マスターちゃんとホクサイくん
【帝都にて】
マスターは、ボクの時間を邪魔しない。
ボクも、そんなマスターを尊重する。
だから、彼女が「デート」の相手にこのボクを指名したことは、驚きだった。
***
「今日は非番よね? なぜ軍服を着て来たの」
彼女は、ボクの格好を見ると表情を曇らせ、がっかりしたように溜め息をついた。
「ごめん」反論は幾らもあったが、全て飲み込んで謝罪の言葉を口にする。「服なんて他に持ってなくてさ〜」
これは嘘だな、と自分でも気付いた。いつもの軍服の他に、式典やパーティー用のスーツと、実験用の白衣を持っている。白衣を着てくれば良かったなぁ、と今更後悔した。ボクが白衣を着ていると、彼女は「似合う」と喜んでくれる。どうして思いつかなかったんだろう。今からでも城に戻って羽織ってこようか。
「軍服じゃ嫌でも人の目を引くでしょう。貴方それでなくても目立つんだから」
「それってどういう意味?」
「こっちの話」彼女はそう言って、ボクの質問には答えてくれない。
「決めたわ」彼女は腕を組んで、うんうんと大袈裟に頷いた。「まずはブティックに向かいましょう」
「ブティック?」行ったことはないけれど知っている。洋服が買えるお店のことだ。「マスター、ボクちゃんに白衣でも買ってくれるの?」
「まさか」見当違いも良いところね、と彼女は可笑しそうに笑い出す。
「貴方をもっと素敵にするのよ」
ブティックに入るや否や、彼女は目につくスーツや靴を好き勝手に選び出し、「さあ着替えて」とそれらをボクに押し付けた。
値段も見ないで選んでしまって大丈夫なのかな、と凡人らしく心配した。このお店、なんだか無駄に高そうだもんな。
「ホクサイ。これは命令よ」
返事をしないボクに痺れを切らしたのか、腕を組み、憮然とした態度で、彼女はそう告げる。軍人らしい強い口調。
「は〜い」
急に上官らしくなった彼女に、反論はできない。ボクは自然と姿勢を伸ばし、試着室へと向かっていた。
後ろで彼女が、「支払いはコレで」と店員にカードを渡す声が聞こえていた。
「………」
ショーウィンドウに映った自分の姿をまじまじと見つめる。
「ホクサイ」往来で突然足を止めたボクに、彼女は振り返って声を掛けた。
「何をしているの。早くいらっしゃい」
「……うん」ショーウィンドウを見つめたまま空返事をして、ボクは駆け出す。タッと彼女の横に並んだ。
「身だしなみが気になるの?」
「まぁね」彼女の問いかけに、大袈裟に肩をすくめてみせる。
頭の先から爪の先まで、高級な衣服に身を包んだ自分。あまりにも日常と懸け離れていて、変な感じがした。
「マスターはどうして、今日のデートにボクちゃんを指名したの」首元のネクタイが、いつもよりキツくて息苦しい。早くも脱ぎたくなってしまった。「ボクを相手にして、君に得なんてある?」
「貴方のことが、気に入っていると言ったら?」
「それって、一番好きってこと?」
彼女はぴたりと歩みを止め、ボクのことをじっと見つめた。
アーモンド色の両眼が、ボクの頭の天辺から靴の先までをスキャンする。
「たまにはそんな貴方も素敵よ」
「え?」
不意を突かれてきょとっと目を丸くする。
彼女の澄ました表情に、微笑みかけた。
「マスター、それもう一回言って」
彼女の台詞が嬉しくて、話題を挿げ替えられたことには気づかなかった。
「馬鹿ね。真に受けないでよ」肩をすくめてクスッと微笑んだ彼女は、唇に人差し指を当てて囁く。いつもより数倍キュートな仕草。
「リップサービスよ」
***
今日のボクはマスターの騎士なのだから、彼女を困らせたり、ましてや怒らせてはならないのだそうだ。これは、ボクを帝都に送り出してくれたモーゼルから、口酸っぱく言われていた。
病で臥せっていたマスターの回復祝いに、貴銃士との帝都一日デートを実行することを提案したのはモーゼルだった。「美青年と二人きりで自由に帝都を散策できれば、マスターは身も心も健やかになるでしょう」と彼は言った。彼女が小さな頃からその成長を見守ってきた彼だからこそ、飴と鞭の扱いが上手い。ファルが言うには、俗に「面食い」と呼ばれる彼女の特性をモーゼルは良く理解している、とのことだ。
そんな貴重な帝都一日デートの相手に選ばれた貴銃士は、他でもないこのボクだ。
「いいかい? 決して彼女の気を損ねてはいけないよ。君とマスターはよく喧嘩をしている、とナインティから報告を受けているが、もしデート中に喧嘩をして、君が彼女を帝都に置き去りになどしてごらん。その時は、僕が君の首を飛ばす」
もし首を飛ばされたら、飛んで行った首を回収して、断面に縫い付けて接合すればいいのだ。そう思ったけれど、モーゼルのギラギラと威嚇するようなルビーの瞳に身が竦んで、黙り込んだ。余計なことは言わない方が身のためだ。
「楽しませてあげなさい」
何度目かの忠告の後、モーゼルは優しい声音でそうも言った。
「楽しい?」
モーゼルのことを思い出す度に、彼女にそう尋ねてしまう。人の心は測定できないうえに、平気で嘘をつくのだから、楽しんでいるかどうかを判断するのは難しい。ボクの首がちょん切れるか否かの瀬戸際なのだから、この命題は重要だ。
「ホクサイは楽しい?」
向かいの席でホットチョコレートをスプーンでかき混ぜながら、俯き加減のまま、彼女は言った。
「あんまり」カップを手にして、正直に答える。
コーヒーの黒い表面に映る自分の顔が、曇っていた。マスターが楽しんでくれているかどうか分からないから、ボクが楽しむ余裕なんて無い。
「私もあんまり」
そう言いながらも、彼女はどこか面白そうに微笑んでいる。
「キミを楽しませるには、どうしたらいいの?」
正直に尋ねると、「そんなの簡単よ」と彼女は顔を上げ、明るく笑った。
「貴方も楽しんでくれればいいの!」
そう笑っていた彼女は、ボクが店員に水を貰いに行っている間、カフェの席から忽然と姿を消した。
「…………」
向かいの空になった席を見つめながら、ボクは残りのコーヒーを啜る。
今までの謎が、するすると頭の中で解けてゆく。
「……そういうことだね」
立ち上がり、二人分のお代をテーブルの上に置き、安心してカフェを出る。
そうして、彼女が戻ってくるまで何をしようかなぁと、自分の予定を組み出した。
***
マスターが居なくなった時、焦らなかったと言えば嘘になる。
けれど、その時初めて、今日のデートにボクが指名された意味を理解した。
最初から、これが目的。
彼女は、護衛である貴銃士からも離れて、自分の時間が欲しかったのだ。
ボクの記憶にある限り、彼女に一人で外を出歩かせたことはない。必ず護衛の貴銃士、または軍人が側に付いている。少女であった頃は「マスターの娘」として、大人になってからは「マスター」として、彼女は常に帝軍の要人だった。あらゆる危険から身を守るため、城から一歩先へ出ようものなら、彼女に自由は認められない。銃のボクからしてみても、本当に窮屈な人生だ。
そんな彼女に一番楽しく過ごしてもらう方法は、「自由な時間」を与えることだとボクは思う。
彼女は、たとえ休暇でも、ボクを誘って街に行くことなど無かった。エフやベルガー、ゴーストなんかはよく誘われているようだが、ボクが誘われたことは一度も無い。
ボクが研究や実験に時間を割きたいことを知っているから、わざと声を掛けないのだろう。
ボクは、彼女によって、「自由な時間」を与えられている。認められている。
だからボクも、突然居なくなったマスターの居場所を突き止めたり、捜索するなんて、そんな野暮なことはしない。
きっと戻ってくるだろうと、たかを括って待っている。
それが、彼女に自由な時間を与えるということだ。
ボクは、彼女の時間を邪魔しない。
キミの大事なものは、ボクも大事にするんだ。
***
帝都の主要な教会が燃えていた。
人々は、固唾を飲んで消火活動を見守っている。その群衆から少し離れたところで、彼はぼんやりと火事を見上げていた。その教会は、街を代表する歴史的建造物であったが、彼にとっては駅舎と同じ程度の価値しかない。ああ、燃えているなぁ、と思うだけだった。
「よく燃えているわね」
すぐ隣で声がした。
いつの間にか、彼女がぴったりと横に並んでいた。片手を目の上に翳して、教会の燃え落ちる塔をまじまじと見つめている。
「世界帝府から、寄付金を出しましょう」
澄ました顔で、彼女は教会の火事をそう評価する。
マスターとの数時間ぶりの再会に、彼は少なからずほっとした。
「探した?」
彼女は横目でじっと彼を見上げる。
彼は首を横に振り、笑いながらこう答える。
「おかえり。マスター」
教会の火事は、なかなか鎮火する気配がない。
黒い煙をもくもくと上げる歴史的建造物は、時折小さく火花を散らして、初夏の夕空に光を灯す。
不安そうに火事を見守っていた民衆たちが、徐に賛美歌を歌い出した。響き渡る大合唱。
「素敵ねぇ」
川沿いの舗装された道を歩きながら、彼女は機嫌良さそうに呟く。素敵という概念が、ボクにはイマイチ理解できない。
「キミは……」賛美歌の美しい音色に負けないよう、少しだけ声を張ってみた。「楽しかった?」
教会の塔が崩れ落ちる。
人々の驚嘆と落胆の声が、賛美歌にノイズをもたらす。
「ええ」
満足げに振り向いた彼女の優しく清廉な微笑みは、崩れない。
マスターは、ボクの時間を邪魔しない。
ボクも、そんなマスターを尊重する。
だから、彼女が「デート」の相手にこのボクを指名したことは、驚きだった。
***
「今日は非番よね? なぜ軍服を着て来たの」
彼女は、ボクの格好を見ると表情を曇らせ、がっかりしたように溜め息をついた。
「ごめん」反論は幾らもあったが、全て飲み込んで謝罪の言葉を口にする。「服なんて他に持ってなくてさ〜」
これは嘘だな、と自分でも気付いた。いつもの軍服の他に、式典やパーティー用のスーツと、実験用の白衣を持っている。白衣を着てくれば良かったなぁ、と今更後悔した。ボクが白衣を着ていると、彼女は「似合う」と喜んでくれる。どうして思いつかなかったんだろう。今からでも城に戻って羽織ってこようか。
「軍服じゃ嫌でも人の目を引くでしょう。貴方それでなくても目立つんだから」
「それってどういう意味?」
「こっちの話」彼女はそう言って、ボクの質問には答えてくれない。
「決めたわ」彼女は腕を組んで、うんうんと大袈裟に頷いた。「まずはブティックに向かいましょう」
「ブティック?」行ったことはないけれど知っている。洋服が買えるお店のことだ。「マスター、ボクちゃんに白衣でも買ってくれるの?」
「まさか」見当違いも良いところね、と彼女は可笑しそうに笑い出す。
「貴方をもっと素敵にするのよ」
ブティックに入るや否や、彼女は目につくスーツや靴を好き勝手に選び出し、「さあ着替えて」とそれらをボクに押し付けた。
値段も見ないで選んでしまって大丈夫なのかな、と凡人らしく心配した。このお店、なんだか無駄に高そうだもんな。
「ホクサイ。これは命令よ」
返事をしないボクに痺れを切らしたのか、腕を組み、憮然とした態度で、彼女はそう告げる。軍人らしい強い口調。
「は〜い」
急に上官らしくなった彼女に、反論はできない。ボクは自然と姿勢を伸ばし、試着室へと向かっていた。
後ろで彼女が、「支払いはコレで」と店員にカードを渡す声が聞こえていた。
「………」
ショーウィンドウに映った自分の姿をまじまじと見つめる。
「ホクサイ」往来で突然足を止めたボクに、彼女は振り返って声を掛けた。
「何をしているの。早くいらっしゃい」
「……うん」ショーウィンドウを見つめたまま空返事をして、ボクは駆け出す。タッと彼女の横に並んだ。
「身だしなみが気になるの?」
「まぁね」彼女の問いかけに、大袈裟に肩をすくめてみせる。
頭の先から爪の先まで、高級な衣服に身を包んだ自分。あまりにも日常と懸け離れていて、変な感じがした。
「マスターはどうして、今日のデートにボクちゃんを指名したの」首元のネクタイが、いつもよりキツくて息苦しい。早くも脱ぎたくなってしまった。「ボクを相手にして、君に得なんてある?」
「貴方のことが、気に入っていると言ったら?」
「それって、一番好きってこと?」
彼女はぴたりと歩みを止め、ボクのことをじっと見つめた。
アーモンド色の両眼が、ボクの頭の天辺から靴の先までをスキャンする。
「たまにはそんな貴方も素敵よ」
「え?」
不意を突かれてきょとっと目を丸くする。
彼女の澄ました表情に、微笑みかけた。
「マスター、それもう一回言って」
彼女の台詞が嬉しくて、話題を挿げ替えられたことには気づかなかった。
「馬鹿ね。真に受けないでよ」肩をすくめてクスッと微笑んだ彼女は、唇に人差し指を当てて囁く。いつもより数倍キュートな仕草。
「リップサービスよ」
***
今日のボクはマスターの騎士なのだから、彼女を困らせたり、ましてや怒らせてはならないのだそうだ。これは、ボクを帝都に送り出してくれたモーゼルから、口酸っぱく言われていた。
病で臥せっていたマスターの回復祝いに、貴銃士との帝都一日デートを実行することを提案したのはモーゼルだった。「美青年と二人きりで自由に帝都を散策できれば、マスターは身も心も健やかになるでしょう」と彼は言った。彼女が小さな頃からその成長を見守ってきた彼だからこそ、飴と鞭の扱いが上手い。ファルが言うには、俗に「面食い」と呼ばれる彼女の特性をモーゼルは良く理解している、とのことだ。
そんな貴重な帝都一日デートの相手に選ばれた貴銃士は、他でもないこのボクだ。
「いいかい? 決して彼女の気を損ねてはいけないよ。君とマスターはよく喧嘩をしている、とナインティから報告を受けているが、もしデート中に喧嘩をして、君が彼女を帝都に置き去りになどしてごらん。その時は、僕が君の首を飛ばす」
もし首を飛ばされたら、飛んで行った首を回収して、断面に縫い付けて接合すればいいのだ。そう思ったけれど、モーゼルのギラギラと威嚇するようなルビーの瞳に身が竦んで、黙り込んだ。余計なことは言わない方が身のためだ。
「楽しませてあげなさい」
何度目かの忠告の後、モーゼルは優しい声音でそうも言った。
「楽しい?」
モーゼルのことを思い出す度に、彼女にそう尋ねてしまう。人の心は測定できないうえに、平気で嘘をつくのだから、楽しんでいるかどうかを判断するのは難しい。ボクの首がちょん切れるか否かの瀬戸際なのだから、この命題は重要だ。
「ホクサイは楽しい?」
向かいの席でホットチョコレートをスプーンでかき混ぜながら、俯き加減のまま、彼女は言った。
「あんまり」カップを手にして、正直に答える。
コーヒーの黒い表面に映る自分の顔が、曇っていた。マスターが楽しんでくれているかどうか分からないから、ボクが楽しむ余裕なんて無い。
「私もあんまり」
そう言いながらも、彼女はどこか面白そうに微笑んでいる。
「キミを楽しませるには、どうしたらいいの?」
正直に尋ねると、「そんなの簡単よ」と彼女は顔を上げ、明るく笑った。
「貴方も楽しんでくれればいいの!」
そう笑っていた彼女は、ボクが店員に水を貰いに行っている間、カフェの席から忽然と姿を消した。
「…………」
向かいの空になった席を見つめながら、ボクは残りのコーヒーを啜る。
今までの謎が、するすると頭の中で解けてゆく。
「……そういうことだね」
立ち上がり、二人分のお代をテーブルの上に置き、安心してカフェを出る。
そうして、彼女が戻ってくるまで何をしようかなぁと、自分の予定を組み出した。
***
マスターが居なくなった時、焦らなかったと言えば嘘になる。
けれど、その時初めて、今日のデートにボクが指名された意味を理解した。
最初から、これが目的。
彼女は、護衛である貴銃士からも離れて、自分の時間が欲しかったのだ。
ボクの記憶にある限り、彼女に一人で外を出歩かせたことはない。必ず護衛の貴銃士、または軍人が側に付いている。少女であった頃は「マスターの娘」として、大人になってからは「マスター」として、彼女は常に帝軍の要人だった。あらゆる危険から身を守るため、城から一歩先へ出ようものなら、彼女に自由は認められない。銃のボクからしてみても、本当に窮屈な人生だ。
そんな彼女に一番楽しく過ごしてもらう方法は、「自由な時間」を与えることだとボクは思う。
彼女は、たとえ休暇でも、ボクを誘って街に行くことなど無かった。エフやベルガー、ゴーストなんかはよく誘われているようだが、ボクが誘われたことは一度も無い。
ボクが研究や実験に時間を割きたいことを知っているから、わざと声を掛けないのだろう。
ボクは、彼女によって、「自由な時間」を与えられている。認められている。
だからボクも、突然居なくなったマスターの居場所を突き止めたり、捜索するなんて、そんな野暮なことはしない。
きっと戻ってくるだろうと、たかを括って待っている。
それが、彼女に自由な時間を与えるということだ。
ボクは、彼女の時間を邪魔しない。
キミの大事なものは、ボクも大事にするんだ。
***
帝都の主要な教会が燃えていた。
人々は、固唾を飲んで消火活動を見守っている。その群衆から少し離れたところで、彼はぼんやりと火事を見上げていた。その教会は、街を代表する歴史的建造物であったが、彼にとっては駅舎と同じ程度の価値しかない。ああ、燃えているなぁ、と思うだけだった。
「よく燃えているわね」
すぐ隣で声がした。
いつの間にか、彼女がぴったりと横に並んでいた。片手を目の上に翳して、教会の燃え落ちる塔をまじまじと見つめている。
「世界帝府から、寄付金を出しましょう」
澄ました顔で、彼女は教会の火事をそう評価する。
マスターとの数時間ぶりの再会に、彼は少なからずほっとした。
「探した?」
彼女は横目でじっと彼を見上げる。
彼は首を横に振り、笑いながらこう答える。
「おかえり。マスター」
教会の火事は、なかなか鎮火する気配がない。
黒い煙をもくもくと上げる歴史的建造物は、時折小さく火花を散らして、初夏の夕空に光を灯す。
不安そうに火事を見守っていた民衆たちが、徐に賛美歌を歌い出した。響き渡る大合唱。
「素敵ねぇ」
川沿いの舗装された道を歩きながら、彼女は機嫌良さそうに呟く。素敵という概念が、ボクにはイマイチ理解できない。
「キミは……」賛美歌の美しい音色に負けないよう、少しだけ声を張ってみた。「楽しかった?」
教会の塔が崩れ落ちる。
人々の驚嘆と落胆の声が、賛美歌にノイズをもたらす。
「ええ」
満足げに振り向いた彼女の優しく清廉な微笑みは、崩れない。