごく優しい匂いでおまえさまによく馴染んでいた。懐かしいなぁ」
「よ……」
「よ……?」
「────ッ、嫁が、俺のこと好きすぎる!!!」
「だから嫁いできたんだが?」
「ちくしょう勝てねぇ!」
何に対する敗北なのかって? 知らねーよ俺が教えてほしいくらいだよ……! いや待て『橙色を見かけるとなんだか嬉しくなる』ってことは常日頃から瑞月に俺のこと思い出させてる俺の勝ちってことじゃイヤでもそのたびに嬉しくなってくれてるってイヤもうわっかんねっぅあああぁああああ……!
ガタリと力が抜けてシンクに突っ伏す。うるさくしてゴメン瑞月。イヤでもほんと無理だって。こんなド直球ぶん投げられて平然と受け止められる方が無理だってぇ……!
「おまえさま!」
人肌の温度がするりと背中を撫でる。この小ささは瑞月の手だ。案の定、あわあわと瑞月が混乱した様子で俺を覗き込む。
「大丈夫か陽介!? 蒸気がすごいぞ、まるで出来立ての焼き菓子のようだ」
「お前の熱量が俺を焼いたんです……」
「────なら看病は引き受けた!」
グッと固く拳を握り、彼女はそう宣言した。俺の嫁たのもし~~(泣)。つか真剣なときのキリッと鋭い目尻かっこいい~。
(……というか、)
ふと、思う。なんだか新鮮な気分だ。
大人になって、瑞月は表情が豊かになった。だから、嬉しそうな表情も、楽しそうな表情も、すぐそばでたくさん見てきた。けど────
(────今日は特に、きらきらしてる)
まだ、杏の甘い香りがする。あの橙の水面から生まれる、金の光がキッチンを漂っているのだろうか。瑞月の碧い瞳のゆらめき、雪細工のようになめらかな手、ふわりと花のように揺れるスカートエプロン。それらの輪郭が、写真みたいに目の奥に焼きつく。
ふはっと思わず笑っていた。瑞月がパチクリと目を見開く。
「どうした、陽介。突然笑って」
「いや……なんか今日、いい日だな。お前の幸せそうな表情いっぱい見れるし」
「きゅっ」
「きゅっ? ────って、うわぁっ!」
危ねぇ!
ふらぁーーーーっと倒れそうになる瑞月の体に手を伸ばして────間一髪、彼女を抱き留める。良かった、キッチン……つかどこだろうと転んだら洒落になんねぇもんな。とにかく安否確認だ。
「瑞月、だいじょ……」 顔を覗きこんで、ハッと息が止まる。いやなんだよそのかわいい顔。紺碧の瞳は涙でウルウルして、白かった肌は耳まで真っ赤じゃん。つか、ふにゅっと柔らかい胸の奥バクバクいって……ってか、胸マシュマロみたいにやわらか……アッダメだこれいじょう考えるのやめとこ。
「あの……」
おずおずとした声で、我に返った。と、思ったら、身体が人肌のぬくもりで包まれた。
……!? 瑞月が俺を抱きしめ返している。絶句して言葉を紡げないおれを、杏とマフィンの甘い香りで包み込む。パステルイエローのエプロンの裾が、花のように
「私も、陽介と一緒で、しあわせ……だから……」
すり、と首筋に肌を摺り寄せる。きめこまかな肌のなめらかさと温度をしみこませると、彼女はそっと、涙の滲む声で囁いた。
「これからも末永く、おそばにいさせてくださいますか……?」
そんなの、答えは一つだけだった。
***
一緒に暮らすと、相手の知らなかった一面が分かる──。使い古されたよくある話だが、どうやらそれは本当らしい。
普段はしっかりものの彼女だけれど、たとえばかわいいものが好きなこと。疲れると、猫みたいに甘えるということ。それから、意外とおっとりしていること。
そして────俺のことを、ずっと好きでいてくれるということ。
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