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「あ゛~~、疲れた」
クッタクタの身体を引きずって、花村陽介は静かなホテルの廊下を行く。輪をかけて疲労した様子で、前屈みのままキチッとしたスーツ──シャドウワーカーとしての支給品──のボタンを外した。少しだけ呼吸が楽になる。人とすれ違いそうな廊下で褒められたことではないが、仕方がない。ペルソナを使役した戦闘は、ありふれたバイトより身体と精神を酷使するのだから。その緊張からはやく解放されたかった。そして何よりも──
「──瑞月、どうしてっかな……」
思わず、恋しさが溢れる。今回のバイト────シャドウワーカーによるシャドウの調査および殲滅作戦への臨時出動要請に参加した陽介の恋人 瀬名瑞月とは別行動だった。交わしたのは声だけ、しかもインカムだ。肉声ではない。たった数時間離れただけなのに、戦闘による緊迫感の反動が、最愛の人への恋慕を強める。
声が聞きたい。あたたかな笑顔が見たい。ぬくくてやわらかい身体を抱き締めたい。
だが、バイト中では敵わない。労働という世知辛い現実に陽介はため息をついた。報われない恋しさを疲労が強めているのなら、さっさと休んだ方がいい。
ある部屋の前まで到達し、手元にあるカードキーと部屋番号をチェック。結果──肩を撫でおろす。どうやらようやくフカフカのベッドにありつけそうである。寝たい、シャワー浴びたい、メシ食いたいと様々な欲求とともにカードキーをリーダーに押し込み、ドアノブに手をかける。
「うーす、お邪魔しまーす」
「えっ」
「えっ?」
なにやら驚きに満ちた呟きが聞こえた。陽介はつぶっていた目を見開き、絶句する。理由は簡単。宿泊用の部屋に、会いたくてたまらなかった恋人──瑞月がいたからである。しかも、なんとスーツを脱いでいる途中の。
パンストとシャツと、その中の下着がむき出しの姿で。ヒクリと、陽介は頬をひきつらせながら青ざめる。疲れとか、それどころではなくなった。対する彼女は眉をヒクつかせながら、みるみるうちに首の上を朱に染める。白い肌がのぼせ上がった。
それから2人は、時が止まったかのように凍りついた。
◇◇◇
『もしもし、こちらサナ────』
「さっ、真田さんっすか!? 今すぐ部屋変えてくださいお願いします!」
『──ッ、いきなりどうしたというんだ、花村。ホテルの鍵なら、間違いなく受け渡したはずだぞ? それとも、備品になにか不具合が──』
「それらの間違いがないことが問題なんスよ! なんで異性と──瑞月と相部屋なんスか!?」
『あぁ、そのことか。お前たちは恋人同士なんだろう? 明日の作戦へのモチベーションを維持するためにも、休息時間を2人で過ごさせた方がいいと、君の相棒から提案があってな』
「…………は?」
『相部屋にしても気にしないだろうという助言もあって、そうさせてもらった』
「相棒ぅぅううううう!! おまえぇぇええええ!!」
『…………もういいか? 残念ながらフロントの都合で、部屋の変更はできない。分かったら早く休むことだ。それでは』
「あっ、チョ、真田さん、まだ話が」
プーッ、プーッと通話終了音が無情に鳴り響く。だらだらと、陽介の首筋を冷や汗が滑り落ちた。
(責任者の真田さんが「部屋の変更はできない」っつってた。つまり────)
陽介は、おそるおそる後ろを振り向く。ダブルサイズのベッドが2つあり、その上には何やら奇妙な物体が鎮座していた。フカフカまっしろのかけ布団にくるまって、陽介の恋人こと瑞月は『ゆきんこ』みたいになっている。陽介に着替え姿をいきなり見られたのが、相当ショックだったらしい。ポツリと瑞月は気の抜けた声を出す。
「…………部屋、別々にはできないようだな」
「……うん。そうみてー、だな」
2人の空気は、まるで抜き打ちテストに引っかかったような辛気くささだ。それも仕方なかった。同室になるなんて、お互いに予想しえない事態なのだから。
といっても、陽介自身、瑞月と同室が嫌なわけではない。むしろ嫌悪はなく、それ以外に湧いてしまう感情が問題なわけで。
(ッ、カァーーーーーーーー!! 触りてぇ~~~~~~!!)
そう、陽介が瑞月に触りたくなってしまうのだ。何にせよ、陽介はまだ19歳──やんちゃざかりの10代最後の年齢であり、彼女とは付き合って2年、しかも『そういう』関係になったのは、つい最近の出来事である。
ゆえに、うら若く『活発な』ふたりが同じ部屋にいる状況は、イロイロとヤバイのである。加えて疲労でヘロヘロ。可愛い彼女に癒されたいと思うのは、当然の成り行きだ。
(しかもさっきし……し……下着見ちまったし、ってあにヨコシマなコト考えてんだ! 瑞月だっていきなり相部屋で混乱してんだろにうぁあああああ……!)
落ちつけ落ちつけと心の中の相棒が必死に念じてくれる(そもそもこのハプニングのきっかけなのだが。あとで問いただしておこう)が、正直冷や汗ダラッダラである。
瑞月に触りたい、いやでも瑞月だって疲れてんだろうがコラと、欲望と理性が陽介の中で取っ組みあう。というか、そういう葛藤が起こる自身にちょっとムカつく。それだけ瑞月が好きという裏返しではあるのだけれど。
瑞月もきっと混乱しているだろう。予期しない異性との──ましてや、アツアツの仲である陽介であるとは。
「そうか、分かった」
だがしかし、瑞月はいたって落ち着いていた。凪いだ水面のような声音に、陽介は肩透かしを食らう。そのまま、陽介の心情などいざ知らないように、彼女はすらりと立ち上がった。ホテルの掛け布団をまるで優雅なドレスのように着こなし脱ぎかけの姿を隠す。そのまま、にこりと綺麗な笑みを陽介に向けた。
「では、今日は早く休もう。明日のシャドウ討伐作戦も早いのでな」
「え」
陽介は目を点にした。そんな陽介に、瑞月は首を傾げる。
「どうした。陽介も疲れただろう。まして今回は、戦闘でペルソナを使ったんだから」
「そりゃあ、そうだけど……」
「なら、きちんと休養をとるべきだ。ところで、入浴を済ませたいのだが、良いだろうか?」
「あ、ああ……うん」
「ありがとう。ではお先に」
20分で終えると、彼女は告げる。それからスタスタと掛け布団のドレスを纏ったまま、バスルームへと姿を消した。あとには、陽介だけが残された。寝室に残された彼は、2つのベッドに目を向ける。ダブルサイズのベッドの白さがやけに空しい。
「俺ってマジでバカ……」
ぽつねんとした呟きが、無駄なくらいただっ広い部屋で反響する。
◇◇◇
さすがの桐条グループが用意したホテルというだけあって、寝具はフッカフカだ。だが寝心地の良さが身体の疲れを取り去ってしまう分、自分の情けなさをまざまざと思い知らされる気がする。相部屋の相手──瑞月に悟られないように、藍色のパジャマ姿で陽介はため息をついた。
「陽介、灯りを消すよ」
「……ああ、うん。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
瑞月の柔らかな声が鼓膜を撫でて、部屋に灯っていた橙色のランプがふっと消える。辺りは完全に夜と化した。陽介は眠ろうと目を閉じる。けれども、なんだか物寂しくて中々寝付けない。
その原因も何かは分かっている。相部屋になった瑞月の態度だ。
寂しかった。会いたかった。触れたかった。離ればなれになって、シャドウワーカーの過酷な任務による疲労で、陽介の中にわだかまる瑞月への恋しさはいっそう強いものになっていた。
(なのに……)
瑞月は、違った。いきなり相部屋になったというのに、混乱なんて一切なくて、むしろ陽介の疲れを見抜いて適切な気遣いを見せる始末だ。自分のことで精一杯になる陽介なんかと違って。余裕のある瑞月の態度が寂しい。自分だけ置いてけぼりにされたようで、自分だけが瑞月を求めているようで。
ごろりと、陽介は寝返りを打つ。人肌に触れていない、滑らかなシーツの冷たさが胸をざわめかせた。目を閉じて、陽介は意識を深く深くに沈めてゆく。肌の柔らかさでも、温もりでも、健やかな寝息でも、何でもいい。想像でもいいから、自分のそばに瑞月の何かを感じていたかった。そう願った、直後だ。
不意にベットが沈むような錯覚を覚えた。一瞬、ひやりとした空気に晒されて陽介の身体が強ばる。だがそれも一瞬。すぐに陽介は人肌のぬくもりに包まれた。
(……えっ?)
ぬくもりだけではない、花咲く春の陽気にも似た、柔らさと甘い匂いが陽介を包みこむ。それはしっかりと陽介を抱き締めてくれた。まるで、子供をあやすような優しさで、春に似た何かは陽介の背中を撫でる。その手つきは、自分の大好きな人が陽介に触れてくれるものに似ていた。
(夢……なんかな? それとも……幻? どちらにせよ……すげー……安心する)
つらつらと陽介は働かない頭で思考する。けれど、木漏れ日の下に寝転がったような心地のよさに、どうしようもなくまどろんで、何も考えられなくなってしまう。
けれどひとつ、たしかなのは。
陽介は、自分を抱き締めてくれる何かに手を伸ばす。陽介を包んでくれる何かは、案外華奢だ。小ささにも関わらず、懸命に陽介を包み込んでくれる。そんな何かに、陽介はぎゅっと腕を巻つけた。応えるように、何かは陽介を抱きしめ返してくれる。ぎゅうっと苦しくない程度の力で。
ぬくもりが強くなる、ミルクのような、花のような甘くて優しい匂いが陽介を包み込んだ。
(離れたく……ねぇな……)
身体を凍らせていた疲れも、胸のなかにわだかまっていた寂しさも、すべてがすべて春のぬくもりに溶かされてしまった。残ったのは、まどろみをともなう安堵だけ。波にさらわれるように、陽介の意識は眠りの国へと落ちていく。
◇◇◇
「ん……」
パチッと陽介は目が覚めた。寝心地のいいフカフカの寝具と心からリラックスして寝たおかげで、身体はスッキリしている。昨日のあったかさとかは何だったんだろう? 最新ベッドのリラックス機能か? などと開いた寝ぼけ眼に、むにっとした藍色の膨らみが映る。ん? と陽介の意識が急激に覚醒した。反射的に上を向く。
すぅすぅ、と健やかな寝息が肌にかかる。そこには、安らかに目を閉じた瑞月がいた。陽介を包むぬくもりはそのままだ。この世の安らぎをすべて詰めこんだみたいな幸せな寝顔のままで、瑞月は陽介を抱きしめていた。
「ハッ……なっ……はっ!?」
混乱しすぎて、陽介の言語中枢がこんがらがる。キャパオーバーになるほど感情が突き抜けて、オーバーヒートを起こした。炎が燃えるみたいに身体が熱くなって、体水分が沸騰して湯気として吹き出す。
「んん……?」
パチリと、瑞月の瞼が開かれた。宝石のように澄んだ瞳が真っ赤になった陽介を写し出して──
「ひにゃあーーーーーーーーーッッ!?」
「うわぁぁあああああああああッッ!?」
──壮絶に可愛らしい悲鳴が響いた。尾を踏まれた猫のような叫びに、陽介は思わず叫び返す。弾かれたみたいに、瑞月は陽介を拘束から解放した。ゴロゴロゴロと、2人はベットの上を転げ回る。
「す、すまない陽介ッ!! 眠る無防備な相手にバレなければいいからと、私はなんという破廉恥なマネをッ……!!」
「イヤイヤイヤイヤッ! 土下座のポーズしなくっていいからっ! 落ち着け瑞月、落ち着け」
ベッドの上に両手をついた瑞月の身体を、陽介は慌てて差し止める。パジャマ姿の男女が布団で取っ組みあう、爽やかな朝に似つかわしくない光景が完成する。
「そんなコトしても俺がいたたまれなくなるだけだから!」
と、陽介による説得で、半ベソかきながら瑞月は止まった。うるうるしたまんまるの瞳がかわいくて、うっと陽介はどもる。だが、そうではない。陽介がすべきは、必死に涙をこらえる彼女の健気な姿に見惚れている場合ではないのだ。姿勢を正し、陽介は瑞月と膝を付き合わせる。
「瑞月」
「はい」
「とりあえず、深呼吸するか」
な? と努めて優しく明るく、陽介は人差し指を立てて提案する。とりあえず、彼氏として彼女が落ち着く行動を促す。瑞月はコクコクと頷いた。そのまま2人で吸って吐いてを繰り返すと、だいぶ瑞月も落ち着いたらしい。申し訳なさそうに、もじもじと膝上に組んだ両手を擦り合わせる。
「うぅ……すまない。勝手におまえさまの布団に忍びこんでしまって。疲れていただろうに。苦しくはなかったか……?」
「いや、全然。むしろよく寝れたっつーかなんつーか。お前の体温すっげ安心するし」
「ぐっ……、そ、そうか。それは何というか、嬉しいな。くっついてしまって、陽介の休息を邪魔してしまったのではないかと」
「ナイぞ。それは絶対にナイ。天地がひっくり返ってもナイ」
どころか目覚ましは恋人の無防備な寝顔という、どんなアラームより眠気が吹き飛ぶ使用である。食い気味に暴露すると、瑞月がぽっと頬を染めた。こそばゆさが伝染して、陽介はガシガシと頭をかく。
「……その、もしかして、寂しかった?」
「……うん。昨日は離れて行動していたし、戦闘もあって疲れていたから、余計にな」
瑞月はバツがわるそうに微笑む。そうして、後ろめたいとばかりに瞳をゆらゆらと動かした。もじもじと、彼女は口許を指先で囲う。
「本当は同じ部屋だということで、舞い上がっていたし、触りたかった。でも、陽介が疲れているだろうから我慢しようって。だけど……」
「だけど?」
「寝ている、無防備なおまえさまに、自制が……効かなくなってしまった。はしたなさの極みだ」
言い切って、彼女は両手で顔を覆う。指の間から見える大きな瞳はキュッとかたく結ばれて羞恥に耐えていた。ぶわっと、陽介の身体が熱く逆立った。
一緒だったのだ。陽介も瑞月も、互いに寂しいと、お互いに触れたいと。そう思っていた。しかも瑞月も余裕なんてなくて、彼女の理性さえ飛び越えて、陽介を求めてくれた。彼氏として、こんなにも嬉しいことはない。
だが真面目な彼女は、どこまでも気負ってしまったらしい。
「すまない! 今日、真田さんには部屋を変えてもらうよう頼んでおく」
「ハ!? ちょっと待て。勝手に決めんな!」
「あっ!」
「うおっ!」
飛び出そうとする瑞月の手を、陽介は慌てて引き寄せる。だが、彼はベッドの上であるという事実を失念していた。不安定な足場で、2人はドサリともつれて倒れる。結果、陽介は瑞月の上に覆い被さっていた。
「……ッ」
「おまえ、さま……」
不運か、はたまた幸運か。瑞月の折れそうな手首を、陽介の、武骨な手のひらが拘束具のように縛りあげる。組み敷いた瑞月の、薄布で覆われただけの、柔らかな肢体が見渡せた。驚きに半開いた唇から見える赤く小さな舌と、潤んだ宝石のような瞳、何よりもシーツの上で乱れた長い髪に、陽介の心臓がはちきれそうになる。痛いほどの鼓動に、陽介は彼女への劣情を自覚した。
「俺だって……」
「ようすけ……?」
「俺だって、お前に触りたいって思ってたよ」
そして残念なことに、それを誤魔化せるだけのスマートさはない。だから、ストレートに、包み隠すことなく、陽介は伝えた。
「ひょっ!?」とすっとんきょうな声が上がって、あわれ瑞月は真っ赤になる。けれど喋りはじめたのなら、もう陽介は止まらない。ほんのりと色づいた首筋に陽介は鼻先を寄せた。
「久々にペルソナ使って、くたくたに疲れて、瑞月が恋しくなって、そしたら部屋がおんなじだしさ。正直、すげー舞い上がった」
「よ、ようすけ……っあ……」
「でも、お前は動じない風だし、寂しいの俺だけなんかなって」
「そ、そんなこと……ヒッ……」
「うん。だからさ、お前が俺のこと欲しがってくれて……すげー嬉しい」
深く息を吸うと、清浄な石鹸の香りに混じって甘い──瑞月の匂いが陽介を満たす。だけど物足りなくて、陽介は滑らかな首筋に口づけた。「ひあっ」と瑞月が切ない声をこぼす。彼女の跳ねた白い喉に吸いついた。
顔をあげると、熱を孕んだ瑞月の瞳が陽介を映す。抱きしめたいと、陽介は再び彼女に近づいた。けれど、これ以上つっくいたら、シャドワの任務をほったらかす羽目になってしまう。
「でも、今日もバイトだから」
────これで、我慢な?
だから陽介は、瑞月の額にひたりと口づけた。おでこから口へ、愛しい瑞月の体温を摂取する。名残惜しげに陽介が遠ざかると、恨めしげな上目使いで瑞月は陽介を睨んでくる。
「陽介、ずるい。こんなの……離れたく、なくなってしまうではないか」
「ずるくて上等。離れたくねーから、こうしてんの。だから、部屋変えようなんてすんなよ?」
「いいのか? 帰ったら、私はきっととても疲れて、おまえさまに甘えてしまうだろうに」
「おうよ。ドンとこい。彼女に甘えられるなんて、彼氏冥利につきるしな」
「たくさん触りたいし、たくさん抱き締めたいし、たくさん陽介のこと、吸いたいのに?」
「俺吸い」
猫かよオレは、と陽介は思わず真顔に返る。陽介を吸って楽しいことなど何一つとないが、よくよく考えれば陽介も疲れると瑞月の匂いが恋しくなる。そう悟って、陽介は苦笑した。
「なんて、オレも似たようなもんだよ。おたがいさま、だな」
2人は笑いあう。そうして額を合わせようとして、陽介のスマホが鳴った。ちょっと寂しそうに瞼を伏せた瑞月の寝癖を解しながら、電話に出る。
「はい、もしもし花村です」
『花村か。すまんな。朝早くに』
「あっ、真田さん。あざっす。……はい、はい。────えっ」
陽介は驚いて固まる。それは2人にとって、思ってもみない吉報だ。「あざっした!」嬉々として陽介は電話を切る。
「陽介、どうかしたのか。真田さんから何か連絡が?」
いつの間にか、陽介の手にじゃれついていた瑞月が問う。綺麗な髪をボサボサに絡めてまで、よほど甘えたかったのだろう。苦笑とともに、可愛い恋人の髪を陽介は再び手櫛でほどいた。
「瑞月、今日の任務オレと一緒だって」
瑞月が目を丸くした。陽介が笑いかけると──「おまえさま!」──勢いよく、ぴょこんと瑞月は陽介に抱きつく。そのままゴロゴロと二人で笑い声をあげて転がる。
◇◇◇
「瑞月ー。行けるかー?」
「ああ、問題ない。……陽介、ちょっと」
瑞月と陽介は、支度を済ませた。瑞月はというと、陽介に近づき、ネクタイの形を整える。結び目を彼女に正されると、気が引き締まるようなで悪くない。ほくほくと陽介が頬を緩めていると、瑞月が不思議そうに首を傾げた。
「おまえさま、どうかしたか? 随分と嬉しそうだが」
「いや、なんかさ、新婚、みたいだよなぁって」
陽介は頬を掻く。すると瑞月の目元が朱に染まった。照れてる照れてると陽介がニヤついていると、肩に瑞月の手がかかった。前置きのなさに、陽介の反応が遅れる。
瑞月は陽介の頬に口づけた。ふわりとマシュマロのようなやわさを残して、唇が離れる。あっけに取られる陽介に向かって、瑞月は初々しく頬を染めて微笑む。
「ええと……いってらっしゃい。旦那さま?」
────その日、シャドウワーカーの任務は類を見ない速さで片付いたらしい。
クッタクタの身体を引きずって、花村陽介は静かなホテルの廊下を行く。輪をかけて疲労した様子で、前屈みのままキチッとしたスーツ──シャドウワーカーとしての支給品──のボタンを外した。少しだけ呼吸が楽になる。人とすれ違いそうな廊下で褒められたことではないが、仕方がない。ペルソナを使役した戦闘は、ありふれたバイトより身体と精神を酷使するのだから。その緊張からはやく解放されたかった。そして何よりも──
「──瑞月、どうしてっかな……」
思わず、恋しさが溢れる。今回のバイト────シャドウワーカーによるシャドウの調査および殲滅作戦への臨時出動要請に参加した陽介の恋人 瀬名瑞月とは別行動だった。交わしたのは声だけ、しかもインカムだ。肉声ではない。たった数時間離れただけなのに、戦闘による緊迫感の反動が、最愛の人への恋慕を強める。
声が聞きたい。あたたかな笑顔が見たい。ぬくくてやわらかい身体を抱き締めたい。
だが、バイト中では敵わない。労働という世知辛い現実に陽介はため息をついた。報われない恋しさを疲労が強めているのなら、さっさと休んだ方がいい。
ある部屋の前まで到達し、手元にあるカードキーと部屋番号をチェック。結果──肩を撫でおろす。どうやらようやくフカフカのベッドにありつけそうである。寝たい、シャワー浴びたい、メシ食いたいと様々な欲求とともにカードキーをリーダーに押し込み、ドアノブに手をかける。
「うーす、お邪魔しまーす」
「えっ」
「えっ?」
なにやら驚きに満ちた呟きが聞こえた。陽介はつぶっていた目を見開き、絶句する。理由は簡単。宿泊用の部屋に、会いたくてたまらなかった恋人──瑞月がいたからである。しかも、なんとスーツを脱いでいる途中の。
パンストとシャツと、その中の下着がむき出しの姿で。ヒクリと、陽介は頬をひきつらせながら青ざめる。疲れとか、それどころではなくなった。対する彼女は眉をヒクつかせながら、みるみるうちに首の上を朱に染める。白い肌がのぼせ上がった。
それから2人は、時が止まったかのように凍りついた。
◇◇◇
『もしもし、こちらサナ────』
「さっ、真田さんっすか!? 今すぐ部屋変えてくださいお願いします!」
『──ッ、いきなりどうしたというんだ、花村。ホテルの鍵なら、間違いなく受け渡したはずだぞ? それとも、備品になにか不具合が──』
「それらの間違いがないことが問題なんスよ! なんで異性と──瑞月と相部屋なんスか!?」
『あぁ、そのことか。お前たちは恋人同士なんだろう? 明日の作戦へのモチベーションを維持するためにも、休息時間を2人で過ごさせた方がいいと、君の相棒から提案があってな』
「…………は?」
『相部屋にしても気にしないだろうという助言もあって、そうさせてもらった』
「相棒ぅぅううううう!! おまえぇぇええええ!!」
『…………もういいか? 残念ながらフロントの都合で、部屋の変更はできない。分かったら早く休むことだ。それでは』
「あっ、チョ、真田さん、まだ話が」
プーッ、プーッと通話終了音が無情に鳴り響く。だらだらと、陽介の首筋を冷や汗が滑り落ちた。
(責任者の真田さんが「部屋の変更はできない」っつってた。つまり────)
陽介は、おそるおそる後ろを振り向く。ダブルサイズのベッドが2つあり、その上には何やら奇妙な物体が鎮座していた。フカフカまっしろのかけ布団にくるまって、陽介の恋人こと瑞月は『ゆきんこ』みたいになっている。陽介に着替え姿をいきなり見られたのが、相当ショックだったらしい。ポツリと瑞月は気の抜けた声を出す。
「…………部屋、別々にはできないようだな」
「……うん。そうみてー、だな」
2人の空気は、まるで抜き打ちテストに引っかかったような辛気くささだ。それも仕方なかった。同室になるなんて、お互いに予想しえない事態なのだから。
といっても、陽介自身、瑞月と同室が嫌なわけではない。むしろ嫌悪はなく、それ以外に湧いてしまう感情が問題なわけで。
(ッ、カァーーーーーーーー!! 触りてぇ~~~~~~!!)
そう、陽介が瑞月に触りたくなってしまうのだ。何にせよ、陽介はまだ19歳──やんちゃざかりの10代最後の年齢であり、彼女とは付き合って2年、しかも『そういう』関係になったのは、つい最近の出来事である。
ゆえに、うら若く『活発な』ふたりが同じ部屋にいる状況は、イロイロとヤバイのである。加えて疲労でヘロヘロ。可愛い彼女に癒されたいと思うのは、当然の成り行きだ。
(しかもさっきし……し……下着見ちまったし、ってあにヨコシマなコト考えてんだ! 瑞月だっていきなり相部屋で混乱してんだろにうぁあああああ……!)
落ちつけ落ちつけと心の中の相棒が必死に念じてくれる(そもそもこのハプニングのきっかけなのだが。あとで問いただしておこう)が、正直冷や汗ダラッダラである。
瑞月に触りたい、いやでも瑞月だって疲れてんだろうがコラと、欲望と理性が陽介の中で取っ組みあう。というか、そういう葛藤が起こる自身にちょっとムカつく。それだけ瑞月が好きという裏返しではあるのだけれど。
瑞月もきっと混乱しているだろう。予期しない異性との──ましてや、アツアツの仲である陽介であるとは。
「そうか、分かった」
だがしかし、瑞月はいたって落ち着いていた。凪いだ水面のような声音に、陽介は肩透かしを食らう。そのまま、陽介の心情などいざ知らないように、彼女はすらりと立ち上がった。ホテルの掛け布団をまるで優雅なドレスのように着こなし脱ぎかけの姿を隠す。そのまま、にこりと綺麗な笑みを陽介に向けた。
「では、今日は早く休もう。明日のシャドウ討伐作戦も早いのでな」
「え」
陽介は目を点にした。そんな陽介に、瑞月は首を傾げる。
「どうした。陽介も疲れただろう。まして今回は、戦闘でペルソナを使ったんだから」
「そりゃあ、そうだけど……」
「なら、きちんと休養をとるべきだ。ところで、入浴を済ませたいのだが、良いだろうか?」
「あ、ああ……うん」
「ありがとう。ではお先に」
20分で終えると、彼女は告げる。それからスタスタと掛け布団のドレスを纏ったまま、バスルームへと姿を消した。あとには、陽介だけが残された。寝室に残された彼は、2つのベッドに目を向ける。ダブルサイズのベッドの白さがやけに空しい。
「俺ってマジでバカ……」
ぽつねんとした呟きが、無駄なくらいただっ広い部屋で反響する。
◇◇◇
さすがの桐条グループが用意したホテルというだけあって、寝具はフッカフカだ。だが寝心地の良さが身体の疲れを取り去ってしまう分、自分の情けなさをまざまざと思い知らされる気がする。相部屋の相手──瑞月に悟られないように、藍色のパジャマ姿で陽介はため息をついた。
「陽介、灯りを消すよ」
「……ああ、うん。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
瑞月の柔らかな声が鼓膜を撫でて、部屋に灯っていた橙色のランプがふっと消える。辺りは完全に夜と化した。陽介は眠ろうと目を閉じる。けれども、なんだか物寂しくて中々寝付けない。
その原因も何かは分かっている。相部屋になった瑞月の態度だ。
寂しかった。会いたかった。触れたかった。離ればなれになって、シャドウワーカーの過酷な任務による疲労で、陽介の中にわだかまる瑞月への恋しさはいっそう強いものになっていた。
(なのに……)
瑞月は、違った。いきなり相部屋になったというのに、混乱なんて一切なくて、むしろ陽介の疲れを見抜いて適切な気遣いを見せる始末だ。自分のことで精一杯になる陽介なんかと違って。余裕のある瑞月の態度が寂しい。自分だけ置いてけぼりにされたようで、自分だけが瑞月を求めているようで。
ごろりと、陽介は寝返りを打つ。人肌に触れていない、滑らかなシーツの冷たさが胸をざわめかせた。目を閉じて、陽介は意識を深く深くに沈めてゆく。肌の柔らかさでも、温もりでも、健やかな寝息でも、何でもいい。想像でもいいから、自分のそばに瑞月の何かを感じていたかった。そう願った、直後だ。
不意にベットが沈むような錯覚を覚えた。一瞬、ひやりとした空気に晒されて陽介の身体が強ばる。だがそれも一瞬。すぐに陽介は人肌のぬくもりに包まれた。
(……えっ?)
ぬくもりだけではない、花咲く春の陽気にも似た、柔らさと甘い匂いが陽介を包みこむ。それはしっかりと陽介を抱き締めてくれた。まるで、子供をあやすような優しさで、春に似た何かは陽介の背中を撫でる。その手つきは、自分の大好きな人が陽介に触れてくれるものに似ていた。
(夢……なんかな? それとも……幻? どちらにせよ……すげー……安心する)
つらつらと陽介は働かない頭で思考する。けれど、木漏れ日の下に寝転がったような心地のよさに、どうしようもなくまどろんで、何も考えられなくなってしまう。
けれどひとつ、たしかなのは。
陽介は、自分を抱き締めてくれる何かに手を伸ばす。陽介を包んでくれる何かは、案外華奢だ。小ささにも関わらず、懸命に陽介を包み込んでくれる。そんな何かに、陽介はぎゅっと腕を巻つけた。応えるように、何かは陽介を抱きしめ返してくれる。ぎゅうっと苦しくない程度の力で。
ぬくもりが強くなる、ミルクのような、花のような甘くて優しい匂いが陽介を包み込んだ。
(離れたく……ねぇな……)
身体を凍らせていた疲れも、胸のなかにわだかまっていた寂しさも、すべてがすべて春のぬくもりに溶かされてしまった。残ったのは、まどろみをともなう安堵だけ。波にさらわれるように、陽介の意識は眠りの国へと落ちていく。
◇◇◇
「ん……」
パチッと陽介は目が覚めた。寝心地のいいフカフカの寝具と心からリラックスして寝たおかげで、身体はスッキリしている。昨日のあったかさとかは何だったんだろう? 最新ベッドのリラックス機能か? などと開いた寝ぼけ眼に、むにっとした藍色の膨らみが映る。ん? と陽介の意識が急激に覚醒した。反射的に上を向く。
すぅすぅ、と健やかな寝息が肌にかかる。そこには、安らかに目を閉じた瑞月がいた。陽介を包むぬくもりはそのままだ。この世の安らぎをすべて詰めこんだみたいな幸せな寝顔のままで、瑞月は陽介を抱きしめていた。
「ハッ……なっ……はっ!?」
混乱しすぎて、陽介の言語中枢がこんがらがる。キャパオーバーになるほど感情が突き抜けて、オーバーヒートを起こした。炎が燃えるみたいに身体が熱くなって、体水分が沸騰して湯気として吹き出す。
「んん……?」
パチリと、瑞月の瞼が開かれた。宝石のように澄んだ瞳が真っ赤になった陽介を写し出して──
「ひにゃあーーーーーーーーーッッ!?」
「うわぁぁあああああああああッッ!?」
──壮絶に可愛らしい悲鳴が響いた。尾を踏まれた猫のような叫びに、陽介は思わず叫び返す。弾かれたみたいに、瑞月は陽介を拘束から解放した。ゴロゴロゴロと、2人はベットの上を転げ回る。
「す、すまない陽介ッ!! 眠る無防備な相手にバレなければいいからと、私はなんという破廉恥なマネをッ……!!」
「イヤイヤイヤイヤッ! 土下座のポーズしなくっていいからっ! 落ち着け瑞月、落ち着け」
ベッドの上に両手をついた瑞月の身体を、陽介は慌てて差し止める。パジャマ姿の男女が布団で取っ組みあう、爽やかな朝に似つかわしくない光景が完成する。
「そんなコトしても俺がいたたまれなくなるだけだから!」
と、陽介による説得で、半ベソかきながら瑞月は止まった。うるうるしたまんまるの瞳がかわいくて、うっと陽介はどもる。だが、そうではない。陽介がすべきは、必死に涙をこらえる彼女の健気な姿に見惚れている場合ではないのだ。姿勢を正し、陽介は瑞月と膝を付き合わせる。
「瑞月」
「はい」
「とりあえず、深呼吸するか」
な? と努めて優しく明るく、陽介は人差し指を立てて提案する。とりあえず、彼氏として彼女が落ち着く行動を促す。瑞月はコクコクと頷いた。そのまま2人で吸って吐いてを繰り返すと、だいぶ瑞月も落ち着いたらしい。申し訳なさそうに、もじもじと膝上に組んだ両手を擦り合わせる。
「うぅ……すまない。勝手におまえさまの布団に忍びこんでしまって。疲れていただろうに。苦しくはなかったか……?」
「いや、全然。むしろよく寝れたっつーかなんつーか。お前の体温すっげ安心するし」
「ぐっ……、そ、そうか。それは何というか、嬉しいな。くっついてしまって、陽介の休息を邪魔してしまったのではないかと」
「ナイぞ。それは絶対にナイ。天地がひっくり返ってもナイ」
どころか目覚ましは恋人の無防備な寝顔という、どんなアラームより眠気が吹き飛ぶ使用である。食い気味に暴露すると、瑞月がぽっと頬を染めた。こそばゆさが伝染して、陽介はガシガシと頭をかく。
「……その、もしかして、寂しかった?」
「……うん。昨日は離れて行動していたし、戦闘もあって疲れていたから、余計にな」
瑞月はバツがわるそうに微笑む。そうして、後ろめたいとばかりに瞳をゆらゆらと動かした。もじもじと、彼女は口許を指先で囲う。
「本当は同じ部屋だということで、舞い上がっていたし、触りたかった。でも、陽介が疲れているだろうから我慢しようって。だけど……」
「だけど?」
「寝ている、無防備なおまえさまに、自制が……効かなくなってしまった。はしたなさの極みだ」
言い切って、彼女は両手で顔を覆う。指の間から見える大きな瞳はキュッとかたく結ばれて羞恥に耐えていた。ぶわっと、陽介の身体が熱く逆立った。
一緒だったのだ。陽介も瑞月も、互いに寂しいと、お互いに触れたいと。そう思っていた。しかも瑞月も余裕なんてなくて、彼女の理性さえ飛び越えて、陽介を求めてくれた。彼氏として、こんなにも嬉しいことはない。
だが真面目な彼女は、どこまでも気負ってしまったらしい。
「すまない! 今日、真田さんには部屋を変えてもらうよう頼んでおく」
「ハ!? ちょっと待て。勝手に決めんな!」
「あっ!」
「うおっ!」
飛び出そうとする瑞月の手を、陽介は慌てて引き寄せる。だが、彼はベッドの上であるという事実を失念していた。不安定な足場で、2人はドサリともつれて倒れる。結果、陽介は瑞月の上に覆い被さっていた。
「……ッ」
「おまえ、さま……」
不運か、はたまた幸運か。瑞月の折れそうな手首を、陽介の、武骨な手のひらが拘束具のように縛りあげる。組み敷いた瑞月の、薄布で覆われただけの、柔らかな肢体が見渡せた。驚きに半開いた唇から見える赤く小さな舌と、潤んだ宝石のような瞳、何よりもシーツの上で乱れた長い髪に、陽介の心臓がはちきれそうになる。痛いほどの鼓動に、陽介は彼女への劣情を自覚した。
「俺だって……」
「ようすけ……?」
「俺だって、お前に触りたいって思ってたよ」
そして残念なことに、それを誤魔化せるだけのスマートさはない。だから、ストレートに、包み隠すことなく、陽介は伝えた。
「ひょっ!?」とすっとんきょうな声が上がって、あわれ瑞月は真っ赤になる。けれど喋りはじめたのなら、もう陽介は止まらない。ほんのりと色づいた首筋に陽介は鼻先を寄せた。
「久々にペルソナ使って、くたくたに疲れて、瑞月が恋しくなって、そしたら部屋がおんなじだしさ。正直、すげー舞い上がった」
「よ、ようすけ……っあ……」
「でも、お前は動じない風だし、寂しいの俺だけなんかなって」
「そ、そんなこと……ヒッ……」
「うん。だからさ、お前が俺のこと欲しがってくれて……すげー嬉しい」
深く息を吸うと、清浄な石鹸の香りに混じって甘い──瑞月の匂いが陽介を満たす。だけど物足りなくて、陽介は滑らかな首筋に口づけた。「ひあっ」と瑞月が切ない声をこぼす。彼女の跳ねた白い喉に吸いついた。
顔をあげると、熱を孕んだ瑞月の瞳が陽介を映す。抱きしめたいと、陽介は再び彼女に近づいた。けれど、これ以上つっくいたら、シャドワの任務をほったらかす羽目になってしまう。
「でも、今日もバイトだから」
────これで、我慢な?
だから陽介は、瑞月の額にひたりと口づけた。おでこから口へ、愛しい瑞月の体温を摂取する。名残惜しげに陽介が遠ざかると、恨めしげな上目使いで瑞月は陽介を睨んでくる。
「陽介、ずるい。こんなの……離れたく、なくなってしまうではないか」
「ずるくて上等。離れたくねーから、こうしてんの。だから、部屋変えようなんてすんなよ?」
「いいのか? 帰ったら、私はきっととても疲れて、おまえさまに甘えてしまうだろうに」
「おうよ。ドンとこい。彼女に甘えられるなんて、彼氏冥利につきるしな」
「たくさん触りたいし、たくさん抱き締めたいし、たくさん陽介のこと、吸いたいのに?」
「俺吸い」
猫かよオレは、と陽介は思わず真顔に返る。陽介を吸って楽しいことなど何一つとないが、よくよく考えれば陽介も疲れると瑞月の匂いが恋しくなる。そう悟って、陽介は苦笑した。
「なんて、オレも似たようなもんだよ。おたがいさま、だな」
2人は笑いあう。そうして額を合わせようとして、陽介のスマホが鳴った。ちょっと寂しそうに瞼を伏せた瑞月の寝癖を解しながら、電話に出る。
「はい、もしもし花村です」
『花村か。すまんな。朝早くに』
「あっ、真田さん。あざっす。……はい、はい。────えっ」
陽介は驚いて固まる。それは2人にとって、思ってもみない吉報だ。「あざっした!」嬉々として陽介は電話を切る。
「陽介、どうかしたのか。真田さんから何か連絡が?」
いつの間にか、陽介の手にじゃれついていた瑞月が問う。綺麗な髪をボサボサに絡めてまで、よほど甘えたかったのだろう。苦笑とともに、可愛い恋人の髪を陽介は再び手櫛でほどいた。
「瑞月、今日の任務オレと一緒だって」
瑞月が目を丸くした。陽介が笑いかけると──「おまえさま!」──勢いよく、ぴょこんと瑞月は陽介に抱きつく。そのままゴロゴロと二人で笑い声をあげて転がる。
◇◇◇
「瑞月ー。行けるかー?」
「ああ、問題ない。……陽介、ちょっと」
瑞月と陽介は、支度を済ませた。瑞月はというと、陽介に近づき、ネクタイの形を整える。結び目を彼女に正されると、気が引き締まるようなで悪くない。ほくほくと陽介が頬を緩めていると、瑞月が不思議そうに首を傾げた。
「おまえさま、どうかしたか? 随分と嬉しそうだが」
「いや、なんかさ、新婚、みたいだよなぁって」
陽介は頬を掻く。すると瑞月の目元が朱に染まった。照れてる照れてると陽介がニヤついていると、肩に瑞月の手がかかった。前置きのなさに、陽介の反応が遅れる。
瑞月は陽介の頬に口づけた。ふわりとマシュマロのようなやわさを残して、唇が離れる。あっけに取られる陽介に向かって、瑞月は初々しく頬を染めて微笑む。
「ええと……いってらっしゃい。旦那さま?」
────その日、シャドウワーカーの任務は類を見ない速さで片付いたらしい。