短編集(夢主固定)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
雪が降る。
綿毛のような小雪が、漆喰を塗ったように真っ白な天上から、ひらりひらりとちらついて、木々に、民家に、降りつもる。
サクサク。新雪を踏みながら、私は傘をクルクルと回す。降りゆく白が化粧をほどこしていく、開けた世界を、どこか誇らしげな気持ちで眺めていた。
「──」
明るい声が、私を呼ぶ。気がつけば私の隣を歩く彼──花村陽介が、ふっと柔らかく目を細めた。彼のペルソナとお揃いのつもりなのか、紅 のマフラーに顔を埋めながら、陽介は人懐こく笑う。
「なんか今日は、ずっと嬉しそうだなお前。表情筋ゆるゆる」
「そういう陽介も、とても楽しそうだな?」
ギクリと、彼が固まった。雪道に一歩を踏み出したまま静止する陽介──私の大切な人に合わせて私も止まる。
「どうしてわかった」という顔をしていて、私は笑ってしまった。マフラーで隠したつもりだろうが、あまいあまい。によっと上がった口角が丸見えだ。私が指で示してみせると、陽介は慌ててマフラーを引き上げる。
「ねぇ、どうして?」
「……お前分かってて言ってるだろ。趣味悪ィー」
意地悪く問いかける私に、彼はふいっと顔を背ける。だから、そんなことしてもバレバレなのに。赤くなった耳が隠れていない。
「ふふっ、そうだな。でも、やっぱり私はおまえさまから直接聞きたいんだ。……ダメか?」
「! あーもうっ、そんなお願いズルいだろうがっ!」
そうして彼は、私の顔をずいっと覗きこんだ。南天みたいに真っ赤な頬を惜しげもなくさらして、私を映す澄んだ瞳は、暖炉の炎にも似て情熱的だ。ただでさえハンサムな顔面が発する熱烈な圧に縫いつけられた私は動けない。
「付き合いたての彼女と、こうやっていろいろ話しながら帰れることが嬉しいの! つか、一緒にいれるのが嬉しいんだよ!」
「ひぁ!?」
そこまでストレートな告白をもらえるとは思ってなかった。いつの間に、そんな積極性を身に付けたんだ。付き合う前はアプローチも控えめだったのに。耐性のない私の頬はみるみるうちに発火していく。すると陽介は、可愛らしく染まった頬に似合わない、こずるい笑顔を形づくる。
「よーし、俺は言ったかんな。おまえが嬉しそうなのも教えてもらうぞ」
「い……い、いイ」
「あー、照れて固まっちまったか。こりゃしばらく治りそうにないなぁ」
「いまは無理」と言いたいのに、ポンコツと化した私の滑舌は一向に言葉を作れない。体温が上がったまま固まるという珍妙な芸当を披露している私に向かって、陽介はとても優しい笑みを見せた。え、もしかして話さなくていい?
「よし、そんじゃアソコで休憩にしますか」
ピシッと私は硬直した。陽介が指さした方向には、屋根で覆われたベンチがある。鮫川の休憩スペースだ。どうしよう。こんなに策士な陽介見たことない。
「ひゃ、ひゃい……」
恋人の新たな一面に見惚れて茹だる私を、陽介は紳士かつ強引に休憩スペースへと手を引いてくれた。大好き。
***
「発作、おさまった?」
「ああ、大丈夫だ。私は逃げも隠れもしにゃい」
「しにゃい……ぷふっ。まだ語尾溶けてんの」
「いっ、意味が分かるからいいだろう! あ、今度こそ戻った!」
鮫川の休憩スペースに到着してしばらく。私のポンコツもだいぶ収まってきた。滑舌が溶けるのはあいかわらず恥ずかしいけれど、揶揄いながらも待ってくれる陽介は、やっぱり優しい。
「すまないな、おまえさま。いつも待たせてしまって」
「いーやー、かわいいからいいよ。おまえが照れるのって珍しいしさ。何てったってプレミアつくぜ」
軽口を叩きながら、陽介はカラリと笑ってくれる。私は再び茹だりそうな体温を気合いで押さえつけた。陽介が笑ってくれているのに茹だってる場合ではないのである。
けれどやはり、待たせてしまうというは申し訳ない。たしかに、彼が自分のために時間を使ってくれる嬉しさはあるけれど。まして、今は雪降るほど寒いのだ。
私はちらりと、隣に腰かけた彼を見やる。クセで組んだ両腕は、いつもよりも堅く身体に寄せられて、寒そうだ。
直接肌があらわになる顔は、紅のマフラーに埋まっている。そういえばと私は思い出して、コートのポケットに手を突っ込んだ。
「陽介、ちょっと失礼」
「? ――っあ!」
至近距離で驚く陽介が、私の瞳に写し出された。それもそのはず。座っている陽介に、私は身体を密着させている。さらに、両手で陽介の整った輪郭を覆っている。手袋のついた両手は携帯カイロで温めたから、少しは温かいはずだ。おや、しかし、カイロの熱とは思えないほど、彼の頬は熱を帯びる。
「おまえさま、間に合わせ程度だが、温かいだろうか?」
「なななななっ、なんでいきなり密着してるのっ、俺ら。顔、近いし」
「陽介を冷気から守るためだが? すまないな、おまえさまより小さい私の身体ではこれが限界だ」
「い、いや、十分おおきっ――って、違ーーーーう!」
勢いよく、陽介は私を引き剥がした。ぜぇぜぇと、まるで全力疾走したあとのように、彼は息を吐き出す。呼吸が落ち着いて顔を振り上げた彼は羞恥に目をつぶり捲し立てた。
「そんな顔、近づけられたらもう耐えられねーんだよ! なに、フリか? フリなんですかっ? キスしろっていう」
「ああ! その方法があったか。私としたことが、陽介に見とれて、唇を温めるのを忘れていた」
「納得してんじゃねーよっ! つかお前はどこまで温めりゃ気がすむの! 別んトコが温 まっちまうわ!」
「あ、しょ……しょれわ……しゅまにゃい」
「え、なにその反応。いままで善意100パーでやってたわけ? 恐ろしいわこの子」
あーーーーっと!! 私は何ということを!! たしかにそう思われても仕方ないフルコースではないか!! 私はだらしなく赤くなっているであろう顔を両手で覆う。顔から火が出るほど恥ずかしい。
でも後悔はしていない。私に顔を挟まれて初々しく真っ赤になる陽介、プライスレス。むしろ喜んでくれるなら、頼まれずともまたやろうとすら企んでしまう。
「あー、また顔赤くなったんだろ。ほれ、見せてみろ」
だが、それは頼まれても嫌だ!! ゆるい餅みたいに垂れ下がった顔なんて、恥ずかしくて見せたくない。
だというのに、先に立ち直った陽介は私の両手を掴んでどけようとしてくる。それだけは絶対にダメだっ。
「い、いやだ! 見苦しいから見せたくないっ」
必死に抵抗する私に、彼はふーんと、面白くなさそうな声を出す。そして──
「なら、おしおきな」
──おしおき!? 非常に魅力的な言葉に私は一瞬フリーズする。ふっと、陽介の口からが楽しそうな笑いがもれた。私の両手首から、彼の手が離れる。あ、ダメだ。期待で身体が動かない。いったい私は何をされてしまうんだ。
すると私は、彼の腕の中にかたくかたく封じられてしまった。
「――ッ」
息を、忘れてしまう。
陽介の腕は、ひとつは背中に、もうひとつは私の後頭部に添えられて、彼の胸の中へ仕舞いこまれている。宝物 のように、陽介は私を抱きしめてくれた。
なされるがまま招かれた彼の内側で、私は涙が出そうになった。彼の温もりのせいばかりではない。とく、とくと規則正しい心臓の音、深く息をする肺の音、首筋から香る彼本来のにおい。鼓動も、呼吸も、彼のにおいも、本来熱を持たないはずなのに、どうしてこんなにも温かいのだろう。
私ははひたりと、陽介の身体に自身をよせる。彼が私を抱き込む力が強くなって、彼の生命 の気配も強く伝わってくる。
「あたたかい……」
「そりゃ、こんなことしてれば、な」
おまえもあったかいよと、はにかんで陽介は答える。同時に、私を抱き締める力が緩むことはない。私は優しくしてくれる、そして私を求めてくれる彼に甘えて、ずっと陽介の鼓動を聞いている。少し早くなった鼓動がいとおしい。パニックになる暇なんてないほど、私は彼の優しさと暖かさに満たされていた。
「それでさ、そろそろ教えてくれない?」
かなり長く、私たちは抱き合っていたように思う。飛びはねていた鼓動が鎮まって、互いの温かさに身を委ねるようになったころ、陽介が私に問いかけた。雪のなかで、私がいつもより嬉しそうにしていた理由を聞きたいのだろう。もとより、私も逃げる気はなかった。正直に、私は語り出す。
「雪が、見えたから」
「雪? そりゃあ、この季節になれば見えるだろ。冬なんだし」
陽介は、拍子抜けといった感じだ。顔をあげると、やはり肩透かしを食らったような、納得がいかないような、渋い顔をしている。私も、普段ならこんなことを言わない。歌人や文学者ではないのだから。けれども、どうしても雪に心を動かされた理由があった。
「うん。だけど、今までは見えなかっただろう?」
陽介は首を傾げて、あっと声をあげた。どうやら彼も気がついたらしい。
「そっか。霧が晴れたから、お前はあんな笑ってたのか」
彼の答えに、私の唇が弧を描く。
数日前まで、八十稲羽は原因不明の──正確には、超常的な存在によって──一寸先すら視界が閉ざされるほどの霧で閉ざされていた。それまでは、降る雪が霧に紛れて降っているのかさえ──目前を雪が掠めてやっと分かるくらい、視界は悪くて。
しかし、私たちを含めた仲間たちが起こした決死の戦いの末、混迷の霧は晴らされた。結果訪れたのは、どこまでも澄みわたった世界。降りゆく白が染めていく街を、今は当たり前に、遠くまで見ることができる。
「うん、それもそうだけれどね」
だけど、私が喜んだ理由はそれだけではない。きょとんと瞬 く陽介に向かって、私は告げる。明るい色を宿した彼のかんばせを、手のひらで愛でながら。
「白の世界に、陽介がいたから」
陽介が、琥珀の瞳を丸くする。じわりと、彼のまぶたの縁が揺らめいた。
「これから始まるまっ白い未来を、おまえさまと歩める。それがたまらなく誇らしくて――」
――嬉しかったんだよ。
クシャリと、彼が泣き出しそうに目尻を丸める。だけど、それは悲しみとはほど遠い感情を示していて。そのまま、愛しい恋人は私を強く抱きすくめた。
手を伸ばして、震える彼の背を私はゆっくりとさする。
本当は、陽介ばかりを見ていた。白銀の世界で温かい色を宿して、柔らかい光を放つ炎のような貴方 を。真っ白い世界はキャンバスのようで、どんな色にでも染めていける。それはとても自由だけれど、同時にとても心細い。色を描き出す自分自身が、圧倒的な白の中で我を見失いそうになるから。
けれど私の傍には、陽介がいてくれる。白いキャンバスの中で、温かく、優しい色彩を持つ陽介が。そして、私は最も尊い色彩を持つ人と、共に歩める未来が楽しみで仕方がなかった。
「愛しているよ、陽介。ずっと、傍にいさせてほしい」
彼の耳元で、私は密やかに、彼にだけ聞こえるように、囁く。すると私の頬を、大きな手のひらが包み込んだ。
「俺も……、おれも、あいしてる」
じわりと、視界がにじむ。ぼやけた世界の中でも、紅 のマフラーに負けないくらい、陽介は鮮明に写っていて。いまにも涙がこぼれそうな琥珀の瞳で、彼は幸せそうに笑った。私もきっと泣き出しそうな、みっともない顔をしていただろう。
私は赤くなった陽介の目尻をさする。その瞬間、彼の唇に親指がかかった。ほんの少し掠っただけなのに、皮膚が薄いその部分は、陽介に巡るいのちの気配を、何より強く伝えてくる。
「ね、おまえさま」
――くちづけて?
陽介が私と同じように、私の頬に手を添える。そうして、うん。と、幼さのにじむ甘やかな声で応えた。
ねぇ、陽介。いつもは格好つけてるのに、大切なところは誤魔化せなくて、素直な気持ちが溢れると、自然と幼くなってしまう、かわいい人。私の唯一。いとしい、いとしい、おまえさま。泥のなかでも輝ける、宝石のようにきれいなひと。
真っ白な未来でも、どうか一緒に多くの時間を重ねていけますように。
雪のとばりが吹き下ろす。白に包まれた世界のなかで、私は降りてくる愛しい人の温もりに、想いの丈を封じ込めた。
綿毛のような小雪が、漆喰を塗ったように真っ白な天上から、ひらりひらりとちらついて、木々に、民家に、降りつもる。
サクサク。新雪を踏みながら、私は傘をクルクルと回す。降りゆく白が化粧をほどこしていく、開けた世界を、どこか誇らしげな気持ちで眺めていた。
「──」
明るい声が、私を呼ぶ。気がつけば私の隣を歩く彼──花村陽介が、ふっと柔らかく目を細めた。彼のペルソナとお揃いのつもりなのか、
「なんか今日は、ずっと嬉しそうだなお前。表情筋ゆるゆる」
「そういう陽介も、とても楽しそうだな?」
ギクリと、彼が固まった。雪道に一歩を踏み出したまま静止する陽介──私の大切な人に合わせて私も止まる。
「どうしてわかった」という顔をしていて、私は笑ってしまった。マフラーで隠したつもりだろうが、あまいあまい。によっと上がった口角が丸見えだ。私が指で示してみせると、陽介は慌ててマフラーを引き上げる。
「ねぇ、どうして?」
「……お前分かってて言ってるだろ。趣味悪ィー」
意地悪く問いかける私に、彼はふいっと顔を背ける。だから、そんなことしてもバレバレなのに。赤くなった耳が隠れていない。
「ふふっ、そうだな。でも、やっぱり私はおまえさまから直接聞きたいんだ。……ダメか?」
「! あーもうっ、そんなお願いズルいだろうがっ!」
そうして彼は、私の顔をずいっと覗きこんだ。南天みたいに真っ赤な頬を惜しげもなくさらして、私を映す澄んだ瞳は、暖炉の炎にも似て情熱的だ。ただでさえハンサムな顔面が発する熱烈な圧に縫いつけられた私は動けない。
「付き合いたての彼女と、こうやっていろいろ話しながら帰れることが嬉しいの! つか、一緒にいれるのが嬉しいんだよ!」
「ひぁ!?」
そこまでストレートな告白をもらえるとは思ってなかった。いつの間に、そんな積極性を身に付けたんだ。付き合う前はアプローチも控えめだったのに。耐性のない私の頬はみるみるうちに発火していく。すると陽介は、可愛らしく染まった頬に似合わない、こずるい笑顔を形づくる。
「よーし、俺は言ったかんな。おまえが嬉しそうなのも教えてもらうぞ」
「い……い、いイ」
「あー、照れて固まっちまったか。こりゃしばらく治りそうにないなぁ」
「いまは無理」と言いたいのに、ポンコツと化した私の滑舌は一向に言葉を作れない。体温が上がったまま固まるという珍妙な芸当を披露している私に向かって、陽介はとても優しい笑みを見せた。え、もしかして話さなくていい?
「よし、そんじゃアソコで休憩にしますか」
ピシッと私は硬直した。陽介が指さした方向には、屋根で覆われたベンチがある。鮫川の休憩スペースだ。どうしよう。こんなに策士な陽介見たことない。
「ひゃ、ひゃい……」
恋人の新たな一面に見惚れて茹だる私を、陽介は紳士かつ強引に休憩スペースへと手を引いてくれた。大好き。
***
「発作、おさまった?」
「ああ、大丈夫だ。私は逃げも隠れもしにゃい」
「しにゃい……ぷふっ。まだ語尾溶けてんの」
「いっ、意味が分かるからいいだろう! あ、今度こそ戻った!」
鮫川の休憩スペースに到着してしばらく。私のポンコツもだいぶ収まってきた。滑舌が溶けるのはあいかわらず恥ずかしいけれど、揶揄いながらも待ってくれる陽介は、やっぱり優しい。
「すまないな、おまえさま。いつも待たせてしまって」
「いーやー、かわいいからいいよ。おまえが照れるのって珍しいしさ。何てったってプレミアつくぜ」
軽口を叩きながら、陽介はカラリと笑ってくれる。私は再び茹だりそうな体温を気合いで押さえつけた。陽介が笑ってくれているのに茹だってる場合ではないのである。
けれどやはり、待たせてしまうというは申し訳ない。たしかに、彼が自分のために時間を使ってくれる嬉しさはあるけれど。まして、今は雪降るほど寒いのだ。
私はちらりと、隣に腰かけた彼を見やる。クセで組んだ両腕は、いつもよりも堅く身体に寄せられて、寒そうだ。
直接肌があらわになる顔は、紅のマフラーに埋まっている。そういえばと私は思い出して、コートのポケットに手を突っ込んだ。
「陽介、ちょっと失礼」
「? ――っあ!」
至近距離で驚く陽介が、私の瞳に写し出された。それもそのはず。座っている陽介に、私は身体を密着させている。さらに、両手で陽介の整った輪郭を覆っている。手袋のついた両手は携帯カイロで温めたから、少しは温かいはずだ。おや、しかし、カイロの熱とは思えないほど、彼の頬は熱を帯びる。
「おまえさま、間に合わせ程度だが、温かいだろうか?」
「なななななっ、なんでいきなり密着してるのっ、俺ら。顔、近いし」
「陽介を冷気から守るためだが? すまないな、おまえさまより小さい私の身体ではこれが限界だ」
「い、いや、十分おおきっ――って、違ーーーーう!」
勢いよく、陽介は私を引き剥がした。ぜぇぜぇと、まるで全力疾走したあとのように、彼は息を吐き出す。呼吸が落ち着いて顔を振り上げた彼は羞恥に目をつぶり捲し立てた。
「そんな顔、近づけられたらもう耐えられねーんだよ! なに、フリか? フリなんですかっ? キスしろっていう」
「ああ! その方法があったか。私としたことが、陽介に見とれて、唇を温めるのを忘れていた」
「納得してんじゃねーよっ! つかお前はどこまで温めりゃ気がすむの! 別んトコが
「あ、しょ……しょれわ……しゅまにゃい」
「え、なにその反応。いままで善意100パーでやってたわけ? 恐ろしいわこの子」
あーーーーっと!! 私は何ということを!! たしかにそう思われても仕方ないフルコースではないか!! 私はだらしなく赤くなっているであろう顔を両手で覆う。顔から火が出るほど恥ずかしい。
でも後悔はしていない。私に顔を挟まれて初々しく真っ赤になる陽介、プライスレス。むしろ喜んでくれるなら、頼まれずともまたやろうとすら企んでしまう。
「あー、また顔赤くなったんだろ。ほれ、見せてみろ」
だが、それは頼まれても嫌だ!! ゆるい餅みたいに垂れ下がった顔なんて、恥ずかしくて見せたくない。
だというのに、先に立ち直った陽介は私の両手を掴んでどけようとしてくる。それだけは絶対にダメだっ。
「い、いやだ! 見苦しいから見せたくないっ」
必死に抵抗する私に、彼はふーんと、面白くなさそうな声を出す。そして──
「なら、おしおきな」
──おしおき!? 非常に魅力的な言葉に私は一瞬フリーズする。ふっと、陽介の口からが楽しそうな笑いがもれた。私の両手首から、彼の手が離れる。あ、ダメだ。期待で身体が動かない。いったい私は何をされてしまうんだ。
すると私は、彼の腕の中にかたくかたく封じられてしまった。
「――ッ」
息を、忘れてしまう。
陽介の腕は、ひとつは背中に、もうひとつは私の後頭部に添えられて、彼の胸の中へ仕舞いこまれている。
なされるがまま招かれた彼の内側で、私は涙が出そうになった。彼の温もりのせいばかりではない。とく、とくと規則正しい心臓の音、深く息をする肺の音、首筋から香る彼本来のにおい。鼓動も、呼吸も、彼のにおいも、本来熱を持たないはずなのに、どうしてこんなにも温かいのだろう。
私ははひたりと、陽介の身体に自身をよせる。彼が私を抱き込む力が強くなって、彼の
「あたたかい……」
「そりゃ、こんなことしてれば、な」
おまえもあったかいよと、はにかんで陽介は答える。同時に、私を抱き締める力が緩むことはない。私は優しくしてくれる、そして私を求めてくれる彼に甘えて、ずっと陽介の鼓動を聞いている。少し早くなった鼓動がいとおしい。パニックになる暇なんてないほど、私は彼の優しさと暖かさに満たされていた。
「それでさ、そろそろ教えてくれない?」
かなり長く、私たちは抱き合っていたように思う。飛びはねていた鼓動が鎮まって、互いの温かさに身を委ねるようになったころ、陽介が私に問いかけた。雪のなかで、私がいつもより嬉しそうにしていた理由を聞きたいのだろう。もとより、私も逃げる気はなかった。正直に、私は語り出す。
「雪が、見えたから」
「雪? そりゃあ、この季節になれば見えるだろ。冬なんだし」
陽介は、拍子抜けといった感じだ。顔をあげると、やはり肩透かしを食らったような、納得がいかないような、渋い顔をしている。私も、普段ならこんなことを言わない。歌人や文学者ではないのだから。けれども、どうしても雪に心を動かされた理由があった。
「うん。だけど、今までは見えなかっただろう?」
陽介は首を傾げて、あっと声をあげた。どうやら彼も気がついたらしい。
「そっか。霧が晴れたから、お前はあんな笑ってたのか」
彼の答えに、私の唇が弧を描く。
数日前まで、八十稲羽は原因不明の──正確には、超常的な存在によって──一寸先すら視界が閉ざされるほどの霧で閉ざされていた。それまでは、降る雪が霧に紛れて降っているのかさえ──目前を雪が掠めてやっと分かるくらい、視界は悪くて。
しかし、私たちを含めた仲間たちが起こした決死の戦いの末、混迷の霧は晴らされた。結果訪れたのは、どこまでも澄みわたった世界。降りゆく白が染めていく街を、今は当たり前に、遠くまで見ることができる。
「うん、それもそうだけれどね」
だけど、私が喜んだ理由はそれだけではない。きょとんと
「白の世界に、陽介がいたから」
陽介が、琥珀の瞳を丸くする。じわりと、彼のまぶたの縁が揺らめいた。
「これから始まるまっ白い未来を、おまえさまと歩める。それがたまらなく誇らしくて――」
――嬉しかったんだよ。
クシャリと、彼が泣き出しそうに目尻を丸める。だけど、それは悲しみとはほど遠い感情を示していて。そのまま、愛しい恋人は私を強く抱きすくめた。
手を伸ばして、震える彼の背を私はゆっくりとさする。
本当は、陽介ばかりを見ていた。白銀の世界で温かい色を宿して、柔らかい光を放つ炎のような
けれど私の傍には、陽介がいてくれる。白いキャンバスの中で、温かく、優しい色彩を持つ陽介が。そして、私は最も尊い色彩を持つ人と、共に歩める未来が楽しみで仕方がなかった。
「愛しているよ、陽介。ずっと、傍にいさせてほしい」
彼の耳元で、私は密やかに、彼にだけ聞こえるように、囁く。すると私の頬を、大きな手のひらが包み込んだ。
「俺も……、おれも、あいしてる」
じわりと、視界がにじむ。ぼやけた世界の中でも、
私は赤くなった陽介の目尻をさする。その瞬間、彼の唇に親指がかかった。ほんの少し掠っただけなのに、皮膚が薄いその部分は、陽介に巡るいのちの気配を、何より強く伝えてくる。
「ね、おまえさま」
――くちづけて?
陽介が私と同じように、私の頬に手を添える。そうして、うん。と、幼さのにじむ甘やかな声で応えた。
ねぇ、陽介。いつもは格好つけてるのに、大切なところは誤魔化せなくて、素直な気持ちが溢れると、自然と幼くなってしまう、かわいい人。私の唯一。いとしい、いとしい、おまえさま。泥のなかでも輝ける、宝石のようにきれいなひと。
真っ白な未来でも、どうか一緒に多くの時間を重ねていけますように。
雪のとばりが吹き下ろす。白に包まれた世界のなかで、私は降りてくる愛しい人の温もりに、想いの丈を封じ込めた。