チェスの国
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『小狼さん、やっと眠ったんですね』
一人お酒を呑んでいる黒鋼さんが、「ああ」と低く呟く。
隣ではさっき驚く程面白かった小狼さんと、すーすーと寝息を立てているモコナをひと撫で。後で黒鋼さんがベッドへ運ぶだろうから毛布なんかは持ってきてない。
『そろそろわたしも寝ますね』
「待て」
『なんです?』
「…晩酌くらい付き合え」
そう言われて酒瓶を渡された。つまりお酌をしろって事だろうか?
まぁ、わたし達の為にこの人なりに気を回してくれているのだろう。空になったグラスに、並々小麦色のお酒を注いであげた。
「あっ、おい!酒ってぇのはそんな並々注ぐもんじゃねんだよ!」
『えっ、そーなんですか? でもどーせ全部呑むんなら、多くても少なくても同じじゃないですか?』
「………」
眉間にシワが寄りあからさまに不満の表情だ。
きっと「おまえに風情なんてモンを求めた俺が馬鹿だったか」とか思ってる顔だ。
「……おまえは呑むなよ」
『言われなくても呑みませんよ!未成年なんだから!』
「そうしてくれ。俺ぁ酔っ払いの介抱なんざ勘弁だ」
『…もしかして、メイリンさんってお酒弱かったです?』
いつになく真剣な表情で、黒鋼さんは縦に首を振った。
予測していた通りだが、やっぱり弱いのか。ていうか、メイリンさんの外見って見るからに未成年だけどお酒飲んでもいい年齢なんだろうか?
「おまえ…は、一杯呑んだらすーぐに酔いやがって。いつもはピーピー小煩ぇのに、酔うと更に煩くなりやがる。愉快に歌でも歌い始めたりな」
『花見してるおじさんかよ』
なんだそれは。
本当にこんな見た目美少女がする事なのか?
今まで聞いた話の中でぶっちぎりのダメ話なんだけど。
「……よく口が回って、頭も変に回りやがる。だから周りに変な気遣いや、心配をかけまいと動いて墓穴を掘るような奴だ」
『…それが、黒鋼さんから見た、メイリンさん?』
「…そんなとこだ」
ぐびっ。勢いよくグラスの琥珀色を喉に押し込む黒鋼さんは、お酒と一緒に何かも飲み込んでいるようだった。
「…おまえに言っても仕方ねぇと思うが。俺と小娘が最後に話した時、アイツは何かを抱えてやがった。心配事も隠し事も、この旅じゃままある事だが、小娘は話せるようになったら話すと言っていた」
『…そう、でしたか』
「だからおまえも辛い事があったら隠すな。
言いたくねぇなら言わないでいいが、言いてぇ事は言え。辛いでもしんどいでもいい。
ーーおまえとアイツを重ねるな、でもいい」
黒鋼さんの言葉に、はっとする。
そんな事は思っていなかった、と言えば嘘になってしまう。けど重ねるな、なんて土台無理な話だ。
まず、わたしのこの体はメイリンさんのものだ。メイリンさんが、この年まで守ってきた命であり。繋いできた縁だ。
それをわたしが無理やり切り取っていいはずがない。
わたしはわたしだ、なんて主張通らない。
だってわたしには、メイリンさんの記憶も、“わたし”もないんだから。
『…なんだか、疲れてるみたいです。
先に休みますね』
パタン、と部屋の扉を閉めた後、黒鋼さんの「背負いこむところは消えてねぇみてぇだな」という言葉は、聞きたくなかった。
ーーーーーーーー
次の日も、借りた宿での留守番だった。
皆さんが頑張っているのは知っているけれど、そろそろ別のお手伝いもしたい。
けれど、わたしにできる事は極々限られているのも、知っている。
ふと、ついぞ思っていた事を実行した。
〈それがあたしに連絡する、だなんていい度胸ね〉
『しょうがないじゃないですか。
聞きたいことが、山ほどあるんだから…』
出てきたのは歯切れの悪い自分の言葉だったが、しっかりと見据えると、映っていた次元の魔女さんはモコナに眠るように告げた。
魔法のように瞬時にモコナは眠ってしまい、わたしと魔女さんの二人になる。
〈それで、聞きたいことってなにかしら?〉
『わたしの、事です』
〈この前話した以上に、メイリンの事は話せないわよ〉
『いいえ、メイリンさんの事ではなく、わたしの…ーーいえ、“李苺鈴”になる前のわたしの事です』
魔女さんは一瞬息を呑んだように見えた。こんなカッコいい女性が息を呑む見間違いかも知れない。
けれど、魔女さんの身に付けていた大ぶりのネックレスがシャラリと動いた。
『…わたし、最近になってようやく“メイリン”って呼ばれるのに慣れてきました。
けれど、わたしをそう呼ぶのはモコナと魔女さん。あとは、さくらさんが痛みに耐えるように呼んでくれるだけ』
〈……〉
『わたしも、わたしが“李苺鈴”だって自覚なんて、まるでないです。
けれど、わたしとメイリンさんを重ねているのに、やっぱり別人として扱う。
区別、してらっしゃるんです』
〈…そう、でしょうね〉
わたしが肯定せずとも、魔女さんには分かっているようだった。
『旅に参加してから、メイリンさんの事少しずつだけど、分かってきました。
言葉や態度が少し強めだった事とか、歌が上手な事とか、お料理ができる事とか、応急処置だけど手際がいい事とか、よく無茶してた事とか、お酒弱いとか、…あと、皆さんがメイリンさんの事、本当に大切に思っている事とか』
まだまだそんな程度だけれど、短い期間で分かったこと。これからもっともっと知る事になるだろうし、わたしもそう望んでいる。
けれど、将来が近くにある、というよりも何処か他人事にしか思えない。
『…魔女さんは、記憶の“初期化”と言いましたよね。ってことは、わたしが李苺鈴として生まれ変わった時は、こんな感じだったんでしょうか?』
〈そうね。ーーこれは憶測だけれど。
曖昧な知識だけが入った穴だらけの記憶で、相当戸惑ったと思うわ〉
『それが経験や修行を経て、今のメイリンさんになったんですよね…。すごいなぁ。
でも、ごめんなさい。わたしはそれを知りません。わたしの物じゃない。
わたしは、メイリンさんの物じゃない、“わたしだけ”の物が欲しい…!!』
叫びにも似た、わたしの気持ち。わたしの願い。メイリンさんの事を知りたい、という当初の願いは本物だ。
記憶を戻して、皆さんにメイリンさんを返してあげたいという願いも本物だ。
けれど、メイリンさんを知る度、メイリンさんに向けられていた目線をわたしが浴びる度に、「これはわたしへの物じゃない」と思い知らされる。
わたしが貰ってもいい物じゃない、と。
だから、わたしは“わたしだけの物”がほしい。
〈…貴方だけの。メイリンが生まれ変わる前に、捨ててしまったもの。無くしたものがほしい、という訳ね〉
『そう、です』
〈これはまた、難しい…いいえ、重い願いね。
あたしが叶えてしまうと、貴方では対価が払えなくなってしまう程の〉
この人にお願いをすれば、大抵叶うというのは、聞いていた。その代わり対価を支払わなければならない、という注意事項も。
しかし願いは重く、対価は払えないと言う。
魔女さんに願っても無理という事だろうか。
〈…けれど、一つだけあるわ。
貴方が貴方だけの物を手に入れる機会が。
その時は、自ずとやってくる。貴方が望もうと、望むまいと〉
『…その、機会って』
〈まだ時ではないから教えられない。
ーーーーでもね、本当は貴方はそのままの方が幸せなんじゃないかって思うわ。
そのまま、何も考えず、何も思わずに…〉
魔女さんは祈るように瞳を閉じて、もしもの空想の世界を描くみたいに言う。
わたしも、分かっている。
『きっと、わたしがわたしとして生きていた時は、何も考えず、何も思わず、何もせずにただただ生きていたんだと思います。
そういうことができる世界だったから。でも、それだけじゃもう、駄目なんです』
〈そう…。なら、これは助言として聞きなさい。“夢の中でも、貴方は自由よ。決めるのは、貴方なの”〉
水面に映る月みたいな、魔女さんのどこか物憂げな瞳の奥はしっかりわたしを捉えていた。
その言葉の意味を考えながら、わたしはまた無為な1日を送る。
(からんとピースは落ちた)