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「おまえさま、今年のバレンタインは手作りでいいか?」
学校から帰り道、彼女は爆弾を投げ込んできた。しかも予告はナシときた。ピシリと固まる俺──花村陽介を、何事もないかのように彼女──俺の恋人こと瀬名瑞月は見つめている。いや、隣で歩く彼女は逃がさないとでも言いたげに、繋いでいる俺の手を握りしめた。ばれんたいん……? てづくり……? 知ってる単語なのに、意味がよく分からない。しかし、答えを濁してはいけないというのは、彼女の真摯な瞳から知れた。ゆえに、混乱しつつも、俺は「あぁ」とか「おぅ」とか、肯定にとれるよう返事をする。
あいまいな返答だったにも関わらず、彼女にとっては好ましかったようだ。強ばっていた表情が一気にパァッと明るくなる。
「そうかそうか。分かった。がんばって作るからな」
「え、お、おぉ……」
ハミングとともに彼女は俺の手をにぎにぎする。その後、いつもどおり2人で歩いて。瑞月を送って。俺も家に帰って。それから。
俺は自宅のベッドでプロレスした。枕相手に。身悶えてジャーマンスープレックスきめたあたりで、クマ吉に「ヨースケ、そげにナニをジタバタしとるクマ?」不気味がられた。ほっとけ。バレンタインより一ヶ月前の出来事である。
────ときは流れ、バレンタイン 前日。
「あいぼー、どないしよ。明日は俺の命日かもしれない」
「いいのか? そんなことになったら瀬名が悲しむだろうに」
「それはヤだからゼッテー生きるわ」
昼休みの体育館にて、俺は相棒とメシを食っていた。相棒こと鳴上悠は、涼しい顔で「それでこそ陽介だ」と俺のノロケを受け流している。
「まぁ、それはそれとして。冗談ではなく重症みたいだな陽介。食事も進んでいないみたいだし」
ちゃんと食べろよ? 授業に間に合わなくなる。と彼は、俺が食べている弁当を指す。彼の指摘通り、膝上にあるソレはだいぶ残っている。好物のから揚げ入りにも関わらず、である。それもこれも、明日のバレンタインが気になるせいだ。ウキウキな彼女の笑顔に満たされて、おのずと箸が遅くなってしまう。
「だってさぁ、付きあって初のバレンタインだぜ? ドキドキするつーか、嬉しいつーか、も……いっぱいいっぱいで……」
「ん? 『付き合って初』? まるで去年ももらったような言い方だな」
おっと、さすが相棒。微妙なニュアンスから勘づいたらしい。相棒はそのまま、好奇心旺盛な目をこちらに向けてくる。俺は赤い頬を自覚しながら、ため息をついた。
悠はどうしてか、俺たちカップルについて知りたがる。理由は「2人の幸せそうなエピソードが好きだから」らしい。くちスベったなぁと頭を掻きながら、俺は話してもいいかと思った。今年のバレンタインを前に、懐かしい去年の記憶が蘇ったから。こほんと、俺はわざとらしく咳払いをする。
「去年さ、『友チョコ』としてアイツからキャンディ貰ったんよ」
「……『義理』と濁さず堂々渡してくるのが、なんとも瀬名だな」
「そそ。だから俺もホワイトデーに『友チョコ』返したのな。したらめっちゃ大事に受け取ってくれてさ……ちょーウレシかったんだよなぁ」
今も思い出す。バイト帰りに瑞月の家に立ち寄って『友チョコ』を渡したら、すげー喜んでくれたっけ。思えば、(無自覚だったけど)俺は彼女が大好きだった。
にへにへとだらしない頬を自覚しながらも、俺のノロケは止まらない。瑞月が好き。その気持ちを表に出すようになって、初めて知った心地よい感覚。器にあったかいものが満ちて溢れて、ぽかぽかと身体全体を包み込むような心地がする。聴かされる側からしたら、嫌気が指すかもしれないけれど。
だが、相棒は水を指す真似はしない。それどころか、ニコニコほわほわして「律儀だな」と相づちを打ってくる始末である。
「ちなみに陽介は何をあげたんだ? ホワイトデーの参考に知っておきたいんだけど」
「ん? あぁ、マカロンだよ」
当時を振り返りながら、俺は答えた。カラフルでまるっこいフォルムが愛らしい、あのスイーツ。瑞月は甘いものに対して好奇心旺盛だ。ゆえに、田舎では珍しいお菓子であるマカロンなら、瑞月も気に入ると期待したのだ。そのもくろみは見事達成されたのであった。
「え」と、悠が驚いたように目を丸くする。不可解な反応に、俺は少し焦った。冷静沈着な相棒が驚くなんてめずらしい事態だ。けれどその心配は杞憂だった。
「ふ、ふふふっ、あはは」
「へ、なに相棒。ナニいきなり笑っちゃってんの!? なんか俺……知らないうちにヘンなモン贈っちまった!?」
「いや、ちがうちがう。陽介は本当に、昔から瀬名が大好きなんだなって思ってさ」
「は、はぁっ!?」
藪から棒な指摘に、俺は肩を強ばらせた。だって、相棒は話の上でしか、俺たちのやりとりを知らないのに。彼の口ぶりは、まるで俺たちがそのときどんな風に笑いあって、どんな言葉を交わしあったか、見透かしているようだ。なんで分かったと訊きたいのに、あわれ秘めた想いを唐突に暴かれた俺は、舌を噛んだみたいに言葉を詰まらせた。
でも、どうして悠は分かったんだろう。(自覚はないにしろ)瑞月を大切な存在として扱っていた当時の俺を。羞恥と疑問を込めて睨み付けると、悠はごめんと笑いを納めた。そして、楽しげな──けれどどこか、いたずらっぽい瞳で悠が微笑む。
「なぁ、陽介。こんな話聞いたことあるか? バレンタインやホワイトデーに贈られるお菓子には意味があるんだって」
ハミングでもうたう気楽さで、彼はトリビアを明かす。けれど、内容はまったく気楽なモノではなく、俺の内側を暴きたてるようなそれで、俺は箸を取り落とした。
◇◇◇
そして迎えたバレンタイン当日。
「夕日、真っ赤だな」
「そうだな。それに、思いの外あたたかくてよかった」
高台は夕暮れの色に染まっていた。そこに備え付けられた休憩スペースに俺と瑞月は腰かけあって、丘陵を登った身体を休めていた。
眼前では、ミニチュアじみた大きさの八十稲羽が明々と太陽によって照らされている。町の端から端まで見渡せる澄んだ空気を浴びながら、俺は目を閉じた。俺の隣にいる瑞月に身体をくっつけると、彼女もまた寄り添ってくれる。
さすが高台。屋外かつ運動強度のかかるスポットなだけあって、気温は冷たく人もいない。だからこそなのか、冴えざえとした静寂のなかで、隣にいる瑞月の存在が際立った。俺たちは腕を絡めあい、身体をひたりと寄せあう。寒さの中で、じわじわと自分を浮き彫りにしてくれる体温が愛おしい。
「陽介」
「ん、どした? 瑞月」
ぬくぬくの体温にまどろんでいると、澄んだガラス玉を弾いたような音が耳朶を打った。凛とやわらかい音は、少しだけ躊躇う響きがある。
「ありがとう。私のわがままに付き合ってくれて」
そういって、瑞月の目尻が下がる。ここに来たいと提案したのは彼女だ。高台はバスを使わないといけない遠い場所で、平日気軽に訪れる場所ではない。ゆえに、瑞月は俺にかけた負担を、申し訳なく思っているのだろう。それは『わがまま』という後ろ向きな発言からもうかがい知れた。瑞月は後ろめたさがあると『わがまま』というワードを使う。
「んー、ベツにわがままじゃないだろ。俺だってお前と一緒にいたいって思ってたんだから」
だから俺はあっけらかんと言い放つ。同時に彼女の頭に軽く手を置いて、サラサラの髪を梳く。
「今だってこうやって、お前のこと甘やかせてるし。役得ってヤツ」
すると、瑞月はふわっと頬を薄紅に染めた。その素直な反応に、ついつい俺も頬が熱くなる。なんかメチャクチャにクサいセリフを吐いた気がしていたたまれない。
「ま、まぁ俺って、寒いトコで好きな女の子とくっつくのが夢だったしな!」
な。と俺は軽くウィンクを飛ばす。そうではない。せっかくイイ雰囲気出てたのに、軽口で全部ブッ飛ぶ。実際、瑞月も目をパチパチと瞬かせて、不思議そうにしていた。ヤバイと、俺はひきつった笑みを浮かべる。だが、彼女は気を害さなかった。唇を隠して、無邪気にくすくすと笑う。
「ふふっ、陽介。そんなことを考えていたのか?」
「ちょ、笑うなって。お、おれっ、つか寒いトコでカノジョくっつくのは全男子コーコーセーのユメだろ!?」
「あぁ、ちがうよ。私が言いたいのは、そうじゃなくって──」
とんと、心地の良い重さが俺の身体に委ねられる。髪から香る石鹸の清潔な香りとチョコレートの甘い匂いが鼻腔を満たした。固まる俺の胸元に瑞月が甘い香りを擦りつける。
「別に寒い場所でなくとも、状況とおまえさまが許すなら私はこうして、抱きしめられていたいから」
「座布団、10枚……!」
「では、景品は陽介で。ぎゅう」
「まてまてまてまて!」
背中に手を回して、俺を抱き締めようとする瑞月を慌てて止める。いつもよりデレが多い瑞月に俺はおののいた。バレンタインの影響なのか、あまりにも瑞月が積極的すぎる。このままでは心臓が持たないし、何より、本日の、目的が、果たせない!!(まぁ、このまま抱き締めてもらえるのもメチャクチャ幸せではあるんだけれど)
涙を呑んで、俺は瑞月をはがしにかかる。デレの供給過多で動悸がおこる心臓を押さえつけて、俺は首を傾げる瑞月へと、ぎこちなく問いかける。
「な、なぁ、瑞月サン。僭越ながら今日って何日でしたっけ?」
「……あ、すまない。ここならおまえさまと周囲への気兼ねなく触れあえると思ったから」
「ん゛ん゛」
喉からせりあがったヘンな声を、俺は何とか噛み殺す。そうだよな。俺たち顔を合わせてても、恋人らしく触れあえる機会なんて、周囲の目も考えたらナカナカないしな。でも、恥ずかしそうに手をモジモジさせながらあんま可愛いこと言わないでくれ。加減もできずに抱きしめたくなるから。
深呼吸をして持ち直した俺たちは、なんとかチョコの受け渡しに漕ぎつけた。瑞月は照れた様子から一転して、「はい、おまえさま。お納めください」と『本命チョコ』を差し出してくれた。両手は緊張のせいか、コチコチだ。だから「うん、あんがとな!」と明るくチョコを受けとる。そして俺は、ラッピングに感動してしまった。
「おぉーー!! すげぇーーー!!」
思わず感嘆が漏れる。プレゼントは、一発で本命と分かる代物だった。群青色のラッピングはやわらかなレモンクリームのリボンで丁寧に閉じられている。さらに、小さな向日葵の造花が添えられている。夏の空にも似た群青に、鮮烈な色合いの向日葵が輝かしい。
向日葵は、瑞月が俺に似合うと言ってくれた花だ。誕生日のプレゼントにも、彼女はそういって向日葵の花を添えてくれたっけ。つまり、正真正銘、俺だけに向けられた贈り物なわけで。胸が詰まった俺は言葉に詰まって、そのかわり視界がぼやけてしまう。
「ははっ……すげーキレイだな。おまえが頑張ってくれたって、もうこれだけで分かるわ」
「その……気に入っていただけて何よりだ。けれど、それだけでいいのか?」
────だって、バレンタインの主役はチョコだろう?
と、彼女はそわそわと促す。だから、俺は意を決してラッピングを解きにかかった。しゅるしゅるとリボンをほどいて、群青の包み紙を傷つけないように、セロテープをゆっくり剥がす。そうして現れたのは、トリコロールのおしゃれな缶だった。
まるでエアメールみたいだ。いくつもの国境を超えて、だれかに想いを届けようとする健気な一枚の手紙。
そして、この手紙じみた缶に瑞月はいったい何を込めたんだろう。瑞月が落ち着かない様子で見守るなか、はやる心が、俺の手にフタを開けさせる。バニラやラズベリー、チョコレートの甘い香りが舞い上がった。中身を認めた瞬間、俺は驚きで息を呑む。
「マカロン……」
薄ピンクとオレンジ、ミルクの白とココアのブラウン、4種類のマカロンがトリコロールの缶に行儀よく詰まっていた。
そして俺にとって、懐かしい菓子でもある。だって、去年、俺がホワイトデーに瑞月へと贈った菓子なんだから。
「…………驚いたかな?」
「おぉぉ……! おおぉぉぉ……!」
語彙力がスッ飛んだ俺に、くすりと瑞月が笑う。彼女の宝石みたいに澄んだ瞳がいたずらっぽく細められて、驚く俺を見つめている。俺は興奮してコロンとした薄ピンクのマカロンをつまみ上げた。すげぇ……! ニス塗ったみたいにツヤツヤした表面とか、どうやったか分かんないけどフリルみたいにクシュッとした裾(?)の部分とか、店で買ったって言われても勘違いしそうだ。
「えっ、なぁ瑞月、コレホントに食っていいの?」
「どうぞどうぞ。おまえさま以外に食べてほしくないのでな……」
許可は得た。ということで、俺は薄ピンクのマカロンを口の中に放り込んだ。噛みしめると、メレンゲのサクッとした層を突き抜けて、挟まれていたラズベリージャムが溢れ出す。甘いメレンゲがジャムの風味豊かな酸味と混ざりあって、口の中が苺畑みたいだ。んーっと喜色満面の頬を抑えると、隣の瑞月が安心したように肩をおろす。
「良かった。喜んでもらえたみたいで」
「そりゃウマイって! おまえマジすごいな。これ店で売っててもいいレベルだぞ!」
お世辞ではなく、本音である。俺はもうひとつ、ココアブラウンのマカロンをほおばった。コーヒーガナッシュが挟んであるソレは、煎りたてみたいな匂いがして香ばしい。いちいち頬を押さえる俺を、瑞月は穏やかに見守っていた。
「そうか。なら、がんばった甲斐があったかな。作ったことのないお菓子だったから、練習が必要で……」
「練習って……ハ!? まさか、一ヶ月前に俺に『手作り』宣言してきたのって……」
まさか一ヶ月、俺に渡すためだけにマカロンを作る練習をしていたというのか。瑞月はしまったと口許を抑えている。なんと図星である。つまり俺が食べているのは、瑞月の苦労が詰まった結晶みたいなもので……そう思うとツヤめいたマカロンが宝石のように見えてくる。
「え、待って。なんか、食べるのスゲーもったいなく思えてきたんだけど」
「も、もったいなくなんてない! だって、陽介に食べてもらいたくて、がんばって作ったんだからな!」
「それでも食ったらなくなっちまうじゃん! ヤだよ、お前のマカロンなくなるの!」
「お菓子というものはそういうものだろう……」
いや、瑞月のいう通りではあるんだけどさ。どうもキッチンでエプロンつけてパタパタと試行錯誤する瑞月が頭に浮かんで、食べるのがおそれ多く思えてくる。一向にマカロンへと手を伸ばさなくなった俺に、瑞月が不服そうな目を向けた。そして、ヒョイッとバニラ色のマカロンをつまみ上げる。そしてふにっと、俺の唇に何かが押しつけられた。
「………………むっ?」
「はい。おまえさま、あーん」
チョコとバニラの甘い香りが鼻先に漂って、俺は自分が何をされているのか察した。恋人の瑞月に、”あーん”させられている……! 俺は瞬時に沸騰した。
「どうしたおまえさま? なにか言いたげだが、口を閉じたままでは満足に話せないなぁ?」
「むぐっ、むぐぐぐっ!」
「ん? ”自分で食べられる”とな? まぁそれは知っているが、私がおまえさまに食べさせたかったのでな。ここは大人しく”あーん”されてくれたまえ」
「むぐーっ!?」
はぁーっ!? と俺は唇を閉じられたまま叫ぶ。だが、俺の抗議も空しく、瑞月はいたずらっぽい笑顔を崩さず、どころか面白がって俺の唇でマカロンをふにふにさせている。いや、食べ物で、遊ぶなよ!
「いや、遊んでいないが。陽介に食べさせようと"あーん"しているだけではないか」
なんで分かるんだよ! くぐもった呻きしかあげられない俺の意図を、瑞月はなぜか正確に理解する。だが止めくれという意思表示はノールック。うりうりうりと、マカロンで俺の唇を弄び続けた。
「ほらほら、今は口に当てているだけだが、往生際が悪い場合、鼻を摘まんでしまうかもしれんなぁ?」
なにやら恐ろしい選択肢を提示するが、瑞月はいたって面白そうな笑顔だ。そういえば、こいつ、目的のためなら手段を選ばないんだった。このままでは俺が窒息させられるのは時間の問題である。となれば、迷ってはいられない。だが言いなりになるだけというのも、彼氏としてはいただけない。
意を決して、俺は唇を開く。ふっと微かに瑞月が笑った。ころんと甘いマカロンが口の中に転がされる。その拍子に俺は離れるはずだった瑞月の手首を掴んだ。瑞月の腕を引き、マカロンを作ったであろう白い指先に口づけた。予想外の反撃に彼女が固まるスキにマカロンを咀嚼して、再びキス。チュとリップ音を鳴らして、赤くなってるであろう頬を意地悪く吊り上げた。
「『窮鼠猫を噛む』ってヤツだな。あんま俺で遊ぶなよ? 今みたいに噛まれたって知らねーかんな」
「あ、あぅ、ぅぅ……」
ボシュゥッとすごい音を立てて瑞月が色づく。いまだ接していた唇のリップが、指先の熱でチョコのように溶けたので、ぬるりと、これみよがしに纏わせてやる。
俺は反対の手で、オレンジのマカロンをつまみ上げた。そのまま、彼女の唇に押し当ててほくそ笑む。せっかく頑張って作ったのだ。なら瑞月にだってご褒美はあっていいはずで。なによりも、2人で一緒に何かを食べるのは楽しい。
「ほら瑞月、あーん」
「………………んみぃ」
混乱によって、瑞月は人語を忘れて猫になった。
◇◇◇
結局、瑞月の『本命チョコ』ことマカロンは俺たち2人で食べ尽くした。家に持ち帰ると、我が家のスナックジャンキーことクマの魔の手が伸びると、簡単についたからだ。そんなことになったら俺は枕をビショビショに濡らす自信があるし、瑞月も「陽介に向けた気持ちが掠め取られるみたいでイヤだな」と言っていた。だから2人で食べてしまおうとなったのだ。
テスト明けだったということもあり、マカロンを茶菓子に2人会話は大いに盛り上がった。俺の膝上には空になったトリコロールの缶がある。だが、瑞月の『本命チョコ』は口の中と俺たちに甘い余韻をずっと残していった。俺は瑞月の肩に頭を預ける。彼女の髪からチョコの甘い匂いが漂った。
「あんがとな瑞月。どれもうまかったし、作んの大変だったんだろ?」
「うん。けど、時間をかけたからいいものができたし、それに……」
「それに?」
「もともと、陽介に贈る『本命チョコ』はマカロンにするって決めてたから」
そう、瑞月は落ち着いた──凪いだ声音で応じる。陽介は目を見はった。彼女が凪いだ音で応じるときは、心に決めた考えがある場合だ。
「あのさ瑞月」
「ん?」
「なんで、俺にマカロンつくってくれたの?」
おずおずと、陽介は瑞月に尋ねる。すると瑞月は「覚えてるかな?」と、懐かしそうに笑った。
「去年のホワイトデー。バレンタインのお返しに、陽介はマカロンを贈ってくれたろう?」
「あ……ああ。お前甘いもの好きだし、マカロンって珍しいから喜ぶかなって」
去年のバレンタイン──瑞月からキャンディをもらった陽介は、お返しとしてマカロンを自宅に届けたのだ。当時、貰ったマカロンを大切に両手で抱えて、新しいおもちゃをプレゼントしてもらった猫みたいに、目をキラキラと丸くしていた彼女の姿を覚えている。
「あのとき、とても嬉しかったんだ。色とりどりのマカロンが宝石みたいにキレイで、甘くて、おいしくて……」
それは陽介も知っていた。マカロンを受け取ったあと、わざわざ電話で味の感想とともにお礼を話してくれたのだ。
「だからそのときの嬉しさを陽介に、少しでも届けられたら、返せたら、体験できたらいいと、思って……」
瑞月の声は照れたように小さくなっていく。異変に俺が気がつくと、彼女は両手で顔を隠して、背中を丸めていた。防御形態のアルマジロみたいになってるから表情は分からないけど、茹だった耳からどんな感情を抱いているかは明白だった。胸がジンと痺れて、思わず、瑞月の背と顔を覆う白い手首へと手を伸ばす。
「瑞月、な。手、どけて」
「ぃゃ、だ……みっとも……ないから……」
「俺が見たいの。それでも……ダメ?」
わざと悲しそうな声を出すと、瑞月がピクリと反応する。これはもう少しだな。と、ズルい俺は弱々しい手つきで彼女の丸まった背筋を撫で続けた。瑞月は俺の懇願に弱いのだ。
予想どおり顔を覆っていた手が外れて、彼女は顔を見せてくれた。現れた白雪のかんばせは、咲き染めた花の色に染まっている。宝石みたいな瞳は潤んで、はくはくと鳥の雛みたいに小さい唇が閉じては開いてを繰り返した。
ああもう、なんてかわいいいかおしてるの。
蜜蜂が蜜を抱く花に誘われるみたいに、俺は瑞月の唇に吸い寄せられた。細くて柔らかい腰に手を回して、俺のものよりやわらかいソレを軽く食むと、砂糖が溶けた唾液の味が舌に染みた。瑞月も俺の唇をついばんでくれる。それが嬉しくて、俺は彼女のさらさらした髪を梳いた。瑞月も、俺の唾液を、甘いと思ってくれているだろうか。
はむはむと触れるだけのキスを済ませて、かわいいままの彼女を胸の中にぎゅっと納める。トットットッと速まった2つの脈が重なった。俺の脈と瑞月の脈が1つの鼓動になってるみたいだ。
「俺も……すげー嬉しい」
自分の想いを投げて、それを受け取ってもらえて、いつかこうやって懐かしくなった頃に返ってくる。それがどんなに嬉しく、稀有なことか。そんな奇跡みたいなやり取りを、糸のように紡いで繋いで、今の俺たちがある。
マカロンみたいだと思う。手間をかけて作られる、特別なお菓子で、2つの円盤で1つをつくる。決して離れるなんてできない。ソレもそうだなと俺は納得した。だって────
「────なぁ、瑞月。知ってるか? マカロンを相手に贈る意味」
俺は尋ねる。昨日、悠が教えてくれたバレンタインに贈る甘いお菓子に込められたメッセージについて。
「…………『あなたが好き』ではないのか? 好いた人に贈るのだから」
「ハハッ、ざーんねん。ソレはキャンディとか、アメちゃんとかな」
「キャンディ……? ────ッ!」
彼女の声が羞恥で震える。きっと去年、俺に渡したキャンディについて思い返したのだろう。アメだけでこんなになってんなら、マカロンの意味を聞いたとき、どうなんのかなぁ。いたずらな心から、俺は彼女のやわい頬に片手を添えて、くいっと顎を持ち上げた。
「うん。そんでな、マカロンの意味は────」
視線が交わって、互いに絡めとられたみたいに俺たちは目を逸らせなくなる。彼女の大きな瞳に、楽しそうに頬をつり上げた、けれど信じられないほど優しく目を垂らした、甘い目の俺自身が映る。
そのまま、俺は笑って告げた。
「──── "あなたは特別な存在" だってさ」
ひっと、声が上がった。罠にかかった小動物みたいに瑞月は固まる。実際、俺の腕の中に捕らえられた彼女は、チョコと砂糖のフレーバーで、おいしそうだ。しめしめと俺は、狡猾にほくそえむ。
「いただきます」
律儀に、敬意すらこめて、俺は宣言する。そして瑞月の、マカロンみたいにツヤツヤした、甘い唇にじっくりと吸いついた。
学校から帰り道、彼女は爆弾を投げ込んできた。しかも予告はナシときた。ピシリと固まる俺──花村陽介を、何事もないかのように彼女──俺の恋人こと瀬名瑞月は見つめている。いや、隣で歩く彼女は逃がさないとでも言いたげに、繋いでいる俺の手を握りしめた。ばれんたいん……? てづくり……? 知ってる単語なのに、意味がよく分からない。しかし、答えを濁してはいけないというのは、彼女の真摯な瞳から知れた。ゆえに、混乱しつつも、俺は「あぁ」とか「おぅ」とか、肯定にとれるよう返事をする。
あいまいな返答だったにも関わらず、彼女にとっては好ましかったようだ。強ばっていた表情が一気にパァッと明るくなる。
「そうかそうか。分かった。がんばって作るからな」
「え、お、おぉ……」
ハミングとともに彼女は俺の手をにぎにぎする。その後、いつもどおり2人で歩いて。瑞月を送って。俺も家に帰って。それから。
俺は自宅のベッドでプロレスした。枕相手に。身悶えてジャーマンスープレックスきめたあたりで、クマ吉に「ヨースケ、そげにナニをジタバタしとるクマ?」不気味がられた。ほっとけ。バレンタインより一ヶ月前の出来事である。
────ときは流れ、バレンタイン 前日。
「あいぼー、どないしよ。明日は俺の命日かもしれない」
「いいのか? そんなことになったら瀬名が悲しむだろうに」
「それはヤだからゼッテー生きるわ」
昼休みの体育館にて、俺は相棒とメシを食っていた。相棒こと鳴上悠は、涼しい顔で「それでこそ陽介だ」と俺のノロケを受け流している。
「まぁ、それはそれとして。冗談ではなく重症みたいだな陽介。食事も進んでいないみたいだし」
ちゃんと食べろよ? 授業に間に合わなくなる。と彼は、俺が食べている弁当を指す。彼の指摘通り、膝上にあるソレはだいぶ残っている。好物のから揚げ入りにも関わらず、である。それもこれも、明日のバレンタインが気になるせいだ。ウキウキな彼女の笑顔に満たされて、おのずと箸が遅くなってしまう。
「だってさぁ、付きあって初のバレンタインだぜ? ドキドキするつーか、嬉しいつーか、も……いっぱいいっぱいで……」
「ん? 『付き合って初』? まるで去年ももらったような言い方だな」
おっと、さすが相棒。微妙なニュアンスから勘づいたらしい。相棒はそのまま、好奇心旺盛な目をこちらに向けてくる。俺は赤い頬を自覚しながら、ため息をついた。
悠はどうしてか、俺たちカップルについて知りたがる。理由は「2人の幸せそうなエピソードが好きだから」らしい。くちスベったなぁと頭を掻きながら、俺は話してもいいかと思った。今年のバレンタインを前に、懐かしい去年の記憶が蘇ったから。こほんと、俺はわざとらしく咳払いをする。
「去年さ、『友チョコ』としてアイツからキャンディ貰ったんよ」
「……『義理』と濁さず堂々渡してくるのが、なんとも瀬名だな」
「そそ。だから俺もホワイトデーに『友チョコ』返したのな。したらめっちゃ大事に受け取ってくれてさ……ちょーウレシかったんだよなぁ」
今も思い出す。バイト帰りに瑞月の家に立ち寄って『友チョコ』を渡したら、すげー喜んでくれたっけ。思えば、(無自覚だったけど)俺は彼女が大好きだった。
にへにへとだらしない頬を自覚しながらも、俺のノロケは止まらない。瑞月が好き。その気持ちを表に出すようになって、初めて知った心地よい感覚。器にあったかいものが満ちて溢れて、ぽかぽかと身体全体を包み込むような心地がする。聴かされる側からしたら、嫌気が指すかもしれないけれど。
だが、相棒は水を指す真似はしない。それどころか、ニコニコほわほわして「律儀だな」と相づちを打ってくる始末である。
「ちなみに陽介は何をあげたんだ? ホワイトデーの参考に知っておきたいんだけど」
「ん? あぁ、マカロンだよ」
当時を振り返りながら、俺は答えた。カラフルでまるっこいフォルムが愛らしい、あのスイーツ。瑞月は甘いものに対して好奇心旺盛だ。ゆえに、田舎では珍しいお菓子であるマカロンなら、瑞月も気に入ると期待したのだ。そのもくろみは見事達成されたのであった。
「え」と、悠が驚いたように目を丸くする。不可解な反応に、俺は少し焦った。冷静沈着な相棒が驚くなんてめずらしい事態だ。けれどその心配は杞憂だった。
「ふ、ふふふっ、あはは」
「へ、なに相棒。ナニいきなり笑っちゃってんの!? なんか俺……知らないうちにヘンなモン贈っちまった!?」
「いや、ちがうちがう。陽介は本当に、昔から瀬名が大好きなんだなって思ってさ」
「は、はぁっ!?」
藪から棒な指摘に、俺は肩を強ばらせた。だって、相棒は話の上でしか、俺たちのやりとりを知らないのに。彼の口ぶりは、まるで俺たちがそのときどんな風に笑いあって、どんな言葉を交わしあったか、見透かしているようだ。なんで分かったと訊きたいのに、あわれ秘めた想いを唐突に暴かれた俺は、舌を噛んだみたいに言葉を詰まらせた。
でも、どうして悠は分かったんだろう。(自覚はないにしろ)瑞月を大切な存在として扱っていた当時の俺を。羞恥と疑問を込めて睨み付けると、悠はごめんと笑いを納めた。そして、楽しげな──けれどどこか、いたずらっぽい瞳で悠が微笑む。
「なぁ、陽介。こんな話聞いたことあるか? バレンタインやホワイトデーに贈られるお菓子には意味があるんだって」
ハミングでもうたう気楽さで、彼はトリビアを明かす。けれど、内容はまったく気楽なモノではなく、俺の内側を暴きたてるようなそれで、俺は箸を取り落とした。
◇◇◇
そして迎えたバレンタイン当日。
「夕日、真っ赤だな」
「そうだな。それに、思いの外あたたかくてよかった」
高台は夕暮れの色に染まっていた。そこに備え付けられた休憩スペースに俺と瑞月は腰かけあって、丘陵を登った身体を休めていた。
眼前では、ミニチュアじみた大きさの八十稲羽が明々と太陽によって照らされている。町の端から端まで見渡せる澄んだ空気を浴びながら、俺は目を閉じた。俺の隣にいる瑞月に身体をくっつけると、彼女もまた寄り添ってくれる。
さすが高台。屋外かつ運動強度のかかるスポットなだけあって、気温は冷たく人もいない。だからこそなのか、冴えざえとした静寂のなかで、隣にいる瑞月の存在が際立った。俺たちは腕を絡めあい、身体をひたりと寄せあう。寒さの中で、じわじわと自分を浮き彫りにしてくれる体温が愛おしい。
「陽介」
「ん、どした? 瑞月」
ぬくぬくの体温にまどろんでいると、澄んだガラス玉を弾いたような音が耳朶を打った。凛とやわらかい音は、少しだけ躊躇う響きがある。
「ありがとう。私のわがままに付き合ってくれて」
そういって、瑞月の目尻が下がる。ここに来たいと提案したのは彼女だ。高台はバスを使わないといけない遠い場所で、平日気軽に訪れる場所ではない。ゆえに、瑞月は俺にかけた負担を、申し訳なく思っているのだろう。それは『わがまま』という後ろ向きな発言からもうかがい知れた。瑞月は後ろめたさがあると『わがまま』というワードを使う。
「んー、ベツにわがままじゃないだろ。俺だってお前と一緒にいたいって思ってたんだから」
だから俺はあっけらかんと言い放つ。同時に彼女の頭に軽く手を置いて、サラサラの髪を梳く。
「今だってこうやって、お前のこと甘やかせてるし。役得ってヤツ」
すると、瑞月はふわっと頬を薄紅に染めた。その素直な反応に、ついつい俺も頬が熱くなる。なんかメチャクチャにクサいセリフを吐いた気がしていたたまれない。
「ま、まぁ俺って、寒いトコで好きな女の子とくっつくのが夢だったしな!」
な。と俺は軽くウィンクを飛ばす。そうではない。せっかくイイ雰囲気出てたのに、軽口で全部ブッ飛ぶ。実際、瑞月も目をパチパチと瞬かせて、不思議そうにしていた。ヤバイと、俺はひきつった笑みを浮かべる。だが、彼女は気を害さなかった。唇を隠して、無邪気にくすくすと笑う。
「ふふっ、陽介。そんなことを考えていたのか?」
「ちょ、笑うなって。お、おれっ、つか寒いトコでカノジョくっつくのは全男子コーコーセーのユメだろ!?」
「あぁ、ちがうよ。私が言いたいのは、そうじゃなくって──」
とんと、心地の良い重さが俺の身体に委ねられる。髪から香る石鹸の清潔な香りとチョコレートの甘い匂いが鼻腔を満たした。固まる俺の胸元に瑞月が甘い香りを擦りつける。
「別に寒い場所でなくとも、状況とおまえさまが許すなら私はこうして、抱きしめられていたいから」
「座布団、10枚……!」
「では、景品は陽介で。ぎゅう」
「まてまてまてまて!」
背中に手を回して、俺を抱き締めようとする瑞月を慌てて止める。いつもよりデレが多い瑞月に俺はおののいた。バレンタインの影響なのか、あまりにも瑞月が積極的すぎる。このままでは心臓が持たないし、何より、本日の、目的が、果たせない!!(まぁ、このまま抱き締めてもらえるのもメチャクチャ幸せではあるんだけれど)
涙を呑んで、俺は瑞月をはがしにかかる。デレの供給過多で動悸がおこる心臓を押さえつけて、俺は首を傾げる瑞月へと、ぎこちなく問いかける。
「な、なぁ、瑞月サン。僭越ながら今日って何日でしたっけ?」
「……あ、すまない。ここならおまえさまと周囲への気兼ねなく触れあえると思ったから」
「ん゛ん゛」
喉からせりあがったヘンな声を、俺は何とか噛み殺す。そうだよな。俺たち顔を合わせてても、恋人らしく触れあえる機会なんて、周囲の目も考えたらナカナカないしな。でも、恥ずかしそうに手をモジモジさせながらあんま可愛いこと言わないでくれ。加減もできずに抱きしめたくなるから。
深呼吸をして持ち直した俺たちは、なんとかチョコの受け渡しに漕ぎつけた。瑞月は照れた様子から一転して、「はい、おまえさま。お納めください」と『本命チョコ』を差し出してくれた。両手は緊張のせいか、コチコチだ。だから「うん、あんがとな!」と明るくチョコを受けとる。そして俺は、ラッピングに感動してしまった。
「おぉーー!! すげぇーーー!!」
思わず感嘆が漏れる。プレゼントは、一発で本命と分かる代物だった。群青色のラッピングはやわらかなレモンクリームのリボンで丁寧に閉じられている。さらに、小さな向日葵の造花が添えられている。夏の空にも似た群青に、鮮烈な色合いの向日葵が輝かしい。
向日葵は、瑞月が俺に似合うと言ってくれた花だ。誕生日のプレゼントにも、彼女はそういって向日葵の花を添えてくれたっけ。つまり、正真正銘、俺だけに向けられた贈り物なわけで。胸が詰まった俺は言葉に詰まって、そのかわり視界がぼやけてしまう。
「ははっ……すげーキレイだな。おまえが頑張ってくれたって、もうこれだけで分かるわ」
「その……気に入っていただけて何よりだ。けれど、それだけでいいのか?」
────だって、バレンタインの主役はチョコだろう?
と、彼女はそわそわと促す。だから、俺は意を決してラッピングを解きにかかった。しゅるしゅるとリボンをほどいて、群青の包み紙を傷つけないように、セロテープをゆっくり剥がす。そうして現れたのは、トリコロールのおしゃれな缶だった。
まるでエアメールみたいだ。いくつもの国境を超えて、だれかに想いを届けようとする健気な一枚の手紙。
そして、この手紙じみた缶に瑞月はいったい何を込めたんだろう。瑞月が落ち着かない様子で見守るなか、はやる心が、俺の手にフタを開けさせる。バニラやラズベリー、チョコレートの甘い香りが舞い上がった。中身を認めた瞬間、俺は驚きで息を呑む。
「マカロン……」
薄ピンクとオレンジ、ミルクの白とココアのブラウン、4種類のマカロンがトリコロールの缶に行儀よく詰まっていた。
そして俺にとって、懐かしい菓子でもある。だって、去年、俺がホワイトデーに瑞月へと贈った菓子なんだから。
「…………驚いたかな?」
「おぉぉ……! おおぉぉぉ……!」
語彙力がスッ飛んだ俺に、くすりと瑞月が笑う。彼女の宝石みたいに澄んだ瞳がいたずらっぽく細められて、驚く俺を見つめている。俺は興奮してコロンとした薄ピンクのマカロンをつまみ上げた。すげぇ……! ニス塗ったみたいにツヤツヤした表面とか、どうやったか分かんないけどフリルみたいにクシュッとした裾(?)の部分とか、店で買ったって言われても勘違いしそうだ。
「えっ、なぁ瑞月、コレホントに食っていいの?」
「どうぞどうぞ。おまえさま以外に食べてほしくないのでな……」
許可は得た。ということで、俺は薄ピンクのマカロンを口の中に放り込んだ。噛みしめると、メレンゲのサクッとした層を突き抜けて、挟まれていたラズベリージャムが溢れ出す。甘いメレンゲがジャムの風味豊かな酸味と混ざりあって、口の中が苺畑みたいだ。んーっと喜色満面の頬を抑えると、隣の瑞月が安心したように肩をおろす。
「良かった。喜んでもらえたみたいで」
「そりゃウマイって! おまえマジすごいな。これ店で売っててもいいレベルだぞ!」
お世辞ではなく、本音である。俺はもうひとつ、ココアブラウンのマカロンをほおばった。コーヒーガナッシュが挟んであるソレは、煎りたてみたいな匂いがして香ばしい。いちいち頬を押さえる俺を、瑞月は穏やかに見守っていた。
「そうか。なら、がんばった甲斐があったかな。作ったことのないお菓子だったから、練習が必要で……」
「練習って……ハ!? まさか、一ヶ月前に俺に『手作り』宣言してきたのって……」
まさか一ヶ月、俺に渡すためだけにマカロンを作る練習をしていたというのか。瑞月はしまったと口許を抑えている。なんと図星である。つまり俺が食べているのは、瑞月の苦労が詰まった結晶みたいなもので……そう思うとツヤめいたマカロンが宝石のように見えてくる。
「え、待って。なんか、食べるのスゲーもったいなく思えてきたんだけど」
「も、もったいなくなんてない! だって、陽介に食べてもらいたくて、がんばって作ったんだからな!」
「それでも食ったらなくなっちまうじゃん! ヤだよ、お前のマカロンなくなるの!」
「お菓子というものはそういうものだろう……」
いや、瑞月のいう通りではあるんだけどさ。どうもキッチンでエプロンつけてパタパタと試行錯誤する瑞月が頭に浮かんで、食べるのがおそれ多く思えてくる。一向にマカロンへと手を伸ばさなくなった俺に、瑞月が不服そうな目を向けた。そして、ヒョイッとバニラ色のマカロンをつまみ上げる。そしてふにっと、俺の唇に何かが押しつけられた。
「………………むっ?」
「はい。おまえさま、あーん」
チョコとバニラの甘い香りが鼻先に漂って、俺は自分が何をされているのか察した。恋人の瑞月に、”あーん”させられている……! 俺は瞬時に沸騰した。
「どうしたおまえさま? なにか言いたげだが、口を閉じたままでは満足に話せないなぁ?」
「むぐっ、むぐぐぐっ!」
「ん? ”自分で食べられる”とな? まぁそれは知っているが、私がおまえさまに食べさせたかったのでな。ここは大人しく”あーん”されてくれたまえ」
「むぐーっ!?」
はぁーっ!? と俺は唇を閉じられたまま叫ぶ。だが、俺の抗議も空しく、瑞月はいたずらっぽい笑顔を崩さず、どころか面白がって俺の唇でマカロンをふにふにさせている。いや、食べ物で、遊ぶなよ!
「いや、遊んでいないが。陽介に食べさせようと"あーん"しているだけではないか」
なんで分かるんだよ! くぐもった呻きしかあげられない俺の意図を、瑞月はなぜか正確に理解する。だが止めくれという意思表示はノールック。うりうりうりと、マカロンで俺の唇を弄び続けた。
「ほらほら、今は口に当てているだけだが、往生際が悪い場合、鼻を摘まんでしまうかもしれんなぁ?」
なにやら恐ろしい選択肢を提示するが、瑞月はいたって面白そうな笑顔だ。そういえば、こいつ、目的のためなら手段を選ばないんだった。このままでは俺が窒息させられるのは時間の問題である。となれば、迷ってはいられない。だが言いなりになるだけというのも、彼氏としてはいただけない。
意を決して、俺は唇を開く。ふっと微かに瑞月が笑った。ころんと甘いマカロンが口の中に転がされる。その拍子に俺は離れるはずだった瑞月の手首を掴んだ。瑞月の腕を引き、マカロンを作ったであろう白い指先に口づけた。予想外の反撃に彼女が固まるスキにマカロンを咀嚼して、再びキス。チュとリップ音を鳴らして、赤くなってるであろう頬を意地悪く吊り上げた。
「『窮鼠猫を噛む』ってヤツだな。あんま俺で遊ぶなよ? 今みたいに噛まれたって知らねーかんな」
「あ、あぅ、ぅぅ……」
ボシュゥッとすごい音を立てて瑞月が色づく。いまだ接していた唇のリップが、指先の熱でチョコのように溶けたので、ぬるりと、これみよがしに纏わせてやる。
俺は反対の手で、オレンジのマカロンをつまみ上げた。そのまま、彼女の唇に押し当ててほくそ笑む。せっかく頑張って作ったのだ。なら瑞月にだってご褒美はあっていいはずで。なによりも、2人で一緒に何かを食べるのは楽しい。
「ほら瑞月、あーん」
「………………んみぃ」
混乱によって、瑞月は人語を忘れて猫になった。
◇◇◇
結局、瑞月の『本命チョコ』ことマカロンは俺たち2人で食べ尽くした。家に持ち帰ると、我が家のスナックジャンキーことクマの魔の手が伸びると、簡単についたからだ。そんなことになったら俺は枕をビショビショに濡らす自信があるし、瑞月も「陽介に向けた気持ちが掠め取られるみたいでイヤだな」と言っていた。だから2人で食べてしまおうとなったのだ。
テスト明けだったということもあり、マカロンを茶菓子に2人会話は大いに盛り上がった。俺の膝上には空になったトリコロールの缶がある。だが、瑞月の『本命チョコ』は口の中と俺たちに甘い余韻をずっと残していった。俺は瑞月の肩に頭を預ける。彼女の髪からチョコの甘い匂いが漂った。
「あんがとな瑞月。どれもうまかったし、作んの大変だったんだろ?」
「うん。けど、時間をかけたからいいものができたし、それに……」
「それに?」
「もともと、陽介に贈る『本命チョコ』はマカロンにするって決めてたから」
そう、瑞月は落ち着いた──凪いだ声音で応じる。陽介は目を見はった。彼女が凪いだ音で応じるときは、心に決めた考えがある場合だ。
「あのさ瑞月」
「ん?」
「なんで、俺にマカロンつくってくれたの?」
おずおずと、陽介は瑞月に尋ねる。すると瑞月は「覚えてるかな?」と、懐かしそうに笑った。
「去年のホワイトデー。バレンタインのお返しに、陽介はマカロンを贈ってくれたろう?」
「あ……ああ。お前甘いもの好きだし、マカロンって珍しいから喜ぶかなって」
去年のバレンタイン──瑞月からキャンディをもらった陽介は、お返しとしてマカロンを自宅に届けたのだ。当時、貰ったマカロンを大切に両手で抱えて、新しいおもちゃをプレゼントしてもらった猫みたいに、目をキラキラと丸くしていた彼女の姿を覚えている。
「あのとき、とても嬉しかったんだ。色とりどりのマカロンが宝石みたいにキレイで、甘くて、おいしくて……」
それは陽介も知っていた。マカロンを受け取ったあと、わざわざ電話で味の感想とともにお礼を話してくれたのだ。
「だからそのときの嬉しさを陽介に、少しでも届けられたら、返せたら、体験できたらいいと、思って……」
瑞月の声は照れたように小さくなっていく。異変に俺が気がつくと、彼女は両手で顔を隠して、背中を丸めていた。防御形態のアルマジロみたいになってるから表情は分からないけど、茹だった耳からどんな感情を抱いているかは明白だった。胸がジンと痺れて、思わず、瑞月の背と顔を覆う白い手首へと手を伸ばす。
「瑞月、な。手、どけて」
「ぃゃ、だ……みっとも……ないから……」
「俺が見たいの。それでも……ダメ?」
わざと悲しそうな声を出すと、瑞月がピクリと反応する。これはもう少しだな。と、ズルい俺は弱々しい手つきで彼女の丸まった背筋を撫で続けた。瑞月は俺の懇願に弱いのだ。
予想どおり顔を覆っていた手が外れて、彼女は顔を見せてくれた。現れた白雪のかんばせは、咲き染めた花の色に染まっている。宝石みたいな瞳は潤んで、はくはくと鳥の雛みたいに小さい唇が閉じては開いてを繰り返した。
ああもう、なんてかわいいいかおしてるの。
蜜蜂が蜜を抱く花に誘われるみたいに、俺は瑞月の唇に吸い寄せられた。細くて柔らかい腰に手を回して、俺のものよりやわらかいソレを軽く食むと、砂糖が溶けた唾液の味が舌に染みた。瑞月も俺の唇をついばんでくれる。それが嬉しくて、俺は彼女のさらさらした髪を梳いた。瑞月も、俺の唾液を、甘いと思ってくれているだろうか。
はむはむと触れるだけのキスを済ませて、かわいいままの彼女を胸の中にぎゅっと納める。トットットッと速まった2つの脈が重なった。俺の脈と瑞月の脈が1つの鼓動になってるみたいだ。
「俺も……すげー嬉しい」
自分の想いを投げて、それを受け取ってもらえて、いつかこうやって懐かしくなった頃に返ってくる。それがどんなに嬉しく、稀有なことか。そんな奇跡みたいなやり取りを、糸のように紡いで繋いで、今の俺たちがある。
マカロンみたいだと思う。手間をかけて作られる、特別なお菓子で、2つの円盤で1つをつくる。決して離れるなんてできない。ソレもそうだなと俺は納得した。だって────
「────なぁ、瑞月。知ってるか? マカロンを相手に贈る意味」
俺は尋ねる。昨日、悠が教えてくれたバレンタインに贈る甘いお菓子に込められたメッセージについて。
「…………『あなたが好き』ではないのか? 好いた人に贈るのだから」
「ハハッ、ざーんねん。ソレはキャンディとか、アメちゃんとかな」
「キャンディ……? ────ッ!」
彼女の声が羞恥で震える。きっと去年、俺に渡したキャンディについて思い返したのだろう。アメだけでこんなになってんなら、マカロンの意味を聞いたとき、どうなんのかなぁ。いたずらな心から、俺は彼女のやわい頬に片手を添えて、くいっと顎を持ち上げた。
「うん。そんでな、マカロンの意味は────」
視線が交わって、互いに絡めとられたみたいに俺たちは目を逸らせなくなる。彼女の大きな瞳に、楽しそうに頬をつり上げた、けれど信じられないほど優しく目を垂らした、甘い目の俺自身が映る。
そのまま、俺は笑って告げた。
「──── "あなたは特別な存在" だってさ」
ひっと、声が上がった。罠にかかった小動物みたいに瑞月は固まる。実際、俺の腕の中に捕らえられた彼女は、チョコと砂糖のフレーバーで、おいしそうだ。しめしめと俺は、狡猾にほくそえむ。
「いただきます」
律儀に、敬意すらこめて、俺は宣言する。そして瑞月の、マカロンみたいにツヤツヤした、甘い唇にじっくりと吸いついた。